短な恐怖(怖い話 短編集)



「想像してたよりボロいな……」


 ポツリと小さく呟くと、目の前に建つ年季の入った団地を見上げる。
 築二十一年だというその団地は、周りに建つ高層マンション群に囲まれ、日当たりが悪く陰湿な雰囲気を漂わせているせいもあってか、その年数以上に古めかしく感じた。
 こうして改めて見てみると、真新しいマンションに囲まれて建つこの団地は、綺麗に整備された土地にそぐわなすぎて随分と異質なものに見える。

 急遽、一年間の期限付きで出向を命じられた俺は、出向先であるこの土地での仮住まいをネットで探すことにした。
 最近の賃貸契約とは随分と便利なものがあるようで、物件探しから手続きまで全てネット上で済ませられるものがあるらしい。そこで出会ったのが、この団地だった。

 正直、一年間ということを考えると、通勤に不便でさえなければどこでも良かった。この土地に永住するわけでもなければ、住宅手当が出るほどの高待遇でもない。とすれば、やはりこの団地に決めた理由はその家賃の安さだった。
 
 最寄駅からタクシーで移動する最中、目的地を告げると「ああ……あの”生贄団地”ね」と言った年配の運転手。その運転手によれば、その昔この土地では、長きに渡る日照りで作物が育たない時期が続くと、人身御供(ひとみごくう)の生贄を捧げて雨乞いをする風習があったのだとか。
 その名残りからか、かつて生贄の祭壇があったとされる土地に建てられた団地は、今では”生贄団地”というなんとも不名誉な名前で呼ばれているらしいのだ。

 だが、目の前に建つ団地を見ると、そう呼ばれるのも妙に納得してしまう。
 それほどに、暗く陰湿な雰囲気がこの団地から漂っているのだ。


「まあ、一年だしな」


 家賃の安さを思えば、”生贄団地”なんて人から呼ばれていようが特に気にはならなかった。
 チラリと敷地内を見渡すと、一角にあるブランコで子供達が遊んでいる姿が目に入る。どうやら、全く人が住んでいないというわけではないらしい。
 

「後で挨拶にでも行くか」


 大した荷物も持たずにキャリーバッグ一つで越してきた俺は、階段で五階まで上がるとさっそく荷解きに取り掛かった。男の単身での引っ越しとは簡素なもので、荷解きを十分程で終わらせた俺は、その足で近くにある商業施設へと出向くと、布団やカーテンなどといった必要最低限の家具だけを購入した。

 一通りの準備を済ますと、予め買っておいた菓子折りを持って四階へと降りる。
 どうやら向かいの部屋は誰も入居していないようなので、下の階の住人にだけ挨拶をしておけば充分だろう。そう思いながら、俺は目の前のチャイムを押し鳴らした。



 ───ピンポーン



『──はい』

「あ。すみません、上の階に越してきた山下です。引っ越しのご挨拶に伺ったのですが……」

『…………』

「あの……?」

『……あ、はい。今出ます』


 長い沈黙の後、目の前の扉から現れた主婦らしき四十代の女性。まるでいかがわしい者でも見るかのような態度に、俺は随分と不躾だと感じながらも笑顔を向けた。


「これ、つまらないものですが……。よろしくお願いします」

「……五階に?」


 挨拶を返すでもなくそう言った女性は、菓子折りと俺の顔を交互に見ると(いぶか)しげな顔を見せる。


「あ、はい。山下です。よろしくお願いします」

「……わかりました、それじゃ」


 撫然(ぶぜん)とした態度で奪うように菓子折りを受け取った女性は、それだけ告げると扉を閉めた。


「……っ!?」


 そんな態度に呆気に取られながらも、気持ちを切り替えてその向かいのお宅のチャイムを押し鳴らす。



 ───ピンポーン



『──はい』

「あ。上の階に越してきた、山下といいます。ご挨拶に菓子折りをお持ちしたんですけど……」

『…………。そこに置いておいて下さい』


 それだけ告げると、プツリと途切れた音声。俺は言われた通りにノブに菓子折りを下げると、そのまま五階にある自宅へと戻った。
 先程の女性といい、ここの住人は随分と不躾な人が多いようだ。まだ二人の住人としか挨拶を済ませていないとはいえ、そのあまりに失礼な態度を目の当たりにした俺にとって、この団地に暮らす住人は最悪だと印象付けるのには充分な出来事だった。
 


◆◆◆



 ここへ越してきてから、早いもので二週間。
 やはり最初に抱いた印象は間違いではなかったようで、この団地に暮らす住人は皆どこかよそよそしく、挨拶をしてもまともに返してくれる様子もなかった。
 時折談笑している住人は見かけるものの、よそ者を嫌うきらいでもあるのか、俺に対しての視線はどこか(いぶか)しげなもので、それは大人達だけではなく子供達までもが皆一様にして同じだった。


