恋するソクラテス
「これ、めっちゃ美味しい!どこのゼリー?」
僕は、家の近所にある、ケーキ屋さんの名前を口にした。
「あー!あそこね!ゼリーなんて売ってたんんだ!てっきりケーキだけだと思ってた。あそこのモンブラン美味しいんだよね~」
「わかる!」
僕は珍しく彼女に共感した。
「だよね!はーまた食べたいな~」
「今度買ってきてあげるよ!」
「えー本当にー!楽しみにしてる!」
彼女ははじける笑顔でゼリーをまた一口、口に運んだ。
僕は、学校終わりに、人生初めてお見舞いというやつに来ていた。
彼女の体調は良好そうなのでひとまず安堵した。
ゼリーを食べ終え、彼女は自分で立って、病室のゴミ箱にそれを捨てた。再びベッドに戻り、上半身を起こし、窓から外を見た。
窓の反対側のイスに腰掛けた僕も、一緒に外を眺める。
「無駄に眺めいいね」
「そうなんよ!あっそうだ、秋桜くん、屋上に行かない?」
「屋上?」
「そう!死ぬためじゃなくてね、星を見ようよ!私、昨日見たんだけどすっごい綺麗だったの!」
頭の言葉は無視し、僕は彼女の誘いに乗った。
彼女がベットから起き、立ち上げる時、僕は先ほどのお返しに、過剰に養護した。
「ちょっと!そんなおばあちゃんじゃなんだけど!」
と、僕の肩をグーパンチした。
せっかく、手を貸したのになんて奴だ。
僕らは階段を使い屋上へ上がった。
空の色は、オレンジとピンクとほんの少しの群青色で僕らを見下ろしていた。
ベンチに腰掛けて、遠くの空を眺める。
すると突然彼女が声を出した。
「あっ、あれ一番星じゃない?」
「いや~、あれでしょ」
各々、それっぽい星を指さした。
そんな話をしていると、秋の空はうさぎのスピードで変わっていき、少しずつ群青色が増えていった。
「確かに、星が良く見えるね」
「でっしょ~!」
一拍おいて、空を見上げたまんまいった。
「秋桜くんは、天国とか地獄とかあると思う?」
「ないんじゃない?」
「それは、つまり信じてないってこと?」
「うーん、というより、死んでるのにまだ生きるような感じは嫌だな。死んだら、ずっと眠っていたいな」
「そっか~」
「君は?信じているの?」
「私は、信じたくないなぁ。天国にも地獄にも行きたくない。私は星になりたい!」
小学生みたいなことをいう彼女。
頭がおかしくなったのかと思い、隣を見た。
彼女はまっすぐ、空を見ていた。
「なるなら、秩父の星になりたい!ここから見える星になりたい!」
「どうしたの?急に。とうとう病気に脳をやられたの?」
「私は本気だよ!」
と、また僕の肩をグーで殴ってきた。
満点の星空の下、僕らは流れ星をたくさん見た。
その状況はこの上なくロマンチックだった。
今後、数十年、いや、もしかしたら一生訪れることのない、状況だったかもしれない。

彼女が入院し、二週間が経った。僕は本日で八回目のお見舞いに彼女の病室を訪れていた。
彼女の顔色をみると体調は、あまり良くなさそうだった。
僕が彼女の病室の扉を開けても反応しなかった。
「体調は?」
「・・・あっ今日も来てくれたんだ」
体調が悪いのか、それから黙ってしまった。
僕は窓際のパイプ椅子に座り、外を眺めた。
ここからだと、武甲山が良く見える。
ずっとそうしていると彼女がかすれた声で僕に話しかけた。
「ねぇ。シチリアに連れて行ってよ」
「近々、退院できそうなの?」
「そうじゃなくて。抜け出すんだよ」
「君は、急になに言ってるんだよ」
僕は笑って言った。
「私は本気だよ。私は・・・私はもう長くない。なんとなくわかるの」
僕は何にも答えられなかった。
だから彼女が続けた。
「行かなかったら、秋桜くんはきっと後悔するよ」
