幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK
 そしてまた、翌日の深夜。
 俺は愛車を停めてマンションへの階段を上る。

 手には一枚の書類を用意していた。
 分かりやすく、出勤までにやる流れを纏めたものだ。

 情報量が多過ぎると、人は読まない。
 口で言っても聞かないなら、分かりやすい書面だ。

 しかし折角作成したは良いが、川口さんは明日、休日だ。
 シフト勤務カレンダーアプリの連携は未だに続いているから、家に居るか居ないのかが一目で分かる。

「同棲条件として、翌日川口さんだけが休みの場合には実家に行くよう言われていたからな。あの寄生虫、今日は里帰りか」

 仕事後の疲れた身体で6階までの階段を上るのは辛い。
 ドアノブへカギを差し込み、開く方向へと回す。
 思わず疲れたと呟きながらドアを開く。

「……インターホン、鳴らしなさいって言ってるでしょ」

「……え?」

「あんたは、私にグチグチと言うくせに。自分だってだらしがないじゃない……」

 室内から川口さんの力ない声が聞こえた。
 瞠目しながら室内を覗き込むと、ソファーに体育座りしながら背を向けている川口さんが映る。

「アンタ……。実家に帰らなくて良いのか?」

「……気分じゃなかったの」

 落ち込んでいる、のか?
 いつもの不貞不貞しい態度は鳴りを潜め、弱々しさが醸し出されている。

 そう言う夜も、あるか。
 俺にも覚えがある。
 自分の無力さを痛感した時には、人知れず弱音を吐きたくなるものだ。

「……ねぇ。あんた、この後は暇?」

「まぁ……。シャワーも浴びてきたから、寝るだけだが」

「ちょっと、付き合いなさいよ」

 トンッと、テーブルにアルコール飲料の缶を置きながら、川口さんが言った。
 そこはカーテンの敷居内だが……入るのを許された、ということだろうか?

「分かった。手洗いうがいと、部屋着に着替えたらな」

「……相変わらず、細かいわね」

 ボソッと呟きながら、川口さんはチビチビと缶に口を付けている。

 ウイルスは持ち込まないことだ。
 同居者が居るのなら、尚更気をつけねばならない。

 しっかりと準備を整えた後、そっとカーテンの敷地内に足を踏み入れる。
 一歩踏み入れた所で様子を窺い止まるが、何も咎められることはなかった。

 気が変わった、やっぱり警察に通報すると言われることを警戒したのだが……。
 考え過ぎだったようだ。

 ホッとして、そろそろと近づく。
 床へ胡座をかき缶を手にしようとすると、川口さんは無言でポンポンとソファーの横を叩いた。

 座れということだろうか?
 犬猫を呼ぶような意思表示だな。
 なんの為に口がついているんだ。
 だが素直に隣に来いと言える関係性でもない、か。

 苦笑しながら、ゆっくりとソファーの隣へ腰掛ける。
 ……自分の借りている部屋のはずなのに、何故こうも新鮮で気を遣うのだろう。

 そう思いつつ、アルコール缶を空けた。
 折角タダで酒が飲めるんだ。
 大切に頂くとしよう。

 それに、気になることもあるしな。

「今日、ね……」

 暫し酒を味わっていると、川口さんがゆっくりと口を開いた。

「仕事で、失敗しちゃった」

「……そうか」

 何となく分かっていた。
 いや、人が落ち込むのは熱中していることか、大切にしていることで上手く行かない場合が殆どだ。
 川口さんの場合、それは仕事だろう。

「幸せなウェディングを提案したかったのにな……」

「どんな失敗だったのか、聞いても良いか?」

「……あんた、クロージングって分かる?」

「いや、分からん」

「簡単に言うと、契約成立のことよ。新規顧客にヒアリングして、ウチでウェディングを挙げる魅力を説明して契約をもらう流れよ」

「成る程な」

「予算の疑問とか不安に答えて、安心しながらウェディングを出来るようにプランを提示する。それが私たちの最初の仕事なんだけど……」

 その最初の仕事が、一番大切で大変なのだろう。
 俺たち大学病院の医者とは違い、ウェディングプランナーは営業のような業種にも思える。
 黙っていても契約を希望する人が来る、或いは多くの選択肢も与えられず、一刻を争って搬送されて来たり、紹介状を渡されて来る訳じゃないんだ。

「……失敗、しちゃった」

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