呪われた村娘は王子様から溺愛されて死を選ぶ
あなたの心は?
良く晴れた午後。今日の天気は朝から強い日差しが照りつけている。風も少なく、夏の暑さを感じさせる。
暑いこともあり、ベランジェは珍しく執務室の窓を全開している。夏の虫の声と微風が室内に流れ込む。
ベランジェは執務室の書物机に両肘を付いてうなだれながらあの時のことを思い出している。ふとやってくる後悔している最悪の記憶。それを思い出しては数十分落ち込む。執務室のドアがノックされ、アルフレッドはベランジェの状態を悟る。
「どうされましたか? もしかしてまたあの時の事を思い出しているのですか?」
アルフレッドが少々呆れたようにベランジェに声をかける。クラルテのギフトボックスを捨ててから一ヶ月以上経っているのに、まだ思い出しては落ち込んでいる。
「ああ……」
ベランジェは思い出しては絶望したような暗い顔をする。アルフレッドが言うあの時とはクラルテを深く傷つけてしまった日の事だ。その直後から「俺は最低だ……」とひどく落ち込んでいる。
「以前も言いましたが、今のベランジェ王子様へ何を言っても何も慰めにならないことを分かっています。落ち込んでいる方が向こうの思惑通りです」
「そうだな」
ベランジェはアルフレッドに何度も同じ言葉をかけられている。こんなことを繰り返していても何の解決にもならない。ベランジェは再度気持ちを入れ直す。
「クラルテの様子はどうだ?」
「お元気そうですよ。マノンがクラルテ様の事を楽しそうに話していました」
ベランジェはクラルテと距離を置いているため、メイドのマノンから情報を入手している。ベランジェやアルフレッドがマノンに直接聞き出しているわけではない。マノンはよく喋る女性のようで、自発的にクラルテの話を話している。それを聞いてクラルテの体調などの情報を入手している。
「確認だが、クラルテの呪いの件は俺とアルフレッド以外の誰にも知られていないな?」
アルフレッドは静かにうなずく。
クラルテには自身が呪われているということを秘密にしている。ベランジェはクラルテに呪われていると伝えたところで解決法もなくただ不安にさせるだけと思い、マノンやロズリーヌを含めて周りにも秘密にしている。
ベランジェはアルフレッドに打ち明けたのは専門家だからだ。彼は本当は執事ではなく、王室の呪術対策課の研究員である。専門家がいた方がクラルテに何かあった時に対処できると考え、執事としてここに来てもらっている。
「またそれを読んでいたのですか?」
アルフレッドはデスクに出ている手記に目線を落とす。ベランジェは短く返事をすると何度も読んだ呪われ愛されなくなった、かつての王妃の手記を開く。
その手記には王妃が呪われて王から愛されなくなった悲しさ、寂しさ、苛立ち、呪われ命を落とす原因となった王を嫌いになりきれない気持ちが書かれている。
「クラルテは今こんなにも悲しい思いをしているのか」
ベランジェは深く息を吐く。ベランジェは傷つくクラルテを思い出す度に自責している。
あの時の事を思い出し、弱気になってまたこの手記を広げてしまった。自分がやっていることは最低だ。愛している人を傷つけ死に向かわせている。解決策を探しているが、何も手かがりがない。何もできずにいる時間が長くなるほど、クラルテが傷つく時間が長くなり、命を削り奪っていく。
本当にどうすることもできないのだろうか。ただ破局を見ていることしかできないのだろうか。
「ベランジェ王子様、心中お察しします」
アルフレッドの言葉によって意識を引き戻される。考え出すと永遠に考えてしまいそうになる。
「すまない。頼んだものは調べはついたか?」
「いいえ。再び王妃が呪われた王の文献を調べていました。しかし最悪の事が書かれているだけで手がかりはありません。他も調べましたが記述が残されているのはこの文献だけです」
アルフレッドはこの屋敷に来る時に城の重要書物保管所から持ってきた古い文献をベランジェの書物机に置く。
