【Guilty secret】
27.暗躍する者
三軒茶屋の街の路肩に停めた車には佐藤瞬が乗っている。
佐藤は耳につけたイヤホンを外した。イヤホンからは女のすすり泣きしか聞こえない。
運転席にいる日浦もイヤホンを外した。二人が装着していたイヤホンからは、先ほどまで早河と沙耶の会話が流れていたのだ。
沙耶がデザイン事務所Fireworksを訪問する直前に立ち寄ったファーストフード店で、日浦が沙耶のバッグに盗聴器を仕掛けた。
沙耶と赤木の会話も、沙耶と早河の会話も盗聴器を通して佐藤と日浦の耳に届いていた。
『ボス。これからどうします?』
日浦はミラー越しに後部座席にいる佐藤の様子を窺う。佐藤は黙考したまま手元のイヤホンを弄んでいた。
『話に出てきた10年前に10歳だった娘が、今は美月の大学の後輩ってことか』
『美月さんがずいぶん可愛がっているようです』
『万が一、捜査の手が芽依に及べば美月が悲しむだろうなぁ……』
佐藤の行動理念はいつも浅丘美月だ。日浦が佐藤の部下になって数年、佐藤が片時も美月を忘れた日はないことを、日浦は知っている。
『まず男を調べる。早河よりも先に赤木に辿り着け』
日浦に命じた佐藤は闇が近付く三軒茶屋の街を車窓から眺めた。
『日本は変わらないな。騒々しさも空気も相変わらずだ』
『そりゃあ今さら変わりませんよ。ボスがいるあちらの国に比べれば、日本はこれ以上の発展はないでしょう。特に東京は』
答えた日浦は膝に置いたノートパソコンのキーを叩く。佐藤は微笑して日浦がファーストフード店で購入してきたローストビーフサンドイッチをつまんだ。
久しく食べる日本のファーストフードの味はどこにでもあるようでどこにもない、彼が日本に置いてきた過去を思い起こさせる味だった。
*
訪ねてきた女記者との面会を終えて戻ってきた赤木奏は、無表情のマスクをつけていた。しかし彼がどれだけ無表情を装っていても詩織にはわかる。
また、あの瞳だ。
何の感情も感じさせない、だけどとても冷たくて暗い瞳。赤木はごく稀にあの冷たい瞳を見せることがある。
彼はなに食わぬ顔でやりかけの仕事に没頭していた。
(奏……何があったの? 私に何を隠しているの?)
赤木と交際を始めて1年になるのに彼のすべてを詩織は知らない。
たとえば家族の話。赤木が子どもの頃に家が火事に遭い、ただひとり生き残った赤木も右手の甲に消えない火傷の痕を負った。
その後は祖母に育てられたらしいが、彼から聞いた家族の話はそれだけ。火事で亡くなった親がどんな人だったのかは話してくれなかった。
好きな人のことは全部知りたい。だけど知ってはいけないこと、知らない方がいい事実が存在することも、それなりに“大人”としてやってきた詩織はわかっている。
聞きたい、でも聞けない。赤木は何か底知れぬ闇を抱えている。
彼の闇を知ってしまえば、きっと後戻りはできない。
定時が過ぎて社員達が帰宅を始めている。フロアにお疲れ様とお先に失礼しますの挨拶が飛び交う中で、赤木も席を立った。
『先帰るから』
「あ……うん。お疲れ様」
『お疲れ』
赤木は詩織を一瞥しただけで、他の社員にも挨拶をして先に事務所を出ていった。冷たく暗い瞳は最後まで戻らなかった。
何かが崩れていく。不穏なサイレンを鳴らし、いびつな影を形作って。
少しずつ、崩れていく……。
佐藤は耳につけたイヤホンを外した。イヤホンからは女のすすり泣きしか聞こえない。
運転席にいる日浦もイヤホンを外した。二人が装着していたイヤホンからは、先ほどまで早河と沙耶の会話が流れていたのだ。
沙耶がデザイン事務所Fireworksを訪問する直前に立ち寄ったファーストフード店で、日浦が沙耶のバッグに盗聴器を仕掛けた。
沙耶と赤木の会話も、沙耶と早河の会話も盗聴器を通して佐藤と日浦の耳に届いていた。
『ボス。これからどうします?』
日浦はミラー越しに後部座席にいる佐藤の様子を窺う。佐藤は黙考したまま手元のイヤホンを弄んでいた。
『話に出てきた10年前に10歳だった娘が、今は美月の大学の後輩ってことか』
『美月さんがずいぶん可愛がっているようです』
『万が一、捜査の手が芽依に及べば美月が悲しむだろうなぁ……』
佐藤の行動理念はいつも浅丘美月だ。日浦が佐藤の部下になって数年、佐藤が片時も美月を忘れた日はないことを、日浦は知っている。
『まず男を調べる。早河よりも先に赤木に辿り着け』
日浦に命じた佐藤は闇が近付く三軒茶屋の街を車窓から眺めた。
『日本は変わらないな。騒々しさも空気も相変わらずだ』
『そりゃあ今さら変わりませんよ。ボスがいるあちらの国に比べれば、日本はこれ以上の発展はないでしょう。特に東京は』
答えた日浦は膝に置いたノートパソコンのキーを叩く。佐藤は微笑して日浦がファーストフード店で購入してきたローストビーフサンドイッチをつまんだ。
久しく食べる日本のファーストフードの味はどこにでもあるようでどこにもない、彼が日本に置いてきた過去を思い起こさせる味だった。
*
訪ねてきた女記者との面会を終えて戻ってきた赤木奏は、無表情のマスクをつけていた。しかし彼がどれだけ無表情を装っていても詩織にはわかる。
また、あの瞳だ。
何の感情も感じさせない、だけどとても冷たくて暗い瞳。赤木はごく稀にあの冷たい瞳を見せることがある。
彼はなに食わぬ顔でやりかけの仕事に没頭していた。
(奏……何があったの? 私に何を隠しているの?)
赤木と交際を始めて1年になるのに彼のすべてを詩織は知らない。
たとえば家族の話。赤木が子どもの頃に家が火事に遭い、ただひとり生き残った赤木も右手の甲に消えない火傷の痕を負った。
その後は祖母に育てられたらしいが、彼から聞いた家族の話はそれだけ。火事で亡くなった親がどんな人だったのかは話してくれなかった。
好きな人のことは全部知りたい。だけど知ってはいけないこと、知らない方がいい事実が存在することも、それなりに“大人”としてやってきた詩織はわかっている。
聞きたい、でも聞けない。赤木は何か底知れぬ闇を抱えている。
彼の闇を知ってしまえば、きっと後戻りはできない。
定時が過ぎて社員達が帰宅を始めている。フロアにお疲れ様とお先に失礼しますの挨拶が飛び交う中で、赤木も席を立った。
『先帰るから』
「あ……うん。お疲れ様」
『お疲れ』
赤木は詩織を一瞥しただけで、他の社員にも挨拶をして先に事務所を出ていった。冷たく暗い瞳は最後まで戻らなかった。
何かが崩れていく。不穏なサイレンを鳴らし、いびつな影を形作って。
少しずつ、崩れていく……。