王太子から婚約破棄されたおてんば公爵令嬢は魔王に溺愛される
⑨
「アドルフ殿下ぁ!」
ドレスをたくし上げて必死に走るコーデリアの目に、山道を越えていく大勢の軍隊が見えてくる。ちょうど休憩を取っているようで、各々が車座になって話し込んでいた。そんな中、アドルフの旗が中心で揺れているのを見つけてコーデリアは必死に叫ぶ。
「アドルフ殿下! お話があるのです!」
ぎょっとする兵士たちの間をくぐり抜け、驚きに瞠目するアドルフのもとにやってきた。
「コ、コーデリア!? いったいなんでこんなところにっ……」
「殿下を追ってやってきたのですっ」
ハアハアと肩で息を切らせながらも、コーデリアは早口に言葉を継ぐ。
「戦争を止めるためにきたのです! お願いです、お戻りください! 陛下の部隊も――」
「それはできない」
きっぱりと、それでいて明瞭にアドルフは言った。
「僕は君を手に入れるためならば、戦など怖くもなんともない。いまからそれを証明する」
「殿下! それが間違っておられるのです!」
アドルフのはっきりした物言いにも怖じけず、コーデリアは大声で言い返す。
周囲の兵士たちが何事かとざわめき始めた。コーデリアが公爵令嬢でアドルフの婚約者だったことは知っているので、皆が見守る態勢に入っている。そしてなぜ開戦するのか、ここにコーデリアが大きく関わってくるので、誰もふたりのやりとりを止める者はいなかった。
「戦は怖いものです。皆、怖いはずです。己の命を懸けて相手を殺めるなど、間違っているのです!」
「……コーデリア、君は魔王の手先にでもなったのか?」
アドルフの冷めた声音に、コーデリアがビクッとすくむ。
アドルフはコーデリアの前までゆっくりと近づいてくると、妖しい笑みを浮かべた。
「ここにくるまでにも白黒の魔獣にそう諭されたよ。しゃべる珍しい魔獣だったが、魔獣の分際で僕に指図したんだ。撃ち殺したが――」
「殿下……それは、それこそエリオットさまだったのです。あなたが目指す魔王の正体です」
「はあ?」
コーデリアの瞳に涙の膜が張られるも、アドルフはわけがわからないといった様子だ。
だからコーデリアはエリオットが魔獣に変身できることを明かし、ついいましがたその手当をしてきたのだと告げた。
するとアドルフの顔色がサッと変わる。
「君は魔王を助けたのか? なぜ? 僕の婚約者ではないか!」
「“だった”、“だった”のです。殿下……過去形です」
「どういう意味だ?」
「そのままです。殿下、私は何があっても、もうあなたとは結婚できません」
胡乱げな瞳を向けるアドルフに、コーデリアは断言した。
ここにくる間に気持ちは決まっていた。自分のために戦争を仕掛けるような相手とはうまくいかないと。そしてアドルフのことは愛せないのだと、ようやく気づくことができた。もとより決められた婚約だったのだ。そこにコーデリアの意思は介在していなかった。でもようやくはっきりした。
「私は、アドルフ殿下……私は“自由”を望みます!」
「自由、だと?」
訝しげに眉根を寄せるアドルフは、いまだに信じられないらしい。すがるようにコーデリアの肩に手をかけて揺さぶる。
「君は魔王にかどわかされているんだ! 君はもとより臣民ではないのだから自由の身だろう? これ以上何を望むというのだ! 王太子妃の地位を捨ててまで!」
「その認識から、殿下、私と違うのです」
コーデリアはゆっくりと、本当にゆっくりとアドルフの手枷を解いた。
「私は魔族や魔獣の自由を尊重します。これからは彼らとの共存の道を探っていくつもりです」
「コーデリア……」
アドルフの眉が悲しげに下がる。ようやくコーデリアの気持ちを理解したようだ。
「では……僕がしていることは――」
「そうです、殿下。軍をいますぐ引いてください。いまならまだ間に合います」
そのとき遠くから甲高い笛の音が聞こえてきた。王の別部隊がアドルフの軍隊を止めにきたに違いない。
