悪役令嬢、釣りをする
「いってきま~す」
「気をつけていくんだぞ」
「お土産期待していてください」

 ドルティアは今日も釣り道具を手に、馬に跨がる。

 護衛は執事見習いのビィリアスだけ。
 五歳の時に乙女ゲーム世界に転生したと気づいてからほぼ毎日釣りに付き合わせている。そのせいで執事としては全く成長していないことが悩みらしい。

 おかげで数年でめっきりと老けたとぼやいているが、元々そんな顔だ。
 彼は乙女ゲームでも悪役令嬢ドルティアの従者として登場するが、今とあまり変わらなかった。それに彼だってなんだかんだ楽しんでいる。小言を言う時も顔が緩んでいるし、ふとした時に柔らかく笑うのだ。きっと長い時間一緒にいるドルティアしか知らない。

 それにビィリアスにだってメリットがない訳ではない。
 なにせドルティアと同じ方法で爆速レベリングを繰り返しているのだから。二人は弱冠十五歳にして揃ってレベル五十をゆうに越えていた。



「今日はどちらで釣るのですか?」
「魔魚の沼! 学園入学までにレベル六十は行きたいのよね」
「お嬢様は一体どこまで強くなられるおつもりですか」
「浮気男と結婚しなくてよくなるまで」
「まだそんな迷いごとを……」

 この問答も何度目か。聞き続ければ答えが変わるとでも思っているのだろう。ビィリアスは今日も大きなため息を吐く。けれどドルティアは一歩も譲るつもりはない。

 なにせ前世で死ぬ原因となったのは浮気男だった。恋人の浮気現場に居合わせて詰め寄った直後に死んだのだ。

 彼が直接手を下した訳ではない。二股どころではなかった元恋人の婚約者と名乗る女性に刺されたのである。

 意識が薄れる中で見えたのはナイフを両手で握りしめてぷるぷると小さく震える女性だった。かなりの美人さんで『ごめんなさい。あなたを刺すつもりじゃ……』と涙と共に声を溢していた。

 おそらく男の方を刺すつもりだったのだろう。浮気された気持ちはよく分かるので、女性のことはあまり恨んでいない。ちゃんと確認して欲しかったなとは思うものの、それだけパニックになっていたのだろう。

 婚約者と言うくらいだから、結婚話も進んでいたのかもしれない。浮気どころか結婚詐欺のような気さえする。

 なのでドルティアとして転生していると分かった時に残っていたのは浮気男への嫌悪感だけ。

 そして何の因果か、ドルティアの婚約者は数年後、浮気をする。乙女ゲーム世界のヒロインと出会って恋に落ちるのである。

 前世でプレイした時もドルティアが不憫に思えたが、本人として生まれ変わったら不憫なんて言葉で済ませるつもりはない。


「私は心移りをするなと言っているんじゃないの。他の人を好きになったのなら元々いた相手との関係を清算してから次にいけって言ってるの!」

 具体的には王子側の全面的な過失を認めた上で婚約破棄を成立させろ、と。

 王子を奪われると恐れたドルティアがヒロインを虐めるのを散々無視しておいて、最後の最後で断罪してポイなんてあり得ない。

 テンプレとはいえ、ドルティアがヒロインを虐めるのは婚約者である王子ルートの時だけ。その他のルートでは悪役というよりもお邪魔キャラとして登場する。だから余計に可哀想なのだ。

 このゲームは特定の行動をすることでレベリングが出来、それがゲーム進行に大きく関わることとなる。イベントの発生条件も特定のキャラとの親密度をあげるだけではなく、攻略対象が得意とするもののスキルを一定レベルまで上げることや○個のスキルをレベル10以上にする・特定のアイテムをゲットするなど複数の方法がある。

 悪役令嬢はその邪魔をする役。
 それも主人公を恨んでいるからではなく、『公爵令嬢たる私が平民に遅れを取るわけにはいきませんの!』という理由で。彼女が率先してヒロインと絡むことで平民の彼女は貴族ばかりの学園でも居場所を見つけていく。

