そっと、ぎゅっと抱きしめて

一通り作品を見終えると、わたしは帰る為に出入口に向かった。

すると、後ろから「しずくさん!」と控えめにわたしを呼ぶ声が聞こえた。

振り返ると、そこにはこっちに静かに走って向かって来る伊吹さんの姿があった。

「はぁ、まだ帰ってなくて良かった。」

伊吹さんはそう言うと、後ろを気にしながら「このあと時間ありますか?」と訊いてきた。

「あ、、、このあとは、帰らなくちゃいけなくて。」
「あっ、もしかして、彼氏?それとも結婚してたり?」
「いえ、彼氏もいませんし、結婚もしてないんですけど、ちょっと用事が、、、。」
「あ!じゃあ、LINE交換しませんか?今度ゆっくりお話がしたくて、しずくさんと。ダメですか?」

そう話していると、遠くの方から「伊吹先生?」とさっきの女性が伊吹さんを探す声が聞こえてきた。

その声に「やべっ、峯岸さんが探してる。」と焦る伊吹さん。

わたしは慌ててスマホを取り出すと、LINEのQRコードを出した。
それを急いで読み取る伊吹さん。

「ありがとうございます!じゃあ、あとで連絡しますね!」

そう言って、伊吹さんは急いで戻って行った。

それからすぐに追加された"友だち"。

"伊吹渚"と書かれた名前の横にあるアイコンは、油絵で描かれた紫色の花だ。

LINEの"友だち"が増えたのなんていつぶりだろう。

本当は用事なんて無い。
ただ、帰って母と妹にご飯を作り、洗濯をする家事が待っているだけ。

わたしはスマホをバッグにしまうと、帰りのバスに乗る為にバス停に向かって歩くのだった。


< 7 / 45 >

この作品をシェア

pagetop