呪われた村娘は王子様から溺愛されて死を選ぶ
 クラルテが王子様のプロポーズを受けたその日の夜。
 クラルテは明日、ベランジェと共に王都へ向かうために自室で荷造りをしている。開いたドアからノックされる音が聞こえ、手を止めて顔を上げるとベランジェが立っていた。
 「手伝うか?」
 「どうしてここに?」
 来てくれて嬉しくなったが、なぜ家を知っていたのかと疑問に思う。
 「牧師に聞いた。外から声をかけても返事がなかったので、悪いが上がらせてもらった」
 ベランジェは部屋へ入り、クラルテの横に立つ。
 「一人で暮らしているのか?」
 「父は去年、母はわたしを産んでしばらくして亡くなって今はわたし一人です」
 「そうか。すまない」
 クラルテは首を横に振ると荷造りを進める。
 「あまり嬉しそうではないな」
 「急すぎて状況について行けてないだけです。わたしがこの村を離れるなんて考えもしなかった。王都のこと何も知らないし、王子様と結婚だなんて……信じられない」
 荷造りする手が止まる。童話のような夢物語の現実が信じられない。
 「断るのか?」
 「いいえ、断りません」
 クラルテは固い表情のまま答える。
 「ここには俺とクラルテしかいない。あの時のように話してくれないか? 本当の気持ちを聞かせてくれ」
 ベランジェへ敬語で話すクラルテ。ベランジェはあの朝に出会った時のように心を開いてほしいと伝える。
 「断らないわ。でも結婚って今まで考えたこともなくて……。王都もどんな所かも分からない」
 クラルテは生まれてからずっとこの自然豊かな小さな村から出たことがない。この村以外のことは何も知らずに生きてきた。
 「俺のプロポーズの言葉を覚えているか?」
 クラルテはうなずく。
 「俺がクラルテの傍にいる。一人きりにはさせない。二人でこの故郷と同じくらい、それ以上の楽しい思い出を作ろう」
 クラルテは笑顔でうなずく。ベランジェも一緒だが、クラルテは一人で知らない土地へ行く気持ちでいた。ベランジェが傍にいると言ってくれて嬉しく安心した気持ちになる。本当にもう一人じゃない。クラルテは少し実感する。
 突然クラルテのお腹の音が鳴る。
 「やだ、恥ずかしい!」
 クラルテは顔を赤くしてベランジェに背を向ける。
 「食べてないのか?」
 夕食の時刻はとっくに過ぎている。
 「荷造りに夢中で忘れてたわ」
 今度はベランジェのお腹の音が鳴る。
 「うふふ。ベランジェもわたしと一緒ね。一人だったら食べなくていいと思ったけど、王子様をお腹空かせたままにはしていけないわね。夕食作るから手伝ってくれる?」
 クラルテはベランジェに促しキッチンへ向かう。
 「今日買い物行ってないから、残っているものでしか作れないけど。カスレでいいかな?」
 「ああ、任せる」
 「わたしは白インゲン豆を茹でるからオーブンをーー。何でもない」
 クラルテは王子様にオーブンを温めることをさせるのかと気づき、言いかけてやめた。
 「白インゲン豆を下茹でしてくれる?」
 「下茹でとは何だ?」
 クラルテは何か言いたそうな顔をしている。
 「もしかして何もできないの?」
 少しからかうようにベランジェを見上げる。
 「……ああ、そうだ」
 ベランジェは反論できず、少しふてくされる。
 「わたしと初めての料理体験ね。覚えて帰ってね」
 ベランジェはクラルテの指示通りに調理を進める。親切丁寧に教えるクラルテと初めての経験のベランジェ。二人は仲睦まじく料理を作った。

 カスレは完成し、美味しそうに出来上がった。ほとんどクラルテが作ったようなものだが、ベランジェは達成感でいっぱいだった。全くやったことがないベランジェは料理を作る大変さと楽しさを知った。
 出来上がった料理を二人で美味しく食べた。

