恋するソクラテス
僕は確かめたかった。いや、否定してほしかったのかもしれない。
「これは冗談だよね?」
彼女は優しく首を左右に振った。
「本当だよ。ちょっと外出よ」
彼女はジュースをのせたおぼを勉強机に置き「はい」と両手を僕に差し出した。
「・・あ、ああ」
僕は彼女に日記を渡した。
僕らはそのまま外に出た。黙って彼女についていく。
少し山を登り僕らは『羊山公園』に着いた。
夜景のスポットのベンチに腰掛ける。まだ夕方なので夜景ではなく夕日が僕らを包んだ。
座っても黙ったままの彼女。しびれを切らして僕が口を開こうとした時に彼女が口火を切った。
「私、もうすぐ死んじゃうんだ~」
おどける彼女だったがその目はどこか寂しく、すこし苦しそうだった。
「一ページ目に書いてあった内容って・・・」
「去年の秋。だから、もうすぐ一年かな」
「ってことは」
「そうだよ、本当にもうすぐ死んじゃうのよ、あはは」
彼女の笑いは乾いていた。
「どんな病気なの?」
訊いていいものか迷ったけど、訊いてしまった。
「・・・脳の病気」
「脳・・・・」
「冗談だと思ってる~?」
彼女はくすくすと笑った。その笑顔は苦しそうではなかった。
「学校をちょくちょく休んだりしたのは?」
「そう、通院のためだよ」
なるほど。そういうことか。
「クラスの友達とかには?」
「話してないよ!話したところで何も変わらない。それよりも同情を向けられるのが嫌なんだ」
「・・・そっか」
「そんな辛気臭い顔しないでよ!私が死んでも秋桜くんは生きてね」
冗談っぽく聞こえるように言ったのはきっと彼女なりの優しさなんだと思う。
それから彼女は黙った。僕も黙った。空の色と街の風景だけが変わっていく。終始無言だったけれど気まずくはなかった。
「さむ!」
少し寒い風が横切り彼女が声をあげた。
「帰ろうか」
僕は先に立ちあがり言った。
「そうだね!てか、私の家でご飯食べていきなよ!」
彼女は思い立ったように発言する。
「異性の親に会うのは緊張するし・・・」
「今日、ママ、夜勤だからうちいないよ!レコードも聴いてないし!」
僕はしぶしぶ頷き彼女の家に戻った。
僕はあと何回彼女に付き合えるのだろうか。
僕は急にいろいろなことを不安に思った。
家に戻り、また律儀に手洗いうがいを済ませ、今度はリビング兼キッチンに通された。
彼女はさっそくキッチンにて食材を並べ始めた。
「なにか手伝おうか?」
「のんのん!座ってて!テレビでも見てて!」
僕はテーブルに四つ置いてある一つに座りキッチンへ目を向ける。
彼女はキッチンに立ち、やや大きめの鍋に水を張り、それを火にかけていた。
まさか、カップラーメンじゃないだろうな。
すると、何やら細長い袋を手に持ちそれを開封する。どうやら、パスタのようだ。
適当にパスタの麺を鍋に入れた。
次に、フライパンを用意し、野菜室から小松菜、棚から鷹の爪を取り出した。
どちらも、適当な量を、油が引いてあるフライパンにぶち込んだ。
なるほど、ペペロンチーノを作っているみたいだ。
パスタの柔らかさを確認しつつ、フライパンの中身を炒めていく彼女。割と、様になっている。
ひとしきり、その様子を見守っていると、鍋の火を止め、流しに鍋を持っていき麺をざるに移していく。そして、麺の水を軽くきり素早く、フライパンに入れた。手際よく炒め、それを皿に移す。
あっという間に、ペペロンチーノが完成した。
「はい、どうぞ~。お手製ペペロンチーノ!」
「お~、美味しそうだね」
「多分、まずいよ~」
「自信ないね。いただきます」
僕は、適量の麺をフォークに絡め、口に運ぶ。
うん、悪くない。
いや、普通に美味しい。
僕はそれをそのまま口にだす。
「うん!美味しいよ!」
僕の方を見ていた、彼女が一瞬、泣きそうな表情を見せた気がした。
しかし、一瞬だったため気のせいかもしれない。
と思っているうちに、彼女の表情はいつもの笑顔に戻っていた。
「え~!うれし!」
これまた、まぬけそうな声と共に飛んできた彼女の返し。
それから僕は、半分を彼女にお裾分けをした。
彼女もペペロンチーノを口運び「うわ!美味し!私天才かも」などと自画自賛していた。
僕はそれをみて勝手に口角が上がってしまっていた。そのあと、談笑しながらペペロンチーノを食べ、二人並んで洗い物をした。
「じゃ、お待ちかね、レコードを聴こう!」
彼女の部屋に再び赴き、床に座る。
彼女はレコードが並ぶ棚から一つを手に取り、レコードを取り出した。
針を落とし、プチプチという音が鳴った後『夜休みの羊』の『青い春』という曲のイントロが流れ始めた。
