幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK
「――予想外だ。クソ……」

 まさか信号にここまで引っかかるとは……。

 ホテルに到着した時刻は20時5分。
 駐輪場を聞いて、会場に到着するまでになんと20分。
 結局、開始5分前に受付が終了するというギリギリさになってしまった。
 ここまで予定が狂った原因は、何も信号だけじゃあない……。

「客用の駐輪場がどこか分からないなんて、受付はどうなっているんだ……」

 ホテルの受付男性に駐輪場はどこかと聞いたら、駐車場のみで自転車は……などと、妙な顔をされてしまったのだ。

 なんという対応力の低いマニュアルだ。
 自転車なんて一般的な乗り物だろうが。それでも、高級ホテルなのか?

 やっとのことで会場入りを果たせたのだが……。

「いかん……。怒りの分のエネルギー消費は、計算していなかった」

 既に疲労と栄養不足は限界に近づいている。
 早く栄養摂取をして、休息を取らなければ……。

 眠気と疲労、そして飢餓感《きがかん》に抗い、フラフラとしながら主催者の説明を聞き流す。立ちながら眠りそうになっては身体をビクンと起こす。

 その度に、周囲に立っていた人が減っているような……。
 いや、気のせいだろう。

 眠るな、俺。
 早く余計な説明を終えろ、主催スタッフ。
 まだ元を取るだけの飲食をしていないんだ。
 それに、ここで眠って財布でも盗まれたらどうする。
 眠る訳にはいかん、絶対にだ!

「――それでは、存分にお楽しみください」

 主催者の説明と挨拶が終わったらしき言葉だ。
 見れば周りの人々も食事を皿へ取ったり、アルコールを受け取りに動き出している。

「来たか、やっとか、待っていたぞ!」

 俺はカッと目を見開き、手に取った皿へと食事を盛ってゆく。

「タンパク質、脂質、炭水化物をバランス良く……。いや、まずは素早く吸収されるゼリーや液状のものからか? よし、そうしよう。バランスと料金の元を取るのは、それから再計算だ」

 皿に盛り付けた食事をテーブルに運び、次々と口へ運ぶ。

 美味い……。
 なんという美味さだ!
 砂場に水が染み渡るように、身体に栄養素が吸収されてゆくのを感じる……。
 飢餓状態《きがじょうたい》にある患者が点滴栄養を輸液《ゆえき》されている時には、こんな心地なのだろうか?

 周囲がこちらを見ながら小声で何かを囁いているが、もはや今の俺には些事に過ぎん。
 今は兎に角、栄養吸収が最優先だ。

「よし。だいぶ回復してきたぞ。ここからは栄養バランスを考えつつ、元を取る作業だ。酒税がかかるアルコールなんか、自腹では飲む気もせんからな。この機に、たらふく頂戴するとしようか!」

 中央に置かれた長テーブルには、銀色に光り輝くトレーに色とりどりの料理が並んでいる。

 俺が目指すは――動物性タンパク質だ!
 タンパク質はやはり、重要かつ高単価になりがちだ。
 大豆製品などの植物性タンパク質に比べ、肉は兎に角、高価だ。
 日本人に足りない栄養素と言われているのに、どうにかならんものか。

 鳥肉は比較的安いが、牛肉などあり得ん価格だ。
 ビタミンB群が豊富な豚肉も捨てがたい。
 だが牛肉は自分で買おうなんて気持ちはサラサラ起きない価格。
 この機に摂取しておかねば……。

「多くのビュッフェでは、人気の食品は早々と姿を消す……。人の流れから人気を読み取りつつ、高タンパクな肉を確保するには……。やはり、これだな!」

 どこの会場でも、早々と姿を消して、二度と出て来ないことが多い人気料理――ローストビーフだ。

 俺は一皿へ丸々、ローストビーフを盛り付ける。
 ああ……。
 絶妙な熱加減で、やや赤身を残した牛肉。
 そして肉にかかるソースの煌めき。
 まるで栄養と旨味が織り成す、恵みの太陽だ。

 今の俺は、ハンターだ。
 高価な酒、コストパフォーマンスの高い料理を、狙い続ける!
 アルコールで正常な判断能力を失って行くのは恐ろしいが……それも、自分との闘いだ。

「――それでは、続いての参加者の方、自己紹介をお願いします。受付番号42番の南昭平《みなみしょうへい》先生。自己紹介の為に、こちらへご登壇頂けますでしょうか?」

 あ?
 今、俺の名前が呼ばれたか?……主催スタッフが何かをしているとは思っていたが、そうか。

 今回は婚活パーティーだったな。
 ああして、受付番号順に自己紹介を促しているのか。

 登壇させられて、女に自分の売り文句を言えという催しか。
 ――ハッ。
 まるで、市場のセリのようだな。
 いかに優れた商品かを語り、自分を高く買ってくれる人と色恋関係《いろこいかんけい》になれと?
 ……冗談じゃない。

 本当なら、パスしたい。
 だが、主催の進行を邪魔するような真似は出来ん。
 飲食時間を削れられるのは惜しいが、進行に従いつつ、誰も近寄って来なくなるようなインパクトをかましておくか。

 席を立ち、ゆっくりと歩き寄る。
 俺の姿を認めた司会進行スタッフが、笑顔で「スタンドマイクの前へどうぞ」と促してくる。
 俺は、軽く頷きながらマイクの前に立つと、軽く咳払いをして口を開く。

「南昭平《みなみしょうへい》と申します。俺は皆さんのお邪魔をするつもりはありません。俺には、他にやるべきことがある。街コンや婚活というものに、興味はありませんから。それでは、良い夜をお続けください」

 ざわめく参加者やスタッフに軽く頭を下げ、壇上から降りる。

 まるでモーゼが海を割るかのように、俺の行く手から人が避けてゆく。
 歩きやすくて助かる。
 少し焦りながらも、気を取り直して進行を続けるスタッフの声を背に、俺は再び食事へと戻った――。
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