犬に埋もれる
「あ〜婚約解消したいわ〜」
今日も今日とてもふもふのお腹に顔を埋めながらぼやく。手をわきわきと動かせば、黒い毛がキュートなわんこはもぞもぞと身体を動かした。
「今日も愚痴っちゃってごめんね〜。本当はボール投げでもして遊んであげられればいいんだけど、許可を取ろうにも毎回王子いないし……」
婚約者の部屋に来て真っ先にすることと言えば、王家の飼い犬に愚痴を吐くこと。自分でも何してるんだろうって思う。でも私だって好きでこんな所にいるのではない。
本当は部屋でゴロゴロするか庭でボール投げでもしたいのだ。
でも週に二回は城に呼ばれる。
いくら婚約者とはいえ、男爵令嬢である私が第一王子からのお招きを断ることなんて出来ず毎回渋々足を運んでいる。
まぁ男爵領から毎回何刻も馬車に乗り続けていた頃と比べれば、学園の寮に暮らしている今は随分と楽をしているけれど。それでも呼びつけた王子は毎回かなり遅れてくる。
時間まで指定しているのは、ヴェルガー王子本人だというのに。
「ああ帰りたい、婚約解消したい」
彼の部屋で文句を吐いたところで、王子本人に言えるはずもない。今日も今日とてわんこに癒してもらうだけだ。
「スーハースーハー」
お腹に顔を埋めて大きく息を吸う。
ああ、今日もお日様のいい香り。
これがなければ月に一回くらいはお城行きを拒否しているところだ。……代わりに定期的に腹痛を起こすってイメージがつきそうだけど。
けれど王子と会うと思うと胃が痛くなるのは事実だ。なにせ彼は毎回顔を合わせるたびにこちらをガン見するだけ。プレッシャーを与えるだけ与えて特になにかを言うわけでもない。本当に、何で婚約者なんかに選ばれてしまったのか。
はぁ……と深い溜息を吐けば、ドアの方向からガタっと小さな音がした。
「あ、姉さん来てたんだ〜」
「アドルフ王子、姉さんって呼ぶのやめて下さい」
チラリと顔を見せたのは私の婚約者の弟君にあたるアドルフ王子である。初対面の時から慕ってくれるのは嬉しいが、場所も構わず姉さん姉さんと呼ぶのはやめて欲しい。
「え、なんで?」
「えっと、その……まだ結婚していないので」
アドルフ王子は不思議そうに首を傾げる。けれど私は本気で止めてくれと何度も伝えているのだ。……全然止めてくれないけど。
この前なんて夜会でご令嬢に囲まれていた彼に大声で「姉さん!」と呼ばれたせいで、ご令嬢から散々嫌味を言われたものだ。
ただでさえ男爵令嬢である私が第一王子の婚約者になっていることを気に入らないご令嬢は多いのに……。
裏では誰か本命がいて、その女性と後々結婚するために期間限定で婚約者になっているだけだとも言われている。悪口のつもりで言っている令嬢もいれば、本気で信じている令嬢もいる。ちなみに私もその噂を半分くらいは信じている。
「まだ、でしょ? 学園卒業したらすぐだって」
「その学園に私よりもふさわしい相手が何人もいるでしょう。ヴェルガー王子だって卒業前に婚約者替えしますよ」
「それはない」
「そんなに肩の強さが大事ですかね〜」
「大事だよ! 超重要事項だから自信持って!!」
自信持ってと言われても、それが一番納得できない理由なんだけど……。
私が第一王子の婚約者に選ばれた理由ーーそれは肩の強さである。よくある政略結婚で重視される爵位とか権力バランスでもなければ、ロマンス小説のように一目惚れでもない。
十二歳で参加した王家のお茶会で出会った犬を撫でていたところを目撃したとかで、お茶会の次の週に城にお呼ばれした。なぜか私のことをたいそう気に入ってくれた国王陛下に手を引かれ、お茶会で出会った犬の他に何匹かの仔犬に会わされた。かと思えば、この子達をよろしくと半日ほど仔犬の世話を任されてしまった。その時点ですでに意味がわからなかったのだが、国王陛下直々の頼みである。さらに大好きなわんこと遊んでいればいいと言われれば頷く他ない。わんこ達のおもちゃ箱からボールを拝借し、お庭でボール遊びをしていたところ、肩の強さを認められて王子の婚約者になったーーと。振り返ってみたところでやはり意味がわからない。
国王陛下って大の犬好きなのしら?
だけどそれだけで息子、それも第一王子の婚約者にするだろうか?
訳も分からぬまま婚約者を務めて早五年ーーあの時の仔犬はすっかり大きくなったが、あれ以来遊ばせてはもらえないまま。
「でも婚約者になってから一度たりとも強い肩を披露する場面ありませんでしたよ?」
「それはその……結婚後に役立つから! だから婚約解消なんて物騒なこと言わないで!!」
私の肩を掴んで揺らすアドルフ王子に、私の足元でワン! と鳴くわんこ。
どちらにも引きとめられているようだけど、結婚後に肩の強さが役立つって私は一体何をさせられるんだろう?
日常生活を送るにあたって、肩を酷使することってある?