確かに、サブスクで聴く音と異なり、レコードならではの音がした。表現しづらいのだけれど、なんていうか、すーっと耳ではなく心に入ってくる、そんな感じがした。
彼女もベッドに腰掛け、黙って耳を傾けていた。
「レコードっていいね」
A面を聴き終え素直に感想を述べる。
「でっしょ!秋桜くんならわかってくれると思っていたよ」
彼女はにこっと笑った。それを見て僕も自然と口角が上がる。
この時、初めて彼女を失ってしまうという不安が覆いかぶさってきた。
僕は無理やりそれを払拭した。
僕らはその後も、レコードを聴いた。
二人だけの空間で、二人だけの夜に、レコードの世界だけが広がっていた。
その世界には、病気という悪魔も、自殺という文字もなかった。
ただ安らかだった。
僕は日付が変わるギリギリまで、彼女とレコードを楽しんだ。
「なんか遅くまで付き合わせちゃってごめんね」
「いや、こっちこそ、遅くまでお邪魔しちゃってごめん」
僕は玄関の扉を開けようとして、振り返った。
彼女はきょとんとしていた。
「ん?どうかした?」
「これからも、もしよかったら付き合わせてほしい」
言っておきたかった。
それと、もっと一緒にいたいと思った。
彼女はきょとんとした顔から、笑顔に一変させて、言った。
「わかった!付き合わせる!」
今度こそ僕は振り返り、彼女の家をあとにした。
帰り道、彼女の言葉が頭で反芻していた。
僕の自殺を止めた時の言葉「死にたくなる時もあるけどさ、もう少し生きてみない?せっかく健康に生まれたんだしさ、もったいないよ」
カラオケで僕に放った言葉「十分じゃん!なんで未来のことを勝手に決めつけてマイナスに考えてるの?甘いよ!甘い!健康ならいいじゃん。勝手に不自由にしてるだけじゃん。健康なら自由に好きなように生きればいいじゃん!健康だけで・・・じゅうぶんじゃん」
そうか。そういうことだったのか。
こんな形で伏線が回収されるとは。
イヤホンを取り出し、耳にはめる。
スマホを操作し、曲を再生する。
『一番星』
夜休みの羊を聴くことで、僕らのどこかにある共通した心を共有している気分になれた。
空を見上げて、一番星を探す。
もしかしたら、彼女も自分の部屋から、レコードを聴いているかもしれない。
彼女はあと何回星を見ることができるのだろうか。
しかし、その後、僕と彼女が学校で会うことはなった。
「これは冗談だよね?」
彼女は優しく首を左右に振った。
「本当だよ。ちょっと外出よ」
彼女はジュースをのせたおぼを勉強机に置き「はい」と両手を僕に差し出した。
「・・あ、ああ」
僕は彼女に日記を渡した。
僕らはそのまま外に出た。黙って彼女についていく。
少し山を登り僕らは『羊山公園』に着いた。
夜景のスポットのベンチに腰掛ける。まだ夕方なので夜景ではなく夕日が僕らを包んだ。
座っても黙ったままの彼女。しびれを切らして僕が口を開こうとした時に彼女が口火を切った。
「私、もうすぐ死んじゃうんだ~」
おどける彼女だったがその目はどこか寂しく、すこし苦しそうだった。
「一ページ目に書いてあった内容って・・・」
「去年の秋。だから、もうすぐ一年かな」
「ってことは」
「そうだよ、本当にもうすぐ死んじゃうのよ、あはは」
彼女の笑いは乾いていた。
「どんな病気なの?」
訊いていいものか迷ったけど、訊いてしまった。
「・・・脳の病気」
「脳・・・・」
「冗談だと思ってる~?」
彼女はくすくすと笑った。その笑顔は苦しそうではなかった。
「学校をちょくちょく休んだりしたのは?」
「そう、通院のためだよ」
なるほど。そういうことか。
「クラスの友達とかには?」
「話してないよ!話したところで何も変わらない。それよりも同情を向けられるのが嫌なんだ」
「・・・そっか」
「そんな辛気臭い顔しないでよ!私が死んでも秋桜くんは生きてね」
冗談っぽく聞こえるように言ったのはきっと彼女なりの優しさなんだと思う。
それから彼女は黙った。僕も黙った。空の色と街の風景だけが変わっていく。終始無言だったけれど気まずくはなかった。
「さむ!」
少し寒い風が横切り彼女が声をあげた。
「帰ろうか」
僕は先に立ちあがり言った。
「そうだね!てか、私の家でご飯食べていきなよ!」
彼女は思い立ったように発言する。
「異性の親に会うのは緊張するし・・・」
「今日、ママ、夜勤だからうちいないよ!レコードも聴いてないし!」
僕はしぶしぶ頷き彼女の家に戻った。
僕はあと何回彼女に付き合えるのだろうか。
僕は急にいろいろなことを不安に思った。
家に戻り、また律儀に手洗いうがいを済ませ、今度はリビング兼キッチンに通された。
