義妹に婚約者もすべてを奪われて、野蛮と噂の赤獅子辺境伯に嫁がされました
「シャーロット、お前との婚約を破棄して、イザベラと婚約を結び直す。お前はイザベラの代わりに、赤獅子の辺境伯へ嫁ぐことに決まったからな」
「シャーロットお義姉様、よかったわね! 落ちこぼれのお義姉様がマローラ子爵家の役に立てるなんて光栄でしょう?」
徹夜で回復薬を作り終え、寝不足と魔力不足でふらふらな私は、いきなり婚約者に呼び出され、婚約破棄を告げられた。
優雅にお茶を飲むのは、私の婚約者でバートン伯爵家の次男ハウエル様と妹のイザベラ。イザベラは、お母様が亡くなった直後に父が再婚し、継母と一緒にマローラ子爵家に連れてきた同じ歳の義理の妹。
「……あの、どういうことでしょうか?」
二人は愉快そうに笑っている。私は視線を左右に揺らして、なんとか口を開いた。
「相変わらず鈍くて、醜いな! お前は低級の回復薬を作るしかできないくせに、婚約者が来ても身なりを整えることすらできないのか?」
「申し訳ありません……」
鏡で見た私は、確かに翡翠色の瞳の下の隈が酷かったし、亜麻色のパサついた髪は梳かしただけだった。ドレスはイザベラに奪われてしまい、それでも一番綺麗なものを着てきたのだけど、ハウエル様に叱られて頭を下げる。ハウエル様の舌打ちが頭上に響く。
「イザベラは上級の回復薬を作れる上に、常に愛らしく『聖女』という呼び名がぴったりなほど美しい。聖女のイザベラが魔物がうろつく辺境の、野蛮な赤獅子の辺境伯に嫁ぐわけには行かないだろう? それなら、お前が代わりに行けばいい」
冷たい視線のハウエル様が早口に捲し立てた。
マローラ子爵家は、代々回復薬を作っている。イザベラは、この国で唯一、上級の回復薬『聖女の回復薬』を作れるので、『聖女』と呼ばれている。
「あの、ですが……」
「うるさい、口答えはするな! 我が家もマローラ子爵も婚約者が代わることに賛成してくれている。もちろんイザベラも俺と同じ気持ちだ」
「わたくしもずっとお慕いしてましたわ……」
甘えた声を出すイザベラにハウエル様の瞳がどろりと甘く変わる。見つめ合い、顔が近づいて唇が触れそうになったのを見て、私は堪らず走り出す。後ろから、馬鹿にした二人の笑い声が追いかけてきた。
日の当たらない屋根裏部屋の粗末なベッドで伏せていると、イザベラがいつも通りノックをしないで入ってきた。
「いつ来てもお義姉様の部屋は、埃っぽいわね。侍女はなにをしているのかしら? ああ、お義姉様のために働きたい侍女は誰もいないんだったわね」
蔑むように、くすくす笑う。お母様が亡くなり、イザベラが来てから私の味方をする使用人や侍女は全て解雇された。私がなにかを言い返すと、夕食の硬いパンすらもらえなくなるので、表情を出さないようにうつむく。
「ねえ、お義姉様。赤獅子の辺境伯の噂は知っていて? 魔物と戦って醜い傷が沢山あるらしいのよ。常に魔物が現れるから、兵士達は昼夜問わず戦い負傷が絶えなくて、辺境の地は、どこにいても血の匂いがするみたいよ」
辺境のハルジオンには、燃えるような赤い髪と瞳を持つ獅子のようなハルジオン辺境伯がいる。魔物の脅威から国を守っているけれど、常に戦いをしているため野蛮だと恐れられ『赤獅子の辺境伯』と呼ばれている。
魔物は森の奥から生まれるとされているが、詳しくはわかっていないため、出没するたびに討伐するしかない。
「お義姉様は低級の回復薬しか作れないけど、少しはお役に立てるのではなくて? お義姉様の婚約者がわたくしに夢中になってしまったのが申し訳なくて、赤獅子の辺境伯をお父様に勧めてみたの。マローラ子爵家といえば、聖女の回復薬で有名ですものね? あっという間に決まったそうよ。素敵な結婚相手が見つかってよかったわね、お義姉様」