それも一介の田舎娘に婚約解消されたら困るレベルで……何を期待されているんだろうか。
変なことさせませんよね? と疑いの眼差しを向ける。
「いつから聞いてたんですか?」
「わりと最初から……というか姉さん城に来ると毎回呟いているし、城関係者なら知ってる人は多いと思うけど」
「でもヴェルガー王子はなにも言ってきませんよ。ということは王子も婚約解消を狙っているのでは?」
やっぱり裏に本命がいる説が正しかったのか〜。そっかそっか。城に呼んでおきながら毎回長時間放置されるのもきっと、本命と会うためのカモフラージュに使われているだけなんだな。あ〜スッキリした! そうよね〜、やっぱり田舎の男爵令嬢に第一王子の婚約者なんて似合わないわよね〜。
以前、どこかのご令嬢のお使いの人から『山奥で芋焼いて食ってろ!』みたいなお手紙と大量のお芋貰ったのまだ残ってるし、帰ったら婚約解消祝いに芋パーティーでも……。
お母様の芋料理を想像するとじゅるりとよだれが垂れてくる。王都で暮らしている今はもちろん、学園入学前も頻繁に王都に向かっていたため、家族とゆっくりする時間があまりなかった。それに領民達とも。みんな呼んで芋会を開くのもいいかもな〜。
芋会の用意に想いを馳せていると、ぐらぐらと身体を揺すられる。
「それはないって! だから考え直そう?」
「バターは従兄弟の領地から良いものを取り寄せますよ」
「なんの話?」
「芋会の話ですけど?」
「一旦婚約解消の話に戻って!?」
「あ、そうでした。ヴェルガー王子に本命がいるという話でしたね」
「いないけど? 兄さんは出会ったその日から姉さん一筋ですけど?」
「アドルフ王子。そんな嘘をつかなくていいのです。私なんて山奥で芋食べてるくらいがいいんです」
王子が本命さんとあま〜いお菓子を食べている間に、私は鉄板の上で焼いたじゃがバターを頂くだけだ。お芋の送り主がどなたか分からないのでお礼の言葉すら送れないのが心苦しい。だが私と王子の婚約解消こそ一番のお礼になることだろう。
ホクホクお芋の上にバターを載せればじっくりと溶けていく。切り込みの線を伝ってじわっと染み込んでいくバターはテラテラと輝き、食欲をそそる……。
「姉さん、芋好きなの?」
「大好きです!」
「そっか〜」
「ところで今回は全然ヴェルガー王子いらっしゃいませんね」
「あ〜うん、ちょっと出づらいんじゃないかな?」
「数刻だろうと離れがたい相手なんですね。愛を育まれているようでなによりです。なら私、帰ってもいいでしょうか? ちょっと芋会の準備を……」
「もうちょっと待とう? 芋会なら今度城で開催するから!」
「そんな、お城の方の手を煩わせるほどのものじゃ……」
「大丈夫! 姉さんを繋ぎ止めるためって伝えればみんな喜んで準備するから!」
そこまでして私を盾にしたい、と。
今、私に婚約解消されたらヴェルガー王子にお見合い写真が殺到しちゃうとか、まだ本命さんのお披露目をする段階ではないとかかな?
大人の事情もあるのだろうが、田舎娘のご機嫌取りのためだけに芋会を開催されては城の方々もたまったものじゃないだろう。
「もう少し待ちますので、そこまでしていただかなくても結構です。代わりにこの子と遊ばせて下さい」
「俺だけの判断じゃちょっと……」
「アドルフ王子でもダメなんですか……。でも私の肩の強さだってこの子のためでしょう?」
「まぁそうなんだけど……兄さんの婚約者はそんなに嫌?」
「男爵令嬢が第一王子の婚約者なんて変ですよ。わんこ係ならまだ分かりますが。わんこ係なら!!」
しゃがんでモフモフとすれば、気持ちがいいのかお腹まで見せてくれる。王子との距離は近づかないけど、この子との距離は次第に近づいている。見えない分厚い壁が設置されている王子様とは大違い。それに本当に肩の強さが重要視されているとして、結婚後に役立つとすればワンコの世話係くらいなものだろう。私の家は山ばかりの田舎領地のため、足腰の強さや体力にも自信がある。一日中あの子達の世話をしろと言われても1ヶ月あれば慣れる自信がある。
むしろ王子の婚約者よりこっちの方が出来る!
「姉さんって本当に犬好きだよね。初めて城に来た時も真っ先に犬に向かってたし」
「大好きです! 数年前に従兄弟の家で子犬が産まれた時に一匹譲ってもらえることになってたんですが、なぜか話、流れちゃって……」
「あー、うん。なんかごめん」
撫でる手を止めてガッツポーズを作れば、わんこは私の膝に顔を擦り付けている。まるで僕がいるじゃないかと励ましてくれているかのようだ。可愛い。彼こそ私の癒しである。ありがとうと首元を撫でれば気持ちよさそうに目を細めた。その姿にハッと気づく。
「もしかしてヴェルガー王子って犬嫌いなんですか?」
「え?」
「うちに仔犬を迎えようって話が流れたのってちょうどタイミング的に王子の婚約者に内定した時ですし、この子がいる時はなぜか姿を見せませんし。そう思うとこの子と遊ぶ許可がなかなか出ない理由も……」
「えっと、あー、なんというかー、そのー」
「歴代王子がわんこの世話する義務があるけど、自分じゃできないから犬の世話をしてくれそうな女を妻に迎えようとしているっていうなら私も納得できます。もふもふ大好きなので、ばっちこいです!」
両手を広げればわんこは勢いよく私の胸に飛び込んでくる。すっかり大きくなった彼を受け止めることができず、後ろに倒れ込めば身体の上でボンっと何かが弾ける音がした。
何か踏んだ、にしては音が上から聞こえる。
なんだろう?
