もう一度、この愛に気づいてくれるなら
背が高くほっそりとした貴婦人だった。身分が高いらしいことは、男らの態度でわかる。
「#####」
貴婦人は毅然として男性らに言った。
貴婦人が扇子でビシッとドアを指すと、男らは通訳以外、すごすごと部屋を出て行った。
エレーヌは顔を上げて、貴婦人を見た。
(この人、助けてくれたのかしら。それにしてもきれいな人)
貴婦人は茶目茶髪で、目鼻立ちの整った美人で、エレーヌよりも少しだけ年上に見えた。黒いドレスが美しさを際立たせている。
目が合うと、それまで威厳を湛えていた貴婦人は、ふんわりと笑みを浮かべた。
ゆったりと上品な所作で貴婦人はエレーヌに近づいてきた。貴婦人は通訳を介して言ってきた。
『エレーヌ、さぞ、つらかったことでしょう。男性たちに囲まれて、いろんなことまで訊かれて、さぞ、いやな思いをしたことでしょう』
貴婦人のねぎらいの言葉に、エレーヌは、それまで耐えていたものが緩んで、涙がこぼれ出た。
貴婦人はエレーヌを優しく抱きしめ背中を撫でてきた。
そんなふうに抱きしめられたのは、母親にされて以来のことだった。エレーヌは急に緊張の糸が切れて、子どものように泣きじゃくった。
医者とのやり取りとのつらさだけではなく、塔を出てからのエレーヌの怯えが、いや、母親を亡くしてからのエレーヌの孤独がこんこんとあふれ出てきて、エレーヌの目から涙がこぼれて止まらなかった。
(どうしたのかしら、次から次へと涙が出てしまうわ)
『あらまあ、エレーヌは泣き虫ねえ。遠い異国にきて、随分と不安だったのね。いつまでも、こうやって抱きしめてあげるわ。だから好きなだけ泣いても良いのよ』
エレーヌは貴婦人の胸でずっと泣いていた。
エレーヌは泣き止むと憑き物のが落ちたように心が穏やかになった。
(この人はとても良い人なんだわ)
エレーヌが泣いている間じゅうずっと貴婦人はエレーヌを優しく抱きしめていた。泣き止んでも、頭や背中を優しくさすっている。
貴婦人からはとても良い匂いが漂っていた。
(この人にずっと甘えていたいわ)
そう思うエレーヌだったが、邪魔が入った。ぐぅと腹の虫が鳴ったのだ。
顔が真っ赤になるエレーヌに、貴婦人が可愛らしく笑った。
『あら、あなたお腹が空いているのね。健康な証拠よ。食事を用意させるわね』
貴婦人はハンナに何か申し付けた。
「あの、あなたは?」
『ああ、自己紹介がまだだったわねえ。私は、ミレイユ・アンドレア=ナターシャよ。ミレイユと呼んでね』
(ミレイユさま……。素敵な名前)
『あなたを怖がらせた男の義姉よ』
ミレイユはゲルハルトの兄の妻だった。夫を失ってより黒いドレスで過ごしている。
(怖がらせた男……?)
意味が分からず、エレーヌが首を傾げていると、ミレイユは言った。
『王宮で半裸でうろうろしている男よ。たまに全裸のこともあるわ』
「………?」
『ゲルハルト、あなたの夫よ』
そこでやっと、自分の夫の名がゲルハルトだと知る。
「ゲルハルトさま……」
『あの男は乱暴者で無神経で自分勝手だから、決して心を許しては駄目よ』
(乱暴者……?)
ミレイユはいたずらっぽく笑った。その笑顔からして、冗談を言ったのだと思われた。
『明日はあなたの結婚式よ、よく休んでね』
ミレイユは優美な笑顔を残して、エレーヌの部屋を出て行った。
それがミレイユとの出会いだった。