「小言が多い」と婚約破棄されましたが、それは全て言霊でした~誰とも話さないはずの寡黙の辺境伯様が心を開き、静かに優しく溺愛してくれます~
第15話:くま
「ポーラちゃん、いつも通り箒で掃いてから水拭きしよう」
「うん、わかった」
ドッペルゲンガーを退治してから数日後。
お屋敷での日常が戻ってきた。
今はエヴァさんとロビーの掃除中。
小さな舞踏会が開けそうなほど広いので、数人で作業するのが定番だった。
アレン君は食堂に飾る花を摘む当番だから、ここにはいない。
ドッペルゲンガーの討伐後、お屋敷に帰ってきてからルイ様と相談した結果、‟希望の館”は数か月かけて少しずつ修理を進める予定となった。
とは言っても、ルイ様もお忙しいので、基本的には週に1~2日“霧の丘”に向かう。
修繕には手間がかかるけど、逆にやりがいがあった。
エヴァさんは箒を動かしながら、ワクワクした様子で私に頼む。
「ねえ、もう一度ドッペルゲンガー退治の話を聞かせて」
「え? ま、また?」
お屋敷に帰ってから、すでに三回くらい話したはずだけど……。
「何度聞いても聞き足りないよ。なるべく怖く話して」
「わ、わかった。……私たちが“霧の丘”に着いたときは、それこそ幽霊のような霧が辺りを包み……」
退治に行ったときの光景を思い出し、なるべく怖くなるよう話す。
ひとしきり話が終わると、エヴァさんは両手で身体を抱えてぶるぶる震えた。
「……ドッペルゲンガーは人の身体を奪ってなりすますなんて……ひいいっ、恐ろしいっ」
この光景は四回くらい見たっけ。
彼女は怖い話を聞いては怖がるのが好きだった。
「怖いなら聞かなきゃいいのに……」
「いやいや、背筋がゾクッとする感覚が病みつきになるんだよねぇ」
「へ、へぇ~」
「アレンは怖い話を聞かせても全然へっちゃらなの。本当に生意気なんだから。いつか怖がらせてやりたいわ」
エヴァさんは悔しそうな顔で拳を握る。
そんな光景を見るたびに、二人は本当に仲のいい姉弟だな、と微笑ましい気持ちになった。
会話がひと段落したところで、二階からルイ様が降りてきた。
私とエヴァさんは手を止めてご挨拶する。
「「辺境伯様(ルイ様)、お疲れ様でございます」」
〔掃除のほどご苦労。相変わらず、二人とも良い働きぶりだな〕
「「ありがとうございます」」
話しながらも箒はきちんと動かしていたので、床は埃もなく綺麗サッパリだ。
後は布切れで水拭きをして掃除は完了となる。
〔ポーラ、後で執務室に来てくれるか? 渡したい物があるんだ〕
「わかりました。ロビーのお掃除が終わり次第、お伺いいたします」
渡したい物ってなんだろうね。
忘れないようにしなくちゃ。
〔ところで、食堂の花がなかったが入れ替えているのか?〕
そう尋ねられると、エヴァさんがが説明してくれた。
「はい、萎れてきましたので新しいお花を集めています。今、アレンが外で作業しているかと……あっ、ちょうどお庭から帰ってきたようです」
玄関の扉が開き、アレン君がロビーに入る。
手にはお花が入った袋を垂らし、新しい花瓶を持っていた。
せっかくなので、気分転換も兼ねて花瓶も取り変えようという話だったのだ。
アレン君はふらふらしたかと思うと、助ける間もなく床につまずいてしまった。
お花が散らばり、陶器の割れる鋭い音がロビーに響く。
「アレン君!?」
「ちょっと、アレン、大丈夫!?」
私とエヴァさん、そしてルイ様は急いで駆け寄る。
アレン君は床に手をついて俯いていた。
「……申し訳ございません、辺境伯様。花瓶を割ってしまいました。弁償しますので、お金は給金から引いてください」
〔花瓶などどうでもいい。怪我がないか見せなさい〕
ルイ様はアレン君の身体を慎重に確認する。
どうやら、大きな怪我は負っていないようで、私とエヴァさんはホッと安心した。
花瓶の破片で指でも切ってしまっていたらと、心配だったのだ。
「姉さんとポーラさんもすみません……。びっくりさせてしまいましたね」
「いえ、気にしないで。アレン君に怪我がなくて良かったわ」
「もしかして、具合が悪いんじゃないの? 熱はない? アレン、おでこを見せなさい」
エヴァさんは心配そうな表情でアレン君のおでこに、自分の額をつける。
それだけで、弟をとても大事に思う気持ちが伝わってきた。
熱もないようだ。
