幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK
「商談もそうだろうが……何時でも成功する類いの仕事じゃないんだろ?」

「そうなんだけど……。今回の失敗の原因は、私のミスなの」

「ミス?」

「そう。私、実は東央ニューホテルのウェディングプランナーで、2番目に責任ある立場なんだけどね……」

 それは衝撃の事実だ。
 この私生活が壊滅しているヤツが、責任者だと?
 ……いや、一度仕事を目にした時、あの姿は確かに出来る人の姿だった。
 あの姿しか見ていなければ、自ずと立場もついてくる、か?

「昨今、ブライダルマーケット全体が不調で……。ウチも、ノルマ達成率が凄い低いの。だから、焦っちゃった……」

「まさか……契約を強要した、のか?」

「ううん。普段、余裕がある時ならね。即決出来ない人の場合、一度持ち帰って、またこの日に話しましょうって提案していたの。クロージングのサンドイッチって言うんだけど……。その方がお客様も納得してくれて、成約率も上がるから」

「成る程……。ノルマ、か」

 ノルマ。
 営利を求める団体、企業なら、それはあるだろう。
 病院のように不幸が渦巻く場所でも、利益をどれだけ出すかは大切なのだ。
 そうしないと経営破綻して潰れる。

 大きな病院なら地域の基幹病院として救済を受けるだろうが……。
 一ホテルのウェディング会場だ。
 生き残る為の経営戦略として、利益をしっかり出せるようなノルマ設定ぐらいはするだろう。

「そう。今月は私個人のノルマだけじゃなくて、ホテルのウェディング部門全体の成約率が本当にヤバかったの。だから、焦って月を跨ぐ前に、今日中にって促して……。お客さんに、不信感を与えちゃった。もう、ここには来ないって……」

「大勢居る、一組だろ?」

「それでも、不審を抱いたって口コミは広がるの。ましてネット社会だから、口コミを見てから式場を探すしね……。新人なら兎も角、私が今回したのは、やってはいけないミスなの」

「そうか……」

「……何より、ね」

「うん?」

「あの時、私は……自分の利益や都合ばっかりで、お客様が真に幸福になることを、忘れていた。……それが、どうしても許せないの」

「アンタは……。アンタの仕事への姿勢は、本当に尊敬している」

 俯かせていた顔を上げ、川口さんは俺へと視線を向けた。

 アルコールが入っているからか、或いは泣いていたからか……。
 瞳が潤んでいる。
 普段は気丈な美女が、不意に弱った表情を見せる。
 これがギャップというものか。

 なんだか無性に、味方をしてやりたくなる感情に襲われる。
 だが、俺は言いたいことを言う。

 自分に嘘をついて、口先だけの優しさを見せるなんて出来ない。
 医者は一言一言に責任が伴う。

 不幸な中で、「必ず助けます」なんて軽々しく口にしてみろ。
 もし救えなければ、不幸に追い詰められた家族は、訴訟を起こす。
 やり場のない悔しさ、怒りの矛先としてな。

 そして訴訟になれば、まず負ける。
 だからこそ、医療従事者に無責任な発言は許されない。
 手術をするにも、何枚も何枚も同意書を書いてもらう必要があるんだ。

「だが結婚式なんて、俺は挙げたいと思わない。たった1日の為に大金を払って、本当に幸せなものなのか? 特に男は、ウェディングドレスを着る訳でもないからな」

「……あんた、私の仕事に喧嘩売ってるの?」

「単純に疑問なだけだ。偽装同棲の前、あんたが結婚後の資金に不安を持つ男の相談に乗っているのも見たが……。あれも、よくよく考えれば上手く口先で丸め込んだようなもんだしな。最初の高額よりは、これなら得だって手口でな」

「……良いわ。そんなに言うなら、私の仕事がいかに幸せを提供する素晴らしい仕事か。見せてあげるわよ!」

「ほう、どうやって?」

「あんた、来週の日曜日にウチのホテルへ来るでしょう?」

「な、何故それを知っている!?」

「あんたのシフト勤務カレンダーアプリに、整形外科学会って書いてあったのよ。その日、東央ニューホテルの5会場が医学系の学会で貸し切られるのは知ってたの。どうせあんたも参加するんでしょ? 交通費もかからない会場で、勉強熱心なあんた。シフトもわざわざ空けてるんだし、そりゃ来るって分かるわよ。その日の夜、懇親会とも書いてあったしね」

 シフト勤務カレンダーアプリのことは兎に角、だ。
 交通費のかからない会場だから行くだろうという予測は不服だ。

 俺は必要な知識を得られそうな、興味深い演題がある学会ならば、交通費がいくらかかろうとも参加する。

「学会も懇親会も、必要な出費だ。酒の場で重要な話が決まるのは、何も営業だけじゃない。医者の共同研究の切っ掛け、病院長などの権力者から割りの良いスポットバイトの話まで。上手い話は、酒の席に転がっているもんだ。アルコールで気が大きくなる分、余計に話も纏まりやすい。……偽装同棲のように、な」

「どうでも良いわよ、そんなこと。兎に角、隙間時間でも何でも良い。ウェディング会場に来なさい! スタッフ用の特別席から、秘密で私の仕事を見学させてあげる!」

「オイ、それは職権乱用じゃないのか!?」

「どこにも式場関係者以外に式を見せないなんて契約書に書いてないもの。スタッフのふりをして、そっと眺めていれば良いの。……上司の許可が降りなかったら、ヤバいけど。でも片づけの1つでも手伝うって言えば、まず大丈夫! 日本人らしからぬ、融通が利く人だから!」

「アンタのウェディング会場、大丈夫なのか!? トップ2人がそんなんって、マズいだろ!?」

「うっさいわね! 来るの、来ないの!?」

 本調子を取り戻して来た、か?
 いや、瞳はまだ不安そうに揺れている。
 ……まぁ良いだろう。
 どうせ学会に参加すると言っても、全てのセッションで興味深い演題がある訳ではない。

 空いた時間に仕事へと情熱を注ぎ、結婚へ現を抜かす暇がない同志の姿を見ることぐらい、訳ない。

「分かった」

「良かった。じゃあ当日、スタッフに私の名前を出して。裏へ通すように伝えておくから」

 やっと笑ったのは良いが……。
 本当に、大丈夫なのか?
 部外者を招き入れるようなもんだろうが……。

 まぁホテルの一施設に偶々、迷い込んだ。
 偶々目にした。
 そう言うことにすれば良いのか?
 何ごともそうだが、抜け道はあるのだからな――。
< 40 / 62 >

この作品をシェア

pagetop