呪われた村娘は王子様から溺愛されて死を選ぶ
ついにベランジェとの婚約パーティーの日がやってきた。前日から緊張しているクラルテはほとんど眠れず寝不足になってしまった。
婚約パーティーは夜だが、朝早くから準備に追われている。ベランジェは「俺に任せればいい」と言っているが、クラルテは自分が何か失敗をしてしまったらどうしようと心配で仕方がない。
係の者に婚約パーティーの段取りを聞いているだけで頭がいっぱいになった。
昨日のベランジェとの夜のお茶の時間に絶対に忘れるなと言われたことがある。クラルテは自分の左手に目を落とす。
「婚約指輪を忘れるなよ」
ベランジェに絶対に忘れるなと言われた婚約指輪。クラルテの左手薬指にはベランジェから贈られた婚約指輪が煌びやかに光っている。
「忘れてないわ」
眺めているとプロポーズの時と指輪の意味を教えてくれた時の事を思い出す。おそらく一生忘れない素敵で大切な思い出。きっと今日もそうなるだろう。
係の者がクラルテを呼びにやってきた。自室で待機していたクラルテは係の者と一緒に準備に向かった。
慌ただしく準備が終わった。もうすっかり夜になり、婚約パーティー会場にはたくさんの人がやってきているようだ。クラルテは控え室に一人でドレスを着た自分を鏡で確認しながら待機している。
クラルテは濃いめのピンクのドレスを着ている。可愛らしいデザインで色もクラルテが好きな色で気に入っている。デート服を選んだ時に会った仕立屋がクラルテの好きな色を覚えていて制作してくれた。
クラルテは初めてコルセットをしている。慣れていないので緩くしてもらったが、締め付けられて苦しい。
靴はピンクのハイヒールを履いている。クラルテは普段ヒールが低い靴を履いているが、ダンスの練習時にいつも履いているので転ばずに歩ける。
クラルテは一番忘れてはいけないものを見つめる。
「早く会いたいな」
左手薬指の指輪が光る。ベランジェはどんな服装をしているのだろう。パーティー会場はどんな所だろう。ドレスを褒めてくれるだろうか。
クラルテは立ったり座ったり、鏡で何度も自分の姿を確認したり部屋の中をうろうろと歩く。緊張しているのか、早くベランジェに会いたくてソワソワしているのか、どちらとも取れる。
控え室のドアがノックされる。係の者が呼びにやってきた。クラルテは係の者と一緒に婚約パーティーが行われる舞踏会場へ向かう。
舞踏会場の前には礼服を着たベランジェがクラルテを待っていた。クラルテの胸が高鳴る。クラルテは見惚れて倒れそうになるが、パーティー会場前までやってきて倒れるわけにはいかない。
「クラルテ嬢、お待ちしておりました」
ベランジェは胸に手を当てクラルテに一礼する。その仕草が王子様そのものでクラルテはさらに見惚れてのぼせる。
「えっと、何をすればいいんだっけ?」
緊張とのぼせで係の者に教えてもらった段取りを思い出せない。
「俺と腕を組んで入場する。あとは俺のことだけ見ていろ。答えを求められたら”はい”と答えるだけでいい」
クラルテは「はい」と答え、ベランジェを見つめてうなずく。
「入場するぞ」
クラルテはベランジェと腕を組む。舞踏会場の両開きのドアが開かれる。ドアが開かれると舞踏会場の喧噪は静まり、クラルテとベランジェが一斉に注目される。
煌びやかで大きなシャンデリア。華やかなドレスを着た貴婦人たち。燕尾服の紳士たち。
クラルテは煌びやかで豪華な舞踏会場と何百人の人を見て目が点になる。
「クラルテ」
ベランジェが優しい声で呼ぶ。クラルテは見上げるとベランジェと目が合う。クラルテの瞳は点からハートになる。
「俺だけ見ていろ」
ベランジェはそう言うとうゆっくり歩き出す。クラルテも同じくゆっくり歩く。
