もう一度、この愛に気づいてくれるなら
その日は、午後が過ぎた早い時間に、ハンナがやってきた。ハンナはいつも以上に腕によりをかけて髪をセットする。
(何かあるのかしら)
「エレーヌさま! ####、#####」
部屋にドレスが運ばれてきた。
「ゲルハルトさま、######」
それもゲルハルトからの贈り物だと言いたいのだろうか。
(どうせ、義理で贈ったものでしょう)
ハンナが広げるドレスを横目で見る。
紫色のそれは、いかにも手の込んだドレスだった。裾には細やかな刺繍が縫い込まれ、ところどころ真珠が縫い付けられている。
興味なさげにするエレーヌの前に、ハンナはそれを合わせた。
(これを着なきゃいけないのね)
しぶしぶ袖を通すも、それはエレーヌをとても引き立てるように見えた。
肩で絞られた生地はゆったりとしたドレープを作りながら胸の前で交差し、腰を細く見せている。
エレーヌは、そのドレスによって、とても大人びて見えていた。
艶やかな金髪に紫色の目、バラ色の頬、豊かな胸に細い腰。
ここに来たばかりの頃の白い顔にやせっぽちの人形のようだったエレーヌは、1か月を経て、すっかり大人の女性へと変貌を遂げたようだった。
(何だか、私じゃないみたい)
「エレーヌさま! キレイ!」
ハンナは興奮気味にもう一度エレーヌを鏡台の前に座らせた。
ドレスを着たエレーヌを見て、髪型を変える気になったらしい。
髪はサイドは上げて後ろは垂らすスタイルだったものを、後ろもまとめて高く結いあげ直される。確かに、そちらの方がよく似合っていた。
それから、ハンナは、小箱を開けると、中から黒いネックレスとイヤリングを取り出した。仕上げとばかりに、エレーヌの首と耳につける。
ハンナは手を叩いて褒めてきた。
「エレーヌさま、キレイ!」
その装身具の黒は、ゲルハルトを思わせた。ゲルハルトの所有印をつけられているようで、エレーヌは不快に感じるも、外すわけにはいかなかった。
着替え終えたところに、ディミーが現れた。
「息子さんは大丈夫?」
「ええ、いつも申し訳ありません」
「いいのよ、大変なのでしょう?」
ディミーの様子から、息子は状態が良くないことがわかるために、エレーヌは何も言わなかった。
ディミー以外の通訳も付けてもらえるとありがたいのだが、ゲルハルトは贈り物以外では一向にエレーヌを気遣うつもりはないらしい。
「今日は何かあるの?」
「晩餐会だそうです」
「行かなきゃだめかしら」
エレーヌはうまくこなせるか不安だった。何しろ、敵陣に一人。エレーヌはそんな心地でいる。
「エレーヌさまのお披露目会でございますから。大丈夫ですわ。皆さま温かく受け入れてくださるに違いありませんわ」
ディミーは励ますようにそう言ったが、エレーヌの不安は払拭されることはなかった。
(どうせ、追い出されるのに、お披露目会なんか要らないのに)
ドレス姿のディミーはずっと晩餐会ではそばについていてくれるらしい。エレーヌにとってはディミーだけが頼りだ。
そこに来客があった。遠慮がちに部屋に入ってくるのは、ゲルハルトだった。
白いブラウスに黒のズボンというシンプルないでたちだった。髭は剃り、髪も整えている。
髭に半裸のときは野蛮人か賊のようだったが、その格好では、優美な貴公子に見えた。
優しげな笑みを浮かべている。
(他に愛する人がいるくせに)
エレーヌは惨めさに押しつぶされそうになりながらも、毅然とゲルハルトの顔を見つめ返した。
ゲルハルトはエレーヌを見ると、目を細めて言ってきた。
「エレーヌ、キレイ、#####」
《きれい》との言葉を聞き取ってしまい、エレーヌの心臓が急にばくばくと音を立てはじめた。ゲルハルトはエレーヌに優しげな目を向けている。
(何でそんな目で見るの? やめて欲しいわ)
腹立ちと、どこか浮つく気持ちを同時に抱く。
『あなたに近寄っても?』
ディミーを介して会話をする。
(いや、と言えるわけがないわ)
「はい」
ゲルハルトはゆっくりとエレーヌに近づいてきた。ゲルハルトの手がエレーヌの前に差し出された。エレーヌは自分の手を乗せた。
『今日は仲の良い夫婦の《ふり》をしよう。みんながいるからね』
ゲルハルトはゆったりと笑みを浮かべて、それは優しげな目でそんなことを言ってきた。