王妃を呪われ、魔術王に倒された王はかつてのこの国の王だ。この時代の文献自体が少ないのか残されていないのか、関連書は少ない。
「そうか……」
ベランジェは深いため息を吐く。ベランジェもアルフレッドも解決策の手がかりを探そうと何度も読んだ文献。かつての王たちと魔術王との事が書かれている。
立ち向かった王は最愛の王妃を呪われ失う。憔悴した王は抵抗もなく魔術王に倒されてしまう。それを目撃した同盟国の王は魔術王に刃向かうことができなくなった。
「ベランジェ王子様。貴方が弱気になってどうするのですか? 私は最善を尽くします」
協力してくれているアルフレッドがこのように思っていくれている。ベランジェは気持ちを入れ替える。
「ああ、ありがとう」
いつもより暖まった夏風と楽しそうな弾んだ声も一緒に室内に入ってくる。クラルテとフィルは今日も楽しそうにお茶をしながら話している。
「あの男はまた来ているのか?」
ベランジェは執務室の窓から見える庭のガゼボでクラルテと楽しそうにお茶をしているフィルを睨む。
「ロズリーヌ様の紹介で通っている東洋の医者だそうです」
「本当に医者なのか? クラルテとお茶をしているだけではないか」
ベランジェには診察などもせずにクラルテとお茶をして帰るだけに見えている。以前に遠目からフィルを確認した際、ベランジェにはフィルの柔和な顔が張り付いたもののように感じた。
ベランジェがフィルを睨む視線がさらに鋭くなる。
できるならば自分がクラルテとお茶をしたい。ベランジェはフィルを見て心をざわつかせイライラとさせる。
あの男に許されてなぜ自分は許されない。今までクラルテへ向けられなかった積もりに積もった愛情が爆発しそうになっている。行き場のない怒りを拳を握り抑えようとする。力強く握り震える拳だけではおさまらず、表情にも出てきている。
「あの、ベランジェ王子様」
アルフレッドが不安になってベランジェに声をかける。ベランジェは座っている椅子を倒す勢いで立ち上がり、庭へ向かう。アルフレッドが制止する声は聞こえていなかった。
良く晴れた暑い夏の午後。ガゼボの日陰に入り、涼をとれば幾分か暑さをしのげる。いつもの気持ち良く涼しい風は今日は生暖かい風になっている。
クラルテとフィルは今日もいつものガゼボでお茶をしていると、向こうからベランジェが険しい表情でやってくる。三人はベランジェに視線を向ける。
「お取り込み中、失礼する。今日は日差しが強く暑い日だ。クラルテの身体にさわる。今日はもうお引き取り願えないだろうか」
夏の強い日差しがベランジェを照らしている。ベランジェの整った顔に影を作り凄みが増している。
「まだ、いらしてくれたばかりよ」
クラルテが口を挟む。フィルが来てから三十分も経っていない。
「貴方は医者だ。私が言っていることが理解できるだろう」
「分かりました。日を改めます。クラルテちゃん、今日は失礼するね」
ベランジェはクラルテの名前を呼ばれて眉を動かし、顔が引きつる。側に控えてお茶の給仕をしていたマノンがフィルを屋敷の外まで送る。
ベランジェとクラルテは二人きりになる。
ベランジェはガゼボで座っているクラルテの前に立っている。クラルテは突然やってきたベランジェに驚きの表情で見上げる。二人はお互いを見つめ合ったまま沈黙している。
「あの男と会うな」
ベランジェは全く笑っていない表情と低い声で短く伝える。
「急にどうしたの?」
急なことでクラルテには何が起こっているのか分からない。客人がいるにも関わらず突然現れて追い返し、急に話しかけてきたのも何故そう言われるのかも検討がつかない。
「あの男には会うな」
ベランジェは答えずにもう一度同じ言葉を繰り返す。ベランジェから威圧感を感じる。
「あの方は東洋のお医者様です。わたしの事を心配して通ってくれているのよ」
クラルテは顔を逸らして事実を伝える。事実だとしても医者をかばうような物言いにベランジェは苛立つ。
