大嫌い同士の大恋愛     ー結婚狂騒曲ー
3.人生経験、まったく足りていないのでは?
 午後も、平穏――かは、わからないが、無事に終業時間を迎え、私は、書類をまとめる。
 ひとまず、今日の分は三件。
 それを神屋課長の机に置き、私は、ふう、と、無意識に息を吐いた。
 あれから課長は、社長に呼ばれ、今日一日不在だったのだ。
 おそらく、今後の方針を相談しているのだろう。
 部長などを、すっ飛ばしているのは、ウチではいつもの事。

 昇龍(しょうりゅう)食品株式会社社長、七海(ななうみ)松之助(まつのすけ)、御年七十二歳は、いつでも自由奔放、神出鬼没。
 突然、部屋にやって来て、仕事の内容を聞いていったり、鉢合わせした平社員を捕まえて、一日外回りに付き合わせたりするのは恒例行事だ。
 本社のメンバーは、大体、一回は被害に遭っている。
 そんな社長にとって、指示系統を無視するのは、通常運転とも言えるので、上の方もあきらめている。
 ――けれど、そういう社風は、意外と社員の肌に合っていたのか、離職率は他の企業よりも低いそうだ。


「羽津紀、帰れるー?」

 机の上を片づけ終えると、聖が顔を出す。
 いつも、タイミングが良すぎて、部屋の外で様子をうかがっているんじゃないかと、時折疑ってしまうが。
「ええ。今日の分は終わったわ」
「じゃあ、スーパー寄って帰ろっか」
「そうね。今日は、火曜だから――ちょっと遠いけど、”ファミリーキッチン”行きましょうか」
「ハーイ!えっと、九十八円均一だったっけ?」
「あら、覚えてきたじゃない」
「だって、羽津紀が結婚しちゃったら、こんな風にできなくなるでしょー?今のうちに、覚えられるものは、覚えておかなきゃ」
 私は、クスリ、と、口元を上げた。
 こういう、聖の素直なところは、うらやましくもある。
 以前(まえ)は、少し、嫉妬のような感情も持ったけれど――それでも、友情の方が上回った。
「でも、前も言ったけど、アンタが親友なのは変わらないからね」
「もちろんだよー!」
 うれしそうにうなづく聖に、笑って返す。
 そして、二人でエレベーターを待っていると、

「おい、待てっ、羽津紀!」

 江陽が、慌てて部屋を出てきた。
「――あら、アンタ、終わったの?」
「終わった!っつーか、お前より先に終わってた!なのに、何で、完全無視で聖の方に行くんだよ!」
「――そもそも、今日は、接近禁止だって言わなかったかしら。何をサラッと、無かったような顔してるのよ」
 そう、ふてくされるヤツに返す。
「けどよ!」
「それに、今日は、聖とご飯作るのよ。何か文句あるの?」
「――無ぇ!無ぇけど!」
「だったら――お疲れ様でした、三ノ宮さん(・・・・・)
「……っ……羽津紀!」
 いつまでも引き下がらない江陽に、聖はヤツを見やると、追い打ちをかけた。

「……江陽クンー、何か、日に日にお子様になってない?」

「なっ……!」

 ど真ん中を突き刺され、ヤツは、うなだれる。
 そして、拗ねたように顔を背けた。
「……うるせぇよ。……油断してると、羽津紀はお前の方を優先するだろうが」
「当然じゃない」
 私が、あっさりと答えると、江陽はそのまましゃがみ込み、顔を伏せる。

「ち、ちょっと、江陽!」

「――わかってるけどな!羽津紀には、聖の方が、オレよりも大事だって」

「……わかってるなら、いちいち拗ねるな、面倒くさい!」

 バッサリと切り捨てると、聖が眉を下げた。
「う、羽津紀ー……さすがに、それは、江陽クンがかわいそうだよー」
 けれど、それが真実なのだから、仕方ない。
 不満なら、別れてもらって構わない――……訳ではないけれど、できれば、譲歩してもらいたい。
 何だか、混沌としてきたが、ちょうどエレベーターが到着したので、私は、江陽の腕を引き上げ、立ち上がらせた。

「――いい加減にしなさい、こうちゃん(・・・・・)!」

「――……っ……わ、わかった……」

 まるで、子供を叱るようだけれど、保育園から十二年一緒だった江陽を、こうちゃんと呼ぶのは、今では特別な証拠でもある。
 それを理解しているヤツは、少しだけ機嫌を直した。
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