 ***

 ベランジェもクラルテの荷造りを手伝い、終わらせた。ベランジェはクラルテの横にいる。そういえば彼は何をしに来たのだろうか?
 「帰らなくていいの?」
 帰ろうとする素振りもしないベランジェに尋ねる。
 「今頃兵士たちは野営地で好きにやっているだろう。俺が帰るのは野暮だろうな」
 この小さな村に宿泊施設はない。王子様一行は一晩を野営して過ごす。遠征などに出向いたわけではないので、ベランジェは兵士たちは気を緩めて自由にやっていると想像している。
 「それって帰らないって意味?」
 「クラルテの家に泊まらせてもらう」
 クラルテが聞き直すと口から心臓が出るかと思った答えが返ってくる。バクバクと動く心臓とは逆に表情と動きはぎこちない。
 「ではベランジェは父の部屋に泊まってくれる?」
 できるだけ平常心のように振る舞うが、顔と動きが硬いのがクラルテ自身でも分かる。
 「何を言っている。クラルテの部屋に泊まるに決まっているだろう」
 「なんでよっ!」
 クラルテは顔を真っ赤にする。ベランジェの大胆さと男性が自分の部屋に泊まるという照れた感情が爆発して思わず叫んでしまった。
 「俺のプロポーズを受けたということはクラルテは俺の婚約者だ。婚約者に寂しい思いをさせるわけにはいかない」
 寂しくないと普通なら否定していたが、今日は否定できない。今日がこの家で過ごす最後の夜だ。もしかしたらセンチメンタルになって泣いてしまうかもしれない。今はベランジェが一緒にいてくれた方が安心する。
 「なにもしない?」
 クラルテは赤い顔でベランジェを上目遣いで見上げる。クラルテは二人きりの男女が何をするかを淡く想像できる年齢だ。ほんの少しだけ期待しているような、でもまだ恥ずかしさが勝って求められない。
 「何もしないとはどういう意味だ?」
 ベランジェは意地悪くニヤリと笑い、クラルテに言わせようとしている。
 「わかってるくせに! いじわるっ!」
 クラルテは顔を真っ赤にしてそっぽを向く。ベランジェは期待通りの反応をするクラルテを見て意地悪そうに笑い、可愛いと思う。
 ベランジェは鏡が立てかけられているデスクの椅子に上着などを脱いで椅子の背もたれにかける。
 「寝ないのか?」
 ベランジェはベルトを外し、デスクの上に置く。デスクにはクラルテが普段使っているヘアブラシが置かれている。
 モジモジと照れて立っているだけでクラルテはベッドに入ろうとしない。クラルテの部屋にはベッドとデスクとクローゼットしかない。ベッド以外で休める所はない。
 「寝るけど……」
 ベランジェが声をかけるとさらにモジモジモジモジと照れが増やしていく。
 「先にベッドに入るからな」
 着替えを持っていないベランジェはシャツとベルトを外したスラックスだけになり、クラルテのベッドに入る。
 「俺も女性のベッドに入るのは緊張して照れるんだぞ」
 ベランジェの頬にほのかに赤みが差す。クラルテは自分より余裕があるベランジェのそれに気づかなかった。
 「おいで」
 ベランジェはベッドの中で頬杖をついて片手を差し出しクラルテを誘う。ワイシャツのボタンを3つ外していて胸元がはだけている。逞しい胸筋が目に入る。何も経験がないクラルテには刺激が強すぎた。クラルテはさらに顔を赤くする。
 「クラルテ」
 クラルテの名前を甘い声で呼ぶ。クラルテはイチゴのように赤い顔をしてどうしようと固まっている。
 「はい……」
 クラルテから吐息のような言葉がもれて、さらに顔を真っ赤にする。クラルテはさも自分のベッドに誘うような仕草とベランジェの魅力に負けて、もぞもぞとベッドに入る。
 (わたしのベッドなのに……。どうしてドキドキしなきゃならないの)
 クラルテはベランジェを背にして身体を小さく丸める。
 「二人だと狭いな」
 ベランジェはクラルテにさらに密着する。もうすでにベッドの端にいるクラルテは身体を離すことができない。
 クラルテは「恥ずかしい」と言って抵抗する。
 「俺がベッドから落ちるだろ」
 ベランジェはさらに密着する。抵抗する言葉が見つからず、クラルテは黙る。
 「おやすみ」
 ベランジェはクラルテの頭を撫でる。クラルテはベランジェの優しい手に表情をほころばせる。

