幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK
「な、何か俺の防犯体制に不適際がありましたか!? 教えてください! それが妥当な意見ならば、直ぐに改善をせねばならない!」

 ペタンっと、川口さんは床にへたり込んでしまった。
 そして深々と大きな溜息を吐く。
 何度も、何度も両手で頭を抱えながら。

 なんだ、その反応は……。
 不安で胸の鼓動が止まらん。
 心臓は自律神経の支配を最も感じやすい臓器の一部だ。
 俺は今、極度の不安から心拍数が上昇している!

「……取り敢えず、コーヒーを飲んで話し合いね。直ぐに荷解するから、ソファーに座って待ってて」

「わ、分かりました……」

 そんなに腰を据えて話さねばならない程、抜本から改革が必要なのか!?
 どこだ、どこに穴があると言うんだ!?

 ソファーに座りながら、部屋中を見回す。

 だが俺には、防犯上の穴が見当たらない。
 クソ、これが病院に籠もっているモグラのような人間と、明るい世界で生きる人間の視野の違いというやつなのか!?

 早く教えて欲しいと思いながら、滲み出る手汗を気にする余裕なく手を擦り合わせて待つ。

 川口さんはコンセントの位置などを確認しながらコーヒーメーカーを設置し、手早く2杯のコーヒーと、皿に盛ったお茶菓子を運んできてくれた。

 引っ越し初日だからか?
 こんな大盤振る舞いをしてくれるとは……。
 ありがたく、お茶菓子を頂くとしよう。

「――これは、どういうことなの!?」

「……何が、でしょうか?」

「こんなオンボロマンションなんて、聞いてないわよ!」

 は?
 ……なん、だと。
 防犯上の穴を指摘しているのかと思えば……。
 住居に文句があったというのか?
 何を言うかと思えば……。
 十分だろうに。

 屋根があり喰って寝て、収納が出来るスペースがある。
 風呂トイレにエアコンまで付いていて、文句を言われるなど筋違いだ。
 こんな声を荒げて責められる謂われなど、俺にはない!

「川口さん、アンタがどんな想像をしていたか知らないが……。十分な住居だろう? 住居に拘りがあり、文句があるのだとしたら何故、事前に確認しなかった?」

「品川区在住の医者で、車持ちのマンション在住って聞いたら、聞くまでもなく高級タワマンを想像するでしょ!?」

「だ、誰が決めた、そんな常識!? 自分の確認不足という不手際を、俺に当たるな!」

 なんという理不尽だ!
 自分の勝手な想像……いや、妄想を押しつけて、思う通りじゃなかったら人に当たるなど……。
 あり得ん態度の悪さだ!

「だいたい、車はどこ!? この辺りに駐車場なんてなかったわよ!?」

「あっただろうが! この地下に駐輪場が!」

「は? 駐輪……まさか、自転車!?」

 驚愕に目を剥きながら、川口さんが悲鳴のような声を発する。

 なんだ、医者が自転車に乗っているのが、そんなに悪いというのか!?
 それは権利の侵害だ!

「自転車も、法律上は軽車両。立派な車だ!」

「何よ、自転車しかないっての!?」

 そんなに文句を言われる筋合いは、ない!
 だいたい、俺が無駄金を排除するタイプの人間だと、先に婚活パーティーで言っておいたはずだ。
 そうだ。
 酔ってはいたが、俺は確かにあの会話を覚えているぞ!

「俺は倹約家だと忠告したはずだ! アンタは倹約家でも、費用を抑えて幸せにするプランの提案が仕事だ。そういった方には慣れていると、その口で言っていただろうが。何故、俺が文句を言われねばならん?」

「倹約家にしても、外車ばっかり乗ってる医者の中で、国産車ぐらいかなと思ってたわよ! 医者なのにガソリンじゃなく自分のカロリーを燃やす自転車なんて予想外。対応不可だわ!」

「都内で自動車を持ってない医者なんてゴロゴロと居る。それなのに対応出来ないなんて、アンタは未熟なんじゃないのか?」

「なんで私のせいになるのよ! ケチらずに自動車ぐらい買いなさいよ!?」

 ケチ、だと?
 ふざけるな。
 どうせ都内で自動車を持つことが、どれだけコストパフォーマンスが悪いかも計算したことがないんだろう。
 良いだろう、ならば教えてやる!

「自動車でかかる金は、車体価格だけじゃないんだ! 維持するだけで全国平均でも年間25万4千円もするんだぞ!? 東京都品川区の月極駐車場《つきぎめちゅうしゃじょう》なんて、平均月額3万987円だ。全国平均より遙かに高くなる! ガソリン代年間平均7万5千円を引いても、維持しているだけで年間54万840円だ! そんなもんを払うなんて贅沢、正気じゃない! 山手線《やまのてせん》1周するのだって280円だ。動かしもしない車を所持しているだけで、1年に山手線を1931周するだけの移動が出来るんだぞ!? 山手線を毎日6周以上してやっとトントンの金額だ。アンタは365日、山手線換算《やまのてせんかんさん》でそれだけの距離を車で移動しているのか!?」

「山手線山手線って喧しいのよ! なんなのよ、山手線換算って。分かりづらいのよ! 旅行で遠出するとか、車じゃないと行けない観光地だってあるじゃない!」

「旅行なんて贅沢をする暇があったら仕事や勉強をする! アンタの仕事ぶりは尊敬していたのに……。倹約を考えな過ぎだろう!?」

「あんたのは倹約とか節約だとかのレベルじゃないの! ガソリンもない、サバイバルの領域なのよ!」

 ハァハァと荒い息で、叫ぶように訴えかけてきた。

 何がサバイバルだ。
 俺は災害に遭っている訳でもない。
 唯、論理的に無駄や贅沢を排除して倹約をしているだけだ。
 生き残るのがギリギリなサバイバルと一緒にするなど、サバイバル生活を経験してきた人にも無礼だ。
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