幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK
その日は、記録的な酷暑日《こくしょび》だった。
「……暑いな」
仕事を終え、もう夜だと言うのに……。
スマホの天気アプリには、気温が29度と表示されている。
気象庁が認めているものではないが、最低気温が25度を上回る夜のことを熱帯夜。
そして30度を上回る日のことを超熱帯夜と呼称するらしい。
「急に暑くなったから、今日搬送されてくる患者には熱中症が多かったな……」
職員用通用口から外に出ると、既に陽は落ちきっているのに蒸し暑さに襲われた。
病棟勤務時間だと言うのに、搬送されてくる人が多過ぎて外来にも回された。
熱中症とは本当に恐ろしく、命に関わるだけではない。
油断すると、心筋梗塞や脳梗塞なども招く恐れがある。
今日は死亡者が搬送されて来ることもなかったが、油断が出来ない季節が来た。
そうして茹だる熱さの中自転車を漕いで自宅へ辿り着き、インターホンを鳴らす。
するとスマホに『帰って来たの?』と川口さんからメッセージが来た。『そうだ』と返信すると、ガチャリとカギが開く音がした。
施錠と防犯意識が根付いているのは嬉しいが、これではどちらが家主か分からないな……。
顔が苦々しく歪むのが分かる。
だが汗で気持ち悪い。
汗が乾燥して臭気を発する前に、冷たいシャワーでサッと汗を流したい。
そんな思いからドアを開くと、ひんやりと冷たい空気が室内から流れ出て来て肌を撫でていく。
「お? 冷房を入れているのか。涼しくて気持ち良いな、助かる」
俺がそう言うと、川口さんは開けたカーテンの間から、少し驚いたような表情を覗かせていた。
口にはアイスの棒が咥えられている。
「どうした? そんな呆けた顔をして」
「冷房を入れていることに、またネチネチ言われると予想してたから」
そんなことを考えていたのか。
コイツは俺をなんだと思っているのだろうか。
俺だって鬼じゃないと言うのに。
「あんたはいつもみたいに、節約節約って喚くと思ってたわ」
なんだか酷い誤解があるようだな?
キチンと説明する必要がある、か。
「勘違いをするな。俺は必要な所には、適切で過不足のない予算を使うべきだと考えている。飲食物や衛生にしても、冷房にしてもだ」
シャツのボタンを緩めながら、服をパタパタと仰ぐ。
肌に冷房から出た冷たい空気が染みて、実に心地良い。
少し水分を取ったら、川口さんにカーテンを閉めてもらわなければな。
シャワーを浴びるにしても、目を逸らしてもらうのは互いに面倒臭いし。
それにしても、俺をケチだと勘違いされているのは問題だ。
本質を理解されていない。
「水分を不足なく摂る必要はある。しかし水の質が高額なジュースやミネラルウォーターである必要性はない。水分摂取にジュースなどを飲むのは、過分な贅沢だ。日本には安価で安全に飲める水道水があるんだからな」
川口さんはアイスを舐めながら、グテッとソファーに腕と顔を乗せて俺の話を聞いている。
薄着でそんな格好をするのは、危機感が足りないのではないか?
興味もない胸の谷間が見えている。
いや、下らん情欲に流され、手を出さないと信頼されている。
そう思えば、別に自宅で楽な格好をして気を緩めているのを咎めるのも違うか。
自宅とはリラックスが出来る場であるべきだしな。
「ふ~ん。ケチでも、妥協点はあるのね」
「当然だ。熱中症なんて、場合によっては命にかかわる。昼だけでなく、意外に夜だって警戒が必要だ。命や健康、それは金に変えられん大切なものだ。もし体調が悪くなって受診すれば、光熱費とは比べ物にならん莫大な医療費が請求されるんだからな。予防費として使用すべき必要な経費だ」
「それでも医療費と天秤にかけている当たり、あんたらしいわ」
本当に失礼なヤツだ。
そんなのは国だってやっていることだ。
予防医療にどこまで予算を配分するか。
その配分によって、重篤な疾患で多額の医療費や健康寿命がどこまで延伸出来るのか。
それを家庭レベルの小さな話にしただけだろうに。
これだから正論が通じない常識知らずは困る。
そうだ、川口さんは常識知らずだった。
となれば、一応確認しておくべきことがあるな。
「ところで、当たり前のことを聞くようで失礼だが……。ちゃんと室内を換気してから冷房を入れたよな?」
「は? こんだけ暑いのよ? 帰って来て直ぐに冷房を入れたに決まってるじゃない」
当たり前のように言い切りやがった。
あり得ん、どこまでもあり得んだろう!
暑い夏だと言うのに、背筋が凍ったぞ。
とんでもないホラーだ!
