裏山の聖剣が消えた聖賢(美形番付殿堂入りイケメン)だった件〜パートナー認定されましたが、剣と結婚するつもりはありません!〜
「エリス、止めなさい! お兄様とお父様が伯爵家から搾り取れるだけ慰謝料をふんだくってあげるから」
「いいえ、お兄様。バーデン辺境伯家の一員たるもの、受けた屈辱は自分で晴らさねば」
「それにしたって聖剣を抜くなんて無茶だ。無理に抜こうとすれば封印時に込められた魔法が発動するんだぞ! 怪我でもしたらどうする!」
「抜けなかったら台座ごと担いでいって殴るだけよ」

 エリスはマグマのような怒りを胸に抱きながら家の裏山を登る。
 婚約者であるフィーンズ=ガーリクスから婚約破棄の手紙が届いたのは半刻前。

 長々と書かれていた内容を要約すれば『浮気相手の令嬢に子どもが出来たからそちらと結婚する』とのこと。

 すでにガーリクス伯爵も婚約破棄には同意していると書かれていたが、ならば伯爵から当家に宛てて手紙を出すのが筋ではないのか。こんなあけすけの内容を直接令嬢に出す馬鹿がどこにいる。

 こんな男のために十年もの時間を無駄にしていたと考えると、余計に苛立ちが募っていく。

 エリスの暴走を止めようとする兄の言葉は届かない。
 いや、兄とて本気で止めようとしているわけではないのだ。止めたいなら拘束魔法か結界魔法を使えばいいだけ。けれど説得を試みるばかりで、魔法を公使する気配はなかった。

 腸が煮えくりかえりそうなほど憤っているのは兄とて同じことなのだ。

 手を伸ばし、台座に埋まった聖剣に願いを捧げる。

「エリス=バーデンが聖剣に望みしことはただ一つ、浮気男を斬らせなさい!」
 言い切ると同時に聖剣を引っ張った。
 するとなんということか、すんなりと抜けてしまったのである。気合いが入りすぎたせいで、勢い余って尻餅を付く。

 千年以上も破られなかった封印はあっさりと破られた。
 だがそれ以上に驚く点が一つ。

「まさか聖剣が人型だったなんて……。これじゃあどう斬れっていうのよ!」

 エリスの心の叫びが木霊する。
 人間の足は剣の鍔と一体化しているが、まさしく人型。全長二メートルはある。ご丁寧に服まで着ている。裸だと使いづらいからと配慮したのだろうか。そんなところに配慮するくらいなら初めから人型の剣なんて作らないで欲しい。

 それに簡単に引き抜けたわりにはそこそこの重量感がある。成人男性くらいの重さはあるのではないか。これでは使うのだって一苦労だ。

 だがエリスは魔王領と隣接したバーデン辺境領の娘である。フィーンズの好みに合わせるために鍛錬をセーブしていたとはいえ、このくらい大したことはない。

 剣でありさえすれば。
 刃先、この剣でいうところの頭を軽く撫でてみたものの、感じるのは髪の毛の質感のみ。千年も台座に埋まっていたとは思えないほどのサラサラヘアーだ。

 自分大好きフィーンズが羨ましがること間違いなし。エリスから見てもため息が出るほど美しい。どうしたらここまでのキューティクルを保てるのか。すでに苛立ちが最高潮に達しているエリスは、近くに兄しか居ないのをいいことに舌打ちをする。

「鈍器としてなら使えるかしらね」
 想像とまるで違う形の剣で肩を叩くエリス。
 その横で兄はわなわなと震えていた。

「大聖堂に飾られた消失の聖賢様にそっくりだ……まさか……」

 消失の聖賢・アルフレード=グラムスは、建国以来の天才と謳われた魔法使いである。
 初めて大規模耐魔結界の発動に成功した人であり、数百年が経過した今も彼のように結界に『反射』を付与できた者はいない。