その押し切る言い方に僕の心は揺らいだ。
そうだ、彼女にはもう時間がないのだ。
僕は、この状況に及んでも、まだ彼女が良くなると信じていたのだ。
彼女の顔色をみていれば、彼女がもう長くないことは容易に想像できるのに。現実から逃げている。
僕は、決意する。彼女とシチリアに行くことを。
「わかった。一緒に行こう!シチリアに」
彼女はゆっくり、そして優しく笑って「ありがとう、秋桜くん」と言って、力尽きたのかそのまま眠ってしまった。その日は面会時間まで彼女が目を覚ますことはなかった。
家に帰って、僕はネットでシチリアまでの行き方を調べた。
僕らの地元からシチリアまで二十時間はかかるみたいだった。もっと近いものだと思っていたので僕は肩を落とした。でも、これで彼女に付き合うのはきっと最後になる。彼女の最後の外出になる。
彼女が死んだら、僕も死のうと思っている。もともと死にたかったし、今の生きがいである彼女がいなくなってしまえば僕は生きていても意味がない。
だからお金の心配もなかった。今までの貯金を使い果たしてしまっても全然構わない。
それに遊園地に行った時のお金をまだ返せていない。その分のお金としてシチリアに行くお金を全て僕が賄ってあげようと考えていた。
それから、シチリアに行ったら僕は彼女に告白しよう。
振られても構わない。けど、この気持ちを彼女が生きているうちに伝えたい。
僕は、迷わず最短で空いている飛行機のチケットを検索し、ローマ行きのチケットを二枚購入した。
フライトの日は二週間後に決まった。

二日後、学校終わり、僕は再び彼女の病室を訪れた。
しかし、彼女は眠っていた。
その表情は穏やかだった。
その表情をみて、もう目覚めない方がいいのではないか、と思った。いいや、まだ彼女とシチリアに行かなければいけない。僕は首を振り彼女をみた。
「勝手に死ぬなよ」
眠っている彼女を見て僕は言った。
彼女が少しだけ笑ったような気がした。
次の日病室を訪れても彼女は眠っていた。
彼女が目を覚ましたのは、それから二日後。
病室に僕が訪れると、彼女は笑って出迎えてくれた。
「いつまで寝てんだよ」
「ごめんね。最近眠くて。・・・それは?」
僕の手を指さした。
「あ、ああ。シチリア行きのチケット。とれたんだ。どう?行けそう?」
「本当にとってくれたんだ。やるねー秋桜くん」
彼女はベッドに寝たまま。最近は上半身を起こすこともなくなった。
時々、苦しそうに顔をしかめる。
僕はフライト日を彼女に伝える。彼女はそれを聞いて「迎えに来てね」と言った。
「でも、本当にいいの?」
僕は訊いておきたかった。きっとこれで最後だ。シチリアに行って帰ってくる頃には、大惨事になっているはずだ。末期の女の子を病室から連れ出し、旅行にいくのだから。当然、怒られるで済む問題ではない。もしかしたら彼女と会うことさえできなくなってしまうかもしれない。
だから訊いておきたかったのだ。
「せめても、お母さんには言っといた方がいいんじゃない?」
「大丈夫だって。日記にちゃんと秋桜くんは悪くないって書いておくからさ」
「そんなんで許してもらえるとは到底思えないけど、ないよりはましか」
「大丈夫だって。きっと上手くいくよ」
そういって、グッドサインをし、やがて目を閉じ眠ってしまった。
そして迎えた、当日。
僕は前日から眠れずに、そわそわしていた。朝早く、支度をし学校には行かず、病室を目指した。
事前に病棟には面会で訪れる旨を伝えていたためすんなり、病室に辿りつくことができた。
今日のために、僕は貯金を全額下ろしてきたのだ。
病室の扉を開けるなり、彼女はニット帽をかぶり、少しだけ化粧をしていた。
