恋するソクラテス
今日は金曜日で明日は学校がないので彼女に会うことはない。彼女が曜日を忘れていて、言葉の流れで、また明日、と言ったと思っていた。
しかし、彼女はその夜、メッセージアプリで週末の誘いをしてきたのだ。
僕は家に帰り、手洗いうがいを済ませ、夕飯には手を付けず、自室にこもった。しばらく、描きかけの絵の続きを描いたり、ネットサーフィンをしていると時間は自然と過ぎ、僕はお風呂員に入るため自室を出た。お風呂から出て、髪を乾かし、キッチンで水を飲み、再び自室にこもった。もう少しネットサーフィンをして、寝ようかと思い携帯を開く。すると見慣れない通知が届いていた。通知は彼女からのメールだった。
『やっほー。今日は付き合ってくれてありがとう!今頃胃もたれしてる頃だろう(笑)突然なんだけど明日空いてる?』
『空いてるよ。何かあるの?』
『週末死なれたら困るから、明日も私に付き合ってもらいます!』
それから集合場所と集合時間が送られてきた。僕は『了解』と送り携帯を閉じた。ベッドに体を預け、右手を額に乗せる。もう片方の手を胸にあててみる。心臓がドクンドクンと規則正しく振動を鳴らしているのが、手を通して伝わってきた。
僕はまだ生きていた。無論、それは彼女のおかげである。彼女は今何をしているんだろう。一番星を聴いているのだろうか。
そんなことを考えていると自然と瞼が重くなり僕はいつの間にか眠ってしまっていた。
翌日、時間通りに集合場所に向かった。集合場所に着くと彼女はすでにおり、僕に気が付くと手を振った。僕も軽く手をあげて応える。
「おっはよー!今日も死んでないね!」
「前代未聞のあいさつだね」
彼女の私服姿を見るのは初めてだった。黒のミニスカートに白のシャツ。女子にしては高めの身長の彼女には実に似合うコーデだった。
「それで、今日はどこに行くの?」
「おお!今日も乗り気じゃん!今日はカラオケに行くよ」
僕は決して乗り気なわけではない。
彼女が今日のホストなので、僕は彼女についていく。九月だというのにまだ夏を引きずっている気温に僕は辟易とした。ほどなくあるいて、僕らは、安さが売りで地元でも有名な、おんぼろなカラオケ屋に着いた。中に入る。
「いらっしゃいませ~」
気だるそうなアルバイトであろう若い店員が僕らを出迎えた。
「カラオケ、十二時間パックで!」
入店早々、彼女はそう宣言した。
僕は、自分の耳を疑った。
自分の耳と、彼女の言い間違いを疑った。
「十二時間パックですね。先払いになります。十二時間パック・・・」
「ちょ、ちょ、ちょっと」
店員さんには申し訳ないと思ったが、店員さんの言葉を遮って受付カウンターから彼女を引きはがし、彼女を問い詰める。
店員さんを一瞥するとみるからに不機嫌そうな顔をしていた。
「ん?なになに?」
彼女はまぬけな顔をしていた。
「十二時間パック?意味分かんないんだけど」
「あ~。あのね、三時間パック、六時間パック、十二時間パックと分かれてて、パックにするとお得なんだよ~?」
「そうじゃなくて、なんで十二時間なの?」
「今日はカラオケで歌いまくるの!ほら共通の趣味があるじゃん!」
店員さんを一瞥する。今にも飛びかかってきそうな猛獣の顔をしていた。
僕は折れた。
「十二時間パックで!」
再び彼女がそう宣言し、先払いでお金を支払い、個室に通された。
安さを売りにしているため、部屋は狭いし、ぼろい。
彼女はマイクが入ったかごをテーブルに置き、マイクを一つ手にとり、機械をなになら操作し始めた。
その手際はスムーズだ。
結構カラオケに来ているということを思わせた。
「さ~て、歌おう!」
操作が終わったらしい彼女は、マイクを天井に向けた。
カラオケのテレビの画面に、夜休みの羊という文字と曲名が映し出される。出だしのキーも間違えず彼女は少しハスキーな声で歌い始めた。ちなみに夜休みの羊のボーカルは、男性でハイトーンボイスなので彼女の声とは全く異なる。しかし、彼女は、見事彼女節で歌い上げた。彼女の歌になっていた。夜休みの羊は、どの曲もハモリの部分があるのでそこだけ僕も歌った。