クラルテとベランジェは人々の間に作られた道を通っている。二人が通ると周りのパーティー参加者が噂をしている。何を言われているのだろう。良くない事だったらどうしようと不安になっていると、前を向いて歩いているベランジェが目を合わせてくれる。
クラルテはベランジェの言葉を思い出し、ベランジェに集中して噂を気にせず歩く。
舞踏会場の中央へやってきた。ここでベランジェがクラルテへプロポーズをする。最初に係の者が来賓へ向けての挨拶をした後、ベランジェとクラルテのプロポーズが行われることになっている。
挨拶が終わり、プロポーズをする時がやってきた。ベランジェはクラルテに手を差し出す。クラルテは婚約指輪を外して手渡す。クラルテとベランジェは向かい合う。ベランジェは跪いてクラルテの手を取る。
クラルテは来賓が見守る中、ベランジェに舞踏会場でプロポーズされる。
「一目お会いした時から貴女の美しさに心を奪われました。一生をかけてお守りし、お傍を離れず貴女だけを愛します。クラルテ・ドヌーヴ嬢、私と結婚してくださいますか?」
「はい」
クラルテの左手薬指に婚約指輪がはめられる。会場から割れんばかりの拍手が鳴り響く。全員がクラルテとベランジェの婚約を祝福している。
優雅なワルツが演奏される。クラルテとベランジェは向かい合って立っている。クラルテはこの日のためにダンスを練習をしてきたが、自信がない。何百人の視線を感じる。
「最初どうするんだっけ?」
クラルテは小声で独り言のように呟く。緊張して忘れてしまっている。
ベランジェが胸に手を当ててお辞儀をするとクラルテはドレスの裾を持ちお辞儀をする。クラルテはダンスをする前にお辞儀をするのも記憶から飛んでいた。
「練習している時の話を聞かせてくれじゃないか。クラルテの努力の成果を見せてくれ」
ベランジェはクラルテの手を握り、腰に手を添えてダンスを始める。クラルテは慌てながらも頭の中で三拍子を数え、教えてもらったことを思い出しながらステップを踏む。
「くくっ、上手いじゃないか」
クラルテはピンク色のドレスをひるがえしながらベランジェと優雅にダンスを踊る。
「スリーステップ。アン、ドゥ、トロワーー」
ステップを間違えてはいけないと頭の中で必死に三拍子を取る。ベランジェは必死に拍子を取っているクラルテを笑う。
「いま笑った?」
クラルテはステップを間違えないよう、ベランジェの足を踏まないよう必死になっているのに笑われてむくれる。
「可愛いと思っただけだ」
嬉しいが、納得がいかない。クラルテはまだむくれている。
「そんなにご機嫌を損ねたか?」
ベランジェは機嫌を伺うように尋ねる。
「俺が会場へ入る前に言った言葉を覚えてるだろ?」
頭の中でベランジェの言葉か再生される。”俺のことだけ見ていろ。”クラルテはベランジェと目を合わせる。ベランジェを見つめていると頭の中で拍子を取らなくても足が勝手に動き、慣れたようにステップを踏んでいる。
「足が勝手に動いてる!」
「ダンスは一人で踊っているんじゃないんだ。俺に集中していれば上手く踊れる。クラルテ限定の方法だけどな」
ベランジェはクラルテがただ緊張しているだけと気づいていた。初デートや舞踏会場内へ入る前に行った方法と同じように自分に集中させることでクラルテの緊張を取った。
クラルテはベランジェを見つめてからは、ぎこちないステップから軽やかなステップになっていた。曲が終わるまでクラルテとベランジェは二人だけの世界のようにダンスを踊っていた。
クラルテはベランジェのおかげで失敗せずにダンスを踊りきった。素晴らしいダンスに拍手が送られる。
ダンスを終えると、ベランジェの両親が待っていた。最初に女王であるベランジェの母が二人に話しかける。