 当時、魔族は人類の敵とされており、魔族に対抗できる術を持つその男は『救国の魔法使い』と呼ばれていたようだ。

 だがある日、忽然と姿を消した。亡骸すら確認されていないことから、長年魔族によって葬られたと信じられている。

 なぜいなくなったかはさておき、数百年前の人が生きているはずがない。

「本人なわけないでしょ。どこかで資料が入れ替わったんじゃない?」
「そう、なのか?」
「台座の穴を見て。こんな細いところに人が埋まってるわけないでしょ」

 エリスは兄を安心させるべく、イケメンの頭部を台座に突き刺す。
 するとリンゴがマジックバッグに収まるかの如く、シュルシュルと収納されていった。一度抜いたからか、引き抜く時も簡単だった。

「一度、大聖堂の神官長に見せた方が……。いや、魔塔に行くべきか?」
「それは私の願いを叶えた後で! じゃあ私、行ってくるわ」

 想像とは違ったが、聖剣を手に入れたエリスは山を下る。
 念のために持ってきた鞘にも、マジックバッグにも収まらなかったため、刃先を空に掲げた状態で。

 これでは馬車にも馬にも乗れそうもないが、走ればいいだけ。まるで聖火ランナーだ。といってもランナーはドレス姿の令嬢で、聖火代わりのイケメンを掲げているわけだが。

 エリスを見ても全く動じない自領民に挨拶をしつつ、森を抜けてガーリクス伯爵領に突入する。
 多くの悲鳴をバックミュージックにガーリクス伯爵屋敷の塀を飛び越え、ドアを蹴破った。

「何事だ!」
「真っ先にガーリクス伯爵に出会えるなんて私はなんて幸運なんでしょう。伯爵令息からの手紙で私の不運が全て落ちたようですわ」

 聖剣を見せつけるように身体の前で抱えながら、淑女の笑みを浮かべる。
 愛する男のために身につけた技術だ。距離を詰める度、伯爵の身体が大きく震えていく。

「こ、これは、エ、エリス=バーデン嬢。この度は息子が大変な無礼を……」
「婚約破棄の申し出はご子息の独断であったとでもおっしゃるおつもりで?」
「そ、それは……」
「まぁ家単位での賠償問題は後でじっくり話すことに致しましょう。とりあえず浮気男を差し出していただけません? 伯爵には三人もお子様がいらっしゃるのですから、一人くらい聖剣の餌食になっても構いませんよね?」

 聖剣を軽く一振りすると、風を斬る音がガーリクス屋敷の玄関に響いた。
 遅れて伯爵がバタリと倒れた。

「だ、旦那様!!」
 距離が空いていたこともあり、伯爵の肌には風が軽く触れた程度だというのに。

「情けない」
 ハッと鼻で笑うと、伯爵を支える使用人達は悪魔でも見るかのような視線を向けてきた。
 全くもって心外だ。なにせエリスは被害者であり、真の悪魔は失神した男とその息子なのだから。

 そもそもエリスとフィーンズが婚約を結んだのは、ガーリクス伯爵家が強く望んだからである。
 他家からの申し出もあったが、領地が隣同士であることとエリスがフィーンズに惹かれたことにより婚約が結ばれた。

 今になって思うと、当時からフィーンズの目には聖剣と自分しか映ってなかったのだろう。ガーリクス伯爵にも思惑があったのかもしれない。十年前のことなので想像することしかできないが。