彼女はさっそくキッチンにて食材を並べ始めた。
「なにか手伝おうか?」
「のんのん!座ってて!テレビでも見てて!」
僕はテーブルに四つ置いてある一つに座りキッチンへ目を向ける。
彼女はキッチンに立ち、やや大きめの鍋に水を張り、それを火にかけていた。
まさか、カップラーメンじゃないだろうな。
すると、何やら細長い袋を手に持ちそれを開封する。どうやら、パスタのようだ。
適当にパスタの麺を鍋に入れた。
次に、フライパンを用意し、野菜室から小松菜、棚から鷹の爪を取り出した。
どちらも、適当な量を、油が引いてあるフライパンにぶち込んだ。
なるほど、ペペロンチーノを作っているみたいだ。
パスタの柔らかさを確認しつつ、フライパンの中身を炒めていく彼女。割と、様になっている。
ひとしきり、その様子を見守っていると、鍋の火を止め、流しに鍋を持っていき麺をざるに移していく。そして、麺の水を軽くきり素早く、フライパンに入れた。手際よく炒め、それを皿に移す。
あっという間に、ペペロンチーノが完成した。
「はい、どうぞ~。お手製ペペロンチーノ!」
「お~、美味しそうだね」
「多分、まずいよ~」
「自信ないね。いただきます」
僕は、適量の麺をフォークに絡め、口に運ぶ。
うん、悪くない。
いや、普通に美味しい。
僕はそれをそのまま口にだす。
「うん!美味しいよ!」
僕の方を見ていた、彼女が一瞬、泣きそうな表情を見せた気がした。
しかし、一瞬だったため気のせいかもしれない。
と思っているうちに、彼女の表情はいつもの笑顔に戻っていた。
「え~!うれし!」
これまた、まぬけそうな声と共に飛んできた彼女の返し。
それから僕は、半分を彼女にお裾分けをした。
彼女もペペロンチーノを口運び「うわ!美味し!私天才かも」などと自画自賛していた。
僕はそれをみて勝手に口角が上がってしまっていた。そのあと、談笑しながらペペロンチーノを食べ、二人並んで洗い物をした。
「じゃ、お待ちかね、レコードを聴こう!」
彼女の部屋に再び赴き、床に座る。
彼女はレコードが並ぶ棚から一つを手に取り、レコードを取り出した。
針を落とし、プチプチという音が鳴った後『夜休みの羊』の『青い春』という曲のイントロが流れ始めた。
確かに、サブスクで聴く音と異なり、レコードならではの音がした。表現しづらいのだけれど、なんていうか、すーっと耳ではなく心に入ってくる、そんな感じがした。
彼女もベッドに腰掛け、黙って耳を傾けていた。
「レコードっていいね」
A面を聴き終え素直に感想を述べる。
「でっしょ!秋桜くんならわかってくれると思っていたよ」
彼女はにこっと笑った。それを見て僕も自然と口角が上がる。
この時、初めて彼女を失ってしまうという不安が覆いかぶさってきた。
僕は無理やりそれを払拭した。
僕らはその後も、レコードを聴いた。
二人だけの空間で、二人だけの夜に、レコードの世界だけが広がっていた。
その世界には、病気という悪魔も、自殺という文字もなかった。
ただ安らかだった。
僕は日付が変わるギリギリまで、彼女とレコードを楽しんだ。
「なんか遅くまで付き合わせちゃってごめんね」
「いや、こっちこそ、遅くまでお邪魔しちゃってごめん」
僕は玄関の扉を開けようとして、振り返った。
彼女はきょとんとしていた。
「ん?どうかした?」
「これからも、もしよかったら付き合わせてほしい」
言っておきたかった。
それと、もっと一緒にいたいと思った。
彼女はきょとんとした顔から、笑顔に一変させて、言った。
「わかった!付き合わせる!」
今度こそ僕は振り返り、彼女の家をあとにした。
帰り道、彼女の言葉が頭で反芻していた。
僕の自殺を止めた時の言葉「死にたくなる時もあるけどさ、もう少し生きてみない?せっかく健康に生まれたんだしさ、もったいないよ」
カラオケで僕に放った言葉「十分じゃん!なんで未来のことを勝手に決めつけてマイナスに考えてるの?甘いよ!甘い!健康ならいいじゃん。勝手に不自由にしてるだけじゃん。健康なら自由に好きなように生きればいいじゃん!健康だけで・・・じゅうぶんじゃん」
そうか。そういうことだったのか。
こんな形で伏線が回収されるとは。
イヤホンを取り出し、耳にはめる。
スマホを操作し、曲を再生する。
『一番星』
夜休みの羊を聴くことで、僕らのどこかにある共通した心を共有している気分になれた。
空を見上げて、一番星を探す。
もしかしたら、彼女も自分の部屋から、レコードを聴いているかもしれない。
彼女はあと何回星を見ることができるのだろうか。
しかし、その後、僕と彼女が学校で会うことはなった。