「プロポーズとダンス、素敵でしたよ」
クラルテはお辞儀をして答える。
「ありがとうございます。この言葉に嘘がないことを証明致します」
女王はベランジェの言葉に頷き、クラルテへ声をかける。
「クラルテさん。まだ分からないことが多いかと思いますが、貴女の未来は国の未来でもあるのです。その自覚を忘れないように」
優しげに微笑むベランジェの父もクラルテに話しかける。
「ベランジェは無鉄砲なところがあるので大変かと思いますが、これからも支えてやってください」
「はい」
クラルテは微笑んでベランジェの両親に返事をする。ベランジェの両親から温かい言葉をかけてもらえて嬉しく感動の気持ちで胸がいっぱいになる。
ベランジェの両親は会話を済ませると席を外す。それからはクラルテとベランジェは二人で婚約パーティーを楽しんだ。
来賓に挨拶をして、軽食を食べて、また二人でダンスを踊った。二人で夢のような時間を過ごしていた。
クラルテとベランジェは賑やかな会場を離れて外へ出た。二人は人気がない夜の庭園へやってきた。
二人は暗い夜の星空の下で庭園を歩いている。暗い庭園には見頃のバラが咲いている。
クラルテとベランジェは並んで庭園を歩く。お互いの顔も足下も見えづらい。クラルテは暗い中、ベランジェの顔をよく見ようと気を取られていると転びそうになる。とっさにベランジェの腕に掴まり転ばずに済む。ベランジェはそのままクラルテを自分の腕に掴まらせる。クラルテは両腕でベランジェの逞しい腕に掴まり、温かさに笑みがこぼれる。
(わたし、ベランジェが好き。ベランジェと結婚したい)
掴まる腕に力がこもる。王子様との結婚は想像以上に大変と想像する。しかし目の前のベランジェを好きな気持ちをなくすことはできない。
ベランジェが故郷の村へ迎えに来てくれたように、クラルテもベランジェを好きな気持ちと結婚する意志を固くする。
ベランジェは寄り添うように腕を組んでいるクラルテに目を落とす。暗くてもベランジェにはクラルテがどんな表情をしているか想像できた。
舞踏会場の明かりが遠くなっている。会場の喧噪も聞こえない。
ベランジェが足を止めると腕を組んでいるクラルテも足を止める。無数の星空の下で二人は無言のまま見つめ合う。
「愛してる」
ベランジェはクラルテにだけ聞こえるような甘い声で囁く。
「わたしも。わたしもベランジェが好き」
ベランジェはクラルテの腰を引き寄せる。暗い星空の下でもお互いを見つめ合っているのが分かる。二人は自然と瞳を閉じて影を重ねて互いの顔を近づけていくーー。
ガサッ……!
どこからか草木が揺れる音がした。動物か何かいたのだろうか。
タイミングを逃した二人は腕を組んで舞踏会場へ戻ることにした。
***
婚約パーティーを終えて二人はクラルテの部屋へやってきた。クラルテが部屋に来て欲しいとベランジェを誘った。
部屋にある燭台の灯りがついているが部屋は薄暗い。部屋に入るとクラルテは照れた赤い顔でベランジェを上目遣いで見つめる。
「ベランジェ。今日はわたしの部屋にずっと一緒にいてくれるよね? ……あの時みたいに」
クラルテは勇気を出してベランジェへ伝える。顔がすでに真っ赤だ。
クラルテが村で過ごす最後の夜。ベランジェはクラルテと一緒にいた。クラルテはあの時と同じ意味で言っているのか、それ以上のことを言っているのだろうか。
ベランジェは早くなる鼓動を悟られないように平然とした表情で言う。
「あの時と同じでいいのか?」
クラルテは赤く染まった顔で呟く。
「今日は最初からベランジェと向き合って眠りたいの」
顔を真っ赤にしながらモジモジとしながら上目遣いでつぶやく。
「可愛いこと言うじゃないか」
