幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK
「ア、アンタ、正気なのか!? 1回の入浴に、いくらかかると思っているんだ!?」

「……はい?」

「良いか、よく聞いて理解しろよ!? 浴槽一杯200リットルを沸かすガス代で約75円。水道代は1リットル24銭だから、48円だ。この時点で123円!」

「…………」

「更にシャワーを流しっぱなしで、1分間に12リットルの水が出るから……。180リットルか!? ガス代68円に、水道代が43円! 更にはドライヤーなどの電気代も……。アンタが1回風呂に入るだけで235円以上かかっているんだぞ!?」

「へぇ……。そうなのね」

 驚かない、だと!?
 まさか、知っていたのか?
 ……いや、とてもそんな反応ではない。
 どこか現実感のなさそうな表情……。
 そうか、予想外の金額に驚愕し過ぎて、唖然としているのか。

「これを毎日、つまり一月で7千50円だ! これに朝もシャワーを浴びると言い出すなど、正気を疑うだろう!?」

「疑うのは、あんたの常識よ! ケチケチして……。そんなんだから、あんたからは加齢臭がするのよ!」

「か、加齢臭だと!? ふざけるな、俺は医療従事者として衛生管理に気を遣っている!」

「私だって接客業として、衛生管理にも身だしなみにも気を遣ってるのよ!」

「確かに衛生管理は大事だろう。仕事のパフォーマンスの為に、必要なものだ」

「そうでしょ!? それなのに、なんで責められないといけない訳!? あんたは私にお風呂へ入るなと言うつもり!?」

「そうは言っていない! 朝か夜、どちらかにすべきだと言っているんだ!」

 浪費家だとは思っていたが、ここまで一般常識がないとは……。
 今まで一体、どんな生活をして来たんだ。
 戦慄せずにはいられないぞ!

「無理ね! 朝、バッチリ目を醒まして気合いを入れる為にも、必須なの!」

「せめて節水にシャワーの流しっぱなしを止めるとか。湯を沸かす温度を下げるとか、いくらでも節約方法はあるだろうが!」

 どうしてこうも理解されない!?
 常識がないだけでなく、理屈を話しても通じない。
 同じ言語を話しているのだぞ!?

「そもそも、だ! 衛生面や肌の保持から言っても、二度も入浴するのは間違っている!」

「……え?」

「いいか、肌ってのは常在菌《じょうざいきん》が守っているんだ! それを1日に二度も入って洗えば、紫外線《しがいせん》や微生物《びせいぶつ》に対しての抵抗も落ちる! それでは、本末転倒だろうが!」

「ボディクリームや日焼け止めクリームは、キチンと塗っているわよ!」

「自分でぶち壊して、それを補う為に出費を重ねる、だと? なんて非効率なんだ……。ん、待て。俺はアンタの荷解作業を手伝ったが……。そんな化粧品、あったか? それにバックや洋服も……増えている?」

「……買ったのよ。1週間前にお給料が入ったから、この生活で溜まったストレスを吹き飛ばす為に、パッと。紫外線も強くなる季節だし」

 思わず絶句してしまった。

 給料が入ったら、直ぐにパッと使う、だと。
 計画性の欠片もない。
 まだ次の給料日まで3週間あるだろうに。

 いくら使ったのかは知らんが、いずれも安くない外観をしている。
 ブランド名も、聞いたことや目にしたことがあるものだ。
 万札が何枚も飛んで行くのが容易に予測出来てしまう。

 これで給料日までに何かあったら、どうするつもりなんだ?
 病気になって病院にかかるのだって、3割負担でも数千円かかるんだぞ。

「だいたいね! 人の持ち物を盗み見るなんて、プライバシーの侵害よ!」

「同居している住居に隠さず置いてある物を見て、何故そうなる!? 見られたくないなら、収納にでも入れておけば良いだろうが!」

「ああ、もう! イラつくイラつく~! このロジハラモンスターが!」

 ロジハラ……。
 ロジカルハラスメント、か。

 正論を強く主張し過ぎて、相手を追い詰める行為を意味する。
 だが一方的に論破されるだけで成立することもあるという、訳の分からない迷惑行為だ。

 そんなの正論で追い詰められ論破されるだけの問題を起こしている方が悪いだろう。
 暗黙の了解なんかじゃなく、公然たる事実を突き付けられたら迷惑行為の被害者だなどと、意味不明だ。

 職場の上司など言い返せない立場や、一方的な関係なら問題だと思う。
 だが対等に文句を言い合える関係で反論も出来ないなら、単に己の間違いを認めずにハラスメント、迷惑行為だと喚いて逃げているようにしか思えない。

 少なくとも川口さんと俺は、対等に言い合える関係性だ。
 人の契約しているマンションの大部分を勝手に占有スペースにして、都合の悪い時には家主を家から追い出せるんだからな。

 ムカつくだのイラつくだのと、本人の目の前で言っているしな。
 怖くて反論出来ませんでした、ロジハラです。
 そんな理不尽な主張が通ってたまるか。

 単に都合の悪い正論を言われて、ハラスメントだから止めろ。
 そう拡大解釈した権利を振りかざしているようにしか思えない。

 とは言え、職場でもロジハラっぽいと言われるのも事実。

 俺にはロジハラのきらいがあるのかもしれん。
 今度、ロジハラの定義をキチンと調べ、自分の言動と照らし合わせよう。
 それまでは一時不名誉な疑いをかけられるのも受け止めてやろうじゃあないか。

「もう話は終わり! じゃあね!」

 シャッとカーテンを閉め、川口さんの姿は見えなくなる。

 俺のリビングが消えた。

 ダイニングからクローゼット、そしてトイレに浴室。
 4畳の寝室のみ。
 しかも寝室は、ゴミ袋の保管所にもされている。

 家賃負担が半額負担になるのは嬉しいが……。
 これでは、狭い1DKだ。

 何故、疲れて帰って来てからまた疲労せねばならんのか……。
 恋愛や結婚を押しつけられ、仕事に集中出来ない日々から脱却する利の為に、多くの害を抱えてしまった気がする。

 光熱費も折半という好条件だと思って迎え入れたが……。
 むしろ、この浪費家と生活しているなら、俺が1人で生活している方が安くつくのではないだろうか?

 家に居ない時間が長いし、無駄遣いなどは決してせず倹約していたからな。
 あの街コンの夜、家賃光熱費折半という甘言――エサに引っかかった自分を、恨まずにはいられん。
 疲労に空腹、アルコールで頭が回っていなかったと言ってもだ……。

 契約は契約、約束は約束。
 それを反故にするような、信用の置けぬ者にはなりたくはない。
 約束破りの癖でもついたら最悪だ。
 あの日、仕事場で働く姿に騙され、軽率に約束をしてしまった自分が許せん。

「後悔先に立たず、か……」

 髪を整えていたし、実は東央ニューホテルのウェディング会場で目にした川口雪華とは、同性同名の別人なのではないだろうな?

 あのキャリアウーマンのような姿と、家で浪費しながら人の家の大部分を占拠する横暴な姿が、どうしても重ならない。

「……寝るか」

 明日も朝から出勤だ。
 俺は自室へと入り、軽く床とベランダの掃除をする。
 音を立てないように、気を遣いながら。
 そしてソッと折りたたみベッドを広げ、床につく。

 明日は公私共にどんな問題が起きるのだろうか。
 グルグルと考えているうちに、意識が遠のく。

 次に気が付けば、もう空は朝陽が顔を覗かせようとしていた――。
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