わんこを支えながら身体を起きあげようとして、目の前にいる人間と目があった。目の前というか、私の上というか……わんちゃんがいたはずのところになぜか人がいた。それも今、この場所にいるはずのない男が。彼は私にずいっと顔を寄せ、あろうことか私の頬をペロペロと舐め出した。身体が一部重なっているため、少し重い。潰されはしないのだろうが、身動きは取れない状況だ。とりあえず降りてくれと声を上げられればいいのだろうが、あいにくと私の頭はショート寸前。声を出すことすら叶わない。ただ近くにある真っ黒い瞳があの子とよく似ているな〜と今さらながらに思うだけ。
「俺はリーリアに近づく犬と男全てが嫌いだ」
「え、あ、はい」
いきなり口を開いたと思えば、ヴェルガー王子は真っ直ぐに私を見つめて宣言した。
なぜ犬と男?
というかさっきまでいた黒毛の犬はどこ行ったの?
突然入れ替わったように感じたが、人と犬が入れ替わるなんてマジックでも使わない限りあり得ない。
「ってあの、わんちゃんは?」
私は本来ヴェルガー王子の立派な胸板ではなく、黒毛のわんこに潰されているはずだったのだ。
「婚約解消など許さない」
「いや、婚約解消どうのこうのよりここにいた黒毛の犬知りません?」
まさか犬嫌いの王子に吹っ飛ばされたとかじゃないわよね?
身体は動かせないので、仰向けになった状態で辺りを見渡す。けれど一向に彼の姿は見られない。ヴェルガー王子の身体で隠れて見えていないだけかもしれないが、それでも心配だ。
「あの、わんちゃんは……」
繰り返し行方を問えば、ヴェルガー王子は呆れたように長いため息を吐き出した。
「……俺だ」
「え?」
「その犬は俺だ。俺はずっと犬の姿でここにいた」
「意味がわからないのですが」
「この国の王家は皆、犬族の血を引いていて、人と犬のどちらにもなれるんだ」
犬族の血なんて言われても、犬になれる人の数が増えただけで、全く意味がわからない。
だが王家、と言われて私の視線はつつつと横に動いた。ヴェルガー王子に押し潰されている間も変わらずこの部屋に居続けるもう一人の王族。
「アドルフ王子も?」
「なれるよ〜」
彼は人懐っこい笑みで笑うと、くるりと身体を反転させーー犬になった。
「あの時のワンちゃん!」
そこにいたのは私がお城の庭でボール投げをしていた時にいた、金色のくせっ毛がキュートなわんこだった。懐かしさと可愛さに手は自然と撫でる準備に入る。だが私の手が彼に届くことはない。アドルフ王子もとい金毛のわんちゃんはトコトコと歩いてきてはくれるものの、一定距離を保った状態で座り込んでしまったのだ。
「俺も姉さんの婚約者候補だったからね〜。兄さんに負けちゃったけど」
「私の婚約者候補?」
「そうそう。初めて姉さんが城に来た時に撫でた犬、父さんでさ。姉さんのことすっかり気に入っちゃったんだよ」
「あの毛並みのいいわんちゃんが国王、陛下? え、確かあの子もボール投げに参加していたような?」
「さすが姉さん。覚えてたんだね! あの時は父さんから話を聞いて、王族のほとんどが参加してたんだよ〜」
私がさせられてたのってお城で飼われていたわんちゃんの世話ではなく、王族の方々の遊び相手だったの!?
ボール遊びに交じった犬のほとんどが仔犬だったけど、ロープ遊びや駆けっこはみんな交じっていたわけで…………こわっ!
城に来て即行で国王陛下の頭を撫でている時点でやらかし確定だけど……でもまさか人が犬になるなんて思わないじゃない。
知らなかったとはいえ、私はなんてことをしていたのだと今さらながらに頭が痛くなる。
「えっと、肩の強さが重要視される理由って……」
「犬になれることって本当は結婚するまでバラすつもりはなかったんだ。逃げられても困るし。結婚してから打ち明けて、みんなで遊んでもらおうと……」
「わんわんパラダイス……ってそれ聞いたら怖くて犬撫でられませんよ!」
犬好きの私にとって、定期的にたくさんのわんこに囲まれて遊べるという生活は幸せ以外の何でもない。だが彼らが皆、人になると分かれば楽園は一気に表情を変える。
私、あの日散々わんちゃん達撫でまくったけど後で不敬とか言われないよね!?