ベランジェは嬉しそうに口角を上げ、ドレスを脱がそうとクラルテに手を回す。クラルテは恥ずかしそうに身じろぐ。
「どうした? ドレスを着たまま寝るのか?」
クラルテは一緒に眠りたいとは言ったがドレスを脱がされるまで考えていなかった。
「うーん……」
クラルテは照れて言葉が続かない。本当は脱がされてみたいけれど、薄暗い室内でも脱がしてもらうのはまだ恥ずかしかった。
「大胆に誘ってきたのに何も知らないんだな。教え甲斐がある」
真っ赤になっているクラルテは返す言葉がない。
「俺は背を向けて脱ぐから、クラルテはその間に着替えろよ」
ベランジェはクラルテに背を向ける。後ろで慌ただしく布が擦れる音がする。ベランジェがチラッと後ろを盗み見るとクラルテはコルセットを外すのに手間取っている。
ベランジェはジャケットを脱ぎ、ベルトを外すとベッドに座る。着替え終わったクラルテに呼ばれるのを待っている。
部屋が薄暗いのもあってベランジェはドアの方を向いてベッドに座っていると、うとうとと居眠りをしてしまった。クラルテは着替え終わったのだろうか。ベッドを見るとクラルテはネグリジェを着てベランジェの近くですやすやと眠っている。
クラルテを見て子猫のようと思いながら、座っていた反対側からベッドに入る。クラルテを自分の方へ向かせ、頬におやすみの挨拶してクラルテを抱きしめ瞳を閉じる。
「クラルテ」
(誰だろう。気持ちよく眠っているのに。まだ眠い……)
クラルテの腕に力が入り、ベランジェを強く抱きしめる。あたたかい温もりに包まれ、幸せな気持ちで眠っている。
(いい匂い)
以前感じた夏空のような爽やかな香りとベランジェの匂い。クラルテはベランジェの逞しい胸に顔を埋める。
「……い、クラルテ。起きろ、朝だぞ」
(朝、あさ……?)
「ん? ベランジェ、おはよう。あれ? もう朝なの?」
明るい部屋を見渡すと窓から朝日が差し込んでいる。いつの間にか朝になっていた。
「おはよう、朝だぞ。悪いが、腕を放してくれないか? 俺もずっとこうしていたいが、そろそろ誰か来そうだ」
「きゃあ! ごめんなさい」
クラルテはしっかりとベランジェを抱きしめて眠っていたのに気づくと顔を真っ赤にして飛び起きる。
「ぐっすり眠れたか?」
クラルテは赤い顔のままうなずく。
「俺も。クラルテと一緒だと寝過ぎてしまうな」
ベランジェはベッドから出てベルトを付け、ジャケットを羽織る。
「あっ! またお祈り忘れたわ」
以前に故郷の村でベランジェと一緒に眠った時も寝過ごして日課にしているお祈りを忘れてしまった。
「俺も寝過ごすし、俺と一緒に寝る時は諦めるんだな」
クラルテは日課ができなくて残念そうにしているが、あまり気にしていないように見える。
「ベランジェ、あのね。お願いがあるの」
モジモジとしてベランジェの顔を上目遣いでチラチラと見る。ベランジェは「なんだ?」と聞くと恥ずかしそうに話し出す。
「おはようのあいさつをしてほしいの、ほっぺに……」
おはようのキスではないのか。頬を指定されたのでベランジェはクラルテの頬におはようのあいさつをする。
「クラルテ、おはよう」
耳元で唇の音がした。クラルテは顔を赤くして嬉しそうにしている。
「クラルテも俺にしろよ」
ベランジェはベッドに座る。してもらって自分だけやらないわけにはいかない。
「ベランジェおはよう」
クラルテは勇気を出して顔を真っ赤にしながら、ベランジェにおはようのあいさつをする。クラルテはそのままベランジェに抱きしめられる。
「幸せだな」
「わたしも」
婚約パーティーの翌日の朝を迎えた二人は幸せそうに笑い合った。これからもこのような日々がずっと続くだろう。