 クラルテは胸をドキドキさせ、緊張しているせいか全く眠くならない。クラルテの頭の後ろから寝息が聞こえる。ベランジェは自分の腕で腕枕をして眠ったようだ。
 クラルテはベッドの中から出ようとするとベランジェに身体を引き寄せられる。
 「きゃっ!」
 「俺が起きた時にベッドにいなかったらお仕置きだからな」
 まだ起きていたのか、ベランジェはクラルテの耳元で眠気が混じった低い声で囁く。
 「お仕置き……」
 クラルテは親が子供にするお仕置きしか知らない。ベランジェが言うお仕置きとは違うものを想像して顔を蒼くする。
 「いいな?」
 クラルテの有無を気にせず、ベランジェは瞳を閉じる。クラルテはベランジェの腕の中から抜け出すことができなくなってしまった。
 ふとクラルテの部屋が目に入る。荷造りをして片付けられた部屋。もう戻ることがない部屋。さみしさがクラルテの瞳を滲ませる。
 クラルテは自分を抱きしめる腕と背中からぬくもりを感じる。
 (あたたかい……)
 クラルテはベランジェの体温を感じている。異性に抱きしめられるのは初めてだ。自分が興奮して熱くなっていたせいで、ベランジェのあたたかさに気づかなかった。
 クラルテを抱きしめているベランジェの腕に力が入る。クラルテはベランジェの腕に手を添えて瞳を閉じる。ベランジェのあたたかさを感じていると、いつの間にか眠っていた。

 ***

 朝になりクラルテの意識は覚醒するが、瞳はまだ眠ったままになっている。ひとりで布団に包まれているあたたかさとは違う熱を感じる。熱と同時に自分とは違う匂いも感じる。
 (いい匂いがする。何の香りだろう)
 誰かの匂いと夏空のような爽やかな香りが混ざった匂いがする。ずっと嗅いでいたい。クラルテはあたたかさと匂いを感じているうちに再び眠くなってきた。
 クラルテはうとうとしていると背中に回されている腕に力が入る。クラルテは目を開けるとベランジェの整った顔が目の前にあった。
 「ひゃあっ!」
 クラルテは驚いて起きる。背中を向けていたはすだが、いつの間にかベランジェの方を向いて眠っていたようだ。
 クラルテは眠る前と同じく顔を赤くして胸をドキドキさせる。朝からこんなにドキドキしたのは初めてだ。
 すっかり目が覚めたクラルテはベランジェの腕の中からもぞもぞと抜け出そうとする。
 「おい、ダメだ。それは俺の……」
 ベランジェは寝言を言いながらまだ眠っている。
 「ベランジェ、起きて。朝よ」
 クラルテはベランジェの腕の中から抜け出せず、身体を揺すって起こす。
 「……朝か。クラルテ、おはよう。久しぶりによく寝た」
 やっと起きたベランジェは大きくあくびをする。クラルテも「おはよう」とベランジェにあいさつをしてベッドから降りる。
 「そう言えばクラルテのベッドで寝てたんだったな。女性のベッドで朝を迎えるのは初めてだ」
 なんと言葉を返したらいいか困って黙っているとベランジェは言葉を続ける。
 「クラルテの寝顔、可愛かったな」
 「えっ……! 起きてたの?」
 クラルテは顔をまた赤くして慌てる。
 「さっきまで寝てたが、明け方に目が覚めた時に見たぞ」
 「明け方? あっ! 朝のお祈り忘れちゃった」
 朝日はすでに昇っていた。明け方はとっくに過ぎている。
 クラルテは毎日朝と夕方の二回、教会でお祈りをしている。熱心な信者という訳ではないが、老牧師の手伝いをしていることもあって教会へお祈りに通っている。
 「今からでも遅くないだろう。俺も一緒に祈ろう。幸せな結婚になるようにな」
 クラルテは照れたように顔を赤くして微笑んでうなずく。

 お祈りを済ませ、簡単な朝食を食べて自宅の玄関ドアを開けて出る。クラルテの家の前にはクラルテを見送りにやって来た村人達が集まっている。
 「みんな、来てくれてありがとう」
 村人達は別れを惜しみ、クラルテへ果物やパンやお菓子など餞別を手渡す。村人達はクラルテへ手渡す時に「お元気で」「お幸せに」と声をかけて手渡した。
 クラルテは嬉しそうに視界を滲ませお礼を伝える。ベランジェはクラルテと村人達を優しげに見つめている。
 「みんな、本当にありがとう。みんなの事は忘れないわ。元気でね、さようなら」
 クラルテは餞別を抱えて感謝を込めてお辞儀をする。村人達はクラルテをあたたかく見守っている。
 クラルテとベランジェは馬車に乗り込む。クラルテは馬車の窓から顔をのぞかせて村人達へ手を振る。
 クラルテは村人達に見送られ、村を後にした。

