【完結】傷モノ令嬢は冷徹辺境伯に溺愛される
 音楽団の曲が終わったタイミングと重なり、大広間がシンッと水を打ったかのように静まり返る。その場にいた全員の視線が一斉にアイリーンの顔面に向けられた。そばにいた令嬢のひとりは「ひぃっ!」と短い悲鳴を上げた。

「あっ、え……その目の傷って……」
「アイリーン嬢! な、なんて酷い傷跡なんだ。どうして傷モノに……?」

 先程までアイリーンを持てはやしていた男性たちは、まるで恐ろしいものを見てしまったかのようにじりじりと後ずさる。

(人を見た目でしか判断できないのね。なんてわかりやすい人たちなのかしら)

あちこちから浴びせられる冷ややかな視線に耐えることはできた。けれど、場の雰囲気を悪くするのは本意ではない。やはりこのような華やかな場所へ来なければよかったと、アイリーンが心の中で後悔したときだった。

「道を開けてくれ」

 目の前まで歩み寄ってきたのは先程ジッとアイリーンを見つめていた精悍な顔つきの男性だった。男性はなぜかアイリーンの前で仮面を外して、まじまじとアイリーンの顔を見つめた。

「えっ、あれってサンドリッチ辺境伯爵のエドガー・グレイスさまじゃない?」
「ええ、間違いないわ! なんて素敵な方なのかしら!」

 令嬢たちが口々に噂するエドガー・グレイスをアイリーンは知らなかった。けれど、エドガーが女性に人気があるということは理解できた。少し癖のある艶やかな黒髪にガラス玉のような翡翠色の瞳。その瞳は高貴かつ理知的で見つめられると心の中を見透かされそうだ。

 仮面を取ったエドガーは男らしく、想像以上に凛々しい顔立ちをしていた。今まで見たどの男性よりも整った容姿をしている。女性たちが虜になるのも無理はない。現にアイリーンも生まれて初めて男性に目を奪われるという経験をしていた。

「澄んだ青い瞳にブロンドベージュの髪……。間違いないな」

なにやらブツブツと確かめるように呟くエドガー。その声色は、ハスキーな色気を感じさせた。

「私はサンドリッチ辺境伯爵のエドガー・グレイスだ」

 エドガーはアイリーンの前にゆっくりと左膝をついた。だが、ぐらりと体が揺れてバランスを崩した彼は、一度床に手をついて険しい表情を浮かべた。床についた左足がなぜか小刻みに震えている。

「おいおい、なんだあれ。みっともない奴だな」
「カッコつけてるくせにバランス感覚がないんだな」

 どこからかそんな声が飛んだ。もちろん、エドガーの耳にも届いたことだろう。それでも彼は体勢を整えてスッと背筋を伸ばして姿勢を正した。
 アイリーンを含めてその場にいる全員がエドガーの予想外の行動に驚いていた。
女性の前にひざまずくのは、忠誠心を示し、女性への求愛行動にあたる。アイリーンはエドガーと面識はない。そんな彼がアイリーンの前に跪く理由がさっぱり分からなかった。
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