 ちなみにスキルレベルを上げる順番を考えながら慎重に進めなければ必要なアイテムを悪役令嬢にゲットされてしまう。

 とはいえ王子ルート以外でのドルティアはヒロインから何かを奪っているつもりはまるでなく、彼女もまた努力を続けた結果、そのアイテムを手にしたのだと描かれている。

 なのでプレイヤーからも愛されていた珍しいタイプの悪役令嬢なのだ。
 応援の結果、ゲーム発売の半年後にはファンの中では『悪役令嬢エンド』と呼ばれるルートが追加された。

 主人公が誰のルートにも入らず、全てのスキルをマックスにすると悪役令嬢は王子との婚約を解消し、ヒロインと二人で女性を支援・応援する活動を始めるのである。

 王子ルートはかなり好みが分かれるものだったため、このエンドこそが真のハッピーエンドだと言うプレイヤーも多かった。

 ドルティアもまたこのエンド導入に大喜びしたプレイヤーの一人だった。

 なのですでにドルティアの中で王子の好感度は地の底まで落ちている。回復の見込みはゼロだ。

 とはいえ、ヒロインに悪役令嬢エンドを選んで欲しい訳ではない。自分が断罪されなければ好きな男性を選べば良いと思う。そして王子にはさっさと婚約を破棄して欲しい。出来れば王子の過失で。


 今は婚約破棄後に備えてせっせとレベリングをしている最中である。


 ゲームでスキルレベルが上げやすいものが主に三つ。
 睡眠・読書、そして釣りである。前の二つはボタンを押せば一定時間が過ぎて経験値が入る。

 だが睡眠は時間に応じて一定の経験値しか得られないので、序盤には有効だが、後半は時間を浪費してしまいがち。意識的にしなくともゲーム開始よりも早く転生しているため、それまでの睡眠で経験値を稼げている。
 なのでこれはスルー。眠かったら早めに寝るくらいで良い。


 読書は後半でも難しい本を読めば相応の経験値が得られるが、古書店で魔導書を見つけるなど特殊なアイテムをゲットする必要がある。
 こちらは公爵家の令嬢としてふさわしくあるため、家で雇われた家庭教師に選んでもらった。おかげで読書スキルと一緒に勉強スキルもググンと伸びている。


 だが釣りによって得られる効果とは比べものにならない。

 釣りはタイミングよくボタンを押すというアクションは求められるものの、プレイヤーのスキルさえあれば序盤で用務員さんから譲ってもらえる『使い込まれた釣り竿(ボロ)』でもスキルレベルをマックスまで上げることが可能だった。

 ただし魚図鑑コンプリートをするには他の釣り竿、ひいてはそれを作るための道具を集める必要がある。

 といっても魚図鑑をコンプリートする必要があるのは主人公の幼馴染みルートに入りたい時だけ。しかもそれも魚図鑑でなければならない必要はなく、何かしらの図鑑を埋めればいいのである。

 さすがに現実となるとタイミング良くボタンを押すほど簡単ではなかったが、父に頼んで連れて行ってもらったドワーフの鍛冶場で最上級のものを作ってもらった。ついでに魚をさばくためのナイフも。

 良い釣り竿を使うと釣りやすいというのはゲームと一緒。この釣り竿を使えばゲームでは最高難易度に指定されていた魔魚だって楽々に釣ることが出来る。


 魔魚は釣りの経験値が高い・取引価格が高い・調理スキルの経験値が高い・食事スキルの経験値が高いなど良いところが満載。加えて魔魚は魔物カウントされるため、釣り上げた後に絞めることで通常のレベルも上がる。


 この方法でドルティアとビィリアスはガンガンにレベルを上げてきた。
 先に普通の魚を釣り上げて釣りのスキルレベルをある程度上げる必要があるが、魔魚はハイランクのわりに攻撃をしてくることはない。

 最も簡単で安全かつ効率的にレベリングが出来るのである。
 といっても他の魔物と戦う際には剣術スキルや魔法スキル・槍スキルなどの戦闘系スキルのレベルを上げる必要があるのだが。さすがに父が許してくれるはずもないので、こちらを上げるつもりは全くない。