「……暑いな」
仕事を終え、もう夜だと言うのに……。
スマホの天気アプリには、気温が29度と表示されている。
気象庁が認めているものではないが、最低気温が25度を上回る夜のことを熱帯夜。
そして30度を上回る日のことを超熱帯夜と呼称するらしい。
「急に暑くなったから、今日搬送されてくる患者には熱中症が多かったな……」
職員用通用口から外に出ると、既に陽は落ちきっているのに蒸し暑さに襲われた。
病棟勤務時間だと言うのに、搬送されてくる人が多過ぎて外来にも回された。
熱中症とは本当に恐ろしく、命に関わるだけではない。
油断すると、心筋梗塞や脳梗塞なども招く恐れがある。
今日は死亡者が搬送されて来ることもなかったが、油断が出来ない季節が来た。
そうして茹だる熱さの中自転車を漕いで自宅へ辿り着き、インターホンを鳴らす。
するとスマホに『帰って来たの?』と川口さんからメッセージが来た。『そうだ』と返信すると、ガチャリとカギが開く音がした。
施錠と防犯意識が根付いているのは嬉しいが、これではどちらが家主か分からないな……。
顔が苦々しく歪むのが分かる。
だが汗で気持ち悪い。
汗が乾燥して臭気を発する前に、冷たいシャワーでサッと汗を流したい。
そんな思いからドアを開くと、ひんやりと冷たい空気が室内から流れ出て来て肌を撫でていく。
「お? 冷房を入れているのか。涼しくて気持ち良いな、助かる」
俺がそう言うと、川口さんは開けたカーテンの間から、少し驚いたような表情を覗かせていた。
口にはアイスの棒が咥えられている。
「どうした? そんな呆けた顔をして」
「冷房を入れていることに、またネチネチ言われると予想してたから」
そんなことを考えていたのか。
コイツは俺をなんだと思っているのだろうか。
俺だって鬼じゃないと言うのに。
「あんたはいつもみたいに、節約節約って喚くと思ってたわ」
なんだか酷い誤解があるようだな?
キチンと説明する必要がある、か。
「勘違いをするな。俺は必要な所には、適切で過不足のない予算を使うべきだと考えている。飲食物や衛生にしても、冷房にしてもだ」
シャツのボタンを緩めながら、服をパタパタと仰ぐ。
肌に冷房から出た冷たい空気が染みて、実に心地良い。
少し水分を取ったら、川口さんにカーテンを閉めてもらわなければな。
シャワーを浴びるにしても、目を逸らしてもらうのは互いに面倒臭いし。
それにしても、俺をケチだと勘違いされているのは問題だ。
本質を理解されていない。
「水分を不足なく摂る必要はある。しかし水の質が高額なジュースやミネラルウォーターである必要性はない。水分摂取にジュースなどを飲むのは、過分な贅沢だ。日本には安価で安全に飲める水道水があるんだからな」
川口さんはアイスを舐めながら、グテッとソファーに腕と顔を乗せて俺の話を聞いている。
薄着でそんな格好をするのは、危機感が足りないのではないか?
興味もない胸の谷間が見えている。
いや、下らん情欲に流され、手を出さないと信頼されている。
そう思えば、別に自宅で楽な格好をして気を緩めているのを咎めるのも違うか。
自宅とはリラックスが出来る場であるべきだしな。
「ふ~ん。ケチでも、妥協点はあるのね」
「当然だ。熱中症なんて、場合によっては命にかかわる。昼だけでなく、意外に夜だって警戒が必要だ。命や健康、それは金に変えられん大切なものだ。もし体調が悪くなって受診すれば、光熱費とは比べ物にならん莫大な医療費が請求されるんだからな。予防費として使用すべき必要な経費だ」
「それでも医療費と天秤にかけている当たり、あんたらしいわ」
本当に失礼なヤツだ。
そんなのは国だってやっていることだ。
予防医療にどこまで予算を配分するか。
その配分によって、重篤な疾患で多額の医療費や健康寿命がどこまで延伸出来るのか。
それを家庭レベルの小さな話にしただけだろうに。
これだから正論が通じない常識知らずは困る。
そうだ、川口さんは常識知らずだった。
となれば、一応確認しておくべきことがあるな。
「ところで、当たり前のことを聞くようで失礼だが……。ちゃんと室内を換気してから冷房を入れたよな?」
「は? こんだけ暑いのよ? 帰って来て直ぐに冷房を入れたに決まってるじゃない」
当たり前のように言い切りやがった。
あり得ん、どこまでもあり得んだろう!
暑い夏だと言うのに、背筋が凍ったぞ。
とんでもないホラーだ!