幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK
「私はてっきり、お金で解決を迫られると思っていたのに……。やっぱり、あの子の言う通り。夫が言っていたような……。お金のことしか考えない、血も涙もない冷血漢じゃなかったわね。土下座なんて、何一つ金銭にはならないわ。感情論での謝罪の究極じゃないですか」

 それは俺に話しかけているというより、自分の中で何かを整理しているかのような言葉だった。
 だが、このまま黙っているのも失礼に当たるか。

「お金は、目的を遂げる手段に必要なだけです。真に大切なのは、誰と何を成し遂げるか。そう、娘さんとの生活から学ばせて頂きました」

「雪華から昭平さんのことを詳しく聴いたわ。夫は何を言われても聞く耳は持たなかったけど……。やっぱり、私はあなたが夫の言うような悪人には思えないの。案内するわ」

「親父さんは、農園に居ないのですか?」

「さっきまでは居たんだけど、体調が悪そうだったから帰したのよ。……この所、娘が勤務するホテルの管理者に頭を下げたり、慣れないストレスが沢山あったから。少し疲れているのかしらね? ちょっと休むように、強く言ったわ。今は家で、あの子が逃げないように見張ってると思うわ」

 元々、あの親父さんは高血圧やら中等度以上の糖尿病で医者に通っていると言っていたからな。
 体調も崩しやすいだろう。
 それでも家で見張っているというのは、さすがの根性だとは思うが。

 兎に角、だ。
 俺はお袋さんに案内され、雪華さんが育ったという生家まで案内してもらった。

 日本家屋の大きな家だ。
 塀はなく、トラクターと一緒に高級外車が並んでいる。
 そんな玄関先で、俺は待たされていた。

「……気まずい」

 家の中から怒鳴り合いの声が聞こえるからだ。

 海外のホームドラマのように仲が良かった一家だが、口喧嘩はまともにするらしい。「今すぐ帰らせろ、誰が合ってやるものか!」、「良いから会いなさい!」、「私が会いに行くわ!」、「行かせてなるものか!」などと、3人の激しい口論が聞こえてくる。

 波風を立たせた張本人が、屋外で唯々待っていること程に気まずいこともないな。
 やがて「お前たちはここで待っていろ!」という怒声が聞こえたかと思うと、ドタドタ音を立てて玄関に近づいてくる足音が聞こえた。

 この品性の欠片もない下品な足音は、親父さんだ。
 俺はすかさず、玄関先に向けて土下座した。

 ドアが勢いよく開く音がしたかと思うと、足音が目の前まで近づいてきて――。

「――帰れ! 二度と娘に近づくなと言ったはずだ!」

 俺を蹴り飛ばしながら、親父さんが怒声を発しているのが分かった。
 地を転がった俺は、素早く土下座をし直す。

「偽装同棲などという、倫理や常識に反することをしたのはお詫びします! ですが今は、心から雪華さんを愛している! 必ず幸せにする覚悟もあります! どうか――」

「――貴様に娘の幸せの何が分かる!?」

 再び、蹴り飛ばされた。
 人をゴミのように蹴り飛ばしやがって……。
 だが娘と共謀とは言え、騙されていたのだ。
 怒るのも理解が出来る。

 両膝を突いたまま、親父さんに視線を向ける。
 精神的な興奮からか呼吸は荒く、胸を押さえていて苦しそうだ。
 それでも視線で射殺しそうな程の殺意を込めて俺を睨みつけている。

「仕事もプライベートも認め合い尊重し、気兼ねなく言いたいことをぶつけ合い、支え合えるパートナーが出来る。それは幸せなことです!」

「貴様が、貴様如きが……そんな上等な存在だとでも言うつもりか!?」

「そうです! 少なくとも、俺は娘さんと暮らせて変われました! 私の知らない幸せを売る仕事で、最初は理解不能な生物でした。でも良質な幸せを提供しようとする雪華さんの努力と成果を見てきて、自分には出来ない仕事をしていると尊敬しました。眩し過ぎるぐらい明るく幸せをコーディネートする職務への誇りを尊重しています! 今後も笑いながら、気兼ねなく励めるように支えるつもりです! 実際、そうなっていたという実績もあります!」

「僅かな金をケチり、娘に不自由な生活をさせた貴様が何をほざく!?」

 こんな大きな家で何不自由なく物を買い与えた親父さんから見ると、俺は大層不自由な生活をさせた甲斐性なしに見えるんだろうな。
 だがこの過保護爺は、大きな間違いを犯し続けている!

「……失礼ながら、アナタは娘さんの自由を勘違いされています」

「なんだと!? ワシほどあの子に自由で幸せな生活をして欲しいと願ってる者はおらん!」

「それは違います! 自由には、責任とリスクが伴います! 娘さんは大変、危険な状態でした!」

「雪華が危険な状態だった、だと? どう言うことだ!?」

 そんなことも分からないのか?
 ……いや、雪華さんも退居費用が払えない時に親には言えないと話していた。
 そう言う意味では、彼女の金銭管理能力が致命的な程に破綻していることを親父さんが知らないのも無理はないのかもしれない。

「貯金1つない。収入に合わぬ、計画性のない無駄遣い。出会った頃の彼女の自由とは、今しか見ていなかった。何か事故があれば、直ぐに破綻する危険なものでした!」

「では貴様のように過度な節約で、息苦しい生活をするのが自由だとでも言う気か!? 小姑のようにネチネチと責めていたくせに!」

 何故そこまで知っている?
 まさか、とは思うが……。盗聴などしていないだろうな?

 興信所を使い、屋外での出入りを調べさせていたのなら兎に角、だ。
 盗聴は家族であろうと罪に問われるぞ。
 厳密に言えば、盗聴器を仕掛けることが罪になるのだが。

 もし勝手に住居に侵入していたのなら、3年以下の懲役刑だぞ?
 いや、忍び返しに有刺鉄線、その他万全な防犯対策をしている我が家に忍び込むのは困難だ。

 ならば、彼女の私物か?
 それなら、家族の問題か……。

「確かに俺は先ばかり考えていて、非常識な程に倹約家で、細かいかもしれません! 給料を全て投棄対象へ使い切る、非常識な程に浪費家で大雑把な彼女と足して2で割れば丁度良いです!」

「雪華と貴様を、足して2で割るだと!?」

「そうです! 未来への道筋ばかり考えて、俺は今すぐ壊れてもおかしくなかった。俺が必要なこととして引いていた常識のラインは、世間にとって非常識だった。お互いに常識が狂っていたのを、対極の視点だからラインを見る目も判断も対極です!」

「そうだ、雪華と貴様は対極、合わんのだ!」

「しかし! 喧嘩し合いながらも自由に言いたいことを伝え、互いに修正が出来てきた。自由に討論し合うことで、雪華さんも俺も、やっと常識的で釣り合いが取れた生活が出来ると思うんです!」

「それがあの子の幸せなものか! 好きな物1つ買わせてやらない、甲斐性なしの言い訳に過ぎん!」

「ずっと過保護に雪華さんを囲い、好きな物を買い与えて甘やかし続けるおつもりですか!?」

「それがあの子の幸せなら、ワシが頑張れば良い!」

 なんという……。
 後先を考えず、計画性のない親父なんだ。
 それでは――雪華さんが可哀想だ!

「それではペット、愛玩動物と同じだ! 金を与え、自由に使わせるばかりが愛じゃない! 常識を教える厳しさも、必要な愛情表現だ!」
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