(一体、俺が何をしたって言うんだよ……。感じの悪い人達だな)


 内心ではそんな小さな愚痴を溢しながらも、すれ違う主婦達に「おはようございます」と笑顔で挨拶をすると、そんな俺を見てピタリと会話を止める主婦達。
 相変わらずの態度にうんざりとしながらも、俺はゴミ出しを済ませるとそのまま歩き出す。

 あと一年我慢すれば、この団地ともおさらばできるのだ。
 そう思えば、この環境もなんとか耐えられるだろうと、俺は小さく溜め息を吐くと重い足取りで会社へと出向いたのだった。



◆◆◆



 仕事が終わり団地へと帰ってくると、そこにはいつもと同じ風景が広がっていた。
 敷地内の一角にある小さな公園で、楽しそうに遊んでいる子供達。単身で越してきた俺以外には、この団地で暮らす住人のほとんどが家族連れだった。
 よくよく考えてみれば、よそ者の三十代の未婚男性が単身で越して来たのだから、子供を持つ親からすれば多少嫌厭(けんえん)するのも無理もない話なのかもしれない。

 だからといって、挨拶をしてもまともに返さないばかりか、俺の姿を見るなり逃げるようにして走り去る子供達を見て、一体どんな教育をしているのだと文句の一つでも言いたくなる。
 だが、今日はそんないつもの光景とは少し違った。俺の足元へと転がってきたボールを追いかけて、一人の少年がゆっくりと近づいて来たのだ。


「こんにちは」

「……こんにちは」


 足元に転がるボールを拾って手渡せば、ぎこちないながらにも挨拶を返してくれる少年。
 歳の頃は、小学校の高学年くらいだろうか。小麦色に焼けた肌がよく似合う、快活そうな印象の少年だった。


「ここに住んでる子だよね?」

「うん。B棟の三○三に住んでるよ」


 ここに越して来て初めてまともに会話してもらえた嬉しさから、俺はニコリと微笑むと再び口を開いた。


「サッカーが好きなの?」

「うん。将来はサッカー選手になるのが夢なんだっ!」

「そっか。なれるといいね」


 ニカッと眩しい笑顔を咲かせる少年を見て、それにつられた俺はクスリと笑い声を漏らした。
 ここに越して来てからずっと避けられていたとはいえ、本来、俺は子供が好きなのだ。希望に満ちた少年の笑顔を見ているだけで、沈んでいた気持ちも心なしか軽くなった気がする。


「おじさん、顔色が悪いけど大丈夫?」

「……大丈夫だよ、ありがとう」

「おじさんて、最近引っ越して来た人だよね?」

「うん、そうだよ。A棟の五○一に越して来た山下っていうんだ。よろしくね」

「五○一……?」

「うん。……ああ、もう十八時半なんだね。暗くなる前に、早く家に帰った方がいいよ」

「……うん」

「また明日」

「うん。ばいばい、おじさん」


 ボールを抱えて走り去る少年を見送りながら、俺は穏やかな気持ちで満たされてゆくのを感じて小さく微笑んだ。
 明日からは少し、今日までとは違った気持ちで毎日を過ごせるかもしれない。そんな期待に小さく胸を膨らませると、自宅へと続く階段を目指して歩みを進めたのだった。



◆◆◆



 その翌日以降、あの時会話を交わしたおじさんと再び顔を合わせることはなかった。
 連日のように続く雨が二週間振りに晴れたある日。サッカーボール片手に遊んでいた俺の耳に届いたのは、「山下さんが消えた」という噂をする大人達の声だった。

 あの日初めて会話を交わした、山下というおじさん。
 大人達には決して関わってはいけないと注意をされていたけれど、実際に話してみると優しそうな人だった。けれど、どこか青白い顔をしたそのおじさんは、やっぱり大人達が噂するように少し変わっていたのかもしれない。

 四階までしか存在しない団地で、五階に越して来たと言ったおじさん。それが何を意味するのか俺にはよくわからなかったけれど、大人達が関わるなと注意していた理由はなんとなく分かった気がした。
 それから暫くしてその団地を引っ越してしまった俺には、その後おじさんがどうなったのかはわからない。

 ただ、日本では年間八万人以上の行方不明者が毎年でているらしい。事故や誘拐か、あるいはあのおじさんのように忽然と姿を消してしまったのか──。
 十五年経った今、俺が知っていることといえば、かつて”生贄団地”と呼ばれたその団地が、今も確かにそこに存在しているということだけなのだ。





─完─
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