ところが、アレン君の顔をよく見ると、目の下に黒いくまが薄っすらと浮き出ている。
寝不足が続くと現れるような黒いくまが……。
不安になった私は彼に尋ねる。
「もしかして、アレン君。最近はよく眠れていないの?」
「……はい、あの火事の一軒以来、悪夢を見るようになって……よく眠れなくなってしまったんです。血のように赤くて恐ろしい悪魔が、どこまでも追いかけてくるような夢です。身体も熱くなって、いつも寝汗がびっしょりで……」
アレン君は暗い顔で呟く。
‟ロコルル‟の街のレストランで起きた火事……。
あのときの火の勢いはそれこそ悪魔が躍っているようで、私が見ても恐ろしかった。
今でも鮮明に思い出される。
何より、アレン君はまだ子どもだ。
ショックは大きかっただろう。
悪夢を見てしまう、と聞いて、エヴァさんの表情には苦痛が滲む。
「わたしの知らないところでそんなに苦しんでいたなんて……」
「気づかなくてごめんね、アレン君」
〔私も把握できず悪かったな。辛い思いをさせてしまった〕
ドッペルゲンガー退治などがあり、このところアレン君とはあまり話すこともなかった。
結果、悪夢の存在に気づくのが遅れてしまったのだ。
「僕もお伝えするのが遅くなり申し訳ございませんでした。でも、しばらくすれば悪夢も見なくなると思います。きっと、今だけです」
アレン君はそう言うけど、エヴァさんの顔は硬かった。
「そういうわけにはいかないでしょうよ。教会で祈祷してもらう?」
「いや、そこまではしなくていいよ。時間が経てば治るだろうし」
アレン君は首を横に振る。
幼くとも、人一倍強い責任感を持っていた。
時間が経てば治ると言っても、何もしないわけにはいかない。
彼らのやり取りを見ると、私は自然と話していた。
「大丈夫、私に任せて。【言霊】スキルで悪夢を追い払うよ」
そう言うと、アレン君はハッとした顔で私を見る。
「い、いいんですか?」
「もちろん。アレン君も私の大切な人なんだからね。お屋敷に来てから、アレン君にもすごく助けられたから……。今度は私の番よ」
「ポーラさん……ありがとうございます。よろしくお願いします……」
アレン君はぺこりと小さく頭を下げる。
悪夢なんか見ず、よく眠れるようになってほしい。
今こそ、【言霊】スキルの出番だ。
「うん、わかった」
ドッペルゲンガーを退治してから数日後。
お屋敷での日常が戻ってきた。
今はエヴァさんとロビーの掃除中。
小さな舞踏会が開けそうなほど広いので、数人で作業するのが定番だった。
アレン君は食堂に飾る花を摘む当番だから、ここにはいない。
ドッペルゲンガーの討伐後、お屋敷に帰ってきてからルイ様と相談した結果、‟希望の館”は数か月かけて少しずつ修理を進める予定となった。
とは言っても、ルイ様もお忙しいので、基本的には週に1~2日“霧の丘”に向かう。
修繕には手間がかかるけど、逆にやりがいがあった。
エヴァさんは箒を動かしながら、ワクワクした様子で私に頼む。
「ねえ、もう一度ドッペルゲンガー退治の話を聞かせて」
「え? ま、また?」
お屋敷に帰ってから、すでに三回くらい話したはずだけど……。
「何度聞いても聞き足りないよ。なるべく怖く話して」
「わ、わかった。……私たちが“霧の丘”に着いたときは、それこそ幽霊のような霧が辺りを包み……」
退治に行ったときの光景を思い出し、なるべく怖くなるよう話す。
ひとしきり話が終わると、エヴァさんは両手で身体を抱えてぶるぶる震えた。
「……ドッペルゲンガーは人の身体を奪ってなりすますなんて……ひいいっ、恐ろしいっ」
この光景は四回くらい見たっけ。
彼女は怖い話を聞いては怖がるのが好きだった。
「怖いなら聞かなきゃいいのに……」
「いやいや、背筋がゾクッとする感覚が病みつきになるんだよねぇ」
「へ、へぇ~」
「アレンは怖い話を聞かせても全然へっちゃらなの。本当に生意気なんだから。いつか怖がらせてやりたいわ」
エヴァさんは悔しそうな顔で拳を握る。
そんな光景を見るたびに、二人は本当に仲のいい姉弟だな、と微笑ましい気持ちになった。
会話がひと段落したところで、二階からルイ様が降りてきた。
私とエヴァさんは手を止めてご挨拶する。
「「辺境伯様(ルイ様)、お疲れ様でございます」」
〔掃除のほどご苦労。相変わらず、二人とも良い働きぶりだな〕