(クラルテを一番に心配しているのは俺だ)
何もできない自分。傷つけることしかできない自分。本当の気持ちを伝えられない自分。今まで我慢していた色々なものがぐちゃぐちゃに混ざり合い、冷静ではいられなくなった。
「俺がクラルテを考えない時があると思っているのか?」
「え……?」
思いもしない言葉に顔を上げる。クラルテはベランジェから嫌われていると思っている。
「それはどういう意味なの?」
ベランジェはクラルテからの質問に押し黙る。答えられるわけがない。答えてしまったら今まで冷たくしてきた事が無駄になってしまう。
クラルテは答えないベランジェから視線を逸らす。
「わたしはあなたの心が分からない」
冷たい態度を取っているのに捨てたはずのギフトボックスを持っていたり、今こうして目の前にいる。クラルテにはベランジェが何を考えているのか分からない。
「あの頃に戻りたい……」
一言こぼしたクラルテの声は震え、瞳が滲んでいく。
クラルテはベランジェとの婚約パーティーまでの事を思い出す。あの頃の愛し合っていた二人に戻りたいと思っている。
ベランジェはクラルテが故郷の村と別れを惜しむのを思い出す。クラルテは自分から離れ、故郷へ帰りたいと言っていると思った。クラルテを失うと勘違いをしたベランジェは理性がなくなった。
ベランジェはクラルテの腕を引っ張って立たせ、強く抱きしめる。驚いているクラルテを気にする余裕はない。ベランジェはクラルテの顎に手を添えられて上を向かされる。
「んっ……!」
クラルテは唇に初めて感じる柔らかい感触と熱に目を見開く。一瞬で耳まで顔を赤くし、胸の激しい締め付けに顔を歪ませる。クラルテの苦悶の声は口腔と通して伝わる。理性が戻ったベランジェは唇を離し、苦しむクラルテの名前を呼ぶ。
「クラルテ!」
胸の痛みは強く、クラルテは何も答えられない。
ベランジェは顔を蒼白にして再度クラルテの名を呼ぶ。クラルテは何も答えられず、ベランジェの腕の中で苦しんでいる。
「クラルテ様ぁ~!」
フィルを敷地の外まで送っていたマノンが戻ってきた。必死にクラルテ呼ぶベランジェの様子を見て慌てて駆け寄る。
「クラルテ様、大丈夫ですか? 王子様、あたしがクラルテ様をお部屋まで運びます」
「君では無理だろう。俺が運ぶ」
クラルテより小柄で非力そうなマノンでは背負ってもゆっくり踏み出すので精一杯だろう。
ベランジェはクラルテをお姫様抱っこをしてマノンと一緒にクラルテの部屋へ向かう。
「すまない。もう少し耐えてくれ」
ベランジェはクラルテに謝る。アルフレッドは執務室の窓からガゼボの様子をうかがっていたが、慌てて庭に出てきた。アルフレッドはベランジェ、マノンとすれ違う。ベランジェとマノンはクラルテの部屋へと急ぐ。
(何だろう、懐かしくてあたたかい感じ……)
クラルテはいつかのベッドの中で感じたぬくもりの記憶を思い出していると意識が遠くなっていった。
***
清々しい初夏の風と明るい日差しが街路樹の葉を反射させている。
クラルテとベランジェは初デートで厳かな大聖堂へ来ている。もうすぐここで二人の結婚式が行われる。王族はこの大聖堂で結婚式をする伝統になっている。
「もうすぐベランジェと結婚なのね。夢のようだわ」
「ああ、俺も嬉しいよ」
クラルテは大聖堂内にある聖台前で嬉しそうにはしゃぐ。ベランジェはクラルテを見てあたたかく笑っている。
「夫婦ってどんな感じかな。婚約が決まってからベランジェと夫婦になるのをずっと楽しみにしてるの」
「そんなに楽しみにしてくれてるなんて嬉しいぞ」
クラルテは上を見上げながらベランジェとの結婚式、新婚生活を想像してにやけている。
(懐かしい記憶。ベランジェと初デートの時に来た大聖堂での事ね)
クラルテは自分の記憶を俯瞰して見ているような感覚になる。クラルテは夢を見ている。
「記者の方がたくさん来るんだよね。緊張するわ」
当日は数え切れないくらいの記者や国民がやってくるだろう。クラルテは想像すると今から緊張してしまう。