国王陛下の頭を撫でた時点で、今後それよりも怖いことを体験することはないのだろうが、相手は王族。田舎の男爵令嬢の首なんて軽くはねてしまえる相手なのだ。
想像してサァッと血の気が引いていく。
「姉さんならそういうと思って黙ってたのに……。兄さんが我慢できずに人化しちゃうから〜」
「このまま婚約解消されるものだと思い込まれるよりマシだろう」
「そんなことになったら俺たち二人でみんなから総叩きに合うだろうけどさ〜」
「総叩き……」
「姉さんの婚約者候補は王家の未婚男子のほとんどが名乗りを上げてたから。姉さんの投げるボールはどれもいいアーチを描いてた」
アドルフ王子はそれはもううっとりと幸せそうに頬を緩める。どうやら私の肩の強さは本当に評価に値するものであったらしい。人目線ではなく、犬目線だった訳だが……。
「アドルフ、リーリアは俺の婚約者だ」
「分かってるって。でも夜会で姉さんに嫌がらせする雌達を追い払うのに協力してあげてるんだからちょっとくらいいいでしょ?」
あれ追い払っているつもりだったのか。
今のところ実害は特にないけれど、令嬢達の火に油は注いでいたと思う。
二人とも王子であることをおいても、見た目がいいからな〜。私は犬姿の方が好みだけど。
「姉さん、俺のことも撫でて?」
「喜んで!」
頭を少しだけ下げて近づいてくるわんこに手を伸ばし、左右に揺らす。気持ちいい。にへらぁと顔を緩めれば、ヴェルガー王子は私の身体を丸め込むようにゴロッと転がった。
「何するんですか」
「もう終わりだ。俺を撫でろ」
「え、でもさっきまでずっと撫でてたじゃないですか」
「婚約解消したいなんて馬鹿なことを呟きながら、な。しかもあれは犬姿だ。人型も撫でろ」
ずいずいっと頭を寄せてくる彼は私の知っているヴェルガー王子ではない。彼は最低限のことしか話さないような無口で、何考えてるのかすら分からない人。こんな子どもっぽい感情を表に出す人ではなかった。
「何を子どもみたいなことを言っているんですか……」
「今まで我慢してたんだ」
「我慢って、今まで言葉すらろくに発しなかったじゃないですか……」
「一度出したら、リーリアへの気持ちが堪えられなくなるだろう? 本当は家にも寮にも帰したくないし、学園にだって行かせたくない。早く俺の子どもを孕んで、仔犬達といっしょにずっと城で過ごしてほしい」
「あ、産まれてくるのって仔犬なんですね」
「姉さん、真っ先に気にするところそこなんだ……」
「え? だってそこが一番大事じゃないですか」
貴族の結婚における重要な役割の一つが子孫繁栄、つまりは出産である。私達の場合、母体は人になるから生まれてくる子どもの数は犬基準なのか、人基準なのかわからない。仔犬状態になれるのはともかくとして、我が家は子沢山の家系なので、たくさん子供ができたところで大喜びするだけだ。
「仔犬パラダイス楽しみだわ」
「なんか想像以上にすんなり受け入れてもらえてちょっと拍子抜けしてるんだけど……これで婚約解消なんて言わなくなるならいいか!」
アドルフ王子はそう呟くと、わおーんと遠吠えを開始した。一度切れてはまた大きな声で鳴き。何度か繰り返しているうちにぞろぞろと部屋にはわんこ達がやってくる。
「遊んでいいって本当?」
「私はロープ遊びがいいわ」
「ボール投げボール投げ」
「あの日のブラッシングは良かったな」
「頭いい子いい子して!」
希望を口にしては私達の周りにわらわらと集まるお犬様方はみんな王族の方々なのだろう。
誰が誰だか全然分からないけれど!
「リーリアは俺の婚約者だ!」
「でも私達の家族でもある」
「みんな仲良く遊びましょ」
「ボール」
「ロープ」
「ブラッシング」
「お風呂に入れてもらえたら気持ち良さそうだな」
「それだ!!!」
最後に呟かれた言葉に、一斉にわんこ達は賛同する。お風呂〜お風呂〜と歌いながらクルクルと回り出し、唯一の反対派のヴェルガー王子の引き離しに成功した彼らはそのまま私をお風呂場まで誘導した。
それも犬専用のお風呂場に。
前も後ろも右も左も毛の色や大きさの異なるわんこ達に囲まれた私はそれからエンドレスでわんちゃん達のお風呂に付き合わされたのだった。
「俺の婚約者なのに……」
「だからこうしてタオルまで付き合っているでしょう?」
頬を膨らます王子はなぜかお風呂が済んだ後すぐに人型になった。かと思えば濡れた頭のままで私を部屋へと連れ込み、もう片方の手で持っていたタオルを差し出してきたのだ。
拭け、と。
どこまで傲慢な人なのか。
呆れながらも頭を拭かせてもらっている。これではやはり王子の婚約者ではなく犬の世話係ではないかと思ってしまう。
「当然だ! この場は誰にも譲らん」
けれど私の腕を取って、顔を擦り付けるヴェルガー王子は心底幸せそうで。この瞬間、私はわんこな王子様に胸を射抜かれてしまったのである。
あの日を境に私への感情を隠すことのなくなったヴェルガー王子に、貴族達は心底驚いているようだった。しばらくは変な憶測も飛び交ったものだが、私が学校の寮から城に住処を変えれば少しずつ噂は収束していった。
他の王族の方々も尽力してくれたのだろう。
城暮らしに移った私の日課は王族の方々もといわんちゃん達との交流となり、週末にはお風呂場に列をなすほど。
ヴェルガー王子はそれが面白くないようで、膨れつらになりながらも毎回一番後ろに並んで、終わった後は必ず私にタオルを差し出してくる。
拭けと言ってくる姿が可愛くて、はいはいと言いながらも私の楽しみとなりつつある。
「今度、花畑に出かけないか?」
「みんなで、となると予定の擦り合わせから行わないとですね〜。あと馬車の準備も……」
