もう一度、この愛に気づいてくれるなら
エレーヌは心穏やかに、ひたすら、産まれくる赤ん坊のことを思って過ごした。
午前は刺繍をみんなで楽しみ、午後は本を読む。夕方、夫妻と散歩に出る。悪阻も終わり、再び夫妻と晩餐を摂るようになった。
とても穏やかに過ぎゆく日々だった。さざ波の立たない生活の中で、塔の中で母親と住んでいた頃のような穏やかな幸せを感じていた。
ゲルハルトを思い出すも、ゲルハルトの子を抱えた身となっては、身を切るようなつらさよりも、ゲルハルトが与えてくれた喜びを思い出して、心に温かい明かりが灯るような気持ちになった。
(ふふ、ゲルハルトさま、出会ったときは野蛮人のようだったわ)
失神してしまうほどに怖かったゲルハルトの荒ぶった姿も、思い出せば可笑しくなるだけだった。
夏が過ぎて、風に秋の気配が混じり始めた頃には、帝国語やラクア語での会話もかなり上達してきた。
もともと難解なブルガン語が母国語のブルガン人にとっては、曖昧表現の少ない帝国語は難しくはなかった。ラクア語も侍女たちとのおしゃべりのお陰で、会話なら交わせるようになった。
(私、幸せ……、とても穏やかで幸せだわ………)
ただ、穏やかな温もりに包まれてエレーヌは日々を過ごしていた。
そんなエレーヌをシュタイン夫人が、常にじっと観察していた。