すべてが順調に進んでいる。誰もがベランジェとクラルテの結婚を祝福している。
一人を除いてはーー
婚約パーティーは夜だが、朝早くから準備に追われている。ベランジェは「俺に任せればいい」と言っているが、クラルテは自分が何か失敗をしてしまったらどうしようと心配で仕方がない。
係の者に婚約パーティーの段取りを聞いているだけで頭がいっぱいになった。
昨日のベランジェとの夜のお茶の時間に絶対に忘れるなと言われたことがある。クラルテは自分の左手に目を落とす。
「婚約指輪を忘れるなよ」
ベランジェに絶対に忘れるなと言われた婚約指輪。クラルテの左手薬指にはベランジェから贈られた婚約指輪が煌びやかに光っている。
「忘れてないわ」
眺めているとプロポーズの時と指輪の意味を教えてくれた時の事を思い出す。おそらく一生忘れない素敵で大切な思い出。きっと今日もそうなるだろう。
係の者がクラルテを呼びにやってきた。自室で待機していたクラルテは係の者と一緒に準備に向かった。
慌ただしく準備が終わった。もうすっかり夜になり、婚約パーティー会場にはたくさんの人がやってきているようだ。クラルテは控え室に一人でドレスを着た自分を鏡で確認しながら待機している。
クラルテは濃いめのピンクのドレスを着ている。可愛らしいデザインで色もクラルテが好きな色で気に入っている。デート服を選んだ時に会った仕立屋がクラルテの好きな色を覚えていて制作してくれた。
クラルテは初めてコルセットをしている。慣れていないので緩くしてもらったが、締め付けられて苦しい。
靴はピンクのハイヒールを履いている。クラルテは普段ヒールが低い靴を履いているが、ダンスの練習時にいつも履いているので転ばずに歩ける。
クラルテは一番忘れてはいけないものを見つめる。
「早く会いたいな」
左手薬指の指輪が光る。ベランジェはどんな服装をしているのだろう。パーティー会場はどんな所だろう。ドレスを褒めてくれるだろうか。
クラルテは立ったり座ったり、鏡で何度も自分の姿を確認したり部屋の中をうろうろと歩く。緊張しているのか、早くベランジェに会いたくてソワソワしているのか、どちらとも取れる。
控え室のドアがノックされる。係の者が呼びにやってきた。クラルテは係の者と一緒に婚約パーティーが行われる舞踏会場へ向かう。
舞踏会場の前には礼服を着たベランジェがクラルテを待っていた。クラルテの胸が高鳴る。クラルテは見惚れて倒れそうになるが、パーティー会場前までやってきて倒れるわけにはいかない。
「クラルテ嬢、お待ちしておりました」
ベランジェは胸に手を当てクラルテに一礼する。その仕草が王子様そのものでクラルテはさらに見惚れてのぼせる。
「えっと、何をすればいいんだっけ?」
緊張とのぼせで係の者に教えてもらった段取りを思い出せない。
「俺と腕を組んで入場する。あとは俺のことだけ見ていろ。答えを求められたら”はい”と答えるだけでいい」
クラルテは「はい」と答え、ベランジェを見つめてうなずく。
「入場するぞ」
クラルテはベランジェと腕を組む。舞踏会場の両開きのドアが開かれる。ドアが開かれると舞踏会場の喧噪は静まり、クラルテとベランジェが一斉に注目される。
煌びやかで大きなシャンデリア。華やかなドレスを着た貴婦人たち。燕尾服の紳士たち。
クラルテは煌びやかで豪華な舞踏会場と何百人の人を見て目が点になる。
「クラルテ」
ベランジェが優しい声で呼ぶ。クラルテは見上げるとベランジェと目が合う。クラルテの瞳は点からハートになる。
「俺だけ見ていろ」
ベランジェはそう言うとうゆっくり歩き出す。クラルテも同じくゆっくり歩く。