 レベルが高いだけでも低レベルの魔物が避けてくれるので、それだけで十分だ。


「あっ、また釣れた!」
「こっちも釣れました」
「餌ってまだあったっけ?」
「今日使う分くらいはありますが、また注文にいかないとですね」
「じゃあ今日は早めに切り上げて錬金術師の元に行こう」

 今日は大漁だ。糸を落としたらすぐに食いついてくれる。釣った魔魚の半分くらい市場に卸せるかもしれない。

 魔魚はなかなか釣れないため、持ち込むといつも高価格で買い取ってくれるのだ。大体魔魚一匹で金貨五枚。大きさによって若干変動する。

 といっても魔魚が食いつきやすいのは錬金術師が作った餌で、こちらもなかなかのお値段である。得たお金のほとんどは餌代に消える。

 そして余った分はビィリアスのお小遣いになる。付き合ってもらっているのでこれくらいはしなければ、とドルティアが決めた。両親からも承諾を得ている。

 初めは周りの使用人から羨ましがられていたようだが、週に一度、使用人用の食事に魔魚を何匹か渡せばにっこりと送り出してくれるようになったのだとか。

 今後使用人としてやっていく上で釣りスキルなど必要ない。そんなスキルを伸ばして得る多少のお金より黙って送り出すことで得られる美味しいご飯を選んだのである。賢い選択だ。


「さて今日はこのあたりで切り上げましょうか」
「そうね。全部で何匹になった?」
「十七です。といっても小ぶりな魔魚が多いですが」
「じゃあ七匹は売りましょうか」

 道具を片付けて馬に乗る。そのまま馬を走らせて四半刻ほどで街についた。
 馴染みの魚売りはドルティアとビィリアスの顔を見るとニッと笑った。

「今日は何匹卸してくれるんだ?」
「七匹。小ぶりだけど釣ってきたばかりだから鮮度はいいのよ」

 ドルティアの言葉に合わせてビィリアスが魔魚を見せる。魚売りは嬉しそうにほおっと息を吐いた。

「これだけあれば十分だ。実は一昨日、お貴族様から次に魔魚を仕入れたら全部持ってくるように言われてたんだ」
「へぇそれは良いこと聞いたわね」
「はい。少しは色をつけてもらいたいところです」
「もちろん初めからそのつもりだ。ここいらじゃ魔魚なんて釣ってくるのはあんたらだけだからな。その代わり、これからも釣れた時はうちに持ち込んでくれよ?」

 言葉通り、一匹あたり金貨七枚で買い取ってくれた。今回は小ぶりだったので金貨四枚くらいだと思っていただけに嬉しい誤算だ。ビィリアスもずっしりとした革袋を手に、顔がにやけるのを必死でこらえている。

「じゃあまた多く釣れたら持ち込むわ」
 軽く手を振って、今度は錬金術師の店に向かおうとした時だった。


「鉄貨一枚だってまけるつもりはない」
「まけてくれっていうんじゃないよ。ただ支払いを十日待っておくれっていっているんだよ」
「そういってばっくれるつもりだろう」
「じゃあキープでもいいから」
「あんたに売らなくても買ってくれる客はいくらでもいるんでね」
「そこをなんとか……」
「それに俺は品物が売れたら他に移るつもりなんだ。あんたのためだけに待っちゃ入れないよ」

 市場の一角にある店で見慣れた顔を見つけた。今し方向かおうとしていた錬金術師の店の店主、ゴージャンである。

 どうやら流れの商人の店で錬金術に使えそうな素材を見つけたらしい。ドルティアの目から見ればただの石だが、金貨四十五枚とかなりの値段がついている。それでも欲しい・支払いを待ってくれと伝えるということは珍しい素材なのだろう。

 商人からすげなくされてもゴージャンは立ち去る気はないようだ。すでに長い間問答しているようで、周りからは「まだやってるよ……」と呆れた声が聞こえてきた。

 これでは餌の依頼を出来そうにない。ビィリアスに視線を向ければこくりと頷いた。袋から余分の金貨を取り出し、ポケットに入れる。


「あの」
「いらっしゃい! さぁ金がない客はどいたどいた」
「そんなぁ」
「いえ、私達はゴージャンさんに用事があるんです」
「この客に?」

 商人は疑わしげな目を向ける。だがすぐに連れなら引き取ってくれと訴える目へと変わった。そして遅れて振り向いたゴージャンは目をカッと見開いた。まさかたまに来る客がわざわざ外で声をかけるとは思わなかったのだろう。

