幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK
自宅へ向かって自転車を漕ぎながら、眠気に抗う。
「眠い……。いや、油断するな。事故を引き起こすぞ、俺」
こういう時は、考えごとをするに限る。
途中で仮眠は取っていたが、もう9日家にも戻らず東林大学病院に詰めていた。
勤務に研究、家に戻る暇もない。
もはや俺は、不幸という暗い闇が渦巻く巣窟《そうくつ》――病院に住むモグラだ。
巣穴の当直室にあるベッドが二段ベッドからカプセルベッドに変わったのは素晴らしい。
寝返りを打てる幅があり、遮音と遮光性能も二段ベッドより格段に快適だ。
支給されるスクラブスーツは、まるで神の如き福利厚生だ。
クリーニングは病院が無料でしてくれるし、汚れが目立たず動きやすい。
自宅で洗うのが肌着と靴下だけで済むのも、高ポイントだ。
実費負担が安くなる。
乾燥機付き洗濯機も、お得な良い買い物だった。
中古価格で購入に1万円。
水道代、電気代で1回の洗濯に82円。
更に洗浄力が高く、安価な粉末洗剤が900グラム入りで1回の使用量は25グラム。
36回洗える。
洗剤1箱、ネットショッピングでストアが定める送料無料となる金額にまとめ買いすれば、なんと412円。
ポイントまで還元されるのに、だ。
つまり、1回の洗濯にかかる費用は94円。
病院で合計300円も払うコインランドリーより、206円のお得。
合計49回洗濯すれば、洗濯機を買った方が得になる。
もうとっくに採算が取れている。
洗って自宅で仮眠している間に、職場へ持って行ける状態まで整えてくれているのに、だ。
全く計画通りの素晴らしい買い物だった。
これで電気料金も最低料金制を採用しているエリアなら、今のアンペア性よりもっと安く済むのにな。
集合住宅だから変更することは不可能と言われてしまった。
30アンペアで、基本料金月額は858円だ。
何も電気を使っていないのに、それだけかかる。
一個下のプラン、20アンペアなら572円。
差額で月々286円も得をする。
年間なら、3432円も変わる。
だが口惜しいことに、今より間取りが狭くアンペア数も低い賃貸物件となれば、今度は防犯面が不安になる。
我が家で最も高価な物、それが医学書籍だ。
べらぼうに高価で、大学病院の図書館には置いていない稀少なものもあるからな。
蔵書してくれるよう交渉しても、採用されない場合がある。
そう言う場合は、泣く泣く自腹を切るしかない……。
俺は医者としての仕事柄、殆ど家に帰れない。
今頃、空き巣に盗まれているかもしれんと思いつつ働くのは、パフォーマンスが著しく低下する。
だからこそ、今住んでいる6階の1LDK物件だ。
1階に防犯カメラ付きのエントランスホールがあり、屋内階段なのが素晴らしい。
1階を店舗にしているワンルームなら、人目もあるし良いのでは。
一時はそう考えたが、よく考えればその店舗の店員や常連客が盗人に変身することもあり得る。
内部側の立場にある人間なら、侵入も容易いだろう。
やはり頼るべきは、文明の力である防犯カメラだ。
人の善意なんてものを盲信せず、俺は科学を信じる。
後は地上に近い低層階や、角部屋は危険性が増すと研究結果が出ている。
意外にも高層階だろうと他の建物から乗り移れるベランダがあれば、侵入されることがある。
当然だろう、ベランダにさえ入れば、ゆったりと窓を割れるのだから。
初期投資として、有刺鉄線《ゆうしてっせん》3560円、忍《しの》び返《がえ》し2099円は必須の経費だった。
それにしても、日本の100円均一ショップは凄い。
精巧な防犯カメラ風のアイテムまで、税抜100円で手に入るのだ。
外から見ると、カーテンとガラス戸の間に防犯カメラが見える。
それ1つだと偽物に見えてしまうが、有刺鉄線《ゆうしてっせん》や忍《しの》び返《がえ》しという万全な備えがあれば、まるで本物のように映るだろう。
我が家のセキュリティは万全。
だからこそ俺は家に帰れずとも、安心して仕事に集中出来る。
