【Guilty secret】
 三軒茶屋駅を発車した電車が用賀《ようが》駅に到着した。用賀駅は芽依の自宅の最寄り駅だ。

駅から自転車で10分の場所に芽依の家がある。緩い坂道の下り坂でわざと自転車のペダルから足を離した。すううっと坂を下る感覚が気持ちいい。

 坂を下って閑静な住宅街に入る。建て売りの似たり寄ったりの住宅が並ぶ中で、純和風のその平屋は目立つ。

清宮の表札がかかる門扉を開けて中に入った。玄関を入ると廊下の奥のすり硝子の扉が開いて婦人が顔を覗かせる。

「“お母さん”ただいま」
「芽依ちゃん。お帰りなさい」

 優しい雰囲気の中年の婦人は笑顔で芽依を出迎えた。芽依は家の中に漂う煮物の香りに鼻を動かす。

「今日のお夕御飯、肉じゃが作った?」
「そうよ。余ってるから明日の芽依ちゃんのお弁当に入れてあげるね」
「やった! 二日目の肉じゃがってお芋がふにゃふにゃになってて美味しいんだよね。“お父さん”、ただいまー」

居間では芽依の父が眉間にシワを寄せてジグソーパズルを作っている。ジグソーパズルは彼の趣味だ。

『お帰り。芽依、ちょっと手伝ってくれ』
「えー、今度は何の絵? ルノワール?」

パズルセットの箱に描かれた絵はルノワールの“読書する女”。父のパズルを手伝う芽依に母が温かいほうじ茶をくれた。

 この平屋の家も、母の肉じゃがの味も、父のジグソーパズルの趣味も、芽依は11歳の時に知った。

10歳までの“清宮芽依”はこの場所には居なかった。10年前の彼女は“清宮芽依”ですらなかった。

「お風呂温かくしてあるから入りなさい」
「はぁーい」

 優しい母と優しい父。そうだ、これこそが彼女の家族だ。
彼女が“清宮芽依”でいる限り、この幸せは崩れない。
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