もう一度、この愛に気づいてくれるなら
晩餐会の後、アレクスが言ってきた。

「陛下、あれでは王妃は務まりませんぜ。王妃自身も可哀想です。ブルガンにお返しします?」

アレクスはゲルハルトの乳兄弟だ。アレクスの妹のハンナをエレーヌの侍女として用いているほど信頼している。

アレクスは、ゲルハルトの代わりにエレーヌに贈り物を届けてより、エレーヌに心酔していた。そのアレクスでさえ、そんな台詞を吐くのだから、エレーヌの言葉はよほど反感を買ったのだろう。

通訳の際にニュアンスが変わったのかもしれないが、ブルガン国王の遣わした通訳がわざわざ悪くねじ曲げるとは考えづらい。あれでも、柔らかめに伝えてきたはずだ。

ゲルハルトはアレクスが言い終わる前に、アレクスの頭を小突いていた。

「返すなどもってのほかだ。俺はエレーヌと愛し合うつもりだ!」

ゲルハルトが大声で言えば、アレクスは、憐れみの目を向けてきた。アレクスには初夜の出来事を酔いに任せてぶちまけている。

アレクスからみれば、ゲルハルトは初夜に妻に逃げられた憐れな夫だ。

「ラクアのことだって好きになってもらう」

「じゃあ、頑張るしかないっすね」

「だが、エレーヌは俺をひたすら怖がっているのだ」

「怖いのには慣れてもらうしかないっすよ。一緒にいればそのうち慣れてくれるんじゃないっすか」

アレクスは適当に言ったに違いなかったが、ゲルハルトもそうするしかないと思った。

そのあと、勢いのままにエレーヌの寝室を訪ねた。

エレーヌはゲルハルトがベッドに上がるなり、寝息を立てはじめた。

(恐ろしい敵が近づけば防衛本能で眠ってしまう小動物のようだ)

エレーヌを怖がらせていることに、ゲルハルトの胸が痛んだ。

これ以上怖がらせないためには去るべきだったかもしれなかったが、いい加減、この状態のままではいけないこともわかっている。

(エレーヌが泣き出せば、死ぬ気で宥めよう。死ぬ気でやれば何とかなる!)

そのままエレーヌのベッドで小さくなって眠った。

目が覚めて、あらかじめ覚えたブルガン語で「オハヨウ」と言ってみた。

するとエレーヌは驚くことに、「マカロン、オイシイ。アリガトウ」とラクア語で言ってきた。

ゲルハルトは嬉しくて飛び上がりたくなった。

そのあとは呆気ないほどにエレーヌとの距離が縮まっていった。

ハンナからエレーヌが偏食だと聞いていたので、いろいろなものを少しずつ用意させた。

エレーヌに勧めるとエレーヌは従順に口に入れて、「オイシイ」とラクア語で言ってくれた。そんなエレーヌが愛おしくてたまらなくなった。

その夜もエレーヌの寝室に向かえば、やはり、ゲルハルトがベッドに上がった途端に、エレーヌは寝息を立て始めた。

(また防衛本能か!)

ゲルハルトは悲しくなったが、翌朝、奇跡のようなことが起きていた。

目を覚ませば、エレーヌがゲルハルトの顔や体をペタペタと触っていたのだ。

(触られている? エレーヌに?!)

胸やら腕やら、髪やら眉やらを、触られている。何故か眉毛は特に念入りに触られていた。

どう受け止めるべきか迷ったが、エレーヌの手の感触がとても優しいものだったので、前向きに受け止めることにした。

(とりあえず触れる程度には慣れてくれたようだ)

起き上がれば、朝の陽光にエレーヌはとても美しかった。

城下に出ることを誘うと、思いがけずエレーヌは顔を輝かせた。

外に出たがらないと聞いていたが、それは勘違いのようだった。エレーヌは外に出るのを切望、いや、渇望と言っても良いほどに求めていたようだった。

エレーヌは城下に出れば、まるで初めて外の世界を知るかのように、馬車の窓にかぶりついていた。目を輝かせて城下を眺めていた。

エレーヌは呆れるほどに何も知らないようだった。見るもの触れるものすべてが珍しく、こちらが気が引けるくらい大喜びした。

帆船を見せたときには興奮して大きな声を上げていた。翌日、市場に連れて行けば、たかがドーナツに満面の笑みで喜んでいた。

エレーヌの何も知らない様子が、憐れに感じられた。

(エレーヌ、俺はあなたにいろんなものを見せて、いろんなものを食べさせてあげたい)

ゲルハルトはますますそう思った。

ブラックベリーに会わせれば、エレーヌもブラックベリーも互いにひどく気に入ったようだった。

馬上に乗せても、怖がったのは最初だけで、すぐに笑い声をあげて楽しんでいた。

(経験が少ないだけで、臆病ではないのかもしれない)

クローバーの咲き乱れる草原で、キスをしてみれば、もう逃げなかった。


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