「俺と二人で行くんだ」
「了解です。おもちゃは何がいいでしょう?」
「犬の姿じゃなくて、人型で」
「え?」
「デート、したことなかっただろう」
「それはまぁ……はい」
ヴェルガー王子は恥ずかしくなったのか耳を真っ赤に染め、私をベッドに押し倒した。そのまま私の上に乗り、重なるように私の首元にすっぽりと首を突っ込んだ。
「人型の方にも構え」
「はいはい」
まだ髪は少しだけ濡れている。湿った髪が頬にあたってくすぐったい。今は人型なのになんだか犬の時よりも犬っぽくて、そんなところが可愛くて思わず声が漏れてしまう。
ああ、私、幸せだなって。
背中をポンポンと叩くと彼は私の耳元で小さく呟いた。
「好きだ、リーリア」
「私もですよ、ヴェルガー王子」
婚約解消を望んだ私が、今以上の幸せを掴み取るのは案外遠い日ではないかもしれない。
今日も今日とてもふもふのお腹に顔を埋めながらぼやく。手をわきわきと動かせば、黒い毛がキュートなわんこはもぞもぞと身体を動かした。
「今日も愚痴っちゃってごめんね〜。本当はボール投げでもして遊んであげられればいいんだけど、許可を取ろうにも毎回王子いないし……」
婚約者の部屋に来て真っ先にすることと言えば、王家の飼い犬に愚痴を吐くこと。自分でも何してるんだろうって思う。でも私だって好きでこんな所にいるのではない。
本当は部屋でゴロゴロするか庭でボール投げでもしたいのだ。
でも週に二回は城に呼ばれる。
いくら婚約者とはいえ、男爵令嬢である私が第一王子からのお招きを断ることなんて出来ず毎回渋々足を運んでいる。
まぁ男爵領から毎回何刻も馬車に乗り続けていた頃と比べれば、学園の寮に暮らしている今は随分と楽をしているけれど。それでも呼びつけた王子は毎回かなり遅れてくる。
時間まで指定しているのは、ヴェルガー王子本人だというのに。
「ああ帰りたい、婚約解消したい」
彼の部屋で文句を吐いたところで、王子本人に言えるはずもない。今日も今日とてわんこに癒してもらうだけだ。
「スーハースーハー」
お腹に顔を埋めて大きく息を吸う。
ああ、今日もお日様のいい香り。
これがなければ月に一回くらいはお城行きを拒否しているところだ。……代わりに定期的に腹痛を起こすってイメージがつきそうだけど。
けれど王子と会うと思うと胃が痛くなるのは事実だ。なにせ彼は毎回顔を合わせるたびにこちらをガン見するだけ。プレッシャーを与えるだけ与えて特になにかを言うわけでもない。本当に、何で婚約者なんかに選ばれてしまったのか。
はぁ……と深い溜息を吐けば、ドアの方向からガタっと小さな音がした。
「あ、姉さん来てたんだ〜」
「アドルフ王子、姉さんって呼ぶのやめて下さい」
チラリと顔を見せたのは私の婚約者の弟君にあたるアドルフ王子である。初対面の時から慕ってくれるのは嬉しいが、場所も構わず姉さん姉さんと呼ぶのはやめて欲しい。
「え、なんで?」
「えっと、その……まだ結婚していないので」
アドルフ王子は不思議そうに首を傾げる。けれど私は本気で止めてくれと何度も伝えているのだ。……全然止めてくれないけど。
この前なんて夜会でご令嬢に囲まれていた彼に大声で「姉さん!」と呼ばれたせいで、ご令嬢から散々嫌味を言われたものだ。
ただでさえ男爵令嬢である私が第一王子の婚約者になっていることを気に入らないご令嬢は多いのに……。
裏では誰か本命がいて、その女性と後々結婚するために期間限定で婚約者になっているだけだとも言われている。悪口のつもりで言っている令嬢もいれば、本気で信じている令嬢もいる。ちなみに私もその噂を半分くらいは信じている。
「まだ、でしょ? 学園卒業したらすぐだって」
「その学園に私よりもふさわしい相手が何人もいるでしょう。ヴェルガー王子だって卒業前に婚約者替えしますよ」
「それはない」
「そんなに肩の強さが大事ですかね〜」
「大事だよ! 超重要事項だから自信持って!!」
自信持ってと言われても、それが一番納得できない理由なんだけど……。
私が第一王子の婚約者に選ばれた理由ーーそれは肩の強さである。よくある政略結婚で重視される爵位とか権力バランスでもなければ、ロマンス小説のように一目惚れでもない。
十二歳で参加した王家のお茶会で出会った犬を撫でていたところを目撃したとかで、お茶会の次の週に城にお呼ばれした。なぜか私のことをたいそう気に入ってくれた国王陛下に手を引かれ、お茶会で出会った犬の他に何匹かの仔犬に会わされた。かと思えば、この子達をよろしくと半日ほど仔犬の世話を任されてしまった。その時点ですでに意味がわからなかったのだが、国王陛下直々の頼みである。さらに大好きなわんこと遊んでいればいいと言われれば頷く他ない。わんこ達のおもちゃ箱からボールを拝借し、お庭でボール遊びをしていたところ、肩の強さを認められて王子の婚約者になったーーと。振り返ってみたところでやはり意味がわからない。
国王陛下って大の犬好きなのしら?
だけどそれだけで息子、それも第一王子の婚約者にするだろうか?
訳も分からぬまま婚約者を務めて早五年ーーあの時の仔犬はすっかり大きくなったが、あれ以来遊ばせてはもらえないまま。
「でも婚約者になってから一度たりとも強い肩を披露する場面ありませんでしたよ?」
「それはその……結婚後に役立つから! だから婚約解消なんて物騒なこと言わないで!!」
私の肩を掴んで揺らすアドルフ王子に、私の足元でワン! と鳴くわんこ。
どちらにも引きとめられているようだけど、結婚後に肩の強さが役立つって私は一体何をさせられるんだろう?
日常生活を送るにあたって、肩を酷使することってある?
