【Guilty secret】
32.ココアパウダーはひとりで
 小山真紀は渋谷区千駄ヶ谷四丁目の十階建てマンションを見上げた。マンションの北方向には首都高速と都道414号線が走り、他には明治通りと山手線の線路もすぐ近くにある交通量の多い地帯だ。

「今さら驚かないけど、相変わらず一輝の情報網は凄いわ。普通、警察でもないのに名前と勤務先だけで住所まで割り出せる?」
『ふふん。そこはエスパー矢野くんだからね』

真紀の隣で矢野一輝は得意気に人差し指を左右に振った。

『赤木の部屋は804』
「804ね」

 オートロックの呼び出しボタンで804号室の部屋番号を押したが、しばらく待っても応答はなかった。

『日曜の15時だからなぁ。どっか出掛けてるのかもな。どうする?』
「令状もないから踏み込めないし……。留守なら夜にまた出直すか、明日職場に行ってみるか……」

 真紀は不在の予感が漂う804号室のメールボックスを見た。十階まで全室の部屋番号が並ぶメールボックスは銀色の冷たい光を放っていて、その無機質な集合体をずっと見ていると不気味な生き物にも見えてくる。

 早河と矢野が接触した記者の西崎沙耶の証言で姿を現した10年前の共犯者。矢野が掴んだ情報によれば、共犯者と目されている赤木奏はこのマンションの804号室に所在している。

赤木が10年前に佐久間芽依と共謀して佐久間夫妻を殺害した犯人ならば、決定的な物証が出れば赤木を逮捕できる。

『……真紀。こっちに人が来る』

 矢野がオートロックの硝子扉で仕切られた向こう側を指差した。大きなゴミ袋を抱えた初老の男がオートロックの扉を通って歩いてくる。

男はぶつぶつと独り言を言いながら804号室のメールボックスを開けていた。
804号室は赤木奏の部屋のはずだが、赤木の年齢は三十代と聞いている。この男が赤木本人ではないのは一目瞭然だった。

「失礼ですが、赤木さんのお知り合いですか?」
『違いますよ。ここの管理人です』

 管理人と名乗った男は、804のメールボックスからダイレクトメールや広告を出してゴミ袋に雑に押し込んだ。そして持っていたガムテープで804のメールボックスの投入口を塞いでしまった。

「管理人さんでしたか。804号室は赤木奏さんのご自宅ですよね?」

 彼女は警察手帳を掲げた。警察手帳を目にした管理人は目を丸くして、それまでの乱雑な態度を改めて縮こまる。

『えっと……そうです。赤木さんの部屋です。でもあの人引っ越すんですよ』
「引っ越す? いつ?」
『いつと聞かれても……私も昨日聞いたばかりで本当に突然だったんですよ。急に引っ越すことになって、家具や荷物は持っていかないから、うちの方で処分をお願いしますって。来月分の家賃や家具の処分費用も口座に振り込んであるから敷金礼金と合わせてそれで処理してくれと頼まれましてね。鍵も昨日返却してきましたよ。ここに戻る気はないみたいですね』

真紀と矢野は顔を見合わせた。真紀達が赤木に辿り着いた矢先の部屋の退去……タイミングが良すぎる。
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