 それでも会う度に愛を囁かれ、フィーンズ=ガーリクスという男性に溺れていった。他の女を孕ませるとは露ほども思っていなかった。


「あなた達の誰でもいいわ。聖剣で試し斬りされたくなかったらフィーンズ=ガーリクスの居場所を吐きなさい」

 伯爵の周りで固まる使用人に向けて、十、九、八……とわざとらしいカウントダウンを始める。もちろん目の前の彼らを斬るつもりはない。

 エリスは聖剣に『浮気男を斬らせなさい』と告げた。
 斬るが殴るに変わったとしても、浮気どころか恋人や配偶者がいるのかも分からぬ使用人を斬る訳にはいかないのだ。

 ……最近夫人との関係がよろしくない伯爵の方はワンチャンいけそうな気がしなくもないが。
 まぁそちらは夫人か愛人がどうにかするだろう。

「フィ、フィーンズ様は……」
 涙目の使用人が口を開いた時だった。
 階段上から男の声がした。

「エリス、何度話したところで僕の気持ちは変わらない!」

 いわずもがなフィーンズである。長い前髪をサラッと掻きあげ、決めポーズをしている。状況が理解できていないのだろう。

 先ほどまでエリスに向けられていた、信じられないものを見るような視線が彼に向けられている。仕えている家の令息とはいえ、ここまで馬鹿だとは思っていなかったに違いない。

 フィーンズが今日も今日とて馬鹿フルスロットルな一方、彼に腕を絡めて登場した女性の顔面は蒼白である。恐怖で声も出ないのだろう。

「ごきげんよう。マリーヌ男爵令嬢」

 エリスはにっこりと微笑む。
 すると彼女は絡めていた腕を振りほどき、自分だけ先に逃げ出した。フィーンズもさすがに異様な空気に気付いたらしい。玄関に視線を落とし、固まった。

「僕よりイケメンが、つ、貫かれて……」
「あなたってこんな時ですら顔のことばっかりなのね」

『小規模結界』

 大股で階段を駆け上り、斬りかかる。スパーンと景気よく斬るつもりだったが、勢いよく横に飛んでいくだけだった。斬る直前に聞こえた詠唱のせいかもしれない。

 フィーンズは魔法があまり得意ではないのだが、生命の危機を感じてのものだろう。まぁそれもどれだけ耐えられるか。

 先に逃げた令嬢の横を闊歩する。彼女は腰が抜けてしまったようだ。床にへたり込み、ガクガクと震えている。婚約破棄の当事者とはいえ、直接傷つけるつもりはないが、このくらいはあってしかるべきだろう。

「聖剣といえど、何百年も手入れされていない剣はダメね。これじゃあナマクラじゃない。殴るくらいにしか使えないわ……ってあら?」

 聖剣に目を向けると、先ほどまで閉じていた瞼が開いているではないか。イケメン度にも磨きがかかっている。そしてあろうことか、先ほど詠唱が聞こえた結界魔法は聖剣全体を覆っていた。

「もしかして聖剣って自動防衛機能付き?」
「先ほどのは私の魔法だ」
「うわっ、しゃべった!?」
「私のことより君の願いだ。浮気男を斬り刻むのでよかったか」
「刻んだら飾った時に本人かどうか分からなくなるでしょう?」

 喋る聖剣と言葉を交わしながらも、エリスはフィーンズとの距離を詰める。悪運が強いのか、彼はまだ意識を失ってはいなかった。頭を守る様に身を丸め、ひたすら「殺さないでくれ」と繰り返す。

「では私の風魔法で」
「ちょっと待って。私は聖剣でこの男を斬ると宣言したのだけど、あなた、風魔法で切れ味の良さを回復させることはできないの?」
「私は聖剣に取り込まれた人間であり、聖剣は私を取り込むと同時に消滅した。故に切れ味の回復はおろか、通常の剣としての機能は持ち合わせていない」
「聖剣でこの男を斬るって私の願いは叶わないってこと!?」
「だから私が風魔法で……」
「魔法なんて使ったら復讐にならないでしょ! この男が私を利用しようとした理由である『聖剣』で斬ることに意味があるの! 聖剣がないならどうすれば……」