イザベラの言葉に、身体が震えた。
「い、イザベラ……でも、すべての回復薬は私が作っていて……」
思わず声に出してしまった私を、イザベラがぞっとするほど冷たい笑みで私を見下ろした。
「なにを言ってるの? お義姉様のどうしようもない回復薬に祈りを捧げて、上級の回復薬にしているのは、わたくしなの。お義姉様のような回復薬を作るなんて誰にでもできるわ」
「…………っ」
「回復薬よりも、自分のことを考えたほうがいいのではなくて? 薄汚い身なりに貧相な身体では、追い出されてしまうかもしれないわ。ふふ、追い出されても帰る家なんてないから、精々頑張ることね」
はっきり言われて言葉を失った。
マローラ子爵家の回復薬は私がすべて作っている。イザベラの『聖女の回復薬』も私の作ったものに、イザベラが祈りを込めてイザベラの魔力と同じピンク色の上級回復薬にしていた。
出来損ないと呼ばれていても、少しは役に立っていると信じていたのに。イザベラにハッキリ否定されて、わずかに残っていた矜恃も粉々に砕けていく。
「出発は明日よ。馬車の中で眠れるんだから、徹夜して作れるだけ回復薬を作っておいてちょうだい」
「……はい。わかりました……」
小さな鞄を私に投げつけ、嬉しそうに笑うイザベラの顔は、涙で滲んでいった。
◇
私と小さな鞄ひとつを乗せた馬車は、一週間ほどかけて辺境に辿り着いた。
「よく来てくれた! 俺は、アーサー・ハルジオンだ」
「シャーロット・マローラです。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む」
出迎えてくれたハルジオン辺境伯は、燃えるような赤髪に、意志の強そうな赤い瞳。騎士服を着ていても、鍛えられているのがわかる逞しい大きな身体をしている。穏やかな声音で話すハルジオン辺境伯は、噂で聞いていたより優しそうな人で安心した。
ごほん、と咳払いの音がする。
視線を向けると、青い髪をひとつにくくり、銀の細いフレーム眼鏡をかけた細身の男性に、ひんやりする紺色の瞳を向けられていた。
「辺境騎士団の副団長レオンです。催促するようで申し訳ないのですが、聖女の回復薬はどこにあるのでしょうか?」
「え……?」
冷ややかな言葉に心臓が跳ねる。
戸惑う私にレオン様から聖女の回復薬を持参する約束だったことを伝えられて、顔が真っ青になった。私の荷物は小さな鞄だけで、『聖女の回復薬』はひとつも持ってきていない。イザベラは、私がハルジオン辺境伯の機嫌を損ねて、追い出されることを期待している。
「あ、あの、申し訳ありません。聖女の回復薬は、あ、ありません……」
「はあ、聖女の回復薬を大量に持参するという話は怪しいと思っていたが、まさか一本もないとはな……! 随分と馬鹿にしてくれる」
「っ! 申し訳ありません!」
殺気をまとうレオン副団長に、慌てて頭を下げて謝った。追い出されてしまう恐怖で、勝手に身体がカタカタと震えてしまう。
「シャーロット嬢、顔をあげて。レオンも言い過ぎだ、殺気をしまえ! 回復薬がないのは、シャーロット嬢のせいじゃないだろう。ここ最近、この地の魔物が増えていて回復薬が足りていないんだ。シャーロット嬢、来たばかりで責めるようなことを言ってしまって、すまない」
申し訳なさそうなハルジオン辺境伯に、慌てて首を横にふった。
「ハルジオン辺境伯閣下が謝ることはありません! こちらが悪いのです……本当に申し訳ありません!」
「いや、魔物が多く出没する辺境に嫁いできてくれるご令嬢は、本当にいないんだ。だから、俺は二十六歳まで独り身だ。シャーロット嬢がこんな俺と結婚してくれるなら、心から大切にすると約束する」
ハルジオン辺境伯の言葉に、びっくりして目を瞬いた。