「あなた達は釣り餌の」
「釣り餌を頼みに来たんですが、そのお金、先払いしましょうか?」
「へ?」
「ちょうど魚を売ってきたばかりでお金はあるんです」

 袋を開いて金貨を見せれば、ゴージャンはすぐに飛びついた。

「ありがとうございます! 餌と言わず、錬金釜とレシピをお教えいたしますので」
「え?」

 ゴージャンの言葉にドルティアが目を丸くする番だ。
 だが彼は構わず会計を済ませ、鉱石を抱き寄せる。商人はあからさまにホッとしていた。

 商売の邪魔をされたのだからこれくらいの利益はあって良かったとでも思っているのだろう。ゴージャンもお目当てのものさえ買えたらこの店に用事はないようで、店に向かって歩き始めた。

「ささどうぞこちらへ」
「錬金釜とレシピって本気ですか?」
「はい。わざわざ錬金術師に釣り餌を頼むのはあなた達くらいなものですし、材料も難易度も大したものではありませんから。すぐに作れるようになると思いますよ。錬金釜はこの鉱石のお礼です。まさかこれほどの大きさでたったの金貨四十五枚なんて……。おおかたビビース鉱石と間違えたのでしょう。あの商人の目が節穴で良かったです」
「そんなに良い物なんですか?」
「金貨四百枚でも安いくらいですよ。これは原石ですが、研磨すれば千枚の価値はあります。いやぁ本当にお客さんのおかげです」

 ゴージャンは上機嫌で話してくれる。
 ビビース鉱石と言われてもドルティアにもビィリアスにもさっぱりだ。専門的なものなのだろう。

 渡した四十五枚の金貨が金貨四百枚越えの価値の物に化けるとは思わなかった。だが惜しくはない。錬金術のレシピの方が貴重だ。

 どんなに金を積んだところで錬金術師の要とも言えるそれが出回ることはないのだから。

 彼にとって釣り餌は大したものではなかったとはいえ、これほどの物が手に入れられたからこそ対価として渡そうと思ったのだろう。

「木べらと『錬金術の初歩』もつけておきますね。表紙はボロですが、中身はまだまだ使えますので。あと材料もいくつか」

 簡単に言うが、錬金術の初歩はゲームでも伝説とされていた本だ。
 冊数が少ない上、錬金術師の中で受け継がれているため出回らない。だからこそ錬金術は珍しいとされるのだが、ゴージャンが気にした様子はない。大奮発すぎる。

「錬金釜小さいものにしたので、馬でも持って帰れると思いますよ」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらの方です。これで王都に戻れます」
「元々王都にいたんですか?」
「はい。とある物を作ることが一人前になる試験なのですが、最後の一つの材料がなかなか手に入らなくて」

 その材料こそが先ほどの鉱石だったのだとか。レシピを教えてくれたのも、近々この街を去るからという理由もあったのだと。

 彼は「同期の中で、多分私が一番乗りです」と笑いながら店先で見送りをしてくれた。



 屋敷に帰り、早速魔魚の調理に入る。
 貴族の令嬢は料理なんてしないものだが、料理をすればスキルが上がる。料理スキルを上げてどうするのかは決めていない。

 だが何かに役立つかもしれない。上げられる機会があるなら上げておいた方が良い。

 初めは焼き魚くらいしか作れなかったドルティアも、今は魚料理だけ色々と作れるようになった。得意料理は魔魚のクリームシチューである。

 前世とは違い、生魚が食べられないのが少し悲しいが、クリームシチューもまた前世からの好物だった。一気に大量に作れるのも良い。

 隣ではビィリアスが使用人の分の料理を作っている。こちらは魔魚と野菜を煮込んだスープである。彼はこれしか作らない。

「またそれ?」
「本来魔魚なんて使用人が頻繁に食べられるようなものじゃないので、これで十分です。実際みんな喜んでいるので」
「そうなの?」
「私がお嬢様について学園に行くのを残念がっているくらいには」