それも一介の田舎娘に婚約解消されたら困るレベルで……何を期待されているんだろうか。
変なことさせませんよね? と疑いの眼差しを向ける。
「いつから聞いてたんですか?」
「わりと最初から……というか姉さん城に来ると毎回呟いているし、城関係者なら知ってる人は多いと思うけど」
「でもヴェルガー王子はなにも言ってきませんよ。ということは王子も婚約解消を狙っているのでは?」
やっぱり裏に本命がいる説が正しかったのか〜。そっかそっか。城に呼んでおきながら毎回長時間放置されるのもきっと、本命と会うためのカモフラージュに使われているだけなんだな。あ〜スッキリした! そうよね〜、やっぱり田舎の男爵令嬢に第一王子の婚約者なんて似合わないわよね〜。
以前、どこかのご令嬢のお使いの人から『山奥で芋焼いて食ってろ!』みたいなお手紙と大量のお芋貰ったのまだ残ってるし、帰ったら婚約解消祝いに芋パーティーでも……。
お母様の芋料理を想像するとじゅるりとよだれが垂れてくる。王都で暮らしている今はもちろん、学園入学前も頻繁に王都に向かっていたため、家族とゆっくりする時間があまりなかった。それに領民達とも。みんな呼んで芋会を開くのもいいかもな〜。
芋会の用意に想いを馳せていると、ぐらぐらと身体を揺すられる。
「それはないって! だから考え直そう?」
「バターは従兄弟の領地から良いものを取り寄せますよ」
「なんの話?」
「芋会の話ですけど?」
「一旦婚約解消の話に戻って!?」
「あ、そうでした。ヴェルガー王子に本命がいるという話でしたね」
「いないけど? 兄さんは出会ったその日から姉さん一筋ですけど?」
「アドルフ王子。そんな嘘をつかなくていいのです。私なんて山奥で芋食べてるくらいがいいんです」
王子が本命さんとあま〜いお菓子を食べている間に、私は鉄板の上で焼いたじゃがバターを頂くだけだ。お芋の送り主がどなたか分からないのでお礼の言葉すら送れないのが心苦しい。だが私と王子の婚約解消こそ一番のお礼になることだろう。
ホクホクお芋の上にバターを載せればじっくりと溶けていく。切り込みの線を伝ってじわっと染み込んでいくバターはテラテラと輝き、食欲をそそる……。
「姉さん、芋好きなの?」
「大好きです!」
「そっか〜」
「ところで今回は全然ヴェルガー王子いらっしゃいませんね」
「あ〜うん、ちょっと出づらいんじゃないかな?」
「数刻だろうと離れがたい相手なんですね。愛を育まれているようでなによりです。なら私、帰ってもいいでしょうか? ちょっと芋会の準備を……」
「もうちょっと待とう? 芋会なら今度城で開催するから!」
「そんな、お城の方の手を煩わせるほどのものじゃ……」
「大丈夫! 姉さんを繋ぎ止めるためって伝えればみんな喜んで準備するから!」
そこまでして私を盾にしたい、と。
今、私に婚約解消されたらヴェルガー王子にお見合い写真が殺到しちゃうとか、まだ本命さんのお披露目をする段階ではないとかかな?
大人の事情もあるのだろうが、田舎娘のご機嫌取りのためだけに芋会を開催されては城の方々もたまったものじゃないだろう。
「もう少し待ちますので、そこまでしていただかなくても結構です。代わりにこの子と遊ばせて下さい」
「俺だけの判断じゃちょっと……」
「アドルフ王子でもダメなんですか……。でも私の肩の強さだってこの子のためでしょう?」
「まぁそうなんだけど……兄さんの婚約者はそんなに嫌?」
「男爵令嬢が第一王子の婚約者なんて変ですよ。わんこ係ならまだ分かりますが。わんこ係なら!!」
しゃがんでモフモフとすれば、気持ちがいいのかお腹まで見せてくれる。王子との距離は近づかないけど、この子との距離は次第に近づいている。見えない分厚い壁が設置されている王子様とは大違い。それに本当に肩の強さが重要視されているとして、結婚後に役立つとすればワンコの世話係くらいなものだろう。私の家は山ばかりの田舎領地のため、足腰の強さや体力にも自信がある。一日中あの子達の世話をしろと言われても1ヶ月あれば慣れる自信がある。
むしろ王子の婚約者よりこっちの方が出来る!
「姉さんって本当に犬好きだよね。初めて城に来た時も真っ先に犬に向かってたし」
「大好きです! 数年前に従兄弟の家で子犬が産まれた時に一匹譲ってもらえることになってたんですが、なぜか話、流れちゃって……」
「あー、うん。なんかごめん」
撫でる手を止めてガッツポーズを作れば、わんこは私の膝に顔を擦り付けている。まるで僕がいるじゃないかと励ましてくれているかのようだ。可愛い。彼こそ私の癒しである。ありがとうと首元を撫でれば気持ちよさそうに目を細めた。その姿にハッと気づく。
「もしかしてヴェルガー王子って犬嫌いなんですか?」
「え?」
「うちに仔犬を迎えようって話が流れたのってちょうどタイミング的に王子の婚約者に内定した時ですし、この子がいる時はなぜか姿を見せませんし。そう思うとこの子と遊ぶ許可がなかなか出ない理由も……」
「えっと、あー、なんというかー、そのー」
「歴代王子がわんこの世話する義務があるけど、自分じゃできないから犬の世話をしてくれそうな女を妻に迎えようとしているっていうなら私も納得できます。もふもふ大好きなので、ばっちこいです!」
両手を広げればわんこは勢いよく私の胸に飛び込んでくる。すっかり大きくなった彼を受け止めることができず、後ろに倒れ込めば身体の上でボンっと何かが弾ける音がした。
何か踏んだ、にしては音が上から聞こえる。
なんだろう?