「ハルジオン辺境伯閣下は、とても素敵な方です……っ! 魔物を怖くないと言えば嘘になりますが、私を追い出さず、置いてもらえるのですか?」
ハルジオン辺境伯は、言葉も瞳も穏やかであたたかい。まだ出会ったばかりだけど、とても素敵な人だと思う。
「貴女を追い出したりしない。そうか、ありがとう。俺のことは、アーサーと呼んでくれ──その、婚約者なんだからな……」
「は、はい。私のこともシャーロットとお呼びください」
「う、うむ。シャーロット、屋敷の案内をしよう」
「あ、ありがとうございます…………アーサー……さ、ま」
呼び捨てにするのは緊張してしまって、様を付けて呼ぶ。アーサー様が目を細めて笑った途端に、心臓がひとつ大きく跳ねる。
アーサー様に大きな手を差し出され、手を添えると優しく握られた。
◇
アーサー様に屋敷を案内してもらう。
使用人の紹介や辺境騎士団の団長をアーサー様が務めていることも聞いた。最後に、日当たりのいい部屋にやって来た。花の刺繍をあしらった若草色のカーテン。ふかふかした明るい絨毯、猫脚のテーブルとソファなど可愛らしい調度品に心が弾む。
「ここはシャーロットの部屋だ。好みがわからなくて、若いメイドたちに聞いて揃えたのだが、どうだろうか?」
予想外の言葉にびっくりして、胸に熱いものがこみ上げる。感激して目に涙が溜まった。私の顔を見ていたアーサー様が慌てたように口をひらく。
「……っ! 気に入らなかったのなら変更もできるから、泣かないでほしい!」
ふるふると首を大きく横に振った。
「ち、違うんです! こんなに素敵なお部屋を用意していただけたことが嬉しくて……。それにお部屋、すごく可愛いです。アーサー様、本当にありがとうございます……っ」
「そうか。気に入ってもらえてよかった」
アーサー様のほっとした顔を見たら、涙が引っ込んだ。すぐ後に、くう、と小さくお腹が鳴り、両手でお腹を慌てて押さえた。アーサー様を窺うと、ふいっと目を逸らされる。アーサー様の肩が小さく震えているのは、笑っているのではないと思いたい。
「食事の時間なのに連れ回してしまって、すまなかった。辺境騎士団の食堂で食べてもいいだろうか? シャーロットをみんなに紹介したい」
身体がびくんと跳ねた。
アーサー様は優しいけど、副団長のレオン様は怖い。回復薬を持ってくる約束を破ったのは私だから仕方ない。それでも、辺境騎士団のすべての人に怒りを向けられることを想像したら、ぞくりと背筋が凍った。
「大丈夫だ。回復薬を持参すると知っていたのは、俺とレオンだけだ」
「ほ、本当ですか……?」
身震いしている私を安心させるように、アーサー様はゆっくりうなずいた。
「俺のかわいい婚約者を、みんなに自慢させてくれないか?」
「…………か、かわいい?!」
「ああ、かわいい」
「揶揄わないでください……っ」
婚約者だったハウエル様にも一度も言われたことのない言葉に、顔に熱が帯びていくのがわかる。思わず両手で顔を覆った。
「駄目か?」
優しく手を解かれて、私の赤らんだ顔をアーサー様が覗き込む。小さく首を横に振っただけの返事に、アーサー様はありがとう、と嬉しそうに笑った。
◇
辺境騎士団の食堂は賑わっていた。
アーサー様と一緒に入ると、沢山の騎士達の視線が集まる。思わず身を縮めたら、繋いでいた手を励ますように握ってくれる。視線を上げると、赤い瞳が優しく見守っていた。
「シャーロット、大丈夫か?」
手のひらから温もりが伝わってくる。不思議なくらい大丈夫だと思えて頷いた。こほん、と咳払いがして視線を移すと、副団長レオン様が眼鏡のフレームを押し上げ、呆れたようにため息をはいた。
「はあ。団長、スープが冷めます」
「ああ、すまない。みんな、俺の婚約者になったシャーロットだ。これからよろしく頼む」
