幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK
「あ、後、節約家だとか几帳面の行き過ぎだとか……」

「残念ながら節約家や几帳面は勿論、仕事中毒だって病名じゃない。造語だ。強いて言うなら、今の俺に必要な治療は虫下しだな。これじゃ結婚出来ないで周囲に心配されるのも当然だな」

「親や同僚に結婚を急かされてるのは、あんただって同じでしょう!? 結婚出来ないからって街コンに参加させられて! 私と同じじゃない!」

 自分と同類だろうと憤る川口さん。
 だが俺は、その意見に対して思わず鼻で笑ってしまう。

 確かに前半は同じだが、後半は違うな。
 俺が結婚出来ないから街コンに参加していたと、コイツは思っていたのか?

「違うな、俺の場合は結婚出来ないんじゃなくて、しないんだ。アンタとは違う」

「ハイハイ、そう言うことにしたら? あぁ、彼女も出来たことない男の見栄ほどキモいものはない」

「ふんっ。良いか? 俺には医者という社会的ステータスがある。これは資格を持つ限り減らない資産価値だ。自称外見が美しいとか言う、老化と共に目減りする資産しかないアンタは今後、結婚したくても出来ない。これは客観的に見た事実で――」

「――ああ、ウザい! もう、あんたの声も聞きたくないわ! このままじゃ縊り殺しそう、今すぐ出て行け!」

「なっ!? ここは俺が契約している家だぞ!?」

「あっそ! それなら、私が自宅に帰らせてもら――」

 ドスドスと音を立てて、川口さんはバックを手に取ってから玄関へと向かう。
 そして乱暴に靴を履き、ドアノブを捻った所で動きを止めた。

「……もう、退居手続きは終わったんだった」

 ガクンっと、力が抜けたように四つ這いで落ち込んでいる。

 それはそうだろう。
 じゃなきゃ、ここに荷物もないだろうからな。
 そんなことにも頭が回らないとは、気が動転しているのか?
 或いは頭に血が上っているのか?
 俺は正論しか言っていないと言うのに。

「ああ、どうしよう……。同僚や友達にも威勢の良いことを言ったから頼れないし……。実家なんてもっての他。財布の中身も……うっ」

 バックから財布を取り出し中身を開くと、呻き声を上げる。
 そして瞳が涙で滲んでいる。

 何故だろう、俺が泣かせたようになっている。
 偽装同棲を言い出したのも川口さん。
 よく確かめもせず、俺の家に上がり込むと言い出したのも川口さん。
 そして想像と違うと言い出し、出て行くと言い出したのも川口さんなのに。
 俺が悪いとでも言うのか?

「そんな……。この偏屈《へんくつ》なクソ変人と、一緒に暮らすしかないって言うの?」

 偏屈と変人なのは頻繁に言われるから、そういった素養もあるのかもしれない。

 だが、誰がクソだ。
 そこまで言われる程に不条理なことを言ったつもりはない。

 むしろ正論しか言っていない。
 それで俺と折り合いが悪いからと不当に罵倒されるのは、間違っている。

「……アンタ、口が悪過ぎだろう。よく仕事でボロが出ないな」

「女は皆女優なのよ。仕事のスイッチを入れれば、そんな間抜けはしないわ」

「酷い事実を聞いた」

 良く言えば、オンとオフの使い分けが出来ているとも取れるが……。
 職場での姿は演技だとなると、あの丁寧な仕事姿に感動していた俺としては、少し悲しい。

「……バァカ、バァカ。夢見てんじゃないわよ」

 遂には拗ね出した。
 人間は余りに受け入れ困難な事象に遭遇すると、精神年齢が退行するとは耳にしたことがある。

 それ程までにショックだったのか?
 当たり前にこの生活をしてきた俺に、無礼だろうが。

「それより、生活空間……。ん~……」

 川口さんは額に手を当て、悩み続けている。
 そしてハッと思いついたように目を見開いた。

「せめてカメラの監視だけでもなんとかする! 私のプレイベート空間を作ってやるわ!」

 何かを閃いたのか、バッと立ち上がると、玄関から出て行った。

 プライベート空間を作る、だと?
 どういうことだ。

 そう悩みながら、家に放置されている段ボールの山を見る。

 ハァ、仕方がない……。
 片づけるか。
 このままでは、圧迫感が強過ぎるからな。

 衣類などと書かれた段ボールには触らず、それ以外の荷物を取り出す。

 驚く程に美容品の類いが多い。
 棚を組み立て、理解出来ないながらに陳列して行く。
 細かい配置の拘りなどはあるかもしれないが、そこまでは知らん。

 そうして40分ほどかけ、粗方の段ボールを片づけた。

 ――だと言うのに、川口さんは新たに大きな段ボールを持って玄関から入ってきた。
 2メートル近くありそうな段ボールを、ゼェゼェと言いながら家へねじ込んでいる。
 喧嘩を売っているのか?

 玄関からリビングまでの廊下幅は50センチメートルぐらいしかない。
 必死に段ボールの向きを変えたりして、なんとか押し込んできている。
 そんなことをしたら、壁紙が傷つくだろうが……。

 退居費用が増えてはたまらん。
 玄関で梱包を外し、小袋を一つ一つ運び入れる手段を提案すると、目から鱗だと言わんばかりにキョトンとしていた。

 そうして一つ一つ運び入れ、リビングで買ってきた物を組み立てて行く。

 すると、出来上がったのは突っ張り式のポールカーテンであった。
 川口さんはポールを立て、間仕切りをしていく。

 ここは俺が借りている物件なんだが……。
 勝手に自分のスペースを決めやがった。
 パッと見だが、リビング7畳のうち6畳近くを持って行ったんじゃないか?

「このカーテンの中に入ってきたら、警察に突き出してやるからね!」

 どこまで面の皮が厚いんだ。
 人の家に上がり込んだ挙げ句、リビングの大部分を占拠してその言い分とは……。
 俺の部屋より占有スペースが多いじゃないか。

 共有スペースは、俺の部屋から出るドアとキッチン、ユニットバスにクローゼット。
 殆ど半身になって移動しなければ通れなくなったと言うのに。

「軒を貸して母屋取られるか……」

「お金が貯まって両親や同僚になんにも言われなくなったら、絶対に出て行ってやるわよ!」

 そうしてくれ、と強く思う。
 いくら俺は殆ど家に帰って来られないで、不幸の巣窟である病院に住んでいるような状態だとしても、家でまでこのような不幸に陥りたくはない。

 家賃や光熱費が半額になるメリットは大きい。
 更に互いの両親への挨拶で、煩わしい世間の同調圧力からも解放される。

 そのメリットだけを考えて、ストレスが溜まる偽装同棲の期間を乗り切るしかない――。
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