などと考えている間に、もう我が家に到着した。
やはり、眠い時には益体《やくたい》もないことへ思考を巡らせるに限るな。
過去を振り返り、自分の行動が適切だったかを考え直すだけで眠気が誤魔化せる。
自転車置き場に自転車を停め、俺はマンションの屋内階段を上り自室である602号室へと入る。
「……空気が酷いな」
玄関を空けた瞬間、長く換気していなかった自室の弊害《へいがい》が出た。
急いで戸を開け、網戸《あみど》から入ってくる晩春《ばんしゅん》の冷たい夜風を楽しむ。
外はまだ肌寒い時期だったのか。
不幸《ふこう》の巣窟《そうくつ》である病院に住むモグラには、分からなかったな。
常時管理された病院内には季節感など関係ないから。
僅かな時間しか滞在しないのだから、一々電気などは灯さない。
照明器具は点灯させるというアクションで負荷がかかるし、電気代も発生するからな。
真っ暗でも、どこに何があるかなんて手探りで分かる。
乾燥機付き洗濯機に汚れた肌着を突っ込む。
そしてスマホの灯りで照らした計量スプーンで精確に必要量をすくった洗剤を投入する。
後はスタートボタンを押せば終了。
真っ暗闇の中で、洗濯機が稼働を始めた。
「よし、これで帰って来る頃には出勤が出来る肌着になっているな」
満足だ。
頬を緩めながら、クローゼットへと向かう。
学会で着用することが多い為、スーツは取り出しやすい場所へ掛かっている。
「ネクタイの大剣と小剣のバランスも模範通り。後は窓を閉めて……時間は、ジャスト7分か」
スマホの時計を見れば、入室から退室までの時刻はプラン通り。
「正に無駄のない完璧な時間予測に行動。実に良い気分だ」
後は自転車で32分で到着すれば完璧だ。
帰りはアルコールが入っているから、自転車は押して歩けば良い。
「よし、行くか。飯と久しぶりのアルコールを堪能《たんのう》しに、な」
もはや耳にするのも煩《わずら》わしい、婚活などという忌々《いまいま》しいイベントは忘れよう。
俺は高級ホテルで出されるビュッフェやアルコールに思いを馳《は》せ、施錠をする。そして鼻歌交じりに移動を開始した――。
「眠い……。いや、油断するな。事故を引き起こすぞ、俺」
こういう時は、考えごとをするに限る。
途中で仮眠は取っていたが、もう9日家にも戻らず東林大学病院に詰めていた。
勤務に研究、家に戻る暇もない。
もはや俺は、不幸という暗い闇が渦巻く巣窟《そうくつ》――病院に住むモグラだ。
巣穴の当直室にあるベッドが二段ベッドからカプセルベッドに変わったのは素晴らしい。
寝返りを打てる幅があり、遮音と遮光性能も二段ベッドより格段に快適だ。
支給されるスクラブスーツは、まるで神の如き福利厚生だ。
クリーニングは病院が無料でしてくれるし、汚れが目立たず動きやすい。
自宅で洗うのが肌着と靴下だけで済むのも、高ポイントだ。
実費負担が安くなる。
乾燥機付き洗濯機も、お得な良い買い物だった。
中古価格で購入に1万円。
水道代、電気代で1回の洗濯に82円。
更に洗浄力が高く、安価な粉末洗剤が900グラム入りで1回の使用量は25グラム。
36回洗える。
洗剤1箱、ネットショッピングでストアが定める送料無料となる金額にまとめ買いすれば、なんと412円。
ポイントまで還元されるのに、だ。
つまり、1回の洗濯にかかる費用は94円。
病院で合計300円も払うコインランドリーより、206円のお得。
合計49回洗濯すれば、洗濯機を買った方が得になる。
もうとっくに採算が取れている。
洗って自宅で仮眠している間に、職場へ持って行ける状態まで整えてくれているのに、だ。
全く計画通りの素晴らしい買い物だった。
これで電気料金も最低料金制を採用しているエリアなら、今のアンペア性よりもっと安く済むのにな。
集合住宅だから変更することは不可能と言われてしまった。
30アンペアで、基本料金月額は858円だ。
何も電気を使っていないのに、それだけかかる。
一個下のプラン、20アンペアなら572円。
差額で月々286円も得をする。
年間なら、3432円も変わる。