 彼はそう言って、コンロの火を止めた。出来上がったようだ。ドルティアの方はもう少し煮込むことになる。

「では私は釣り道具の手入れをしてきます」
「よろしくね」

 見送ってからしばらく煮込む。
 出来上がったら使用人に交代して、家族の分を盛り付けて運んでもらった。

 この数年ほぼ毎日食卓には魚が並んでいるのだが、両親も兄も妹も文句一つ言わない。皆、魔魚が大好物となったのだ。

 妹なんて魔魚がないとあからさまに残念がるほど。妹もまたドルティアとビィリアスが三年ほど領地を離れることを残念がっている。

 だがそこで終わらず兄と父に「私も釣りがしたいです。魔魚が釣りたい!」とねだっている。

 前世の記憶があるドルティアとは違い、妹は生粋の公爵令嬢。しかもまだ六歳ながら誕生日プレゼントにドワーフの作った釣り竿が欲しいと頼むほどにはガッツがある。

 食事スキルレベルが上がった影響か、はたまたただ単に食い意地が張っているだけか。
 姉としては婚約者選びに影響が出ないか少しだけ心配ではある。

 まぁ心配したところで妹には妹の人生がある。
 嫁ぎ先で魔魚が食べたいと毎日我が儘を言って使用人を困らせる令嬢に育つよりは、自分で釣りに行く令嬢の方が健全ではある。令嬢として正しいかには目を瞑ることにはなるが。


 今日も今日とて元気におかわりをする妹を見守ってから「お話したいことがあります」と声を上げる。

 今日の報告をするために道具の手入れが終わったら顔を見せるようにビィリアスに伝えてある。彼がいるのは確認済みだ。彼は先ほど受け取った『錬金術の初歩』を差し出してくれた。

「街に魔魚を売りに行った際、錬金術師が支払いに困っていまして。餌代を先払いするとお伝えしたところ、対価としてこちらを譲り受けました」
「なっ!」
「この他に餌のレシピと小さな錬金釜、木べら、錬金術の材料をいくつか譲っていただきました」
「いくら渡したんだ?」
「金貨四十五枚」
「たったそれだけで?」
「以前から欲しかったものが買えたようで」

 両親ははぁ……と感嘆の息を吐く。渡した額も少なくないとはいえ、得た物が多すぎる。両親もドルティアと同じ感想なのだろう。

 これに関しては運が良かったとしか言いようがない。

 王都に店を構える師匠がいることや、錬金術の材料としてかなり高額の鉱石を使うこと、材料を手に入った直後に完成を確信していることから、彼はかなり凄腕の錬金術師だったのだろう。

 乙女ゲームで出てくる釣り餌しか頼んだことがなかったので全く気づかなかった。

「その錬金術師は近々街を離れるとのことでして、今後も魔魚を釣るためには餌を自作する必要があるのです。ビィリアスと共に錬金術にチャレンジする許可をいただけますか?」
「……分かった」

 父は少し悩んだようだったが、納得してくれた。

 魔魚の力は絶大である。
 一人ではなく、ビィリアスを巻き込んだのも良かったのだろう。

 背後から聞いていないと言いたげな視線をひしひしと感じるが、そんなものは無視だ。この屋敷にいる者は皆、魔魚が食卓から消えることをよしとしないのだから。


 すでにスキル上げだけの問題ではないのだ。

 残りの時間は少ない。学園入学まで三ヶ月を切っている。
 学園入学後も釣りを止めるつもりがないドルティアとしては、そこまでに釣り餌だけでも作れるようになっておきたい。


 自室に戻り、ビィリアスと共にもらった材料と本、レシピを確認する。
 いつも頼んでいた餌の材料には二人して目を丸くした。

「材料こんな感じだったんだ」
「これなら屋敷にあるもので揃いますね」
「まさか馬の餌が練り込まれているとはね……」
「あの果実が熱を加えることで強い香りを発するようになるとは」
「水の流れもあるんじゃない? 餌にしようと思ったことないから分からないけど」
「どちらにせよ、先にこちらの本をマスターする必要があるらしいですよ」

