「妖精の国」のおとぎ話

“花嫁”

 今日も晴れて、風が気持ちいい。
 ティティは雲を数え、スキップしながら草原を進んでいた。いたるところに花が咲き、時折花びらが風に舞う。
 目的地は昼寝の指定席、大樹の下だ。
 レース以外に目立った装飾のない服とフードが風にはためく。フードから(こぼ)れた髪の色はキラキラと光るピンクで、惜しげもなく日に晒された腕や脚は眩しいくらいに白い。
 鼻歌まじりに近づいていくと、やがて木の下に先客がいることに気づいた。
(フィフィーだわ)
 真面目で大人しいティティの友人は、珍しく仕事を休んでいるらしい。フードから(のぞ)くゆるめに編んだシルバーの髪にはいつものような輝きがない。
「フィフィー、どうしたの?」
「ティティ……」
 駆け寄って名を呼んだティティに、ゆっくりとした動きでフィフィーは振り返った。元々優し気な顔立ちだが、眉尻が下がり、目が潤んでいる。
「フィフィーを泣かせるなんて、許せないわ! まさか、外から侵入者が!?」
「ううん。違うの。ただ、わたし、“花嫁”にならなくちゃいけないんですって」
「お嫁さん? 誰の?」
「人間の王の……」
「もう何百年も前から、その“花嫁”ってやめたんじゃなかった?」
「それが、昨日人間の王の使者がやって来て、(おさ)と話して決めたらしくて。わたし、明日には人間の国に行かないといけないみたいなの」
 フィフィーの目からとうとう涙が零れる。ティティはフィフィーを抱きしめ、背中をさすりながら、腹を立てていた。
(人間の王も、しばらく放っておいたんだもの。私たち妖精のことなんて忘れてしまえば良かったのに! なんで今更)
 昔、人間の王と妖精の長が恋に落ち、結婚したものの人間と妖精の間に子どもは生まれないからと捨てられた。けれども長は王を愛し、国のある限り守護と祝福をし続けると約束をした。
 その守護と祝福により自分たちの国は豊かなのだと人間の世界に見せびらかすため、毎回その国の王が代替わりするたびに妖精の世界から“花嫁”または“花婿”を選び、人間の王と行う仮初の結婚式。
 儀式は本物でも、妖精の“花嫁”や“花婿”は式が終わり次第速やかに妖精の世界に戻ることになっている。
 しばらく人間の世界では妖精などの見えない存在を否定していたので、まだ若いティティやフィフィーに人間の王と結婚式を挙げた知り合いはいない。
 そもそも、妖精も存在を信じる一部の人間から(さら)われそうになったり、闇市で高く取引されるからとマニアや商売人に羽や髪などが狙われたりしていると聞く。進んで外に出たがる妖精はほとんどいない。
(特に大人しいフィフィーが大人しいのを知っている長が差し出すとは思えないもの。王が目を付けて指名したに決まってる! 許せないわ! 王に文句を言う方法はないかしら。乗り込むことはできなくても、何か方法があるはず)
「い、痛いわ。ティティ」
「あ、ごめん!」
 知らないうちに腕に力が()もり、フィフィーを締め付けていたらしい。ティティはぱっと手を離した。
「おかしなことは考えないでね? ティティ」
「おかしなこと?」
「たとえば、人間の王のところに一人で乗り込むとか」
「さすがにそんなことはしないわよ?」
「そう、ならいいんだけど」
 ティティは口をつぐんだ。文句を言いたいがために知恵を絞ろうとしたことはとても言えない。
 目の前のフィフィーは泣き止んでいたが、目元が赤くなっている。
 フィフィーに改めて“花嫁”について聞こうとしたところで、ティティはこちらに近づいてくる動物の足音に気づいた。
 背中にフィフィーを庇うようにしてティティは体の向きを変えた。ティティが来た方から見たことのない動物に乗った初めて見る恰好の者が近づいてくる。
 妖精たちが着ている服は、首元から足元まで繋がっていて基本的に一枚しか着ていない。だから、上下に分かれていて、上の形は大きく変わらないものの、下の方の足に沿った形に二股に分かれているのがとても不思議だった。装飾もたくさんついていて、色の洪水にティティはどこを見ていいか分からなくなりそうだった。
(あれが人間?)
