「妖精の国」のおとぎ話
(やっと着いた)
 リヒトは息を吐き出した。自身の前に乗せたフィフィーはくたびれた様子もなく、顔をあちらこちらに向けている。
「先に下ります」
 リヒトは伝えてから、優雅に馬から下りた。すぐに手綱を握る。
 時々休憩を挟みながら、馬は懸命に駆け続けたおかげで、リヒトたちは戻って来ることができた。すっかり夜になってはいるが、これで明日の儀式には十分間に合うだろう。
「どうぞ」
 リヒトが乗ったときと同じように先に動いて、フィフィーに手を差し伸べる。
「ここから飛び降りたらこの馬さんは怪我しないかしら」
「大丈夫ですよ。あなたの身軽さなら」
「そう?」
 フィフィーは馬の上に手を付くと、足を揃えて軽やかに着地した。乗る際は助走をつけて馬に飛び乗ったので、リヒトはびっくりしたがフィフィーは平然としている。
「ありがとうね。乗せてくれて。重かったでしょう?」
 馬から下りてすぐ、フィフィーは馬の顔を撫でる。馬も懐いているようで、どこから誇らしげにそれを受け入れている。
(不思議な方だ)
 リヒトは手を下ろした。馬上から引っ張り上げようとしたときも、今も、フィフィーは自分で出来ることは自分で、と決めているらしくリヒトの出る幕はなかった。
 そもそも、妖精と言うのは皆そういう存在なのだろうか。
「そろそろ気温も低くなります。中へ参りましょうか」
 駆けて来た使用人に馬を預け、裏門から城を目指す。フィフィーに差し出した手は、もはや習慣だが、相手には馴染みがないので気付かず隣に並ばれる。
「ところで、ここ、どこなの? とっても大きな家……にしては、壁も高いし、沢山人もいるみたいだし」
「ああ。王城です。妖精の長との恋物語に出て来る人間の王の城です。ずっと改築を繰り返してはいますが、場所も変わっていないそうですよ」
「そうなの」
 なるべく人の少ない廊下をリヒトが先になって進む。見るものすべてが新鮮らしく、フィフィーの目はきょろきょろと落ち着きがない。くるくると目まぐるしく表情が変わるところも可愛らしい。だが、恋物語、と口に出した一瞬だけは明らかに表情が沈んだ。
(あまりこの話はお好きではないようだ)
 リヒトは初めての曲がり角でフィフィーの足元を注視し、自分の迂闊さに驚いた。
「あの、妖精は靴を履かないものなのですか?」
 今までどうして気づかなかったのだろう。フィフィーは、そうよ、と言って首を傾げる。向こうからも人は来ないし、今まで身分ある者に会わなかったのは奇跡としか言いようがない。擦れ違った使用人は皆、フィフィーのフードから零れる髪や顔に見惚れていたので、大丈夫だとは思うが。
「この国では、皆靴を履くのです」
「靴?」
「これです。履けない者は、その、履けないような事情のある者ばかりで」
「履けない事情?」
 フィフィーに自身のブーツを指してみせると、しげしげと観察される。これまでは何とも思わなかった自身の声が嫌に大きく廊下に響き、自分の内心に気づかされ冷や汗が流れる。フィフィーは純粋に聞き返しているだけだと分かっているのに、なんだか言い辛い。
(自分に偏見はないと思っていたけれど、そんなことはなかったと今思い知らされているからか)
「その、お金がないとか、そういうことです」
「ふーん。人間ってキュウクツなのね。お金があってもなくても、クツが好きなら履いて嫌なら履かないで、それをみんなが受け入れればいいのに」
 絞り出したことを気づかれないよう、見栄で普段通りを装った声に気づいているのかどうか。フィフィーは靴から視線を上げると、大きく伸びをした。
 野生の小動物を見ているような気分になるのは、この思うままに振る舞う性格のせいだろう。自分に(やま)しいことはなにもない。
 思考を無理に打ち切って、内心の払拭し切れない違和感に蓋をする。
「あなたの意見ももっともだと思います。しかしながら、ここは人間の城ですので、失礼しますね」
 笑みを浮かべ、身をかがめてフィフィーの体を抱き上げる。すばやく動いたおかげか、フィフィーの抵抗は一切受けずに済んだことにホッとする。
(客人を裸足で歩かせるわけにはいかないですし)
「すごいわ! 天井が近くなったわ! こんな世界をあなたは見てるのね!」
 信じられないほど軽い、興奮するフィフィーを落とさないようリヒトは抱え直し、足早に移動する。その速度にさえフィフィーははしゃいでいるが、リヒトにはとにかく誰にも会わずに客室へたどり着かなくてはという一心しかない。
 無事目当ての部屋にたどり着いたときには、だいぶリヒトはぐったりしていた。
「楽しい時間をありがとう!」
 おろされたフィフィーは上機嫌で、部屋の中をくるくると円を描くように移動している。努力の甲斐あって、人目に裸足のフィフィーを(さら)す事態は避けられた。
(人生史上、いまだかつてないほど色気のないお姫様だっこは早く忘れなくては)
