もう一度、この愛に気づいてくれるなら
帝国語の教師
ゲルハルトがエレーヌの部屋を訪れるようになって半月余り、相変わらずゲルハルトは屈託なくエレーヌに愛情を表現している。

エレーヌはそんなゲルハルトの態度に、まるで本当に愛されているかのような錯覚を抱くのを止められなかった。

(ゲルハルトさまは責務だけではなく、少しは私を気に入ってくださっているのかも)

そう思うも、《みすぼらしく貧相な王女》の言葉がよぎっては、数珠つなぎに数々の冷たいゲルハルトの言葉が押し寄せて、エレーヌを苛む。

(そんなはずはないわ、ゲルハルトさまには愛する人がいるのだから。今は子作りのために私を優先してくれているだけ)

子どもができたらどうなるのだろう。

そこから先を考えようとすればエレーヌは途端に思考の働きが鈍くなってしまう。

(追い出されるのよね。子どもを置いて出て行くことになるのかしら)

ブルガン王家の血は古い。その血統をラクアにもたらしたのちは、エレーヌはもう不要になる。

(出て行く覚悟が私にできるかしら。でも、ゲルハルトさまを困らせないようにしなきゃ)

そう念じるも、エレーヌは涙がこぼれそうになる。

そんなときはゲルハルトはすぐにエレーヌの表情に気づいて、声をかけてくる。

「エレーヌ、かなしい?」

ゲルハルトはエレーヌの頬を指の背で撫でながら、ブルガン語でそう訊いてくる。その目には優しさが湛えられている。

エレーヌは首を横に振るしかできない。

「何も悲しくはないわ」

(目の前にいるあなたは、こんなに優しいんだもの。今は私だけを見ていてくださるんだもの。だから、わたし、幸せよ)

「エレーヌ、わたし、こわい?」

そう訊いてくるときのゲルハルトは、すぐに壊れてしまうガラス細工を扱うときのように、おずおずとした顔をエレーヌに向けてくる。

「いいえ、怖くないわ。あなたは優しい人だもの。少しも怖くない。むしろ、あなたが私を怖がっているように見えるわ。ゲルハルトさま、わたしが、こわい?」

「わたし、こわい。あなたのなみだ、こわい」

「では、私はあなたを怖がらせないために、いっぱい、わらって、いるわね」

「エレーヌ、わらう。わたし、うれしい」

二人は見つめ合い、甘やかな笑みを交わす。

そんな二人ははたから見れば、ほほ笑ましいだけに見える。

使用人らはほっこりと眺めるも、事情を知るディミーだけはいまだに二人の間に割り込もうとしていた。

(ディミーは私が心配なのね。こんなに一緒にいては、別れるときにつらいだけだものね)

ゲルハルトがエレーヌを抱いて移動していると、ディミーがゲルハルトに言ってきた。

「ゲルハルトさま、########、########」

ゲルハルトは唇を突き出してエレーヌに言う。

「エレーヌ、あるく、ない?」

ディミーは、「いつも抱いているとエレーヌが歩けなくなる」とでも言ったようだった。

エレーヌはゲルハルトの首に腕を回し、ぎゅっと抱き着いた。

「歩けなくなっても、ゲルハルトさまが抱っこしてくれたら、何も困らないわ。ゲルハルトさまがいるから、大丈夫よ!」

「そうだね!」

大雑把に意味を理解したらしいゲルハルトは、破顔した。

そんな風に二人は、どうしようもないほどの仲睦まじさを発揮している。

エレーヌは、ゲルハルトとの時間を噛みしめるようにして味わっていた。

(このかりそめの幸せを忘れないように胸に焼き付けておくわ)

ミレイユがエレーヌのもとへやってきたと伝えられたのは、そんな折だった。

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