【完結】傷モノ令嬢は冷徹辺境伯に溺愛される
 アイリーンとエドガーは馬車に揺られながら、時間をかけて北にあるサンドリッチ領を目指した。当然継母とソニアは見送りに立つことはなかったが、アイリーンは悲しくなかった。
子爵令嬢にも関わらずアイリーンの荷物はわずかだった。

アイリーンは出発前、使用人たちを集めて服などの私物を分け与えた。もしも生活に困ったとき売ればいくらかになるかもしれないと考えたのだ。継母とソニアは金遣いが荒く、計画性もない。給金が滞って使用人たちが困っているのを何度も目撃しては、胸を痛めていた。
アイリーンが使用人にしてあげられることはこれぐらいしかなかった。
彼女を慕っていた使用人たちは涙ながらに礼を言い、馬車が見えなくなるまで手を振って、アイリーンとの別れを惜しんだ。

「……大丈夫か?その頬、ひどく痛むだろう」

 馬車に乗ってから無言を貫いていたエドガーの言葉にアイリーンは顔を持ち上げた。 
 隣にいるエドガーはなぜかひどく狼狽していた。つらそうに顔を歪め、感情を閉じ込めるようにぐっと奥歯を噛みしめている。まるで自身の不甲斐なさを嘆いているように見えた。

「すまない。もっと早く迎えにくるべきだった」
「謝らないでください。むしろ、本当にこうしてわたしを迎えにきてくださるなんて……。今でも信じられません」
「なぜだ? 舞踏会の日、俺があなたに結婚してくれと言ったのを忘れたのか?」

 エドガーは信じられないというようにアイリーンを見つめた。

「忘れるはずがありません。ですが、てっきりその場限りのお言葉かと考えておりました」
「そんなはずがないだろう。あなたは俺が誰かれ構わず求婚する男だと思っているのか?」
「そうではありません。ですが、どうしても分からないのです」

 アイリーンは心の内をエドガーに伝えた。舞踏会で出会ったエドガーとアイリーンは、間違いなく初対面だった。辺境伯のエドガーの家柄は、子爵家よりも上でエドガーがアイリーンと結婚するメリットはほぼないに等しい。
 貴族の結婚はほとんどが家同士の結びつきを重要視され、夫婦となる男女の仲に恋愛感情は必要ない場合が多く、それが常識となっている。
結婚しても何のメリットもないだけでなく、さらに顔に傷のあるアイリーンを妻に迎えようとするエドガーの意図がさっぱり理解できなかった。

「もしかして、エドガー様はわたしを誰か他の女性と勘違いなさっているのではありませんか?」

 舞踏会でエドガーは「澄んだ青い瞳にブロンドベージュの髪……。間違いないな」などと呟いていた。
 この国には、アイリーン以外にも青い瞳にブロンドベージュの髪の女性は数多いる。人違いをしたとしか考えられない。だとしたら、きちんと正直に伝えなければならない。後で後悔するのはエドガーなのだ。

「勘違いではない。俺はあなただから……アイリーン嬢だから求婚したのだ」
「なぜわたしなのですか? 令嬢なら他に大勢いるではありませんか?」

 どうしても確かめておきたかった。すると、彼は「俺は……」と何かを言いかけた後、口噤をつぐんだ。
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