わんこを支えながら身体を起きあげようとして、目の前にいる人間と目があった。目の前というか、私の上というか……わんちゃんがいたはずのところになぜか人がいた。それも今、この場所にいるはずのない男が。彼は私にずいっと顔を寄せ、あろうことか私の頬をペロペロと舐め出した。身体が一部重なっているため、少し重い。潰されはしないのだろうが、身動きは取れない状況だ。とりあえず降りてくれと声を上げられればいいのだろうが、あいにくと私の頭はショート寸前。声を出すことすら叶わない。ただ近くにある真っ黒い瞳があの子とよく似ているな〜と今さらながらに思うだけ。
「俺はリーリアに近づく犬と男全てが嫌いだ」
「え、あ、はい」
いきなり口を開いたと思えば、ヴェルガー王子は真っ直ぐに私を見つめて宣言した。
なぜ犬と男?
というかさっきまでいた黒毛の犬はどこ行ったの?
突然入れ替わったように感じたが、人と犬が入れ替わるなんてマジックでも使わない限りあり得ない。
「ってあの、わんちゃんは?」
私は本来ヴェルガー王子の立派な胸板ではなく、黒毛のわんこに潰されているはずだったのだ。
「婚約解消など許さない」
「いや、婚約解消どうのこうのよりここにいた黒毛の犬知りません?」
まさか犬嫌いの王子に吹っ飛ばされたとかじゃないわよね?
身体は動かせないので、仰向けになった状態で辺りを見渡す。けれど一向に彼の姿は見られない。ヴェルガー王子の身体で隠れて見えていないだけかもしれないが、それでも心配だ。
「あの、わんちゃんは……」
繰り返し行方を問えば、ヴェルガー王子は呆れたように長いため息を吐き出した。
「……俺だ」
「え?」
「その犬は俺だ。俺はずっと犬の姿でここにいた」
「意味がわからないのですが」
「この国の王家は皆、犬族の血を引いていて、人と犬のどちらにもなれるんだ」
犬族の血なんて言われても、犬になれる人の数が増えただけで、全く意味がわからない。
だが王家、と言われて私の視線はつつつと横に動いた。ヴェルガー王子に押し潰されている間も変わらずこの部屋に居続けるもう一人の王族。
「アドルフ王子も?」
「なれるよ〜」
彼は人懐っこい笑みで笑うと、くるりと身体を反転させーー犬になった。
「あの時のワンちゃん!」
そこにいたのは私がお城の庭でボール投げをしていた時にいた、金色のくせっ毛がキュートなわんこだった。懐かしさと可愛さに手は自然と撫でる準備に入る。だが私の手が彼に届くことはない。アドルフ王子もとい金毛のわんちゃんはトコトコと歩いてきてはくれるものの、一定距離を保った状態で座り込んでしまったのだ。
「俺も姉さんの婚約者候補だったからね〜。兄さんに負けちゃったけど」
「私の婚約者候補?」
「そうそう。初めて姉さんが城に来た時に撫でた犬、父さんでさ。姉さんのことすっかり気に入っちゃったんだよ」
「あの毛並みのいいわんちゃんが国王、陛下? え、確かあの子もボール投げに参加していたような?」
「さすが姉さん。覚えてたんだね! あの時は父さんから話を聞いて、王族のほとんどが参加してたんだよ〜」
私がさせられてたのってお城で飼われていたわんちゃんの世話ではなく、王族の方々の遊び相手だったの!?
ボール遊びに交じった犬のほとんどが仔犬だったけど、ロープ遊びや駆けっこはみんな交じっていたわけで…………こわっ!
城に来て即行で国王陛下の頭を撫でている時点でやらかし確定だけど……でもまさか人が犬になるなんて思わないじゃない。
知らなかったとはいえ、私はなんてことをしていたのだと今さらながらに頭が痛くなる。
「えっと、肩の強さが重要視される理由って……」
「犬になれることって本当は結婚するまでバラすつもりはなかったんだ。逃げられても困るし。結婚してから打ち明けて、みんなで遊んでもらおうと……」
「わんわんパラダイス……ってそれ聞いたら怖くて犬撫でられませんよ!」
犬好きの私にとって、定期的にたくさんのわんこに囲まれて遊べるという生活は幸せ以外の何でもない。だが彼らが皆、人になると分かれば楽園は一気に表情を変える。
私、あの日散々わんちゃん達撫でまくったけど後で不敬とか言われないよね!?
