もう一度、この愛に気づいてくれるなら

ゲルハルトはエレーヌの出奔を手をこまねいて見ていただけではなかった。

出奔を止めないとはいえ、とにかく、エレーヌを保護しなければならなかった。それも、できるだけ、本人に気づかれないように。

ゲルハルトの手の内にいるとわかるのは、出奔したつもりのエレーヌにはつらいだろう。

王都にほど近い男爵城をエレーヌの居城にすることにし、男爵には急ぎ、別の領地を与え、引っ越してもらった。

追い立てるような真似をしてしまったが、引っ越し先は豊かな領地だ。不足はないだろう。中の荷物はあとから送ったために、新たな領地でも不便はさせていないはずだ。令嬢の衣服は少々借りたが、それ以上の見返りはしている。

ゲルハルトは、エレーヌが帝国語がわからないと知ったときに、ブルガン出身の貴族を幾人か王宮に雇い入れていた。エレーヌの出奔時、彼らは、王宮に入るための教育を受けているところだった。

その中からシュタイン夫人を選び、夫役となる伯爵を選んだ。二人にのみ事情を伝え、身元確かな侍女に侍従を雇って、兵士らとともにシュタイン城に向かわせた。

エレーヌが出奔計画を決行している間に、ゲルハルトはそれをやった。エレーヌが計画を中断することを祈りながら。

(シュタイン城など無駄になれ)

そう願いながらも準備を進めていたが、エレーヌは出奔を遂行してしまった。そこから、ゲルハルトはブルガンに向かい、あとをアレクスに任せた。

アレクスの兵は宿場町でも、王都を出る街道でも、ずっと、エレーヌら一行を見張っていた。

そして、山賊を装った兵に馬車を襲わせて、エレーヌが逃げられるようにした。エレーヌにけもの道をたどらせて、シュタイン夫人の元へ導いた。

護衛騎士がエレーヌに剣を向けたことは不測の事態だったが、山賊役の襲撃を前倒しにして、無事、エレーヌをシュタイン城へ確保することができた。

ディミーの身柄は乗り合い馬車を降りたところで拘束した。

当初はディミーの不審点を問いただすための拘束だったが、どうやらそれだけでは済まされなくなった。王妃殺害を企てたとして、地下牢に入ることになった。

ディミーの後ろで糸を操る者がいるはずだが、ディミーは一向に口を割らなかった。

エレーヌを襲おうとした護衛騎士らは、金で雇われたならず者で、王妃だとは知らされずに殺害を指示されたことは吐いたが、ディミーの背後の人物の正体は知らなかった。知っていたかもしれなかったが吐く前に体が持たなかった。

ディミーと通じていた商人も、ならず者らと同じ末路をたどった。

ゲルハルトは、兵士らをブルガンとラクアをつなぐ街道周辺の捜索に向かわせた。

すると道中の崖下に馬車が落ちており、貴婦人の遺体と、語学教本や教養書がたくさん詰まっているトランクがあった。貴婦人を守っていたであろう護衛騎士の死体も、馬車の周辺に転がっていた。

遺体の貴婦人が、本物の通訳に違いなかった。通訳にすり替わりが起きていたのだ。

(ヴァロア公爵か……)

怪しまれずに兵士らをブルガンに向けることができたのは、当時、婚姻使節団を率いていたヴァロア公爵だけだった。使節団の一部を残して、通訳の一行を待ち構えていたのだ。

まさか、義姉の兄がこれほどの大それた裏切りを犯すとはにわかには信じられなかったが、婚姻使節団にゲルハルトの側近を配備していたことは幸いだった。側近がいなければ今ごろ、エレーヌもまた、崖下に落ちていただろう。

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