「ならば式が終わり、大聖堂から出て行く時はクラルテをお姫様抱っこしながら行くか。写真が映えするぞ」
「私を、お姫様抱っこしながらだなんて。嬉しいけど照れるよ」
クラルテは想像するだけで顔を真っ赤にし、両手で頬を覆う。
「嬉しいんだな」
クラルテの身体は宙を浮く。ベランジェがクラルテをお姫様抱っこをしている。
「きゃっ! ベランジェ!」
クラルテはベランジェの首に手を回して掴まる。
「ここでクラルテに永遠の愛を誓う。本番が楽しみだ」
ベランジェはクラルテを抱き上げたままその場で回転する。
当日はベランジェの親族や貴族たち同盟国の王や妃など関係者大勢の参列者が結婚式にやってくる。二人の結婚式は世界中に知らされる。クラルテの目の前には想像できないような光景が広がっているだろう。
クラルテはそんな未来が来ることをベランジェと一緒に楽しみにしている。
「愛してる、クラルテ」
クラルテは言葉を返そうとして口を動かすが声が出てこない。
「クラルテ」
再び名前を呼ばれると胸が痛み、目の前の景色が薄れていく。
***
「クラルテ……」
優しく甘い声が脳に響く。クラルテは自分の部屋のベッドの上で胸の痛みによって目を覚ます。目を覚ますと部屋のドアが静かに閉まったような音がしたが、寝起きでぼんやりしているクラルテは気に止めなかった。
クラルテは目を開けると部屋が暗かった。カーテンを閉めていない窓から月明かりが差し込んでいる。クラルテはゆっくりと身体を起こす。
「わたし、あのまま倒れてしまったのね……」
あんなに激しい痛みは初めてだった。あのまま心臓を握り潰されそうな締め付ける激しい痛み。暗い部屋の中でクラルテは倒れた時の事をぼんやりと思い出す。
「あっ……」
昼間に感じた熱く柔らかい感触を思い出し、顔を赤くする。
「っ……!」
クラルテは胸を押さえる。また締め付けるような痛みに襲われる。
「どうしてベランジェの事を考えると胸が痛くなるの?」
クラルテは胸を押さえながらベッドの中でうずくまり疑問に思う。
暑いこともあり、ベランジェは珍しく執務室の窓を全開している。夏の虫の声と微風が室内に流れ込む。
ベランジェは執務室の書物机に両肘を付いてうなだれながらあの時のことを思い出している。ふとやってくる後悔している最悪の記憶。それを思い出しては数十分落ち込む。執務室のドアがノックされ、アルフレッドはベランジェの状態を悟る。
「どうされましたか? もしかしてまたあの時の事を思い出しているのですか?」
アルフレッドが少々呆れたようにベランジェに声をかける。クラルテのギフトボックスを捨ててから一ヶ月以上経っているのに、まだ思い出しては落ち込んでいる。
「ああ……」
ベランジェは思い出しては絶望したような暗い顔をする。アルフレッドが言うあの時とはクラルテを深く傷つけてしまった日の事だ。その直後から「俺は最低だ……」とひどく落ち込んでいる。
「以前も言いましたが、今のベランジェ王子様へ何を言っても何も慰めにならないことを分かっています。落ち込んでいる方が向こうの思惑通りです」
「そうだな」
ベランジェはアルフレッドに何度も同じ言葉をかけられている。こんなことを繰り返していても何の解決にもならない。ベランジェは再度気持ちを入れ直す。
「クラルテの様子はどうだ?」
「お元気そうですよ。マノンがクラルテ様の事を楽しそうに話していました」
ベランジェはクラルテと距離を置いているため、メイドのマノンから情報を入手している。ベランジェやアルフレッドがマノンに直接聞き出しているわけではない。マノンはよく喋る女性のようで、自発的にクラルテの話を話している。それを聞いてクラルテの体調などの情報を入手している。
「確認だが、クラルテの呪いの件は俺とアルフレッド以外の誰にも知られていないな?」
アルフレッドは静かにうなずく。