 すり鉢とすり棒を頼まなければ、と脳内メモに記してから錬金術師の初歩を手に取る。

 さらっと読んでみたところ、初歩としてマスターすべきアイテムとして並んでいたのはいずれも薬だった。

 調薬と錬金術は似たところがあるらしく、簡単な薬を繰り返し作ることで調薬スキルレベルを上げる必要があるらしい。


「調薬スキルなんてあったんだ」
「ありますよ。知らなかったんですか?」
「基本的なところしか知らなかったの。貴族だとあんまり伸ばすスキルじゃないし」
「釣りスキルも令嬢が伸ばすものではないですけどね」
「こっちは薬草とかが必要になってくるのね」

 ビィリアスの嫌みをスルーして、使用する材料をメモしていく。
 彼もドルティアの行動には慣れているのでそれ以上嫌みを続けることなく、最後にはため息を吐いてからメモを回収していった。


 二日後、釣りから帰ってくるとすでに材料が揃っていた。
 錬金釜が使えるようにと、外にたき火場も作ってくれたようだ。しかも屋根付き。キャンプ場の水場に似ている。

 木で作ったテーブルと椅子もあるので、ありがたく使わせてもらうことにした。

 しばらく釣りを自粛して、せっせと薬を作っていく。
 これがなければ魔魚が釣れないからと、屋敷中の人が応援してくれた。その間、妹は兄と共に釣りスキルのレベリングに励む。


「よっし、出来た!」
「水に入れてもしっかりと匂いが広がりますね」
「そう! 今すぐ釣りに行きたい……」
「学園入学準備が先です」
「ちぇっ」
「ただでさえ押しているんですから早くしてください」

 釣り餌が完成したのは、学園入学の十日前。
 公爵領から王都までは五日ほどかかり、入学の三日前には寮入りしなければいけないのでかなりギリギリだ。

 釣りに行く時間がないことくらい、ドルティアでも分かる。そして妹と兄が完成したばかりの餌を狙っていることも。

 ぶうぶうと文句を言いながらも、兄と妹に餌を託す。
 もちろんいつも魚を売りに行く店について教えるのも忘れない。色をつけてもらった分、還元しなければ。

 店の場所を記した地図を渡してから、入学準備を始める。

 といっても学園では基本制服で、教材は寮に置かれている。お茶会や夜会に必要なドレスは定期的に公爵家から送ってもらうことになっている。

 学園生活以外で着る服は家族が用意してくれた。ドルティアの普段着はどれも乗馬と釣りに適しているものだったので、貴族の令嬢として擬態するための服装が他に必要だったのだ。

 釣り道具はビィリアスが用意してくれるので、ドルティアは主に詰めた荷物を確認するだけ。半日もあれば終わる。



 そうして学園に入学した訳だが……。

「ドルティア、君との婚約を破棄する」
「はぁ……」

 移動教室のタイミングで声をかけられたかと思ったら、予想もしていない言葉が王子の口から飛び出した。なぜ今なのだろうか。授業に遅れるではないか。それが真っ先に頭に浮かんだことだった。

「なんだその気の抜けたような声は」
「まだ入学してから二ヶ月しか経っていないのですが」

 乙女ゲームでヒロインが入学してくるのは二年生が始まる頃。悪役令嬢が断罪されるのはその学年末である。まだヒロインが入学してすらいない。

 なのに王子は婚約破棄を言い出した。隣には他の令嬢の姿がある。

 少し前から王子がとある女子生徒を侍らせているという噂は聞いていたのだが、いかんせん王都近郊には釣りスポットが多すぎる。公爵領では見かけなかった魚が多く生息しており、噂の確認よりも釣りを優先してしまった。

 なので隣にいる令嬢が誰なのかすら分からない。

「この二ヶ月、君の態度を見せてもらったが、あまりにもヒドイものだった」
「婚約者以外の女性を侍らせている王子の態度に比べればマシだと思いますが」
「なっ!」
「私、そちらの方のお名前も存じ上げないのですが、王族の方でしょうか」
「ネルソン子爵令嬢だ!」

