【Guilty secret】
33.夜明けのシンデレラ
午後5時。羽田空港の国際線ターミナル三階出発ロビーのソファーに二人の男が座っている。
『このパスポート、よく出来ていますね。本物と見分けがつかない』
赤木は赤木奏の名義ではないパスポートを開いて、そこに写る自分の顔写真と偽の名前をまじまじと眺めた。空港に向かう車内で佐藤から渡された偽物のパスポートだ。
『サトウさんもパスポートの名前はサトウではありませんでしたね』
『俺はいくつも名前がある。サトウもそのひとつだ』
佐藤は腕時計で時間を確認した。セキュリティ審査に向かう時間だ。彼はパスポートを持つ赤木の右手の甲を一瞥する。
『気になっていたんだが、その火傷……今の医療技術ならば痕を消せるだろ。なぜ消さない?』
『これは十字架です。……親殺しの』
感情のない暗い瞳が火傷の痕を見下ろしている。昔の佐藤瞬と同じ、絶望を抱えた瞳だった。
『お前の過去は調べてある。8歳の時に家が火事で焼けたそうだな』
『父親はその火事で死にました。火事の原因は父の煙草の不始末……とされています』
『火事はお前がやったのか』
赤木は頷いた。二人は機内持ち込み用の手荷物を持って立ち上がり、セキュリティ審査に向かう道すがらに赤木が過去を語る。
『定職に就かずに暴力を振るう父に堪えきれなくなった母は、俺が7つの時に家を出ました。それからは毎日、父の憂さ晴らしの道具は俺になった』
『お前の場合は芽依とは違って、“見える虐待”だったわけか』
『そうです。だから8歳の冬、父と一緒に死のうと思った。別に生きていたくもなかったから、死んでもいいって本気で思っていたんですよ。父は酔っぱらって寝入ってた。煙草の不始末に見せかけて火事を起こして二人とも焼け死ねば、苦しみから解放される……。なのに俺だけがこの火傷の痕を残して生き残った』
彼は右手の甲を顔の高さまで掲げた。この火傷は父親を殺した男の消えない十字架。
『火事で死んだのは父だけじゃない。同じアパートの隣の部屋にいた住人も巻き込まれて死にました。父と自分だけが死ぬつもりだったのに、無関係な人まで殺した。俺は8歳ですでに人を殺してる。だから芽依の親を殺すことだって戸惑いはなかった』
保安検査場の前で立ち止まる赤木と佐藤。赤木は自分と同程度の背丈の佐藤に顔を向けた。
『俺もサトウさんに聞きたいことがあります』
『なんだ?』
『あなたが守っている“その人”とは、二度と会わないつもりですか?』
佐藤の眼鏡の奥の瞳は遠くを見ている。この男は時たま、こうしてここではない遠くを見つめる眼差しをする。
二度と会わないと決めた大切な人の顔を、思い出しているのかもしれない。
『……その人の母親と約束したんだ。あの子が大人になるまでは待ってくれと。今はまだ彼女と会う時じゃない』
『じゃあ、もしもその時になったら……?』
赤木の質問に佐藤は無言の微笑で答えた。
いつか訪れるその時が“いつ”になるか、今はまだ誰にもわからない。
『このパスポート、よく出来ていますね。本物と見分けがつかない』
赤木は赤木奏の名義ではないパスポートを開いて、そこに写る自分の顔写真と偽の名前をまじまじと眺めた。空港に向かう車内で佐藤から渡された偽物のパスポートだ。
『サトウさんもパスポートの名前はサトウではありませんでしたね』
『俺はいくつも名前がある。サトウもそのひとつだ』
佐藤は腕時計で時間を確認した。セキュリティ審査に向かう時間だ。彼はパスポートを持つ赤木の右手の甲を一瞥する。
『気になっていたんだが、その火傷……今の医療技術ならば痕を消せるだろ。なぜ消さない?』
『これは十字架です。……親殺しの』
感情のない暗い瞳が火傷の痕を見下ろしている。昔の佐藤瞬と同じ、絶望を抱えた瞳だった。
『お前の過去は調べてある。8歳の時に家が火事で焼けたそうだな』
『父親はその火事で死にました。火事の原因は父の煙草の不始末……とされています』
『火事はお前がやったのか』
赤木は頷いた。二人は機内持ち込み用の手荷物を持って立ち上がり、セキュリティ審査に向かう道すがらに赤木が過去を語る。
『定職に就かずに暴力を振るう父に堪えきれなくなった母は、俺が7つの時に家を出ました。それからは毎日、父の憂さ晴らしの道具は俺になった』
『お前の場合は芽依とは違って、“見える虐待”だったわけか』
『そうです。だから8歳の冬、父と一緒に死のうと思った。別に生きていたくもなかったから、死んでもいいって本気で思っていたんですよ。父は酔っぱらって寝入ってた。煙草の不始末に見せかけて火事を起こして二人とも焼け死ねば、苦しみから解放される……。なのに俺だけがこの火傷の痕を残して生き残った』
彼は右手の甲を顔の高さまで掲げた。この火傷は父親を殺した男の消えない十字架。
『火事で死んだのは父だけじゃない。同じアパートの隣の部屋にいた住人も巻き込まれて死にました。父と自分だけが死ぬつもりだったのに、無関係な人まで殺した。俺は8歳ですでに人を殺してる。だから芽依の親を殺すことだって戸惑いはなかった』
保安検査場の前で立ち止まる赤木と佐藤。赤木は自分と同程度の背丈の佐藤に顔を向けた。
『俺もサトウさんに聞きたいことがあります』
『なんだ?』
『あなたが守っている“その人”とは、二度と会わないつもりですか?』
佐藤の眼鏡の奥の瞳は遠くを見ている。この男は時たま、こうしてここではない遠くを見つめる眼差しをする。
二度と会わないと決めた大切な人の顔を、思い出しているのかもしれない。
『……その人の母親と約束したんだ。あの子が大人になるまでは待ってくれと。今はまだ彼女と会う時じゃない』
『じゃあ、もしもその時になったら……?』
赤木の質問に佐藤は無言の微笑で答えた。
いつか訪れるその時が“いつ”になるか、今はまだ誰にもわからない。