副団長は相変わらず怖いけど、他の団員たちには好意的に受け入れてもらえて安堵の息をつく。
「シャーロット、あたたかなスープをもらってきた」
ふわりと湯気の上がる皿をことり、とアーサー様に置かれた。どうぞと声を掛けられ、喉がこくりと鳴る。スプーンを手に持って口に運ぶ。具沢山のスープは、野菜の自然な甘みがとても優しい。喉に流れていく温かさが胸に広がり、なぜか頬もあたたかい。
「──王都のお貴族様には、野蛮な辺境の料理が口に合わなかったですか?」
「……え?」
副団長の言葉に首を傾げる。
「泣くほど嫌なんでしょう?」
頬に手を触れると、涙がぽたぽたとこぼれ落ちていた。首をゆっくり横に振る。
「……おいしいです。お母様が亡くなってから、こんなに美味しいスープを飲んだことはありません。いつも一人で冷めたものを食べていたし、私のご飯は忘れられることも、よくあったから。スープ、すごく、美味しいです……」
ぽつぽつと私がマローラ子爵家のことを話し終えると、しんと静寂が訪れた。アーサー様はハンカチを出すと、私の瞳から溢れていく涙を優しくぬぐう。
「シャーロット、母上が亡くなってから随分と辛い思いをしてきたんだな──よし、俺がシャーロットを沢山甘やかして、幸せにする!」
「え?」
突然の宣言に戸惑っていると、アーサー様は私の頭をあやすように優しくなでた。
「ほら、みんなシャーロットのことを守りたいって顔してる。レオンはああ見えて涙脆いんだ」
騎士団の大きな身体の人達が肩を震わせたり、涙ぐんでいる。副団長のレオンは、ハンカチで瞳を押さえていた。びっくりして瞬きを繰り返していると、アーサー様はまっすぐに私を見つめていた。
「シャーロット、俺は、俺の妻となる人を大切にしたい。シャーロットの居場所は、マローラ子爵家ではなく、ここだ。これから安心して寛いでほしいし、困ったことがあったら俺に頼ってほしい」
真剣な表情のアーサー様は、私に言い聞かせるように言葉を紡いでいく。心のやわらかな場所にアーサー様の言葉が染み込んで、また涙が溢れてきてしまう。でも、この涙は嬉しい涙だとわかった。
「……はい。ありがとうございます、アーサー様。ありがとうございます、みなさん」
笑顔のアーサー様に優しく頭をなでられる。心がぽかぽかする食事は穏やかに進んでいった。
◇
ハルジオン辺境に来てから穏やかな日々が続いた。
アーサー様は一緒にいく先々で、俺の大切な婚約者だと紹介してくださるので、恥ずかしいのに胸の奥がくすぐったい。
「シャーロットは、食べ物はなにが好きだ?」
「食べられる物ならなんでも好きそうですけど、そうですね……焼き菓子が好きです」
「そうか!」
返事をした翌日に大量の焼き菓子を贈ってくださって、目を丸くしながらメイドの皆さんとお茶をしたこともある。
それから、メイド達と仲良くなって、アーサー様の好きなサンドイッチを差入れした。とても喜んでくれて、赤獅子というより懐っこい犬のようで、かわいいと思ってしまう。
「シャーロットは、好きな色はあるか?」
「自然な優しい色が好きですが──今は、赤色、が好きです」
「そうか!」
返事をした数日後に赤色の宝石や髪留めが箱いっぱいに贈られて、高価すぎる贈り物に震えてしまった。お返ししようと思ったのに、メイドの皆さんにいい笑顔で飾り立てられてしまう。アーサー様に会いに行ったら、真っ赤な顔で似合ってると言われて、私も赤色の宝石くらい真っ赤に染まってしまった。
お礼にアーサー様が好きな翡翠色で刺繍を刺したハンカチを差し上げたら、額に入れて飾ろうとするので全力でお止めした。
真夜中に目が覚めた。
複数の駆けるような足音。衣擦れや慌てたような話し声。気になってベッドから下り、カーテンを開ける。
「……もしかして、魔物?」