 フィーンズがマリーヌ男爵令嬢と関係を持ったのは三年前。
 幼い頃から何度も聖剣を抜こうと試みてきたが、ようやく諦めたのだろう。三年前から、彼はバーデン屋敷の裏山を登ることを止めた。その頃から理由を付けて、エリスとの交流を減らしている。

 フィーンズが執着し続けた『聖剣』で斬ることこそが、エリスの考えた『浮気男への最大の復讐』だった。だからこそ聖剣そのものに期待した能力がないと知り、絶望する。

 だが聖剣本人はきょとんとした表情を浮かべている。

「君の素手じゃダメなのか?」
「え?」
「振られてみて分かったのだが、君の腕力は目を見張るものがある。私のバリアでも打撃に耐えるのがやっとだったほどだ。下手な武器を使うくらいなら、あの男に馬鹿にされた君が拳を振るう方が心身ともにダメージを与えられるのではないかと思うのだが―ーどうだろうか」
「そういう考え方もありね! あなたの意見を採用するわ」

 聖剣をその場に置き、蹲る男を掴み上げる。そして彼の頬を思い切りぶん殴った。右と左を二度ずつ。フィーンズ自慢の顔はボコボコに腫れていた。

「私、なんでこんなの好きだったんだろう」

 フィーンズをポイっと捨て、十年間を無駄にしたことを後悔する。そして過去と決別するため、聖剣を手にガーリクス屋敷を後にしようとしたのだが……。

「恋は盲目。誰の目から見ても最悪最低な男でも『れんあいふぃるたー』がかかると途端に世界で一番美しく見えるものだと女好きの同僚が話していた」
「……なんで普通に歩いてるの?」
「封印が解けた今、人の姿に戻ることなど造作もない」

 床に置いていたはずの聖剣が歩いているではないか。
 鍔と同化していたはずの足はしっかりと床について、人間のように二足歩行をしているのだ。

 それでも靴まではどうにかできなかった様で、エリスの後ろで伸びているフィーンズの足から靴を剥ぎ取っていた。

「サイズ合わないんじゃないの?」
「問題ない。物があれば調整できる」
「そう……」

 言葉通り、彼が小さく呟くとサイズどころか靴そのものの形が変わっていった。見た目重視のゴテゴテ靴ではなく、シンプルなショートブーツだ。彼の服装ともあっている。

 身支度を整えた彼は無言でエリスに手を差し伸べる。

「さっきの話だけど。フィーンズへの想いが消滅した今、あなたが世界一の美形に見えるんだけど、それってあなたに恋をしてるってことかしら?」
「そうだと嬉しいが、私の顔貌が整ってみえるのは事実だからだ」
「……あなたも自分大好き人間だったのね」
「客観的評価によるものだ。私は聖賢に選ばれてから五年連続で大陸美形ランキング一位を取り、殿堂入りも果たしている」

 大陸美形ランキングとは、年に一度開催される美形番付のことである。性別身分人種問わず各国から百人の美形が選出され、そこから十人が選出される。

 多くの種族の美的感覚に近いエルフが上位に選ばれることが多いが、毎年混戦を極め、ドワーフ・獣人・鬼人・魔人などの種族からも多く選出されている。

 だが人間がランク入りすることは極めて少ない。というのも人間は他の種族と比べて寿命が短いため、人間が美形と判断した人でも他の人種から見れば愛らしい子供にしか見えない。美形という枠に入れるのはどうかとの意見により、外されてしまうことが多いのだ。

 フィーンズもかつては国内選出に選ばれるところまではいったが、その先はてんでダメだった。国内までは金でどうにかできても、その先は実力、もとい顔面力が全てなのだから。

 だが大陸美形ランキングの長い歴史の中で、人間から殿堂入りを果たした者が一人だけいる。アルフレード=グラムス――消失の聖賢と呼ばれる男である。

 エリスは大聖堂に飾られた像をチラッと見たくらいの記憶しかないのだが、兄曰く、とても神々しい見た目だとか。大聖堂の像に心惹かれ、より精巧に作られた魔塔の像を拝むために魔法使いを目指す若者も多くいると聞く。