 馬車が走る音が響いている。ベランジェとクラルテが無言のまま馬車が進んでいく。
 クラルテは笑顔ではない。もう戻ることがないであろう慣れ親しんだ故郷の村を突然離れることになってしまった。ベランジェはクラルテにかける言葉を探している。
 無言だったクラルテが口を開く。
 「わたし……何をすればいいのか全然分からないけど、精一杯頑張ります」
 クラルテは俯きながら握りしめる両手を見つめて呟く。自信のなさから、このような言葉を言ってしまった。
 ベランジェがプロポーズしてくれたのは嬉しかった。しかしこの国の王子様と結婚するプレッシャーに押しつぶされそうになっている。
 何も知らない田舎の村娘より洗練された綺麗な貴族の女性の方がふさわしいだろう。
 ベランジェは俯いたままのクラルテの手を両手で優しく包み込む。
 「そんな寂しいことを言うな」
 クラルテは言われている意味が分からず、顔を上げる。
 「務めを果たせばいいだけみたいに言うな。俺がクラルテを迎えに来た意味がわかるか?」
 優しいベランジェの声がクラルテの顔を赤くさせる。
 「そうだ。わかってるではないか」
 ベランジェはクラルテを優しく見つめる。
 「俺の気持ちはもう決まっている。もしかしたらまだクラルテは迷っているかもしれないが、俺がクラルテを誰よりも大切に思う気持ちを胸に留めていてほしい」
 クラルテは瞳を潤ませ、ベランジェを見つめてうなずく。
 「ありがとう」
 クラルテはベランジェに悩みが晴れたように微笑む。
 クラルテは自分が王子様の結婚相手に相応しくない。自分なんかが王子様を好になっていいのか、好意を向けられていいのかと思い悩んでいた。もうそのことで悩むのはやめようと心に決める。
 「わたしが王子様であるベランジェを好きになっていいのね?」
 「もちろんだ」
 ベランジェはゆっくりと頷き、クラルテの手を包む。クラルテは嬉しそうに満面の笑みで微笑む。
 「わたし、嬉しかったの」
 笑顔が戻ったクラルテは自分から話し出す。
 「最初は勘違いしてたけど、ベランジェとまた会えてプロポーズをするために来てくれてとても嬉しかった」
 クラルテは昨日の教会での出来事を思い出しながら話す。思い出すとまた胸がドキドキしてくる。
 「あの時は勢いで言っちゃったけど、私の気持ちはあの言葉の通りよ」
 「なら今度はしっかり答えろよ」
 ベランジェはそう言うと咳払いして居住まいを正す。ゆっくりとクラルテの方へ身体を向ける。
 「クラルテ・ドヌーヴ嬢。私と結婚していただけますか?」
 「はい」
 クラルテは笑顔でうなずく。カバンの中からベランジェからもらった婚約指輪が入ったジュエリーボックスを取り出す。
 ベランジェはジュエリーボックスを受け取ると、婚約指輪をクラルテの左手薬指へはめる。
 「ベランジェ、ありがとう」
 透明に輝く婚約指輪を眺め、クラルテは自分とベランジェの気持ちを信じることを決めた。
 「ベランジェ、質問してもいい? この透明の石、すっごく輝いてるけど何の石?」
 クラルテは自分の指の太さ以上ある宝石がついた婚約指輪を色々な角度で眺めながらベランジェに尋ねる。クラルテはダイヤモンドを知らない。
 「永遠の愛を誓う石」
 ベランジェが即答すると、クラルテの顔が一瞬で真っ赤になる。
 「わかってくれたか?」
 ベランジェは真っ赤になったクラルテの顔をのぞき込む。クラルテは照れて言葉が出なくて答えることができず、何度も何度もうなずく。
 「その指輪には俺の愛と祈りを込めた。クラルテが俺と一緒に幸せになるようにーー。聞いてるか?」
 クラルテは永遠の愛と言われ嬉しくなり、指輪を太陽光で輝かせて何度も 眺めている。
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