騎士達が松明を持っているのを見て、言葉が漏れた。その時、控えめにノックされて扉を開ける。
「シャーロット、起こしてしまってすまない。魔物が森から現れた。今から討伐に向かう」
「……っ!」
「すぐに戻ってくる。少しの間、留守にするが専属侍女としてハンナをつける。ハンナは、護衛もできるから安心してほしい」
「アーサー様の大切なシャーロット様の身の安全は、わたくしにお任せてください」
ハンナが得意げに胸を張った。
「アーサー様はシャーロット様に夢中ですからね。シャーロット様の専属侍女の座をかけた争いは壮絶でした。まあ、私が勝ちましたけど」
びっくりしてアーサーに視線を移すと、アーサー様が片手で顔を覆っていた。
「ハンナ、勝手に色々話すことは禁止だ……」
「それは無理です。今日からシャーロット様がわたくしの主ですので、求められれば話をします」
「あー、わかった。とりあえず、一度下がれ。シャーロットと話したい」
片手でハンナを追い払ったアーサー様と向き合う。頬に熱が篭っているのが、薄明かりで見えていないことを願った。
「ハンナに言われてしまったが、俺の気持ちはシャーロットにある。帰ってきたら、シャーロットを更にとことん甘やかすつもりだ。だから、覚悟しておいて?」
亜麻色の髪を一房掬われて、唇を落とされる。その色っぽい仕草に私の心臓が煩いくらいに音を立てていくのを感じていると、まっすぐな視線を向けられて顔が一段と熱くなった。
「……アーサー様、ご武運をお祈りしております。お戻りになられるのを、お待ちしています」
アーサー様と辺境騎士団は、夜明け前に出陣した。
アーサー様と辺境騎士団が出陣してから、一週間が過ぎた。
怪我人が運ばれてきたとハンナから聞いた。怪我をした騎士達から聞いた状況では、最初は数匹の魔物だったのが、森の奥から次々と出てきているらしい。
アーサー様の指揮の下、討伐しているが魔物の出没が止まらない。それに加えて、回復薬が底をつき、体力勝負になってきていると聞いた時には、走り出していた。
団長室に向かう。そこには副団長のレオン様がいた。
「どうしましたか、シャーロット嬢」
「回復薬が足りないと聞きましたが、本当でしょうか?」
「ええ、回復薬は希少なものですし、辺境は魔物が多く出るので慢性的に不足しているのです。今のところ、誰も大きな怪我をしていないのが幸いですが、疲労は確実に蓄積されています。魔物の出没がなんとか止まるといいのですが……」
聖女の回復薬を持ってくることが出来ていれば、と悔しくて涙が込み上げてくる。でも、今は過去のことを悔やんでいても、なにも変わらない。今、私にできることをやるべきだと両手で頬をたたいた。
「レオン様、回復薬を作って届けましょう!」
ハンナと副団長のレオン様は目を見開いている。誰でも作れる私の低級回復薬なんて、役に立たないのかもしれない。
「えっと、私には上級の回復薬である『聖女の回復薬』を作ることはできません。私の作れる回復薬は、誰でも作れる下級のものだけです。だけど、こちらに来る前までは、子爵家のすべての回復薬を作っていたので、量を作ることは得意です」
「え?」
「へ?」
ぽかんとした二人を見て、洋服をぎゅっと握った。
「あっ、その、回復薬の質が足りなくても、量で補えることができればと思ったのですが……余計なことを言ってしまって、すみません……」
少しでもアーサー様や辺境騎士団の役に立ちたい、役に立てると思ってしまった自分が情けなくて、声が小さくしぼんでいく。
「──本当ですか?」
「え?」
「回復薬を作れるというのは、本当でしょうか?」
うつむいていると、頭の上からぽつりと質問が落ちてきた。
「はい、低級の回復薬なら……作れます」
「材料や必要なものをすぐ用意します! ハンナ!」
「もちろんです!」