「「ありがとうございます」」
話しながらも箒はきちんと動かしていたので、床は埃もなく綺麗サッパリだ。
後は布切れで水拭きをして掃除は完了となる。
〔ポーラ、後で執務室に来てくれるか? 渡したい物があるんだ〕
「わかりました。ロビーのお掃除が終わり次第、お伺いいたします」
渡したい物ってなんだろうね。
忘れないようにしなくちゃ。
〔ところで、食堂の花がなかったが入れ替えているのか?〕
そう尋ねられると、エヴァさんがが説明してくれた。
「はい、萎れてきましたので新しいお花を集めています。今、アレンが外で作業しているかと……あっ、ちょうどお庭から帰ってきたようです」
玄関の扉が開き、アレン君がロビーに入る。
手にはお花が入った袋を垂らし、新しい花瓶を持っていた。
せっかくなので、気分転換も兼ねて花瓶も取り変えようという話だったのだ。
アレン君はふらふらしたかと思うと、助ける間もなく床につまずいてしまった。
お花が散らばり、陶器の割れる鋭い音がロビーに響く。
「アレン君!?」
「ちょっと、アレン、大丈夫!?」
私とエヴァさん、そしてルイ様は急いで駆け寄る。
アレン君は床に手をついて俯いていた。
「……申し訳ございません、辺境伯様。花瓶を割ってしまいました。弁償しますので、お金は給金から引いてください」
〔花瓶などどうでもいい。怪我がないか見せなさい〕
ルイ様はアレン君の身体を慎重に確認する。
どうやら、大きな怪我は負っていないようで、私とエヴァさんはホッと安心した。
花瓶の破片で指でも切ってしまっていたらと、心配だったのだ。
「姉さんとポーラさんもすみません……。びっくりさせてしまいましたね」
「いえ、気にしないで。アレン君に怪我がなくて良かったわ」
「もしかして、具合が悪いんじゃないの? 熱はない? アレン、おでこを見せなさい」
エヴァさんは心配そうな表情でアレン君のおでこに、自分の額をつける。
それだけで、弟をとても大事に思う気持ちが伝わってきた。
熱もないようだ。
ところが、アレン君の顔をよく見ると、目の下に黒いくまが薄っすらと浮き出ている。
寝不足が続くと現れるような黒いくまが……。
不安になった私は彼に尋ねる。
「もしかして、アレン君。最近はよく眠れていないの?」
「……はい、あの火事の一軒以来、悪夢を見るようになって……よく眠れなくなってしまったんです。血のように赤くて恐ろしい悪魔が、どこまでも追いかけてくるような夢です。身体も熱くなって、いつも寝汗がびっしょりで……」
アレン君は暗い顔で呟く。
‟ロコルル‟の街のレストランで起きた火事……。
あのときの火の勢いはそれこそ悪魔が躍っているようで、私が見ても恐ろしかった。
今でも鮮明に思い出される。
何より、アレン君はまだ子どもだ。
ショックは大きかっただろう。
悪夢を見てしまう、と聞いて、エヴァさんの表情には苦痛が滲む。
「わたしの知らないところでそんなに苦しんでいたなんて……」
「気づかなくてごめんね、アレン君」
〔私も把握できず悪かったな。辛い思いをさせてしまった〕
ドッペルゲンガー退治などがあり、このところアレン君とはあまり話すこともなかった。
結果、悪夢の存在に気づくのが遅れてしまったのだ。
「僕もお伝えするのが遅くなり申し訳ございませんでした。でも、しばらくすれば悪夢も見なくなると思います。きっと、今だけです」
アレン君はそう言うけど、エヴァさんの顔は硬かった。
「そういうわけにはいかないでしょうよ。教会で祈祷してもらう?」
「いや、そこまではしなくていいよ。時間が経てば治るだろうし」
アレン君は首を横に振る。
幼くとも、人一倍強い責任感を持っていた。
時間が経てば治ると言っても、何もしないわけにはいかない。
彼らのやり取りを見ると、私は自然と話していた。
「大丈夫、私に任せて。【言霊】スキルで悪夢を追い払うよ」
そう言うと、アレン君はハッとした顔で私を見る。
「い、いいんですか?」
「もちろん。アレン君も私の大切な人なんだからね。お屋敷に来てから、アレン君にもすごく助けられたから……。今度は私の番よ」
「ポーラさん……ありがとうございます。よろしくお願いします……」
アレン君はぺこりと小さく頭を下げる。
悪夢なんか見ず、よく眠れるようになってほしい。
今こそ、【言霊】スキルの出番だ。