間に合った――! と、コーデリアはホッと胸を撫で下ろした。
ドレスをたくし上げて必死に走るコーデリアの目に、山道を越えていく大勢の軍隊が見えてくる。ちょうど休憩を取っているようで、各々が車座になって話し込んでいた。そんな中、アドルフの旗が中心で揺れているのを見つけてコーデリアは必死に叫ぶ。
「アドルフ殿下! お話があるのです!」
ぎょっとする兵士たちの間をくぐり抜け、驚きに瞠目するアドルフのもとにやってきた。
「コ、コーデリア!? いったいなんでこんなところにっ……」
「殿下を追ってやってきたのですっ」
ハアハアと肩で息を切らせながらも、コーデリアは早口に言葉を継ぐ。
「戦争を止めるためにきたのです! お願いです、お戻りください! 陛下の部隊も――」
「それはできない」
きっぱりと、それでいて明瞭にアドルフは言った。
「僕は君を手に入れるためならば、戦など怖くもなんともない。いまからそれを証明する」
「殿下! それが間違っておられるのです!」
アドルフのはっきりした物言いにも怖じけず、コーデリアは大声で言い返す。
周囲の兵士たちが何事かとざわめき始めた。コーデリアが公爵令嬢でアドルフの婚約者だったことは知っているので、皆が見守る態勢に入っている。そしてなぜ開戦するのか、ここにコーデリアが大きく関わってくるので、誰もふたりのやりとりを止める者はいなかった。
「戦は怖いものです。皆、怖いはずです。己の命を懸けて相手を殺めるなど、間違っているのです!」
「……コーデリア、君は魔王の手先にでもなったのか?」
アドルフの冷めた声音に、コーデリアがビクッとすくむ。
アドルフはコーデリアの前までゆっくりと近づいてくると、妖しい笑みを浮かべた。
「ここにくるまでにも白黒の魔獣にそう諭されたよ。しゃべる珍しい魔獣だったが、魔獣の分際で僕に指図したんだ。撃ち殺したが――」
「殿下……それは、それこそエリオットさまだったのです。あなたが目指す魔王の正体です」
「はあ?」
コーデリアの瞳に涙の膜が張られるも、アドルフはわけがわからないといった様子だ。
だからコーデリアはエリオットが魔獣に変身できることを明かし、ついいましがたその手当をしてきたのだと告げた。
するとアドルフの顔色がサッと変わる。
「君は魔王を助けたのか? なぜ? 僕の婚約者ではないか!」
「“だった”、“だった”のです。殿下……過去形です」
「どういう意味だ?」
「そのままです。殿下、私は何があっても、もうあなたとは結婚できません」
胡乱げな瞳を向けるアドルフに、コーデリアは断言した。
ここにくる間に気持ちは決まっていた。自分のために戦争を仕掛けるような相手とはうまくいかないと。そしてアドルフのことは愛せないのだと、ようやく気づくことができた。もとより決められた婚約だったのだ。そこにコーデリアの意思は介在していなかった。でもようやくはっきりした。
「私は、アドルフ殿下……私は“自由”を望みます!」
「自由、だと?」
訝しげに眉根を寄せるアドルフは、いまだに信じられないらしい。すがるようにコーデリアの肩に手をかけて揺さぶる。
「君は魔王にかどわかされているんだ! 君はもとより臣民ではないのだから自由の身だろう? これ以上何を望むというのだ! 王太子妃の地位を捨ててまで!」
「その認識から、殿下、私と違うのです」
コーデリアはゆっくりと、本当にゆっくりとアドルフの手枷を解いた。
「私は魔族や魔獣の自由を尊重します。これからは彼らとの共存の道を探っていくつもりです」
「コーデリア……」
アドルフの眉が悲しげに下がる。ようやくコーデリアの気持ちを理解したようだ。
「では……僕がしていることは――」
「そうです、殿下。軍をいますぐ引いてください。いまならまだ間に合います」
そのとき遠くから甲高い笛の音が聞こえてきた。王の別部隊がアドルフの軍隊を止めにきたに違いない。
間に合った――! と、コーデリアはホッと胸を撫で下ろした。