クラルテとベランジェは人々の間に作られた道を通っている。二人が通ると周りのパーティー参加者が噂をしている。何を言われているのだろう。良くない事だったらどうしようと不安になっていると、前を向いて歩いているベランジェが目を合わせてくれる。
クラルテはベランジェの言葉を思い出し、ベランジェに集中して噂を気にせず歩く。
舞踏会場の中央へやってきた。ここでベランジェがクラルテへプロポーズをする。最初に係の者が来賓へ向けての挨拶をした後、ベランジェとクラルテのプロポーズが行われることになっている。
挨拶が終わり、プロポーズをする時がやってきた。ベランジェはクラルテに手を差し出す。クラルテは婚約指輪を外して手渡す。クラルテとベランジェは向かい合う。ベランジェは跪いてクラルテの手を取る。
クラルテは来賓が見守る中、ベランジェに舞踏会場でプロポーズされる。
「一目お会いした時から貴女の美しさに心を奪われました。一生をかけてお守りし、お傍を離れず貴女だけを愛します。クラルテ・ドヌーヴ嬢、私と結婚してくださいますか?」
「はい」
クラルテの左手薬指に婚約指輪がはめられる。会場から割れんばかりの拍手が鳴り響く。全員がクラルテとベランジェの婚約を祝福している。
優雅なワルツが演奏される。クラルテとベランジェは向かい合って立っている。クラルテはこの日のためにダンスを練習をしてきたが、自信がない。何百人の視線を感じる。
「最初どうするんだっけ?」
クラルテは小声で独り言のように呟く。緊張して忘れてしまっている。
ベランジェが胸に手を当ててお辞儀をするとクラルテはドレスの裾を持ちお辞儀をする。クラルテはダンスをする前にお辞儀をするのも記憶から飛んでいた。
「練習している時の話を聞かせてくれじゃないか。クラルテの努力の成果を見せてくれ」
ベランジェはクラルテの手を握り、腰に手を添えてダンスを始める。クラルテは慌てながらも頭の中で三拍子を数え、教えてもらったことを思い出しながらステップを踏む。
「くくっ、上手いじゃないか」
クラルテはピンク色のドレスをひるがえしながらベランジェと優雅にダンスを踊る。
「スリーステップ。アン、ドゥ、トロワーー」
ステップを間違えてはいけないと頭の中で必死に三拍子を取る。ベランジェは必死に拍子を取っているクラルテを笑う。
「いま笑った?」
クラルテはステップを間違えないよう、ベランジェの足を踏まないよう必死になっているのに笑われてむくれる。
「可愛いと思っただけだ」
嬉しいが、納得がいかない。クラルテはまだむくれている。
「そんなにご機嫌を損ねたか?」
ベランジェは機嫌を伺うように尋ねる。
「俺が会場へ入る前に言った言葉を覚えてるだろ?」
頭の中でベランジェの言葉か再生される。”俺のことだけ見ていろ。”クラルテはベランジェと目を合わせる。ベランジェを見つめていると頭の中で拍子を取らなくても足が勝手に動き、慣れたようにステップを踏んでいる。
「足が勝手に動いてる!」
「ダンスは一人で踊っているんじゃないんだ。俺に集中していれば上手く踊れる。クラルテ限定の方法だけどな」
ベランジェはクラルテがただ緊張しているだけと気づいていた。初デートや舞踏会場内へ入る前に行った方法と同じように自分に集中させることでクラルテの緊張を取った。
クラルテはベランジェを見つめてからは、ぎこちないステップから軽やかなステップになっていた。曲が終わるまでクラルテとベランジェは二人だけの世界のようにダンスを踊っていた。
クラルテはベランジェのおかげで失敗せずにダンスを踊りきった。素晴らしいダンスに拍手が送られる。
ダンスを終えると、ベランジェの両親が待っていた。最初に女王であるベランジェの母が二人に話しかける。
「プロポーズとダンス、素敵でしたよ」
