恋するソクラテス
翌朝、いつものように目を覚まし、いつものように朝食を食べ、いつものように登校した。
登校して、下駄箱で靴から上履きに履き替えている途中大きな声で挨拶された。
「おはよー!」
僕に挨拶をしてくる異性はたった一人しかいない。
「おはよ。昨日ぶりだね」
彼女はにやにやと、これからいたずらを仕掛けるような顔で立っていた。
「なに?履き替えないの?」
彼女がずっとにやにやしていたので僕は続けて声を掛けた。
「じゃ行こ!」
と、いきなり僕の手を引いて、走り出した。そのまま最寄りの駅まで僕を拉致した。
「いきなり何?はぁはぁ。学校完全遅刻じゃん」
「海に行こ!」
「海?どうしていきなり?」
「行きたいところに行けばいいって言ったのは秋桜くんじゃん!私は海に行きたい!」
週末でもいいのではないかと思ったが黙っておいてあげた。
海に行きたい理由が何となくわかったからだ。僕自身、死のうとしていた人間だし、彼女が引き止めなければあの日死んでいた。学校も、どうでもよくなっていたし、彼女に付き合うと決めていたので、僕は海に行くことを承諾した。
「三日連続で異性と遊んだこと初めてだよ」
「私もー!前付き合ってた先輩より恋人っぽいことしてるよ!」
昨日とは違う行き先の電車に乗って、僕らは海を目指した。と言っても、地元の県には海がないので、県をまたぐことになる。それから僕らは四回も電車を乗り換え、彼女が行きたがった海に着くことができた。
九月下旬の平日の昼間なので海岸はガラガラだった。アスファルトから砂浜にかわり、少し歩きにくくなる。彼女は持っていたバッグを僕に渡し、海に走っていった。まさか飛び込むのかと思ったが、さすがにそれはせずギリギリで止まり、しゃがみこんだ。僕は立ったまま、その様子を眺めていた。
「冷たーい!」
どうやら波が彼女の足元まで届いたようで彼女が声を上げた。「うわー靴下濡れた~」と嘆いている。
「秋桜くんもおいでよ!」
彼女は浅瀬で波と戯れながら僕を呼んだ。
僕はその場に座り込み、心地よい風に吹かれた。ひとしきり、楽しんだ彼女は僕の方へ戻ってきた。
「なんで、呼んだのに来ないのよ!」
僕は軽く肩を叩かれる。
「靴も靴下も濡れてんじゃん」
「かわっくしょ!」
今日は真夏日になると天気予報で言っていたのでおそらく帰る頃には乾くだろう。真上にあるお日様の光を浴びているが真夏のように暑く感じないのは、風があるからだ。
でも、台風の風とは違い、冷たくなく、穏やかだった。秋らしい変わりやすい天気だと、ここ数日をもって感じた。
「ずっとこんな天気だったらいいのにね」
「僕も今そう思ってた」
「いいよねー。この風なら愛せる」
彼女は風に目を細めて気持ちよさそうに言った。
「あっそうだ。私今日、スケッチブックを持ってきたの」
彼女は自分のバッグからクレヨンと小さめのスケッチブックを取り出した。
「描いてよ」
「ん、何を?」
「海と私!」
「なんでクレヨンなの?」
「夜休みの羊の曲にあるじゃん!クレヨンの歌!」
「あー、あるね。だから?」
「私はクレヨンが大好きなの!私の一番好きな画材はクレヨン!秋桜くんの絵見たことなしさ、それと今日私の誕生日なの。だから誕生日プレゼントとして、描いてほしい。お願いします」
彼女はぺこりと頭をさげた。珍しく礼儀正しくお願いされるので僕は、こんな僕の絵なんかでいいのかと少し申し訳なくなった。
「僕の絵なんかでいいの?」
「いいに決まってんじゃん!秋桜くんの絵がいいんだよ!」
面と向かって臭いことを言われて、僕の方が恥ずかしくなった。けど、同時に嬉しくもあった。自分の趣味が初めて必要とされた瞬間だったから。
絵を描く前に腹ごしらえをしようと言われたので海の家に行くことにした。
二人で昼食をとり場所選びのため、砂浜を歩く。彼女は場所場所でポージングを決め「ここじゃないな」などと真剣に場所選びに勤しんでいた。だいぶ歩いたところで彼女は「よし!」と何かを決めたような声を漏らした。
「ここにする!秋桜くんはもうちょい引きで描いて!私がメインというより風景メインで描いて!」
彼女はポージングを始めた。
「もういつでも描いていいよ!」
彼女は後ろで手を組み少し左に上半身を傾けた。