必要な材料や道具を伝え終わると同時に駆け出していくハンナに目を瞬かせる。眼鏡のフレームを掛け直したレオン様と目が合った。
「シャーロット嬢、どのように言われていたのかは知りませんが、回復薬は作ること自体がとても難しいのです。優秀な魔法薬師でも一日に数本の低級回復薬を作ることが精一杯です」
「低級回復薬を一日に数本ですか? 中級や上級ではなくて……?」
「はい、そうです」
レオン様が真剣な表情でうなずく。
「さあ、これから忙しくなりますよ!」
「はい……っ!」
マローラ子爵家で役立たずと言われ続けてきた私を、必要としてくれてる人がいる。胸に熱いものがこみ上げてきて、気が付くと返事をしていた。私は手の甲で涙を拭き、レオン様と一緒にハンナのあとを追いかけた。
◇
沢山の薬草や鍋など必要なものが用意された。ハンナやレオン様、手の空いているメイドも後ろで控えてくれている。
「それでは、回復薬を作るのをはじめます」
いつも一人で作っていたから、作業を見られるのは落ち着かない。でも、それ以上に回復薬を作ることだけに集中できるのは有り難かった。マローラ子爵家で使っていた壊れかけの鍋や粗雑な薬草ではない、よく磨かれた大鍋と状態のよい薬草を手に取る。
まだハルジオンの辺境に来てわずかな期間しか過ごしていないが、みんなの役に立ちたい。目をつむって、深呼吸をひとつした。
大鍋に注いだ水を魔力水に変化させる。腐った水じゃないから造作もない。綺麗に洗った薬草と刻んだ薬草の実を大鍋に入れて、魔力と練り込む。
希少な実だからと少なめに渡されなかったので、薬効を増幅させる魔術ではなくて効能の質を高める魔術をかける。あとは、魔力の温度を上げつつ煮込んでいき、水面が私の魔力と同じ翡翠色にキラリと光ったら完成。
「これで完成です。あとは、鑑定して、瓶に詰めていく作業をお願い──」
後ろを振り向いたら、呆気に取られたハンナやレオン様の顔があった。変なところがあったのだろうかと不安で視線が揺れる。
「あの……?」
「すごいですね……! こんな短時間に回復薬ができるなんて、夢だと言われた方が納得する」
「シャーロット様、すごいです! 本当にすごいです! わたくし達は、瓶に詰めていけばいいでしょうか?」
「っ、はい……っ! お願いします。まだまだ回復薬は作れますから、魔力が切れるまで作ります!」
「シャーロット嬢、沢山作ってもらえるのは助かりますが、魔力切れを起こす前にやめてください──団長に殺されかねませんので……」
苦笑いを浮かべるレオン様に告げられた。笑顔のハンナに両手を取られ、ぶんぶん上下に振られる。私まで嬉しくなって微笑んだ。
「鑑定の結果出ました──最上級」
「え?」
起動させていた鑑定の魔道具から結果が通知されて、手を取りあっていたハンナと一緒に固まった。道具と薬草が違うだけで、こんなに回復薬に差が出るなんて……と思っていた目の端で、レオン様が眼鏡のフレームを押し上げて考えるように目をつむった。
◇
それから──
翡翠色をした最上級の回復薬は、アーサー様のいる前線に届けられ、全員が無事に帰還することができた。
アーサー様とレオン様から、私の回復薬が最上級の回復薬になったのは、寝不足と魔力不足が解消されたことと手入れされた道具と状態のいい薬草で作ったからではと言われた。さらに、マローラ子爵家で作っていた私の下級回復薬も、本当は上級回復薬だったのではないかとレオン様に言われ、目を見開いて固まってしまった。
そして、なぜか今、私はアーサー様と王城に招待されていた。
「長らく謎であった魔物の発生する原因に辿り着き、魔物の発生を消滅させた者を讃えよう! アーサー・ハルジオン辺境伯、マローラ子爵令嬢、シャーロット・マローラ」