クラルテには自身が呪われているということを秘密にしている。ベランジェはクラルテに呪われていると伝えたところで解決法もなくただ不安にさせるだけと思い、マノンやロズリーヌを含めて周りにも秘密にしている。
ベランジェはアルフレッドに打ち明けたのは専門家だからだ。彼は本当は執事ではなく、王室の呪術対策課の研究員である。専門家がいた方がクラルテに何かあった時に対処できると考え、執事としてここに来てもらっている。
「またそれを読んでいたのですか?」
アルフレッドはデスクに出ている手記に目線を落とす。ベランジェは短く返事をすると何度も読んだ呪われ愛されなくなった、かつての王妃の手記を開く。
その手記には王妃が呪われて王から愛されなくなった悲しさ、寂しさ、苛立ち、呪われ命を落とす原因となった王を嫌いになりきれない気持ちが書かれている。
「クラルテは今こんなにも悲しい思いをしているのか」
ベランジェは深く息を吐く。ベランジェは傷つくクラルテを思い出す度に自責している。
あの時の事を思い出し、弱気になってまたこの手記を広げてしまった。自分がやっていることは最低だ。愛している人を傷つけ死に向かわせている。解決策を探しているが、何も手かがりがない。何もできずにいる時間が長くなるほど、クラルテが傷つく時間が長くなり、命を削り奪っていく。
本当にどうすることもできないのだろうか。ただ破局を見ていることしかできないのだろうか。
「ベランジェ王子様、心中お察しします」
アルフレッドの言葉によって意識を引き戻される。考え出すと永遠に考えてしまいそうになる。
「すまない。頼んだものは調べはついたか?」
「いいえ。再び王妃が呪われた王の文献を調べていました。しかし最悪の事が書かれているだけで手がかりはありません。他も調べましたが記述が残されているのはこの文献だけです」
アルフレッドはこの屋敷に来る時に城の重要書物保管所から持ってきた古い文献をベランジェの書物机に置く。
王妃を呪われ、魔術王に倒された王はかつてのこの国の王だ。この時代の文献自体が少ないのか残されていないのか、関連書は少ない。
「そうか……」
ベランジェは深いため息を吐く。ベランジェもアルフレッドも解決策の手がかりを探そうと何度も読んだ文献。かつての王たちと魔術王との事が書かれている。
立ち向かった王は最愛の王妃を呪われ失う。憔悴した王は抵抗もなく魔術王に倒されてしまう。それを目撃した同盟国の王は魔術王に刃向かうことができなくなった。
「ベランジェ王子様。貴方が弱気になってどうするのですか? 私は最善を尽くします」
協力してくれているアルフレッドがこのように思っていくれている。ベランジェは気持ちを入れ替える。
「ああ、ありがとう」
いつもより暖まった夏風と楽しそうな弾んだ声も一緒に室内に入ってくる。クラルテとフィルは今日も楽しそうにお茶をしながら話している。
「あの男はまた来ているのか?」
ベランジェは執務室の窓から見える庭のガゼボでクラルテと楽しそうにお茶をしているフィルを睨む。
「ロズリーヌ様の紹介で通っている東洋の医者だそうです」
「本当に医者なのか? クラルテとお茶をしているだけではないか」
ベランジェには診察などもせずにクラルテとお茶をして帰るだけに見えている。以前に遠目からフィルを確認した際、ベランジェにはフィルの柔和な顔が張り付いたもののように感じた。
ベランジェがフィルを睨む視線がさらに鋭くなる。
できるならば自分がクラルテとお茶をしたい。ベランジェはフィルを見て心をざわつかせイライラとさせる。
あの男に許されてなぜ自分は許されない。今までクラルテへ向けられなかった積もりに積もった愛情が爆発しそうになっている。行き場のない怒りを拳を握り抑えようとする。力強く握り震える拳だけではおさまらず、表情にも出てきている。
「あの、ベランジェ王子様」
アルフレッドが不安になってベランジェに声をかける。ベランジェは座っている椅子を倒す勢いで立ち上がり、庭へ向かう。アルフレッドが制止する声は聞こえていなかった。