「へぇ〜。聖剣界隈にもそういうのあるのね〜」
「あんなふざけたランキングでも上位になればいい広告になるからな。寄付金集めも立派な仕事の一つだ」
「寄付金って意外とシビアなのね……」
「研究には金がかかるからな」
 彼に支えてもらいながら階段を降り、玄関に残ったガーリクス家の使用人に伝言を残す。

「婚約破棄の賠償問題については追って連絡しますと伝えておいてちょうだい」

 エリスの言葉に合わせ、聖剣がギロリと睨む。使用人達は揃って大きく首を縦に振った。素直なのはいいことだ。

「帰りは転移でいいか? それとも二階に置いてきたあれを引きずりながら歩くか?」
「転移魔法って魔法の中でも特に難しいんじゃないの?」
「使える者は使えるし、使えない者は使えない。ただそれだけのことだ」
「ふうん。じゃあ頼もうかしら」
「了解したーー『転移』」

 手を繋いだまま彼は詠唱を行う。
 通常、転移魔法のような高難易度魔法を発動させる場合、長々とした詠唱が必要となる。だが一言で終わってしまった。

 強い光を感じ、あまりの眩しさに目を閉じる。そしてゆっくりと目を開くと、そこには見慣れた光景が広がっていた。聖剣が埋まっていた山に戻ってきたのである。

「っ!」
 兄はずっと台座を調べていたらしく、突然現れたエリスに目を丸くしている。

「お兄様、今帰ったわ」
「そ、そちらの方は?」
「さっき抜いた聖剣。なんか歩けるようになったみたい。魔法も使えるのよ」
「アルフレード=グラムス。契約により、今日から彼女の夫になる。これからよろしく頼む、義兄殿」
「アルフレード=グラムスってまさか、本物の!?」
「本物の聖剣なのは疑いようもないけれど、なぜ私があなたと結婚することになってるの。そんな契約した覚えないけど?」
「願いを叶える代償は聖剣のパートナーとなること。つまり聖剣を抜いた時点で君は私の人生のパートナーとなったのだ」
「そういえばお祖父様からそんな話を聞いたことあったような……」

 エリスは幼い頃に祖父から聞いた話を思い出す。

 この世に生を受けた直後に封印された聖剣の願いはただ一つ。自らが認めるパートナーを見つけること。そのために当時最強と謳われた魔塔主の施した封印を書き換えたと言われている。そして聖剣がパートナーとして認めた者のみが彼を台座から解放することができると。

 聖剣は生涯を賭して仕えてくれると同時に、聖剣に人生を捧げることになる。だから決して軽い気持ちで聖剣に手を出してはいけない。封印の場に足を踏み入れてもいけない。見初められたら最後、どんな手を使ってでもパートナーにされるぞ。

 てっきり子供達だけで裏山探索に行かないように祖父が作った話だとばかり思っていた。だが繋がれた手を解放してくれないどころか、腰を抱き寄せる聖剣からは並々ならない執着を感じる。

 浮気男を斬るために利用したつもりが、逆に聖剣に囚われたなんてこと……。
 祖父の話が真実なら、聖剣から狙われていたのはいつからか。フィーンズに付き添って、度々裏山に来ていた過去が脳裏を駆け回る。

 エリスの背中には冷や汗が伝った。
 けれどすぐにそんなわけがないと自分の考えを打ち消す。

「でも現実問題、剣と人間が結婚するなんて無理な話よ? 戸籍なんてないでしょう?」
「戸籍はある。死亡扱いにはなっていると思うが、どうにかなるだろう。聖賢として国に貢献したのだから、このくらい融通させてもらわねば割に合わない」
「聖剣ってあまりにも強すぎるから完成直後に当時の国王が魔塔主に命じて封印させたんでしょう? 活躍する暇なんてないじゃない。そりゃあ各国へ対する抑止力にはなったかもしれないけれど」
「私が国に貢献したのは聖賢時代だ」
「だから聖剣でしょ?」
「武器の剣ではなく、魔法使い――賢者の方だ。聖賢アルフレード=グラムスの名は記録にすら残っていないか?」
「消失の聖賢」

