裏稼業殺し屋の聖職者はうっかり取り憑かれた悪魔から逃げ切りたい!?

26.物語とは、世界のどこかで紡がれ続けるものである。

「終わりましたよ、旦那さま」

 音もなくふわりとグレイの側に降り立ったパトリシアは、そっとグレイの亡骸に触れる。
 まだ熱の失われていないその入れ物(身体)には魂が入っていない。

「ねぇ、旦那さま。私、とっても頑張りましたのよ?」

 褒めてくださいませんの? とパトリシアはグレイに語りかける。

「そういえば、確か人間とはお寝坊さんにキスをして叩き起こす習慣がありましたわね!」

 ポンっとわざとらしく手を打って、ね? 旦那さま、とグレイの髪をさらっと指先で撫でる。

「ふふっ。いつもみたいに、言わないんですか? "お前の人間情報ほぼほぼ全部間違ってんぞ"って」

 だが、当然反応はなく、シーブルーの瞳が開かれる事はない。

「あぁ、そうですわ。私、まだ約束の砂糖菓子をいただいておりませんわ。この姿では、人の食べ物を食べるのは難しいですけれど」

 結構楽しみにしてたんですよ。何せ私、暴食と呼ばれるほど"食べること"に執着がありまして、とパトリシアは続ける。
 ついに話題が尽きたとき、パトリシアのピンク色の瞳から涙が溢れた。

「……嫌」

 パトリシアはぐしゃりとグレイの服を掴み、胸元に額をつける。
 そこから鼓動が聞こえる事はなく、どんどん熱が冷めていく。

「……グレイ、嫌です」

 グレイの魂を喰らったのはパトリシア自身。彼がここにいないのだという事は誰よりもよくわかっている。
 だけど、それでも。

「いなくならないで、グレイ」

 パトリシアはその事実を拒絶する。
 罪禍の魂。
 悪魔がそれを喰らい自分の一部にしてしまったら、その魂は二度と転生できなくなる。
 それどころか、現世で彼が生きたすべての軌跡が消え、その存在は未来永劫失われてしまう。
 グレイと過ごした日々は、どの瞬間も鮮やかに色づいていてとても心が満たされていた。
 空腹で全てを喰らい尽くす必要などないほどに。
 そんな存在がいなかったことになる。
 それだけはどうしても嫌だった。
 異界で寿命を全うし、亡くなったクロアの魂を異界に留めることなく見送った魔王さまもこんな気持ちだったのだろうか? と、パトリシアはそんな事を考える。

「ああ、私はいつの間にか本当にあなたのことを」

 こんなにも愛していたのですね、とようやくパトリシアは自身の心に気がついた。

暴食(ベルゼ)

 ヒトの気配にパトリシアは顔を上げる。
 そこにいたのは、傲慢(プラド)の術から解放され、元に戻ったユズリハだった。

「……おにい、ちゃん?」

 ボロボロのパトリシアと、その腕に抱かれぴくりとも動かないグレイを交互に見て口元を覆うユズリハ。
 彼女を目に留めたパトリシアはピンク色の瞳を大きく見開く。
 パトリシアの制約は"契約遵守"。
 そしてユズリハがパトリシアに望んだのは、兄に別れを告げること。
 異界で交わした彼女との契約はまだ満了していない。

「クロア……いいえ、ユズリハ。私はあなたとの契約を遵守できませんでした」

 だから、今すぐ契約を破棄して私を罰してとパトリシアは自らにペナルティが科されることを望んだ。
< 49 / 54 >

この作品をシェア

pagetop