 王子は顔を真っ赤にする。
 けれど子爵令嬢の名前と顔を把握していろというのは無理な話だ。知っていても長男がせいぜいで、良家に妻に出れば知識として追加される程度。しかもネルソン子爵家にはこれといって名産がない。成績だって上位にいないので、覚えるきっかけがない。

 知ってほしければ何かしらの成果を出せという言葉が出かかった。
 けれど公爵家の令嬢として、気合いで飲み込んだ。代わりの言葉を並べる。

「それで、子爵令嬢がなぜ王子と共にいらっしゃるのでしょうか?」
「今はその話はしていない! 婚約破棄と君の態度の悪さについてだ。毎日学園が終わると従僕と共に遠駆けをしていると聞いている」
「釣りに使用人を同行させていることに何か問題でも?」
「釣り?」
「趣味なのです。手紙でも何度かお伝えしたと思いますが」
「い、いや、そういえばそんな話が書いてあったような……。だが毎日出かけるというのはいささか頻度が多すぎるのではないか?」

 好感度が低いとはいえ、婚約者は婚約者。
 よほどの理由がなければ公爵家から婚約を解消することは出来ず、婚約者の義務として文通を続けていた。

 そして書くことがなさすぎて途中から釣りのことばかり書き連ねていた。
 この反応からして、王子は手紙を書くのが面倒で使用人にでも託していたのだろう。

 面倒でも情報くらい整理しておけよと心の中で毒づく。

 だがこれはチャンスだ。王子の手札は釣りに出かけていることだけ。
 こちらには攻め込む余地がある。心の中でガッツポーズを、けれど表情は澄ました顔で平然を装う。


「釣りというものは海や川、湖の状態で釣れる魚が大きく変わります。十匹以上釣れる日もあれば、一日竿を持っていても一匹も釣れない時もあります。まさに自然との闘いなのです。それに頻度で言えば王子がネルソン子爵令嬢でしたっけ? 彼女と共にいる頻度と変わらないではありませんか。いえ、家族でも使用人でも婚約者でもない異性を連れている時点で私よりも問題かと思います。私、浮気は許せないたちなのですが、そちらの女性との関係を詳しく説明していただけますか?」
「そ、それは……」
「王子が婚約破棄をお考えになっていること、多くの生徒がいる場で宣言したこと、陛下はご存じなのでしょうか?」
「う゛っ……」
「父に報告し、必要とあれば王家に抗議させていただきます。もちろんネルソン子爵家にも」


 乙女ゲームでは証拠を集めていた王子も、現実では焦りすぎたようだ。

 勝利を確信していたから生徒が多い場所で婚約破棄を言い出したのだろうが、今では逆効果。

 しくじったと顔に書いてある。ネルソン子爵令嬢に至っては真っ青である。
 だが知ったことではない。不確かな情報でドルティアを陥れようとしたのは王子と子爵令嬢だ。ドルティアは自衛したに過ぎない。

 陛下の決断を待つのみだ。
 ドレスを翻し、今度こそ教室を移動しようとしたときだった。
 背後で控えていたビィリアスが声を上げた。

「それには及びません」

 彼はそう宣言し、スッと右手を挙げた。
 すると黒衣を身にまとった男達がどこからか出てきた。

「お前達は王家の影! なぜ俺を確保する!?」
「王子が女性と懇意にし始めた時点で王家には報告し、影をつけていただきました」
「従僕ごときに何の権限が!」
「私の顔に見覚えはありませんか?」

