【Guilty secret】
 沙耶の追及を逃れた芽依は渋谷駅から乗り込んだ電車で三軒茶屋に出た。
今日はバイトは休みの日で三軒茶屋に用はないのに、気付いた時には三軒茶屋駅で電車を降りていた。

赤木の職場は三軒茶屋にある。この街のどこかに赤木がいる。そう思うと自然とここに足が向いていた。

 世田谷通り沿いのカフェに入って窓際の席に落ち着く。三軒茶屋の街は茜色に染まっていた。

(バカだな私。また赤木さんに会えても10年前の約束があるから知らないフリしなくちゃいけないのに)

10年前の約束。互いにどこかで会っても知らないフリをする、そして全部忘れること。

「忘れる? ……何を?」

 芽依はたった今初めて気付いた疑問に戸惑い、思わず声に出して呟いた。『全部忘れること』10年前の夕暮れの約束の時に赤木が言ったもうひとつの約束。

 忘れる? 親を殺されたことを忘れろと言う意味?
それとも赤木のことを忘れろと?

違う。もっと何か、もっと暗くドロドロとしたものを“忘れる”こと。

ワスレロ、オモイダスナ……!!
心のサイレンが鳴り響いて心臓が悲鳴を上げた。


 赤い、赤い、すべてが赤色
 赤く染まった人形がふたつ

 赤い赤い、水溜まり
 その中に沈む、ふたつの人形

 苦悶に歪む、ふたつの顔
 小さな小さな、もみじの手形


コレイジョウ、オモイダスナ
ワスレロ、ワスレロ、ワスレロ……!


「お客様どうされました?」

 芽依の異変に気付いたカフェの店員が彼女に声をかける。
芽依は息切れしながら店員に顔を向けた。急激に酸素がなくなったみたいに息苦しい。

「大丈夫です……」

それだけを言うのが精一杯でまた顔を伏せた。甦る赤い記憶。あれは何度か夢で見た映像と同じだった。

オモイダスナ、ワスレロ
オモイダスナ、ワスレロ

 不穏なサイレンがうるさく鳴り響く。それは危険信号の合図。
大丈夫、まだ思い出してはいない。
まだ、彼女は思い出してはいけない。

 中身が半分以上あるカフェオレを席に残して芽依はカフェを出た。頼りない足取りで三軒茶屋の街を彷徨う。
夕暮れの赤色から紫色に変化する空の下を行く当てもなく歩いた。

何もわからない。何も考えられない。
ただひとつわかったことは、あの赤い夢は10年前の両親が死ぬ瞬間の記憶だ。自分は両親が死ぬ瞬間をすぐ近くで見ていたのだ。

 頭がぼうっとする。気持ちも悪い。苦しい。息ができない。
赤い記憶の片隅で流れる物悲しい童謡が10年前の赤木奏と芽依の歌声で再生された。
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