どうやら出かける準備は満タンのようだ。
「おはよ」
「おはよー。時間通りだね」
彼女は薄く笑う。その表情から、あんまり体調が良くないことがうかがえた。
彼女は、昨日調達したという車いすを指さし、そこまで手を貸してくれと言った。
「大丈夫?」
彼女はゆっくり、ベッドから体を起こし、病室のスリッパを履く。僕は彼女の肩を抱くようにして支える。
「なんかさ、どきどきするね」
「本当だよ。僕なんか昨日からどきどきして寝れなかったんだから」
「違うよ。秋桜くんが肩を抱いているこの状況をだよ」
僕は、指摘され急に恥ずかしくなった。
「うふふふ。顔赤いよ?」
「無駄口叩いている余裕あるなら歩いてくれる?」
「はーい、うふふふ」
彼女を優しく車いすに乗せ、病室から出る。
病院の駐車場にタクシーを待たせているので、病院から出られれば僕らのミッションはほとんど成功したと言ってもいい。
タクシーに着替えなど必要なものを載せている。
廊下進んでいく、他の患者さんや、検査に付き添う看護師さんなどとすれ違ったけれど、特に何も言われず、エレベーターに乗る。
一階に着き、受付の手前を右に曲がり、中庭に向かう。
中庭には朝のお日様を浴びている老人や、走り回る子供たちがいた。僕らはそおっと駐車場に繋がる道に車いすを押す。幸い、僕らを訝しがる人たちはいなかったので無事、僕らは駐車場にたどり着くことができた。
「はあー、どきどきしたね」
彼女は疲れた笑顔を向ける。相当、負担をかけてしまったみたいだ。
「体調大丈夫?」
「うん!ありがとう」
彼女を先にタクシーに乗せ、僕は車いすを病院の入り口付近に置いた。
僕もタクシーに乗り行き先を運転手に告げると「ここからですか?」と驚いた。
「はい、ここから羽田空港に向かってください」
「いや、私はいいのですが・・・・」
運転手はバックミラー越しに彼女を見た。
「お願いします!お願いします!」
僕らは、何度も頭を下げた。そのうち彼女も頭を下げ始めたので観念したのかタクシーの運転手は「わ、わかりました」と言い、タクシーを発進させた。
タクシーに乗り、一時間が経った。
「結構、長丁場になるけど、本当に大丈夫?もし無理そうだっ」
「大丈夫!次はもうないから!」
彼女は僕を見て力強くいった。その目は僕に有無を言わせない迫力があった。
次はもうない、彼女が言うことで、彼女の死がよりリアルに聞こえた。
「そんな暗い顔しないよ。秋桜くん。秋桜くんは強い!私なんかいなくても生きていけるよ」
「こんな気持ちになるなら出会わなければよかったのに」
僕の心の声が思わず漏れてしまった。
「それは、違うよ」
カラオケの時は異なる「違う」が返ってきた。それは優しく穏やかな口調だった。
続けて彼女は何かを言おうとしけど、それを寸前で飲み込み、にこりと笑った。「少し、寝るね」といい、目を閉じた。
途中、車が揺れ、彼女の頭が僕の肩に乗っかった。
僕は振り払うことはせず、そのまま彼女に肩をかした。目的地に到着するまで、車内には彼女の寝息だけが静かに響いていた。
目的地である羽田空港に着き、運転手に料金を支払い、荷物を下ろし、僕らはタクシーを見送った。
彼女を支えようとすると彼女は手で制した。
「大丈夫、歩けるから、秋桜くん荷物重いでしょ」
僕は大きめのリュックサックと、キャリーバックを引いている。
「で、でも・・・」
「じゃ、空いてる、右手を貸して」
彼女は僕の空いていた右手に自分の左手を重ねた。そして握った。
その状況に僕はまたどきどきしてしまう。
エレベーターで入場ゲートがあるフロアまで上がり、フライト時間まで、あと二時間あるので、どこか座れそうな場所を探す。