国王陛下の頭を撫でた時点で、今後それよりも怖いことを体験することはないのだろうが、相手は王族。田舎の男爵令嬢の首なんて軽くはねてしまえる相手なのだ。
想像してサァッと血の気が引いていく。
「姉さんならそういうと思って黙ってたのに……。兄さんが我慢できずに人化しちゃうから〜」
「このまま婚約解消されるものだと思い込まれるよりマシだろう」
「そんなことになったら俺たち二人でみんなから総叩きに合うだろうけどさ〜」
「総叩き……」
「姉さんの婚約者候補は王家の未婚男子のほとんどが名乗りを上げてたから。姉さんの投げるボールはどれもいいアーチを描いてた」
アドルフ王子はそれはもううっとりと幸せそうに頬を緩める。どうやら私の肩の強さは本当に評価に値するものであったらしい。人目線ではなく、犬目線だった訳だが……。
「アドルフ、リーリアは俺の婚約者だ」
「分かってるって。でも夜会で姉さんに嫌がらせする雌達を追い払うのに協力してあげてるんだからちょっとくらいいいでしょ?」
あれ追い払っているつもりだったのか。
今のところ実害は特にないけれど、令嬢達の火に油は注いでいたと思う。
二人とも王子であることをおいても、見た目がいいからな〜。私は犬姿の方が好みだけど。
「姉さん、俺のことも撫でて?」
「喜んで!」
頭を少しだけ下げて近づいてくるわんこに手を伸ばし、左右に揺らす。気持ちいい。にへらぁと顔を緩めれば、ヴェルガー王子は私の身体を丸め込むようにゴロッと転がった。
「何するんですか」
「もう終わりだ。俺を撫でろ」
「え、でもさっきまでずっと撫でてたじゃないですか」
「婚約解消したいなんて馬鹿なことを呟きながら、な。しかもあれは犬姿だ。人型も撫でろ」
ずいずいっと頭を寄せてくる彼は私の知っているヴェルガー王子ではない。彼は最低限のことしか話さないような無口で、何考えてるのかすら分からない人。こんな子どもっぽい感情を表に出す人ではなかった。
「何を子どもみたいなことを言っているんですか……」
「今まで我慢してたんだ」
「我慢って、今まで言葉すらろくに発しなかったじゃないですか……」
「一度出したら、リーリアへの気持ちが堪えられなくなるだろう? 本当は家にも寮にも帰したくないし、学園にだって行かせたくない。早く俺の子どもを孕んで、仔犬達といっしょにずっと城で過ごしてほしい」
「あ、産まれてくるのって仔犬なんですね」
「姉さん、真っ先に気にするところそこなんだ……」
「え? だってそこが一番大事じゃないですか」
貴族の結婚における重要な役割の一つが子孫繁栄、つまりは出産である。私達の場合、母体は人になるから生まれてくる子どもの数は犬基準なのか、人基準なのかわからない。仔犬状態になれるのはともかくとして、我が家は子沢山の家系なので、たくさん子供ができたところで大喜びするだけだ。
「仔犬パラダイス楽しみだわ」
「なんか想像以上にすんなり受け入れてもらえてちょっと拍子抜けしてるんだけど……これで婚約解消なんて言わなくなるならいいか!」
アドルフ王子はそう呟くと、わおーんと遠吠えを開始した。一度切れてはまた大きな声で鳴き。何度か繰り返しているうちにぞろぞろと部屋にはわんこ達がやってくる。
「遊んでいいって本当?」
「私はロープ遊びがいいわ」
「ボール投げボール投げ」
「あの日のブラッシングは良かったな」
「頭いい子いい子して!」
希望を口にしては私達の周りにわらわらと集まるお犬様方はみんな王族の方々なのだろう。
誰が誰だか全然分からないけれど!
「リーリアは俺の婚約者だ!」
「でも私達の家族でもある」
「みんな仲良く遊びましょ」
「ボール」
「ロープ」
「ブラッシング」
「お風呂に入れてもらえたら気持ち良さそうだな」
「それだ!!!」
最後に呟かれた言葉に、一斉にわんこ達は賛同する。お風呂〜お風呂〜と歌いながらクルクルと回り出し、唯一の反対派のヴェルガー王子の引き離しに成功した彼らはそのまま私をお風呂場まで誘導した。
それも犬専用のお風呂場に。
前も後ろも右も左も毛の色や大きさの異なるわんこ達に囲まれた私はそれからエンドレスでわんちゃん達のお風呂に付き合わされたのだった。
「俺の婚約者なのに……」
「だからこうしてタオルまで付き合っているでしょう?」
頬を膨らます王子はなぜかお風呂が済んだ後すぐに人型になった。かと思えば濡れた頭のままで私を部屋へと連れ込み、もう片方の手で持っていたタオルを差し出してきたのだ。
拭け、と。
どこまで傲慢な人なのか。
呆れながらも頭を拭かせてもらっている。これではやはり王子の婚約者ではなく犬の世話係ではないかと思ってしまう。
「当然だ! この場は誰にも譲らん」
けれど私の腕を取って、顔を擦り付けるヴェルガー王子は心底幸せそうで。この瞬間、私はわんこな王子様に胸を射抜かれてしまったのである。
あの日を境に私への感情を隠すことのなくなったヴェルガー王子に、貴族達は心底驚いているようだった。しばらくは変な憶測も飛び交ったものだが、私が学校の寮から城に住処を変えれば少しずつ噂は収束していった。
他の王族の方々も尽力してくれたのだろう。
城暮らしに移った私の日課は王族の方々もといわんちゃん達との交流となり、週末にはお風呂場に列をなすほど。
ヴェルガー王子はそれが面白くないようで、膨れつらになりながらも毎回一番後ろに並んで、終わった後は必ず私にタオルを差し出してくる。
拭けと言ってくる姿が可愛くて、はいはいと言いながらも私の楽しみとなりつつある。
「今度、花畑に出かけないか?」
「みんなで、となると予定の擦り合わせから行わないとですね〜。あと馬車の準備も……」
「俺と二人で行くんだ」
「了解です。おもちゃは何がいいでしょう?」
「犬の姿じゃなくて、人型で」
「え?」
「デート、したことなかっただろう」
「それはまぁ……はい」
ヴェルガー王子は恥ずかしくなったのか耳を真っ赤に染め、私をベッドに押し倒した。そのまま私の上に乗り、重なるように私の首元にすっぽりと首を突っ込んだ。
「人型の方にも構え」
「はいはい」
まだ髪は少しだけ濡れている。湿った髪が頬にあたってくすぐったい。今は人型なのになんだか犬の時よりも犬っぽくて、そんなところが可愛くて思わず声が漏れてしまう。
ああ、私、幸せだなって。
背中をポンポンと叩くと彼は私の耳元で小さく呟いた。
「好きだ、リーリア」
「私もですよ、ヴェルガー王子」
婚約解消を望んだ私が、今以上の幸せを掴み取るのは案外遠い日ではないかもしれない。
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