幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK
「……まだ、何も言っていないんだがね」

「どうせ、結婚話でしょう?」

「まぁ、そうなんだけどね。いい加減、君も身を固めたらどうだ? 心配しているんだと、お父様もよく私へ連絡してくるんだ。女の影はないのかってね」

「ありません、要りません、必要もありません」

 教授は学生時代、親父の後輩だったらしい。
 互いに医者となってからも付き合いは続いていて、今でも連絡をよく取っているそうだ。
 お陰で教授は俺を殊更気に懸けてくれる。

 正直、このコネクションはデカい。
 医者はコネクションや伝手が非常に有利に働く場面が多い。
 インテリヤクザと揶揄されるのも、頷ける話だ。
 教授にも、人間関係など諸々で助けて頂く場面は多いのだが……。

 結婚は、仕事の邪魔にしかならない。

 この話を毎度される時間すら、無駄で惜しむべきものだ。
 この話がなくなり業務効率が上がれば、1人でも多くへ巡回が出来ると言うのに……。

「南先生は、今年で医師になって何年目だっけ?」

「8年目です」

「それなら、十分に身を固める適正時期だろう。今年で救急科専門医試験《きゅうきゅうかせんもういしけん》を受験するカリキュラムだって、修了するのだろう?」

「このままプラン通りに進めば、そうですね」

 専門医というのは、医師としてその分野に関連する臨床、研究について知識や技量が十分であると認定された医師のことだ。
 専門とする診療分野の所定カリキュラムや、実績を積まなければいけない。

 認定医よりも更に高い基準を満たす必要がある。
 第三者機構《だいさんしゃきこう》が評価してくれるので、1つ売りになる看板や広告が増えたと思って良い。

 しかしメリットばかりではない。
 デメリットは面倒で複雑、学会費などが高くつくことなどだが……。

 それでも、患者が信用するのは称号だ。
 医師資格がない者が、これは健康に良いというより、医師資格を持つ者が良いと言えば説得力が増す。
 それは健康関連書籍などの売り上げからも明確な事実だ。

 ましてそこに、専門医とか教授といった称号が加われば、より説得力と信用度が増す。

 俺はどうしても、それが欲しい。

「南先生だって、もういい歳だろう?」

「今年で、36歳になりましたね」

「何時までも異常な節約生活と自己研鑽《じこけんさん》ばかりせず、家庭でも幸せを掴む区切りだろう? メリハリは大事だよ?」

「俺にその余裕はありません。父の開業している診療所が、今どうなっているのか。教授も状況はご存じでしょう?」

「それは、そうなんだけどね」

「俺は結婚している暇なんてないですし、向いてないですから」

「間違いなく向いていないとは、私も思うが……」

「そうでしょう?」

 隙あらば、教授は俺に縁談を持って来る。

 俺が子供の頃から見て来たから、未来を心配しているのだろうが……。
 正直、良い迷惑だ。

 それに、俺は知っている。
 偏屈な俺を結婚まで導いた者は英雄だ、そう医局内で囁かれているのを。

 つまり、俺の結婚は娯楽の1つとして扱われているんだ。
 だから色んな人が女性を紹介してくる。

 我慢強さに定評があるとの売り文句で女性を紹介してきて……。
 まるで俺と結婚するのは罰ゲームのように言いやがる。

 結婚という業務と一切関係がない話に掴まるだけでも面倒なのに、罰ゲーム扱いされたら気分が悪い。
 勘弁して欲しいものだ。

「確かに、南先生は間違いなく結婚には向いてない。だがね、結婚することで人間は成長するのも事実だ。新しい世界も見えるんだよ?」

「……そうですか。すいません、自分にはやるべきことがあるので。論文の添削、ありがとうございました。近いうちに、再提出させて頂きます」

 深々と頭を下げてから、足早に教授の前を去る。

「……全く、にべもないなぁ」

 小声で呟く教授の声に聞こえないふりをしながら、自分の机へ向かい歩く。

 論文へのアドバイスは、絶対に忘れないようにしよう。
 自分の院内スマホと私用スマホにメモ、念の為、二つにメモをしておくか。
 自席に戻り、引き出しのカギを開く。

 自分のスマホの電源を入れると、親父からのメッセージが来ていた。

「……は? なんだ、これは」

 緊急だろうか。『メッセージを見たら直ぐに電話をくれ』と書かれている。

 受信時間としては、今朝の6時……。
 今が午後の5時だから、11時間無視をしていたことになる。

 規則では問題ないのだが、勤務中は気が散る時もあると私用スマホを持ち歩いていなかった。
 それが裏目に出たか……要改善だ。

「……くそ」

 親父もお袋も、高齢だ。
 もう年齢は70近い。
 何かあったのだろかと、慌てて個室トイレへと駆け込み、電話をかける。

「早く、出てくれ。頼む!」

 何か大きな病気か、事故だろうか。職業柄、焦るとそっちにしか頭が行かない!
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