僕は歌うより聞いている方が好きなので、彼女が次々と夜休みの羊の曲を入れ歌うことに嫌な気はしなかった。彼女も気を遣ってか、僕に何度か「歌いなよ!」とマイクを通して言ってきたけれど、先ほどの理由を述べると彼女はにこりと笑い、テンション高く歌い続けた。
時間は経過し、残り一時間になったところで、彼女はマイクをおいた。
「おつかれ」
僕は彼女に労いの言葉を送る。彼女はだらりとソファーに腰掛け、先ほど注文していたクリームソーダを一口飲み「おいしい」と全身をバタつかせた。すると彼女は可愛いウサギ柄のショルダーバックから日記帳の様なもの取り出し、ペンを走らせた。
「なに書いてるの?」
「ん~?べーつにー」
彼女はそれから数分間、真剣な眼差しで日記帳にペンを走らせた。
「そういえばさ、なんで死のうとしてたの?」
彼女はきょとんとした顔で純粋な疑問として僕に訊いた。例えるなら、幼稚園児が大人に「空は何で青いの?」と訊くような感じで。
僕はその質問に対して明確な答えを持ちあわせていなかった。趣味の質問とは違って。伝わるかどうかはわかないが僕は胸の内を素直に話した。
「特にこれといった理由はないよ」
「ん~。例えば、シリアスな感じになるけど、いじめられてるとか、どこか体の調子が悪いとか、それか家庭環境とか・・・・」
彼女にしては珍しく歯切れが悪かった。それもそうだろ、自殺しようとしていた奴の目の前で、自殺の話をするのだから。
僕はなるべくシリアスにならないよう気を付けながら、僕が普段考えている自殺論を語った。
「僕にとって自殺っていうものはマイナスなことじゃないんだ。この世界で前向きに生きていることの方がおかしいと思う」
彼女は、僕の持論に良いとも、悪いとも、言わなかった。ただ「それはどうして?」と先を促した。
「毎日同じ時間に起きて学校に行く。顔面が整って生まれてきたわけでもないし、お金持ちの家に生まれてきたわけでもない。これから数十年働かされて、国に税金を納めて、ある日ぽっくり死んでいく。それだったら早く終わらせて楽になりたい。死ぬってことは、楽になれるってことなんだ。それってマイナスなことじゃない」
僕が普段、心の中で思っていることを彼女にさらす。
彼女はわかりやすく顔をしかめて、静かな声で「違う」と言った。
「違うって?」
僕は訊き返す。
「そんなの違うよ!今、健康なんでしょ?」
「肉体は健康だよ」
彼女の声のボリュームが上がった。彼女をみる。どうやら、マイクのせいではないらしかった。
「十分じゃん!なんで未来のことを勝手に決めつけてマイナスに考えてるの?甘いよ!甘い!健康ならいいじゃん。勝手に不自由にしてるだけじゃん。健康なら自由に好きなように生きればいいじゃん!健康だけで・・・じゅうぶんじゃん・・・」
熱が入ったように急にしゃべりだし、最後は萎むような声を残し、うつむいてしまった。
僕は冷静さを失っていなかったし、僕も昔はそう思っていた。健康ならいいと。健康でいられるのだから幸せだと。ただ、今は、それをも飛び越えた境地にいるのだ。だから彼女の方が甘いと、心の中で呟いた。
僕は仕方なく食い下がらなかった。
食い下がったところでオチは見えている。
「た、確かに、君の言う通りかもしれない。僕は甘いのかも」
「い、いや。こっちこそごめん。急に熱くなっちゃって」
彼女は反省したように熱くなった顔を引っ込め、また一口クリームソーダを飲んだ。
僕は特に気にしない。僕の意見が絶対的だと思っていないからだ。
あんな論に共感する人の方が少ない。
ただも一度言う、彼女は甘い。
「じゃ、一緒に一番星を歌おう!」
彼女はくりと表情を変化させ、再びマイクを持った。
また不機嫌になられては困るので僕も大人しくマイクを持つ。
二人で残りの時間を一番星で埋めた。
「ありがとうございました!」
朝の店員さんとは違う、元気のよい別の店員さんにお礼をいわれ外に出た。
外にはもう、夕焼けの姿はなかった。
「はあ。楽しかった~」
「そうだね」