僕は言われた通り、引きで目に映る景色をスケッチブックに描いていく。途中、心地よい風が彼女の髪を揺らした。僕はモデルである彼女のことも考えてスラスラと絵を描いていく。クレヨンは今まで使ったことがない画材だったがアクリル同様、重ね塗りができるので僕はアクリルで描くのと同じ要領で色を付けていく。海と砂浜とお日様と彼女を僕はクレヨンで、僕らしく描いた。
彼女の負担を減らすために、まず大まかに絵を完成させる。
「もう大丈夫だよ」
彼女は固めていた体を動かし、伸びをした。
「はー、モデルって結構大変なんだね」
僕はその後も絵を描き進めていく。彼女は完成まで絵を見たくないと言って完成するまで散歩に出かけた。一人になった僕は時間を忘れて絵を描いた。
数十分で終わらせようと思っていたのだけれど集中してしまい、結局小一時間もかかってしまった。
彼女を探しに僕は立ち上がる。少し歩くとテトラポットがあり、そこに彼女は座って、また日記を書いていた。
「終わったよ」
近づきながら言うと、彼女は顔を上げ、日記を閉じ笑顔で僕に駆け寄ってきた。
「見せて見せて」
僕はスケッチブックを彼女に渡す。
「うわー!めっちゃいいじゃん!すごい!私もすごい似てる!秋桜くん天才なんだね!」
「褒めすぎだよ。モデルがよかったのかな?」
「うわ!なにいまの!ださー」
彼女に茶化され少しムっとするが、彼女がうはははっと笑うので僕もだんだん可笑しくなりつられて笑った。
「一生大事にするね!」
「大げさだって」
それから僕と彼女はテトラポットに腰掛けて、海にお日様が沈んでいくのを眺めていた。
「・・・シチリアに行きたいなぁ」
彼女は夕日の光を浴びながらそう言った。
僕は一瞬ドキリとしたがあの夜のことは忘れて何でもないように彼女の呟きに答えた。
「一緒に行こうよ」
なぜ行きたいかっという理由は聞かないで。
彼女がこちらを見たのが目尻で見えた。
僕は前を向いたまま。
数秒、視線を感じていると「うん、行く!」と彼女の溌剌とした声が飛んできた。
僕らは海を見つめ隣の彼女は鼻歌を歌った。
「それなんの歌だっけ?」
「夜休みの羊の『砂浜』だよ!今年のライブのアンコールで歌ってたんだ~。そうだ!今度一緒にコンサート観に行こうよ!」
その日、僕は、シチリアに行くこととコンサートを観に行くことを約束した。そして、お日様が消えて一番星が顔を出すまで僕らは海を眺めていた。
すっかり遅くなってしまい、急いで電車に飛び乗った。
行きと同じく、四回電車を乗り換え地元に帰ってきた。
駅に着きそれぞれの道に進もうとした時、彼女が僕に質問してきた。
「秋桜くんの誕生日はいつなの?」
僕は誕生日を彼女に教える。
「そっか!ありがとう」
彼女は携帯にメモし「じゃ、またね」と手を振り僕とは反対方向に歩いて行った。
僕も自分の家路に着いた。
家に帰ると家族はすでに寝ており静かだった。
台所に行くと、焼うどんがラップに包まれておいてあった。僕はそれを電子レンジで温め、静まり返った台所で立ったままそれを食べた。さくっとシャワーを浴び自室にこもる。すぐにベッドに横になり目を閉じた。
あれから、死にたい気持ちになる時はあるが、あの日のように行動に移すことはしていない。
波のようなものだ。死にたくなったり、もう少し生きてみようと思ったり。
そんなこと考えなかったり。
そんな日々の連続だ。
自殺は衝動的なものなんだと思う。
こういう風に、波のようになっている人は、ある日突然何かを引き金に衝動的に自殺してしまう。
あの日、彼女が屋上に現れなかったら、僕は今ここにいないだろう。
あの日、死ななくてよかったかどうか僕はわからない。
死ぬことはいつでもできる。また死にたくなったら死ねばいい。
今は、何となく生きている。
小さな幸せと小さな不幸せを日々感じながら生きている。
僕はもう少し彼女との日常を過ごしたいと思い始めていた。音楽を聴いてや絵を描いているときに、もう少し生きてみるかと思うことはあったが誰かのために生きようと思ったのはこれが初めてだ。
僕は、彼女が僕に付きまとわなくなるまで生きようと思った。
そんなことを思うのだから少なからず僕は彼女に対して特別な感情を抱きつつあったんだと思う。
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