 兄がポツリと呟いた。
 エリスよりも信心深い兄は目の前の男が、何百年も前に忽然と消えた魔法使いだと信じているようだ。顔の前で両手を組み、その場で膝をつく。

 だがエリスにはどうも信じられなかった。信じられるはずがない。エリスは間違いなくこの手で、この男を台座から引っこ抜いたのだから。聖剣が作った幻影と言われた方が納得できる。

 兄のように丸め込まれてなるものか。男をキッと睨む。

「冗談にしたって無理があるわ。そんな有名人がどうやったらうちの裏山に埋まることになるのよ?」
「酔った勢いで、兼ねてより気になっていた聖剣の封印を解明しようとしたら防犯用の魔法が作動した」
「管理を任されている家の娘に向かって堂々と窃盗未遂発言しないでくれる?!」

 まさかの返答に警戒よりも突っ込みが前に出る。

「聖賢になってから国外に行く許可も下りず、新しい研究対象も見つからず……。私の知的好奇心を刺激してくれる者は聖剣の封印くらいだったんだ」
「それで国どころか台座の外に出られなくなったら意味ないでしょ!」
「長年の聖剣生活で、我慢しすぎるのはよくないと悟った。故に君との婚姻は何としてでも取り付ける」

 この男が本物の聖賢だとすれば、窃盗未遂を犯したことになる。
 興味の対象は聖剣そのものではなく封印の方だと言い張りそうだが、聖剣に触れるにはバーデン辺境伯の許可が必要となる。許可を得られた者だけでなく、申請した時点で辺境伯家の記録に名前が残される。どんなに古い記録でも全て辺境伯家と王家に保管されている。

 触れる際には辺境伯家の一員の同行が必須。許可を得た上で本当に剣に取り込まれたとすれば、忽然と姿を消したなんて言われない。少なくとも聖剣に関する記載が残る。

 公にされてはいなくとも、王家より管理を任されている辺境伯家に伝わっていないはずがないのだ。

「私との結婚を悟りの結論として繋げないで欲しいんだけど? というか私は結婚を了解したつもりはないわよ」

 フィーンズの靴に関しては見逃すが、暇だからと窃盗未遂を起こすような男と結婚するなんて御免だ。遠回しに『あなたと結婚する気はない』と告げる。

 だが聖賢を名乗るだけのことはあるようだ。
 目の前の男の方がエリスよりも数段上手だった。

「何人たりとも聖剣の契約に逆らうことはできない。が、君なら台座や聖剣の破壊くらいやりかねないからな。その上から契約魔法を三重にかけておいた。結婚記念日を迎えるごとに増やしていこう」

 全人種の老若男女を魅了する笑みを浮かべ、衝撃発言をする。

 心外だ。この男は人のことをなんだと思っているのだ。さすがのエリスも台座や聖剣を破壊しようなんて思わない。精々鍛冶場の火の中に突っ込んで、人の形をした剣からハンマーに形を変えようとするくらいだ。

 だがこの男、口だけではない。魔法使いではないエリスには彼がかけた魔法を解読することは出来ないが、自分の行動が制限されたことは察せられる。台座と聖剣本体にも結界魔法を常時発動させているのだろう。厄介な男である。