良く晴れた暑い夏の午後。ガゼボの日陰に入り、涼をとれば幾分か暑さをしのげる。いつもの気持ち良く涼しい風は今日は生暖かい風になっている。
クラルテとフィルは今日もいつものガゼボでお茶をしていると、向こうからベランジェが険しい表情でやってくる。三人はベランジェに視線を向ける。
「お取り込み中、失礼する。今日は日差しが強く暑い日だ。クラルテの身体にさわる。今日はもうお引き取り願えないだろうか」
夏の強い日差しがベランジェを照らしている。ベランジェの整った顔に影を作り凄みが増している。
「まだ、いらしてくれたばかりよ」
クラルテが口を挟む。フィルが来てから三十分も経っていない。
「貴方は医者だ。私が言っていることが理解できるだろう」
「分かりました。日を改めます。クラルテちゃん、今日は失礼するね」
ベランジェはクラルテの名前を呼ばれて眉を動かし、顔が引きつる。側に控えてお茶の給仕をしていたマノンがフィルを屋敷の外まで送る。
ベランジェとクラルテは二人きりになる。
ベランジェはガゼボで座っているクラルテの前に立っている。クラルテは突然やってきたベランジェに驚きの表情で見上げる。二人はお互いを見つめ合ったまま沈黙している。
「あの男と会うな」
ベランジェは全く笑っていない表情と低い声で短く伝える。
「急にどうしたの?」
急なことでクラルテには何が起こっているのか分からない。客人がいるにも関わらず突然現れて追い返し、急に話しかけてきたのも何故そう言われるのかも検討がつかない。
「あの男には会うな」
ベランジェは答えずにもう一度同じ言葉を繰り返す。ベランジェから威圧感を感じる。
「あの方は東洋のお医者様です。わたしの事を心配して通ってくれているのよ」
クラルテは顔を逸らして事実を伝える。事実だとしても医者をかばうような物言いにベランジェは苛立つ。
(クラルテを一番に心配しているのは俺だ)
何もできない自分。傷つけることしかできない自分。本当の気持ちを伝えられない自分。今まで我慢していた色々なものがぐちゃぐちゃに混ざり合い、冷静ではいられなくなった。
「俺がクラルテを考えない時があると思っているのか?」
「え……?」
思いもしない言葉に顔を上げる。クラルテはベランジェから嫌われていると思っている。
「それはどういう意味なの?」
ベランジェはクラルテからの質問に押し黙る。答えられるわけがない。答えてしまったら今まで冷たくしてきた事が無駄になってしまう。
クラルテは答えないベランジェから視線を逸らす。
「わたしはあなたの心が分からない」
冷たい態度を取っているのに捨てたはずのギフトボックスを持っていたり、今こうして目の前にいる。クラルテにはベランジェが何を考えているのか分からない。
「あの頃に戻りたい……」
一言こぼしたクラルテの声は震え、瞳が滲んでいく。
クラルテはベランジェとの婚約パーティーまでの事を思い出す。あの頃の愛し合っていた二人に戻りたいと思っている。
ベランジェはクラルテが故郷の村と別れを惜しむのを思い出す。クラルテは自分から離れ、故郷へ帰りたいと言っていると思った。クラルテを失うと勘違いをしたベランジェは理性がなくなった。
ベランジェはクラルテの腕を引っ張って立たせ、強く抱きしめる。驚いているクラルテを気にする余裕はない。ベランジェはクラルテの顎に手を添えられて上を向かされる。
「んっ……!」
クラルテは唇に初めて感じる柔らかい感触と熱に目を見開く。一瞬で耳まで顔を赤くし、胸の激しい締め付けに顔を歪ませる。クラルテの苦悶の声は口腔と通して伝わる。理性が戻ったベランジェは唇を離し、苦しむクラルテの名前を呼ぶ。
「クラルテ!」
胸の痛みは強く、クラルテは何も答えられない。
ベランジェは顔を蒼白にして再度クラルテの名を呼ぶ。クラルテは何も答えられず、ベランジェの腕の中で苦しんでいる。
「クラルテ様ぁ~!」