クラルテはお辞儀をして答える。
「ありがとうございます。この言葉に嘘がないことを証明致します」
女王はベランジェの言葉に頷き、クラルテへ声をかける。
「クラルテさん。まだ分からないことが多いかと思いますが、貴女の未来は国の未来でもあるのです。その自覚を忘れないように」
優しげに微笑むベランジェの父もクラルテに話しかける。
「ベランジェは無鉄砲なところがあるので大変かと思いますが、これからも支えてやってください」
「はい」
クラルテは微笑んでベランジェの両親に返事をする。ベランジェの両親から温かい言葉をかけてもらえて嬉しく感動の気持ちで胸がいっぱいになる。
ベランジェの両親は会話を済ませると席を外す。それからはクラルテとベランジェは二人で婚約パーティーを楽しんだ。
来賓に挨拶をして、軽食を食べて、また二人でダンスを踊った。二人で夢のような時間を過ごしていた。
クラルテとベランジェは賑やかな会場を離れて外へ出た。二人は人気がない夜の庭園へやってきた。
二人は暗い夜の星空の下で庭園を歩いている。暗い庭園には見頃のバラが咲いている。
クラルテとベランジェは並んで庭園を歩く。お互いの顔も足下も見えづらい。クラルテは暗い中、ベランジェの顔をよく見ようと気を取られていると転びそうになる。とっさにベランジェの腕に掴まり転ばずに済む。ベランジェはそのままクラルテを自分の腕に掴まらせる。クラルテは両腕でベランジェの逞しい腕に掴まり、温かさに笑みがこぼれる。
(わたし、ベランジェが好き。ベランジェと結婚したい)
掴まる腕に力がこもる。王子様との結婚は想像以上に大変と想像する。しかし目の前のベランジェを好きな気持ちをなくすことはできない。
ベランジェが故郷の村へ迎えに来てくれたように、クラルテもベランジェを好きな気持ちと結婚する意志を固くする。
ベランジェは寄り添うように腕を組んでいるクラルテに目を落とす。暗くてもベランジェにはクラルテがどんな表情をしているか想像できた。
舞踏会場の明かりが遠くなっている。会場の喧噪も聞こえない。
ベランジェが足を止めると腕を組んでいるクラルテも足を止める。無数の星空の下で二人は無言のまま見つめ合う。
「愛してる」
ベランジェはクラルテにだけ聞こえるような甘い声で囁く。
「わたしも。わたしもベランジェが好き」
ベランジェはクラルテの腰を引き寄せる。暗い星空の下でもお互いを見つめ合っているのが分かる。二人は自然と瞳を閉じて影を重ねて互いの顔を近づけていくーー。
ガサッ……!
どこからか草木が揺れる音がした。動物か何かいたのだろうか。
タイミングを逃した二人は腕を組んで舞踏会場へ戻ることにした。
***
婚約パーティーを終えて二人はクラルテの部屋へやってきた。クラルテが部屋に来て欲しいとベランジェを誘った。
部屋にある燭台の灯りがついているが部屋は薄暗い。部屋に入るとクラルテは照れた赤い顔でベランジェを上目遣いで見つめる。
「ベランジェ。今日はわたしの部屋にずっと一緒にいてくれるよね? ……あの時みたいに」
クラルテは勇気を出してベランジェへ伝える。顔がすでに真っ赤だ。
クラルテが村で過ごす最後の夜。ベランジェはクラルテと一緒にいた。クラルテはあの時と同じ意味で言っているのか、それ以上のことを言っているのだろうか。
ベランジェは早くなる鼓動を悟られないように平然とした表情で言う。
「あの時と同じでいいのか?」
クラルテは赤く染まった顔で呟く。
「今日は最初からベランジェと向き合って眠りたいの」
顔を真っ赤にしながらモジモジとしながら上目遣いでつぶやく。
「可愛いこと言うじゃないか」
ベランジェは嬉しそうに口角を上げ、ドレスを脱がそうとクラルテに手を回す。クラルテは恥ずかしそうに身じろぐ。