「私、寄りたいお店があるんだけど、いい?」
「いいよ、何買うの」
「ないしょ~」
しかし、彼女はその夜、メッセージアプリで週末の誘いをしてきたのだ。
僕は家に帰り、手洗いうがいを済ませ、夕飯には手を付けず、自室にこもった。しばらく、描きかけの絵の続きを描いたり、ネットサーフィンをしていると時間は自然と過ぎ、僕はお風呂員に入るため自室を出た。お風呂から出て、髪を乾かし、キッチンで水を飲み、再び自室にこもった。もう少しネットサーフィンをして、寝ようかと思い携帯を開く。すると見慣れない通知が届いていた。通知は彼女からのメールだった。
『やっほー。今日は付き合ってくれてありがとう!今頃胃もたれしてる頃だろう(笑)突然なんだけど明日空いてる?』
『空いてるよ。何かあるの?』
『週末死なれたら困るから、明日も私に付き合ってもらいます!』
それから集合場所と集合時間が送られてきた。僕は『了解』と送り携帯を閉じた。ベッドに体を預け、右手を額に乗せる。もう片方の手を胸にあててみる。心臓がドクンドクンと規則正しく振動を鳴らしているのが、手を通して伝わってきた。
僕はまだ生きていた。無論、それは彼女のおかげである。彼女は今何をしているんだろう。一番星を聴いているのだろうか。
そんなことを考えていると自然と瞼が重くなり僕はいつの間にか眠ってしまっていた。
翌日、時間通りに集合場所に向かった。集合場所に着くと彼女はすでにおり、僕に気が付くと手を振った。僕も軽く手をあげて応える。
「おっはよー!今日も死んでないね!」
「前代未聞のあいさつだね」
彼女の私服姿を見るのは初めてだった。黒のミニスカートに白のシャツ。女子にしては高めの身長の彼女には実に似合うコーデだった。
「それで、今日はどこに行くの?」
「おお!今日も乗り気じゃん!今日はカラオケに行くよ」
僕は決して乗り気なわけではない。
彼女が今日のホストなので、僕は彼女についていく。九月だというのにまだ夏を引きずっている気温に僕は辟易とした。ほどなくあるいて、僕らは、安さが売りで地元でも有名な、おんぼろなカラオケ屋に着いた。中に入る。
「いらっしゃいませ~」
気だるそうなアルバイトであろう若い店員が僕らを出迎えた。
「カラオケ、十二時間パックで!」
入店早々、彼女はそう宣言した。
僕は、自分の耳を疑った。
自分の耳と、彼女の言い間違いを疑った。
「十二時間パックですね。先払いになります。十二時間パック・・・」
「ちょ、ちょ、ちょっと」
店員さんには申し訳ないと思ったが、店員さんの言葉を遮って受付カウンターから彼女を引きはがし、彼女を問い詰める。
店員さんを一瞥するとみるからに不機嫌そうな顔をしていた。
「ん?なになに?」
彼女はまぬけな顔をしていた。
「十二時間パック?意味分かんないんだけど」
「あ~。あのね、三時間パック、六時間パック、十二時間パックと分かれてて、パックにするとお得なんだよ~?」
「そうじゃなくて、なんで十二時間なの?」
「今日はカラオケで歌いまくるの!ほら共通の趣味があるじゃん!」
店員さんを一瞥する。今にも飛びかかってきそうな猛獣の顔をしていた。
僕は折れた。
「十二時間パックで!」
再び彼女がそう宣言し、先払いでお金を支払い、個室に通された。
安さを売りにしているため、部屋は狭いし、ぼろい。
彼女はマイクが入ったかごをテーブルに置き、マイクを一つ手にとり、機械をなになら操作し始めた。
その手際はスムーズだ。
結構カラオケに来ているということを思わせた。
「さ~て、歌おう!」
操作が終わったらしい彼女は、マイクを天井に向けた。
カラオケのテレビの画面に、夜休みの羊という文字と曲名が映し出される。出だしのキーも間違えず彼女は少しハスキーな声で歌い始めた。ちなみに夜休みの羊のボーカルは、男性でハイトーンボイスなので彼女の声とは全く異なる。しかし、彼女は、見事彼女節で歌い上げた。彼女の歌になっていた。夜休みの羊は、どの曲もハモリの部分があるのでそこだけ僕も歌った。