フィルを敷地の外まで送っていたマノンが戻ってきた。必死にクラルテ呼ぶベランジェの様子を見て慌てて駆け寄る。
「クラルテ様、大丈夫ですか? 王子様、あたしがクラルテ様をお部屋まで運びます」
「君では無理だろう。俺が運ぶ」
クラルテより小柄で非力そうなマノンでは背負ってもゆっくり踏み出すので精一杯だろう。
ベランジェはクラルテをお姫様抱っこをしてマノンと一緒にクラルテの部屋へ向かう。
「すまない。もう少し耐えてくれ」
ベランジェはクラルテに謝る。アルフレッドは執務室の窓からガゼボの様子をうかがっていたが、慌てて庭に出てきた。アルフレッドはベランジェ、マノンとすれ違う。ベランジェとマノンはクラルテの部屋へと急ぐ。
(何だろう、懐かしくてあたたかい感じ……)
クラルテはいつかのベッドの中で感じたぬくもりの記憶を思い出していると意識が遠くなっていった。
***
清々しい初夏の風と明るい日差しが街路樹の葉を反射させている。
クラルテとベランジェは初デートで厳かな大聖堂へ来ている。もうすぐここで二人の結婚式が行われる。王族はこの大聖堂で結婚式をする伝統になっている。
「もうすぐベランジェと結婚なのね。夢のようだわ」
「ああ、俺も嬉しいよ」
クラルテは大聖堂内にある聖台前で嬉しそうにはしゃぐ。ベランジェはクラルテを見てあたたかく笑っている。
「夫婦ってどんな感じかな。婚約が決まってからベランジェと夫婦になるのをずっと楽しみにしてるの」
「そんなに楽しみにしてくれてるなんて嬉しいぞ」
クラルテは上を見上げながらベランジェとの結婚式、新婚生活を想像してにやけている。
(懐かしい記憶。ベランジェと初デートの時に来た大聖堂での事ね)
クラルテは自分の記憶を俯瞰して見ているような感覚になる。クラルテは夢を見ている。
「記者の方がたくさん来るんだよね。緊張するわ」
当日は数え切れないくらいの記者や国民がやってくるだろう。クラルテは想像すると今から緊張してしまう。
「ならば式が終わり、大聖堂から出て行く時はクラルテをお姫様抱っこしながら行くか。写真が映えするぞ」
「私を、お姫様抱っこしながらだなんて。嬉しいけど照れるよ」
クラルテは想像するだけで顔を真っ赤にし、両手で頬を覆う。
「嬉しいんだな」
クラルテの身体は宙を浮く。ベランジェがクラルテをお姫様抱っこをしている。
「きゃっ! ベランジェ!」
クラルテはベランジェの首に手を回して掴まる。
「ここでクラルテに永遠の愛を誓う。本番が楽しみだ」
ベランジェはクラルテを抱き上げたままその場で回転する。
当日はベランジェの親族や貴族たち同盟国の王や妃など関係者大勢の参列者が結婚式にやってくる。二人の結婚式は世界中に知らされる。クラルテの目の前には想像できないような光景が広がっているだろう。
クラルテはそんな未来が来ることをベランジェと一緒に楽しみにしている。
「愛してる、クラルテ」
クラルテは言葉を返そうとして口を動かすが声が出てこない。
「クラルテ」
再び名前を呼ばれると胸が痛み、目の前の景色が薄れていく。
***
「クラルテ……」
優しく甘い声が脳に響く。クラルテは自分の部屋のベッドの上で胸の痛みによって目を覚ます。目を覚ますと部屋のドアが静かに閉まったような音がしたが、寝起きでぼんやりしているクラルテは気に止めなかった。
クラルテは目を開けると部屋が暗かった。カーテンを閉めていない窓から月明かりが差し込んでいる。クラルテはゆっくりと身体を起こす。
「わたし、あのまま倒れてしまったのね……」
あんなに激しい痛みは初めてだった。あのまま心臓を握り潰されそうな締め付ける激しい痛み。暗い部屋の中でクラルテは倒れた時の事をぼんやりと思い出す。
「あっ……」
昼間に感じた熱く柔らかい感触を思い出し、顔を赤くする。
「っ……!」
クラルテは胸を押さえる。また締め付けるような痛みに襲われる。
「どうしてベランジェの事を考えると胸が痛くなるの?」
クラルテは胸を押さえながらベッドの中でうずくまり疑問に思う。