 ビィリアスの言葉に、王子の顔は青を通り越して白くなっていく。

「ラビィリアス、王子……」
「第一王子の様子がおかしい。国同士の関係を見直さざるを得ないとお伝えしたところ、快く了承してくださいましたよ」

 その言葉で王子は諦めたように肩を落とし、子爵令嬢と共に回収されていった。

 残った生徒達は『ラビィリアス王子』という名前にざわめいている。ドルティアもびっくりだ。

 ラビィリアス王子といえば、十年前に忽然と姿を消したことから『消失の王子』として有名だ。

 当時、大国では側室の子どもである『第一王子』を王に据えたい派と、正妻の子どもである第二王子を王に据えたい『第二王子派』に分裂していた。

 ラビィリアスは第三王子。正妻の子でありながら、王位継承争いとは関係ないとされていた。生まれた順番だけ見れば。

 だがあまりにも頭が良すぎた。
 それ故、新たに第三王子派が生まれてしまった。ラビィリアス王子はわずか三歳で権力争いに巻き込まれてしまったのである。

 そしてある日、姿を消した。
 そこから『消失の王子』という名前がついたのだが、殺されたのだろうと今この瞬間まで思い込んでいた。

 ドルティアだけではなく、この場にいる全員がそうだと思う。
 だが連行されていった王子の表情が真実であることを物語っていた。


「なぜラビィリアス王子が……」
「両親も義母も兄も権力争いを望んではいなかったので、私だけでもと遠縁にあたる家に隠すことにしたのです。初め、公爵は養子として育ててくれると言ってくださったのですが、社交界に出れば私の顔を知っている者がいるかもしれません。そこで執事見習いにして欲しいと頼みました。まさかほぼ毎日釣りをして過ごすことになろうとは思いませんでしたが、おかげで国にいたままでは過ごせない時間を過ごすことが出来ました」

 こんな設定、ゲームにはなかった。
 だが断罪された悪役令嬢が向かったのは大国だった。裏設定としてはあったのだろう。続編への伏線だったのかもしれない。まさか大国の王子を毎日連れ回していたとは思わず、今更ながらに頭が痛い。使用人だって王子に料理を作らせていたと知れば泡を吹いて倒れるかもしれない。

「私を恨んでいる?」
「まさか。嫌だったら権力争いが収まった、二年前には国に戻っていますよ」
「じゃあなんで」
「王子としてでも使用人としてでもなく、友人のように接してくれたあなたに恋をしたからです。……本当に婚約破棄をされればいいと思うほどには」
「で、でも釣り道具の片付けとかさせてたし!」
「準備をするのはお嬢様でしたよ」
「料理だって別々で」
「公爵に頼んで、お嬢様のお手製料理を食べてました。私の食事スキルの一部はお嬢様の手料理によって上げられたものです」

 そんなの初耳だ。初出し情報ばかりでパニックになってしまう。敬語を使うのだってすっかりと忘れて。

 ビィリアスはそんなドルティアを楽しそうに見つめる。
 いつもの彼とは違う。普段あったはずの一線を飛び越えてきたかのよう。

「お嬢様、私は一途な男です。八年間、ずっとあなただけを見てきた」
「……十年とは言わないのね」
「初めは変な令嬢だと思っていましたから。その変さが私の手元へと導いてくれるとは思いませんでしたよ。あなたは本当に予想外で、一緒にいると楽しくて仕方ない」

 彼はそう告げると、ドルティアの前で膝を折る。

「たった今、使用人という立場と婚約者という大きな枷がなくなりました。だからこれは一国の王子としての言葉になります。……ドルティア嬢、私と結婚していただけませんか?」
「一途だって言葉、信じるからね?」
「ええ、信じてください」
「私と結婚なんてしたらほぼ毎日釣りだけど」
「我が国にも釣りスポットはたくさんあるんですよ。一緒に釣りに行って、帰ってきたら一緒に料理をしましょう」

 どうかこの手を取ってください。
 その言葉と共に伸ばされた手は、ドルティアもよく知っている安心出来る人の手だった。


 王子様なら釣りやレベリングに付き合う必要なんてない。適当に理由をつけて別の使用人に代わってもらえば良いだけだ。

 それでもずっと付き合ってくれた。共に過ごした時間が、彼の言葉を肯定してくれる。

 ビィリアスになら騙されてもいいと思わせてくれる。
 だから頬を膨らましながら手を伸ばす。彼はとろけるような笑みを浮かべ、ドルティアを抱きしめた。

「絶対幸せにします」
「裏切ったら承知しないから」

 憎まれ口を告げるのは恥ずかしいから。
 なにより、今以上の幸せを手に入れられる確信がある。


 こうして悪役令嬢は大国の王子を釣り上げ、この先も変わらず彼と共に釣りに出かけるのだった。
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