陛下がアーサー様と私の名前を呼ぶと、会場から割れんばかりの拍手喝采受ける。
アーサー様が出陣した魔物討伐で、次々と現れる魔物を駆逐していくと陽の光も届かない森の奥に魔物が生まれる沼を見つけた。禍々しい沼は、紫色と黒色を混ぜたように濁り魔力が溜まり、魔物を生み出す胎の役割をしていた。
「魔物に傷つけられ、血を流した者もいる。家族や愛する人を失った者もいるだろう。だが、もう魔物に怯えることはない──ここにいるシャーロット嬢の創り出した、聖女の宝石で魔物を滅ぼすことができる!」
魔物の発生する沼に回復薬が効くとわかったのは、本当にたまたまだった。帰還したアーサー様から話を聞いて、回復薬を最大に濃縮したものを魔物の沼に沈めてみたら沼は浄化され、魔物が消え去った。回復薬を濃縮した結晶は、国を越えて広まる内に、なぜか聖女の宝石と呼ばれている。
マローラ子爵家で無能だと言われていた私が、陛下に褒められるなんて夢にも思ったことはない。私を励ますようにアーサー様に肩を抱き寄せられる。視線を向けると、柔らかく見つめられていた。
式典が終わると、アーサー様に沢山の人が挨拶に来た。しばらく隣で挨拶をしてから、私はそこからそっと離れた。会場の端の方へ向かい、そのまま誰もいないバルコニーへ出る。
頬の熱に、澄んだ空気が心地いい。回復薬を作ってから、怒涛のように時間が流れていったから、月を見上げるなんて久しぶり。静かな月明かりに照らされる。
「お義姉様」
会場に戻ろうと思った時、後ろから声をかけられて振り返った。イザベラと元婚約者のハウエル様が入り口を塞ぐように立っている。
「ねえ、どうしてお義姉様が、聖女なんて呼ばれているの? 聖女はわたくしのはずでしょう? 聖女の石だかなんだか知らないけど、魔物が減ってしまったせいで回復薬が売れなくなって困っているの。お父様ったら、ドレスを買うのを控えろなんて言うのよ。酷いと思わない?」
口許を歪ませたイザベラに睨まれて、身体がびくっと跳ねた。そんな私をピンク色の瞳が冷ややかに見つめる。
「はあ。お義姉様の代わりに雇った魔法薬師が使えなくて、今まで通り、わたくしの魔力色に染めているのに回復薬の効果が落ちたと言われているのよ。お義姉様のいた頃のほうがマシだって気づいたのよ」
笑みを浮かべたイザベラに嫌な予感が止まらない。
「ハウエル様も今のお義姉様ならお相手してもいいと言ってくださってるの」
「ああ。今のシャーロットなら相手してやってもいい」
ハウエル様の視線がねっとりと絡みつく。今日はアーサー様の瞳の色と同じ赤色のプリンセスラインのドレスを着ている。艶やかな生地で、裾に美しい宝石が縫いつけてある。
アーサー様に見てもらうのは嬉しいのに、ハウエル様に見られるのは気持ちが悪くて仕方ない。首を横にぶんぶんと振る。
「マローラ子爵家に戻って、回復薬を作って頂戴──ああ、もちろん、わたくしが聖女でなくなってしまうから、あの変な石は作っては駄目よ。今すぐに戻ってくれるなら、ハウエル様をたまには貸してあげてもいいわ」
聞いた瞬間、怒りを感じた。
私にだって心がある。あんな酷いことをしたハウエル様に触れられるのを想像するだけで、嫌悪感で身体がふるふる震えていく。
それに、回復薬の結晶は魔物に怯える人たちを救うもので、回復薬は人を癒すためのもの。自分のことしか考えていないイザベラを正面から見つめた。
「…………いや、です」
「まあ、お義姉様ったら口答えをするつもり? いいこと? 意見は聞いていないの。はあ、そうね。乱暴なことはしたくなかったけど、辺境伯の婚約者じゃなくなればマローラ子爵家に戻ってくるしかないものね」
「え? どういうこと……?」
ハウエル様に腕を掴まれた。声を上げようと思った時には、布で口を覆われて薬品の強い匂いを嗅がされる。かくん、と膝の力が抜けていく。
