王太子から婚約破棄されたおてんば公爵令嬢は魔王に溺愛される

 気づけばコーデリアは、エリオットとふたりで広々とした草原の上に立っていた。すぐそばにはモコモコとした毛の長い六つ足の魔獣たちがのんびりと草を食んでいる。遠くに見える特徴的な双子山脈はウィドリントン王国と魔国との境界線だ。ということは、ここは――ひやりと、コーデリアの胸のうちが冷える。

「我が国の領土だ」

 蒼白になるコーデリアの隣で、エリオットがにこやかに言った。
 コーデリアは驚きに口を開閉させる。

「な、な、なんでこんなところにっ……だって、さ、さっきは確かにっ……」
「これが魔法だ。魔族だけが許された技とでも言おうか」
「こ、これが……魔法の力……」

 一瞬で王都から魔族の地へ行くこともできるのか。馬車なんか必要ないではないかと、コーデリアは目の前の光景に見入っていた。図鑑でしか見たことのない魔獣がたくさんいる。魔族の村もあるようで、放牧民の姿も見えた。

「君の望む自由になるかい?」
「え……」

 きょとんとしてエリオットを仰ぐと、彼は見える範囲の端から端までを指で辿っていく。

「ここからここまですべて我らの領地となる。この広い世界で、何をしても君は許される」
「何をしても……」

 呆然と、だだっ広い領土を目にしてつぶやいた。
 草原のはるか向こうの丘の先には魔王の居城の尖塔がいくつか見える。おそらくあちらが都なのだろう。ウィドリントンから出たことのないコーデリアには未知の領域だが、好奇心がうずかなかったと言えば嘘になる。

(この広い場所でなら、私は自由に生きることができるのかしら……?)

 思い浮かんだ自問に、コーデリアは慌てて胸中で首を横に振った。自分がエインズワース公爵令嬢であることを思い出していたのだ。

「う、うちに帰してください! こんな誘拐まがいのこと皆が心配しますし、それに――」
「あの青年を愛しているのか?」

 エリオットの紫の瞳に射貫かれ、コーデリアはハッとなる。婚約することはずっと前から決まっていたことだったので、そこに疑問を持ったことがなかったからだ。
 コーデリアはいつの間にか苦笑していた。

「……わかりません。ただ身分があり、情勢があり、政治があるので、私は決められた道をいくしか選択肢がなかったのです。アドルフ殿下との結婚もそれにあたるのでしょう」

 コーデリアの言葉を一言一句記憶しようとするかのように、エリオットはジッと耳を傾けている。コーデリアの独白は続く。

「私がほしいのは、間違いなく“自由”ではあります。けれど責任を放棄するという意味ではないのです」
「ますます君が気に入ってしまったよ、コーデリア」

 え、と振り返ると、間近なところにエリオットがいた。キレイな顔で微笑んでいる。
 ドキドキ高鳴る胸を押さえつつ、コーデリアは距離を取った。

「ち、ち、近いです! 未婚の女性の隣に殿方がみだりに近づくものではありませんわ!」
「そういうものか?」
「そういうものです!」

 エリオットはややがっかりしたような表情になる。
 魔族とは常識が違うのだろうが、コーデリアの言葉にエリオットは素直に従ってくれた。
 お互いの間に距離ができると、それはそれで寂しいと思うのはなぜなのか、コーデリアにはわからない。ふるふると頭を犬のように振って、余計な思考を追い出そうとした。

「では今度は人間にならい、正式な招待状を送るとしよう」
「エリオットさま……?」

 エリオットは目をぱちぱちさせるコーデリアの手を取り、反対側の手でなんてことないようにパチンと指を鳴らす。
 するとふたりはコーデリアの本邸の屋敷の前に立っていた。

「え、え!?」

 混乱するコーデリアの手を恭しく掲げ、エリオットがいとおしそうにその甲に口づける。

「ひゃあっ!?」

 驚いてコーデリアが手を振りほどくと、エリオットはわずかに傷ついたような顔をする。
 その顔に、ズキンとコーデリアの胸が痛んだ。

(魔王とはいえ、殿方を傷つけてしまったわ。でもアドルフ殿下にもこんなことされたことないから……っ)
「ごめ――」
「また会おう、コーデリア」
「え?」

 謝罪の言葉を言い終わらないうちに、エリオットは再び風を巻いて去っていってしまう。残されたコーデリアは心配して玄関先に出てきたエミリーに声をかけられるまで、ぼうっとその場にたたずんでいたのであった。
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