「普通そこまでする?」
「ひと目惚れなんだ。聖剣を掲げて大地を駆ける姿も、迷いなく剣を振り下ろす豪胆さも、聖剣が人の姿をしていても全く動じぬその姿勢も好きだ。愛してる。パートナーにしたいと思える相手も、私の足を掴んで振り回して欲しいと思える相手も君以外にはいない」
「あたかも私に、男の足を掴んで振り回す趣味があるみたいに言わないでくれる!?」
「君にそんな趣味があったら、過去に君が振り回した人間全てを切り刻んで王宮の薔薇園の肥料にしなければならなくなる」
「……王族に深い恨みでもあるの?」
「その答えは、私の戸籍がどうなるかで変わってくる」
「不穏すぎる……」

 ニコリと笑うアルフレード。
 行動を制限されたことを未だに恨んでいるのだろう。何世代前の国王が下した命令かは分からぬが、よくもまぁこんな厄介な男を鎖で繋ごうとしたものである。

「王城に行くのであれば馬車を出しますので、エリスも一緒に連れて行ってやってはくれませんか?」
「なんてこというのよ! こんな変人に妹を差し出そうなんてあんまりだわ!」
「結婚するかどうかはさておきとして。聖剣を抜いた者がいた場合、当家にはそのことを王家に報告し、抜いた者を連れていく義務がある。エリスも知っているだろう」

 正論を突き付けられては文句もでない。
 報告義務を父や兄に押し付けたとしても、エリスには聖剣を持って登城する義務がある。どう転んだところで逃げられない。

 そもそも聖剣を抜いたのはエリスだ。
 国の一大事でもなければ、正式な申請もしていない。これ以上駄々をこねれば、祖父と祖母の長い説教が待っている。解放されたら母に捕まり……。想像しただけでゾッとする。

「分かった、行くわ。行けばいいんでしょ」
 エリスには渋々だろうが、了承する以外の選択肢は残されていなかった。

「馬車などなくても転移魔法ならすぐに……。いや、報告ついでに婚前旅行というのもいいな」
「却下。婚約破棄が公にされていない段階で、あなたみたいな顔のいい男と一緒に歩けるわけないでしょ」

 馬車で行くにしても、剣の姿で連れていくつもりだ。
 こんな顔面だけで国を一つ落とせそうな男と旅行なんて冗談じゃない。まだ婚約破棄の話が広まっていない地域にまで閃光のごとく情報が駆け巡ること間違いなし。

 辺境伯家側が情報を出す前にそんなことになれば、噂に尾ヒレがつくどころか背びれも鱗も付いて、悪意という名の小骨だって入れ放題状態になってしまう。後から丁寧に取り除いたところで見向きもされない。噂とは恐ろしいものなのだ。

「先ほどの屋敷に行く際、多くの目撃者がいたと思うが?」
「持っているのが剣なら多少変わった趣味だなぁくらいにしか思わないでしょ?」
「まぁ狂気を感じる光景だったし、身持ちを疑われるようなことはないと思う。といってもアルフレード様のお顔を前にして浮気だどうだのと考えれられる人間がどれほどいるか……。真面目な国民ならまず拝む」
「まるで私が不真面目かのように言わないでくれます?」

 エリスからすれば真顔で言い切る兄の方が怖い。目の前の男が消失の聖賢であると確信しているとはいえ、いや、聖賢であってもいきなり拝まない。

「つまり今代の国王に婚約破棄発表と結婚報告を同時にさせれば、大手を振って新婚旅行に出かけられると?」
「ならいっそ国外旅行なんていかがでしょうか」
「それはいいな。最初の行き先は……そうだな、エルフの大森林にしよう。あそこならまだ私のことを覚えている者もいるはずだ」
「私を置いて勝手に話を進めないで」
「もちろん君が行きたい場所全てを回るつもりだから安心してほしい」
「そういう話じゃなくて……あー、頭痛くなってきた」
『状態異常回復』
「そうじゃない!」

 エリスは力強い突っ込みを入れる。
 この時のエリスはまだ、彼女を絶対に逃がしたくないアルフレードによって、王への結婚報告を大陸同時中継されるとは想像もしていなかったのである。
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