「ふふっ。傷物になってしまえば、ハルジオン辺境伯のところにいられないでしょう?」
ゾッとするくらい愉しそうに笑うイザベラを見て、絶望する。朦朧としてきた身体を必死に動かしても、ハウエル様の腕から逃げられない。身体を密着させてくるのが気持ち悪いのに、なにもできない自分が情けなくて、イザベラを睨みつける。
「やあだ、睨むなんて怖い。んふふ、素敵な夜を過ごしてくださいね……お義姉様」
ああ、またか……。アーサー様や辺境の人達と関わって、居場所ができたと思ったのに。またイザベラに全部奪われて、追い込まれていく。惨めで悔しくて涙がせり上がってくる。
「シャーロット!」
アーサー様の声が聞こえたと思った瞬間、ハウエル様は地面に転がっていた。
「遅くなってすまない。もう、大丈夫だ」
アーサー様に抱きしめられて、安心したら涙がぽろぽろ止まらなくなる。失神したハウエル様とイザベラは、お城の騎士に連れていかれた。イザベラがなにか叫んでいたけれど、私はアーサー様の腕の中で気を失ってしまった。
私が気絶してしまった後。
王城で騒ぎを起こしたイザベラは、特に厳しいとされる北の大地の修道院で一生を過ごすことが決まった。ハウエル様は、実家のバートン伯爵家から勘当され、貴族籍を抜かれ平民として炭鉱に強制労働に送られた。
アーサー様とレオン様の進言で、マローラ子爵家で作っていた回復薬は、私の作った回復薬にイザベラが細工し、性能が変わらないまま色だけ変えていたことが証明された。
他にもイザベラが私にしていた仕打ちが伝わった結果、イザベラは小説に出てくる悪役令嬢のようだと噂になり、マローラ子爵家の回復薬は、『悪役令嬢の回復薬』と呼ばれるようになったらしい。只でさえ魔物が減って回復薬の需要は下がってきていたのに、まったく売れなくなったという。
マローラ子爵家は貴族社会で爪弾きにされ、お父様とお継母様は喧嘩が絶えないらしい。お父様から私宛てに支援を求める手紙が届いているらしいが、私の手に届く前にアーサー様が燃やしてしまっているので詳しくはわからない。
◇
剣だこのあるごつごつした大きな手で花嫁のヴェールを上げられる。
「シャーロット、綺麗だ……」
私とお揃いの真っ白なモーニングコートを着こなすアーサー様に目を奪われる。赤い瞳にまっすぐ見つめられて、頬に熱が集まっていく。
ゆっくり顔が近づいて、触れるようなキスを交わす。爽やかな甘い香りに包まれると、あまりに幸せで自然と涙が溢れてしまう。
「アーサー様、私、……幸せです」
アーサー様の目がやわらかく細められる。私の大好きな表情に胸がときめいていく。
「大好きです、アーサー様」
「シャーロット」
アーサー様の逞しい腕にすっぽりと閉じ込められる。みんなの見ている教会なのにと思う気持ちと、アーサー様の爽やかな甘い匂いに包まれたまま、胸の音をもっと聞いていたい。どうしようもなく幸福感で心が満たされていく。
「愛しています、シャーロット。俺の隣で、これからもずっと笑っていてほしい」
「……はい」
見つめあう赤い瞳はとても甘い。
アーサー様と出会えたことを神様に感謝する。それから、愛しい人に吸い寄せられるように顔が近づいて、二回目の誓いのキスをした。
教会の鐘が祝福の音を鳴らす。
うららかな春、私はアーサー様の花嫁になった。
真っ白なウェディングドレスを身に纏い、ハルジオン辺境にある由緒ある教会で永遠を誓う。副団長のレオン様、ハンナ、辺境騎士団の騎士。沢山の人が参列して笑顔でお祝いの言葉をかけてくれる。
野蛮な辺境と呼ばれていたハルジオンの辺境は、いつしか聖女の土地と呼ばれるようになった。赤獅子の辺境伯と同じ赤い花が沢山植えられ、今日も爽やかで甘い匂いがふわりと領地を流れていく──…
おしまい