 混乱しているティティの前に、動物から下りた者がやって来る。そして、にっこりと笑う。耳が尖っていない以外は、あまり妖精と変わらない。
「初めまして。お嬢さん方。俺はリヒト・グリーンガーデンと申します。どうぞ、リヒトとお呼びください」
 いかにも自然な笑顔だ。ティティは拍子抜けしたが、後ろのフィフィーは震えている。
「なんの用?」
「フィフィーさんがこちらにいらっしゃると伺い、参りました」
 内心緊張していたため、ぶっきらぼうになったティティに対しても柔和な態度を崩さない。
(作り笑いなのかもしれないけど、悪い感じはしないわね)
 ティティがフィフィーに視線を送ると、フィフィーはティティの背中の布を控えめに引っ張った。幼い頃から変わらない、フィフィーの不安なときの癖だ。ティティも身を硬くする。
「さっき“花嫁”について話してたんだけど、出発は明日?」
「それが、どうしても急ぐ必要がありまして。できれば今日出発したいのです」
「今日⁉ 夜になったら森は危険よ?」
「ええ。ですから、できれば、今からでも。国王は短気ですし、遅れると愉快げになじられるはずですので。まあ、妖精の世界への入り口を探すのに手間取っているうちに遅くなった僕にも問題はあるんですが」
「えー。人間の王って、妖精の長みたいに寛大じゃないのね。なんだか生きづらそう。人間だって百年は生きるんだもの。一日二日どうってことないと思うんだけど」
 リヒトは目を何度か瞬かせ、それから肩を小刻みに震わせた。時を置かずに、小さな笑い声も聞こえ始める。
 体を揺らしたときにカチャカチャと音がするのが気になり、リヒトを探っていたティティの目はすぐに腰の剣に吸い寄せられる。細かい細工がされているが、ところどころに傷もついている。リヒトはそれなりの使い手で、武器を必要と考える程度には警戒していたのかもしれない。
「ああ。すみません。あなたのその素直なところ、とても素敵だと思いまして。気分を悪くしたならごめんなさい」
 目尻を指で拭う仕草は優雅で、知性も感じさせる。人間の世界の仕組みは分からないが、妖精でいうなら長に近い力ある者なのではないだろうか。
 個人的にティティもリヒトのことが嫌いではない。だが、後ろにいるフィフィーは人間は恐ろしいという感覚が強く、今もまだ震えている。
「気にしないで。ところで“花嫁”の話なんだけど、それって誰か一緒に行けるの? 一人だけ?」
 突然の話題転換にも気にした様子はなかったものの、リヒトは表情を曇らせた。
「急ぎということで、馬に乗って来たんです。心細いでしょうが、フィフィーさんにはお一人で来ていただくことになります」
「そうなの……。帰りはいつ?」
「明日儀式を終えて、翌朝お送りする予定なので、二日後ですね」
 フィフィーは身を更に小さくして、ティティの背に隠れるくらいの大きさになっている。こんなフィフィーを一人、人間の世界に放り出すわけにはいかない。
 ティティはリヒトの性格に賭けてみることにした。まだフィフィーが誰か分かっていないのだ。今なら間に合う。
 そっとフィフィーの手に自身の手を重ね、なだめるように撫でる。フィフィーは安心したようで手を離してくれた。
「そう。今日から三日間よろしくね。私がフィフィーよ。早速出発しましょ」
 ティティが立ち上がると、フィフィーは目を大きく見開いた。ウインクを一つ送って、そのままリヒトに向き直る。
「いいのですか? 挨拶に行かなくても」
「長にはティティに伝えてもらえば大丈夫だし。お願いできる?」
「う、うん」
 フィフィーは目を伏せた。ティティを身代わりにしたくはないし訂正したいが、そうしたことで人間が怒ったらどうしよう、とでも考えているのだろう。
 ティティはかがんで、優しくて繊細な友人を軽く抱きしめた。
「大丈夫だから」
「ありがとう」
 囁く声は風にさらわれ、たぶんリヒトには届いていない。名残を惜しんでゆっくりと体を離すと、ティティは改めてリヒトに向き直る。
「それでは、“花嫁”様。王の元へ参りましょう」
 リヒトは真っ直ぐな目をしたティティを見て、眩しそうに目を細めた。
 

 
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