だが口惜しいことに、今より間取りが狭くアンペア数も低い賃貸物件となれば、今度は防犯面が不安になる。
我が家で最も高価な物、それが医学書籍だ。
べらぼうに高価で、大学病院の図書館には置いていない稀少なものもあるからな。
蔵書してくれるよう交渉しても、採用されない場合がある。
そう言う場合は、泣く泣く自腹を切るしかない……。
俺は医者としての仕事柄、殆ど家に帰れない。
今頃、空き巣に盗まれているかもしれんと思いつつ働くのは、パフォーマンスが著しく低下する。
だからこそ、今住んでいる6階の1LDK物件だ。
1階に防犯カメラ付きのエントランスホールがあり、屋内階段なのが素晴らしい。
1階を店舗にしているワンルームなら、人目もあるし良いのでは。
一時はそう考えたが、よく考えればその店舗の店員や常連客が盗人に変身することもあり得る。
内部側の立場にある人間なら、侵入も容易いだろう。
やはり頼るべきは、文明の力である防犯カメラだ。
人の善意なんてものを盲信せず、俺は科学を信じる。
後は地上に近い低層階や、角部屋は危険性が増すと研究結果が出ている。
意外にも高層階だろうと他の建物から乗り移れるベランダがあれば、侵入されることがある。
当然だろう、ベランダにさえ入れば、ゆったりと窓を割れるのだから。
初期投資として、有刺鉄線《ゆうしてっせん》3560円、忍《しの》び返《がえ》し2099円は必須の経費だった。
それにしても、日本の100円均一ショップは凄い。
精巧な防犯カメラ風のアイテムまで、税抜100円で手に入るのだ。
外から見ると、カーテンとガラス戸の間に防犯カメラが見える。
それ1つだと偽物に見えてしまうが、有刺鉄線《ゆうしてっせん》や忍《しの》び返《がえ》しという万全な備えがあれば、まるで本物のように映るだろう。
我が家のセキュリティは万全。
だからこそ俺は家に帰れずとも、安心して仕事に集中出来る。
などと考えている間に、もう我が家に到着した。
やはり、眠い時には益体《やくたい》もないことへ思考を巡らせるに限るな。
過去を振り返り、自分の行動が適切だったかを考え直すだけで眠気が誤魔化せる。
自転車置き場に自転車を停め、俺はマンションの屋内階段を上り自室である602号室へと入る。
「……空気が酷いな」
玄関を空けた瞬間、長く換気していなかった自室の弊害《へいがい》が出た。
急いで戸を開け、網戸《あみど》から入ってくる晩春《ばんしゅん》の冷たい夜風を楽しむ。
外はまだ肌寒い時期だったのか。
不幸《ふこう》の巣窟《そうくつ》である病院に住むモグラには、分からなかったな。
常時管理された病院内には季節感など関係ないから。
僅かな時間しか滞在しないのだから、一々電気などは灯さない。
照明器具は点灯させるというアクションで負荷がかかるし、電気代も発生するからな。
真っ暗でも、どこに何があるかなんて手探りで分かる。
乾燥機付き洗濯機に汚れた肌着を突っ込む。
そしてスマホの灯りで照らした計量スプーンで精確に必要量をすくった洗剤を投入する。
後はスタートボタンを押せば終了。
真っ暗闇の中で、洗濯機が稼働を始めた。
「よし、これで帰って来る頃には出勤が出来る肌着になっているな」
満足だ。
頬を緩めながら、クローゼットへと向かう。
学会で着用することが多い為、スーツは取り出しやすい場所へ掛かっている。
「ネクタイの大剣と小剣のバランスも模範通り。後は窓を閉めて……時間は、ジャスト7分か」
スマホの時計を見れば、入室から退室までの時刻はプラン通り。
「正に無駄のない完璧な時間予測に行動。実に良い気分だ」
後は自転車で32分で到着すれば完璧だ。
帰りはアルコールが入っているから、自転車は押して歩けば良い。
「よし、行くか。飯と久しぶりのアルコールを堪能《たんのう》しに、な」
もはや耳にするのも煩《わずら》わしい、婚活などという忌々《いまいま》しいイベントは忘れよう。
俺は高級ホテルで出されるビュッフェやアルコールに思いを馳《は》せ、施錠をする。そして鼻歌交じりに移動を開始した――。