入場ゲート付近に少し柔らかそうなベンチを見つけたので、二人で腰掛けた。
僕は荷物を下ろし、床に置く。
すると、彼女はまた僕の肩に頭を乗せた。
まさか、そんなすぐ眠ってしまったのかと、隣を見ると、彼女は目をあけていた。
その目は、心ここにあらずで、どこか遠く、明後日を見ていた。
「私、幸せだったなぁ」
だった。過去形でいう彼女。
「私、秋桜くんに出会えて、本当によかった。秋桜くんと色んな楽しいことができたよ」
「なんだよ、急に。これで終わりみたいじゃないか」
「さっき、出会わなければ、よかったって言ったじゃん?」
「うん、だからなんか終わりみたいな言い方すんなよ」
「違うよ。・・・私は秋が嫌いだった。昔から。なんか寂しいし、それに病気で余命を宣告されたのも秋。それで余計に嫌いになった。でもね、今は違う。秋が好き。だって秋にはコスモスが咲くでしょ?それを見たら私は秋桜くんを思い出す。味気ない季節が、秋桜くんとの思い出で色づいたんだよ。嫌いだった秋が私にとって大切な季節なったの。それってすごい素敵だと思わない?」
彼女はにこっと笑って、こちらをちらりと見た。「まあ、もう秋を迎えることはないんだけどね~」と舌を出して力なくおどけた。
「余命なんて、あてにすんなよ。今だって余命より一か月長く生きている。来年の秋だって目じゃないよ。そんな弱気になってどうすんだよ」
僕は少し怒りを混ぜていった。
「あはは。今度は私が怒られてる。でも、ほら人間いつ死ぬかわかんないしさ。一応、伝えておこうと思って。ありがとね」
なんだか今日の彼女はいつになく弱気だった。
これで終わりとでもいうような。
「これから、旅行が始まるんじゃん。シチリアに行ったら美味しいもん食べて、一番星でも見つけようぜ、な?」
「・・・うん、そうだね。ねー秋桜くん。私、喉乾いた」
「あっ確かに、じゃ買ってくるよ!ちょっと待ってて」
僕は自動販売機に向かうべくベンチから腰を上げた。
数歩あるいて、確か入り口付近にあったことを思い出し、そちらに歩き出そうとした瞬間「きゃー」と悲鳴が聞こえた。僕はすぐに声が聞こえた方に振り返る。
先ほどまで、座っていたベンチには誰もいない、が、その手前荷物が置いてある横で人が横たわっていた。それが彼女だとわかると同時に僕は駆け寄った。
人の目を気にせず。
僕は彼女に駆け寄り、その場に座り込み、彼女の肩を持ち上げた。
彼女は、鼻から血を流していた。
彼女は薄目を開け、力なく笑った。
「・・・私、シチリアに行きけるよね?」
「あー、行けるよ?でも、今は病院に行って少し休んだ方がいいかもしれない。また、次いつでも行けるんだから、な?」
「・・・つぎ?・・・ないんだって・・・・」
かすれた声で言った。
「次なんてなんだってば!連れてってよ・・・秋桜くん・・・・連れてってよ・・・・秋桜くんと行きたいんだよ・・・」
彼女は赤い涙を流した。
それは病気の影響なのか。彼女の気持ちなのか。わからない。
「ごめんね、冗談だよ・・・今の。また行けるよ。秋桜くん・・・」
そういって、静かに、音も立てずに彼女は目を閉じた。
「おい、目開けろよ!おい!寝てたらシチリアに行けないぞ!おい!!!」
何度ゆすっても、彼女が目を開けることはなかった。

二日後、彼女はこの世を去った。
なんて不条理なんだろう。
結局叶わなかった。
彼女とシチリアに行くことも。
彼女とコンサートに行くことも。
彼女に思いを伝えることも。
どれも叶わなかった。
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