「どうした? ドレスを着たまま寝るのか?」
クラルテは一緒に眠りたいとは言ったがドレスを脱がされるまで考えていなかった。
「うーん……」
クラルテは照れて言葉が続かない。本当は脱がされてみたいけれど、薄暗い室内でも脱がしてもらうのはまだ恥ずかしかった。
「大胆に誘ってきたのに何も知らないんだな。教え甲斐がある」
真っ赤になっているクラルテは返す言葉がない。
「俺は背を向けて脱ぐから、クラルテはその間に着替えろよ」
ベランジェはクラルテに背を向ける。後ろで慌ただしく布が擦れる音がする。ベランジェがチラッと後ろを盗み見るとクラルテはコルセットを外すのに手間取っている。
ベランジェはジャケットを脱ぎ、ベルトを外すとベッドに座る。着替え終わったクラルテに呼ばれるのを待っている。
部屋が薄暗いのもあってベランジェはドアの方を向いてベッドに座っていると、うとうとと居眠りをしてしまった。クラルテは着替え終わったのだろうか。ベッドを見るとクラルテはネグリジェを着てベランジェの近くですやすやと眠っている。
クラルテを見て子猫のようと思いながら、座っていた反対側からベッドに入る。クラルテを自分の方へ向かせ、頬におやすみの挨拶してクラルテを抱きしめ瞳を閉じる。
「クラルテ」
(誰だろう。気持ちよく眠っているのに。まだ眠い……)
クラルテの腕に力が入り、ベランジェを強く抱きしめる。あたたかい温もりに包まれ、幸せな気持ちで眠っている。
(いい匂い)
以前感じた夏空のような爽やかな香りとベランジェの匂い。クラルテはベランジェの逞しい胸に顔を埋める。
「……い、クラルテ。起きろ、朝だぞ」
(朝、あさ……?)
「ん? ベランジェ、おはよう。あれ? もう朝なの?」
明るい部屋を見渡すと窓から朝日が差し込んでいる。いつの間にか朝になっていた。
「おはよう、朝だぞ。悪いが、腕を放してくれないか? 俺もずっとこうしていたいが、そろそろ誰か来そうだ」
「きゃあ! ごめんなさい」
クラルテはしっかりとベランジェを抱きしめて眠っていたのに気づくと顔を真っ赤にして飛び起きる。
「ぐっすり眠れたか?」
クラルテは赤い顔のままうなずく。
「俺も。クラルテと一緒だと寝過ぎてしまうな」
ベランジェはベッドから出てベルトを付け、ジャケットを羽織る。
「あっ! またお祈り忘れたわ」
以前に故郷の村でベランジェと一緒に眠った時も寝過ごして日課にしているお祈りを忘れてしまった。
「俺も寝過ごすし、俺と一緒に寝る時は諦めるんだな」
クラルテは日課ができなくて残念そうにしているが、あまり気にしていないように見える。
「ベランジェ、あのね。お願いがあるの」
モジモジとしてベランジェの顔を上目遣いでチラチラと見る。ベランジェは「なんだ?」と聞くと恥ずかしそうに話し出す。
「おはようのあいさつをしてほしいの、ほっぺに……」
おはようのキスではないのか。頬を指定されたのでベランジェはクラルテの頬におはようのあいさつをする。
「クラルテ、おはよう」
耳元で唇の音がした。クラルテは顔を赤くして嬉しそうにしている。
「クラルテも俺にしろよ」
ベランジェはベッドに座る。してもらって自分だけやらないわけにはいかない。
「ベランジェおはよう」
クラルテは勇気を出して顔を真っ赤にしながら、ベランジェにおはようのあいさつをする。クラルテはそのままベランジェに抱きしめられる。
「幸せだな」
「わたしも」
婚約パーティーの翌日の朝を迎えた二人は幸せそうに笑い合った。これからもこのような日々がずっと続くだろう。
すべてが順調に進んでいる。誰もがベランジェとクラルテの結婚を祝福している。
一人を除いてはーー