僕は歌うより聞いている方が好きなので、彼女が次々と夜休みの羊の曲を入れ歌うことに嫌な気はしなかった。彼女も気を遣ってか、僕に何度か「歌いなよ!」とマイクを通して言ってきたけれど、先ほどの理由を述べると彼女はにこりと笑い、テンション高く歌い続けた。
時間は経過し、残り一時間になったところで、彼女はマイクをおいた。
「おつかれ」
僕は彼女に労いの言葉を送る。彼女はだらりとソファーに腰掛け、先ほど注文していたクリームソーダを一口飲み「おいしい」と全身をバタつかせた。すると彼女は可愛いウサギ柄のショルダーバックから日記帳の様なもの取り出し、ペンを走らせた。
「なに書いてるの?」
「ん~?べーつにー」
彼女はそれから数分間、真剣な眼差しで日記帳にペンを走らせた。
「そういえばさ、なんで死のうとしてたの?」
彼女はきょとんとした顔で純粋な疑問として僕に訊いた。例えるなら、幼稚園児が大人に「空は何で青いの?」と訊くような感じで。
僕はその質問に対して明確な答えを持ちあわせていなかった。趣味の質問とは違って。伝わるかどうかはわかないが僕は胸の内を素直に話した。
「特にこれといった理由はないよ」
「ん~。例えば、シリアスな感じになるけど、いじめられてるとか、どこか体の調子が悪いとか、それか家庭環境とか・・・・」
彼女にしては珍しく歯切れが悪かった。それもそうだろ、自殺しようとしていた奴の目の前で、自殺の話をするのだから。
僕はなるべくシリアスにならないよう気を付けながら、僕が普段考えている自殺論を語った。
「僕にとって自殺っていうものはマイナスなことじゃないんだ。この世界で前向きに生きていることの方がおかしいと思う」
彼女は、僕の持論に良いとも、悪いとも、言わなかった。ただ「それはどうして?」と先を促した。
「毎日同じ時間に起きて学校に行く。顔面が整って生まれてきたわけでもないし、お金持ちの家に生まれてきたわけでもない。これから数十年働かされて、国に税金を納めて、ある日ぽっくり死んでいく。それだったら早く終わらせて楽になりたい。死ぬってことは、楽になれるってことなんだ。それってマイナスなことじゃない」
僕が普段、心の中で思っていることを彼女にさらす。
彼女はわかりやすく顔をしかめて、静かな声で「違う」と言った。
「違うって?」
僕は訊き返す。
「そんなの違うよ!今、健康なんでしょ?」
「肉体は健康だよ」
彼女の声のボリュームが上がった。彼女をみる。どうやら、マイクのせいではないらしかった。
「十分じゃん!なんで未来のことを勝手に決めつけてマイナスに考えてるの?甘いよ!甘い!健康ならいいじゃん。勝手に不自由にしてるだけじゃん。健康なら自由に好きなように生きればいいじゃん!健康だけで・・・じゅうぶんじゃん・・・」
熱が入ったように急にしゃべりだし、最後は萎むような声を残し、うつむいてしまった。
僕は冷静さを失っていなかったし、僕も昔はそう思っていた。健康ならいいと。健康でいられるのだから幸せだと。ただ、今は、それをも飛び越えた境地にいるのだ。だから彼女の方が甘いと、心の中で呟いた。
僕は仕方なく食い下がらなかった。
食い下がったところでオチは見えている。
「た、確かに、君の言う通りかもしれない。僕は甘いのかも」
「い、いや。こっちこそごめん。急に熱くなっちゃって」
彼女は反省したように熱くなった顔を引っ込め、また一口クリームソーダを飲んだ。
僕は特に気にしない。僕の意見が絶対的だと思っていないからだ。
あんな論に共感する人の方が少ない。
ただも一度言う、彼女は甘い。
「じゃ、一緒に一番星を歌おう!」
彼女はくりと表情を変化させ、再びマイクを持った。
また不機嫌になられては困るので僕も大人しくマイクを持つ。
二人で残りの時間を一番星で埋めた。
「ありがとうございました!」
朝の店員さんとは違う、元気のよい別の店員さんにお礼をいわれ外に出た。
外にはもう、夕焼けの姿はなかった。
「はあ。楽しかった~」
「そうだね」
「私、寄りたいお店があるんだけど、いい?」
「いいよ、何買うの」
「ないしょ~」