 何より問題はここからだ。
 王の従者が“花嫁”を迎えに行くところから儀式は始まっている。どんなにリヒトが疲れていても、途中でやめることはできない。
(嫌ではないんだけどなあ)
 明日の夜、“妖精の家”へ“花嫁”を案内し、儀式をつつがなく進行させるためには相当の知識が必要のはずだ。
 頭の回転は速く、機転もききそうだ。人間を憎んだり必要以上に恐れたりしている様子はないからなんとかなるだろうか。
 客室の隅に立つリヒトなどお構いなしに、“花嫁”は天蓋付きのベッドに背中から飛び込んだ。ぼふん、と大きな音がし、一度ベッドの上で体が跳ねる。それからようやく布地の中にフィフィーは埋もれた。
「どんな感触かと思ったけど、柔らかいのね!」
 マナーもルールもフィフィーには通じない。
 立っていることにも限界を感じ、リヒトは一人掛けのソファーへ腰を下ろした。かえって全身にだるさを感じたが、にこやかさは失わないまま、フィフィーに声を掛ける。
「それで、フィフィーさん。明日の儀式について何か聞いてらっしゃいますか?」
「ううん。全然」
「そうですね……」
 頭が痛くなってきた。微笑みの貴公子、という(かげ)の呼び名も(かす)む。心掛けて来た要領の良さなど、目の前のフィフィーには一切役に立たない。
「最初から説明してもよろしいですか?」
「うん」
 がばっと勢いをつけてフィフィーはベッドから起き上がり、リヒトに向き直った。やる気は十分のようだ。
 咳ばらいを一つして、リヒトは語り始める。
「まず、この際妖精側の伝承はおいておきます。これは人間の儀式なので、忘れてください」
「……」
 フィフィーは返事をせず、むくれた顔をする。表情が変わったということは、ちゃんと話を聞いている証拠だ。
(なんか、レイに似てるな)
 現国王の教育係を担ったときを思い出し、ちょっと肩の力が抜ける。
 いたずらをしてこないだけ、ありがたい。
「明日の儀式は、妖精の長と人間の王の最後の夜を再現したものです。妖精を深く愛した王は、妖精の住んでいた家を王城の敷地の隅に再現し、住まわせようとしました。けれど、妖精はそれを拒みました。それどころかその家を見て、妖精の世界に帰るとまで言うのです。王は今晩この家の前で君が来るまで待っているから二人きりの結婚式をあげようと引き留めます。妖精は振り払いましたが、真夜中、月の最も高く上がる頃に王の従者に連れられて家の前に現れ、王と儀式を行いました。王は王家に伝わった通りの作法で妖精に求婚し、妖精もそれを受け入れます。けれども王には人間の婚約者がいるからと祝福と守護を約束して結局は身を引き、妖精の世界へ戻ってしまうのです……!」
「あ、えっと、どこまで再現すればいいの? なんだか、しゃべり方が……そう、ここに来る途中で見たおしばいみたいよ」
「つい熱が籠もってしまいました」
 冷ややかな半目で見つめて来るフィフィーに現実に引き戻され、リヒトは頬が熱くなった。
「再現は流れに沿った即興です。その時の文言を書き留めて出版した本が何冊もありますが、いずれも微妙に異なっていますから」
「わ、私たちの言葉が、いつまでも残るってこと!?」
「そうなりますね」
 青くなったり赤くなったりしているフィフィーは何を想像しているのやら。
 調子を少し取り戻したリヒトは足を組み、頬杖をついた。
「妖精の世界にも結婚式はあるんですか?」
「あるにはあるけど、今の話とは全然違うわ。好きな人が出来たら、その人と一緒に友達や家族に挨拶をして回って祝福の言葉をもらうの。みんなの間を回り終わったら、今度はみんなが宴の準備をしていて、みんなで踊ったり歌ったりして祝福して終わりよ」
「そうですか」
 リヒトは笑みを深め、言葉は飲みこんだ。レイなら儀式の流れを把握できるだろうし、成功するかどうかはフィフィーに懸かけないことにする。
 ただ、これだけは頼まなければならない。
「話が逸れてしまいましたが、結婚式の中で“花嫁”には妖精の力を使って花の色を変えてもらいます。毎回、見せ場なんですよ。長が得意だとおっしゃっていましたが」
 サッとフィフィーの顔色が悪くなる。
「あの、難しければ他のことでも」
「それなら、何とかなりそうです」
 花びらに色をつける妖精の力を見てみたい気持ちもあったが、無理強いは出来ない。もしかしたら、なかなか難易度が高いことなのかもしれないな、とリヒトは結論を出した。
「とりあえず、だいぶ遅い時間になってしまいましたが、これから作っておいたドレスを着ていただいて、寸を直し、靴もサイズを測ってちょうど良さそうなものを見繕いましょう。王家の威信がかかっているのです。なんとかしま……いえ、なります」
「へ!?」
「妖精の国へ入るための指輪は預かっていたんですが、僕が入り口を見つけられないでいるうちに日数が経ってしまったんです。明日の結婚式を取り止めにするわけにもいきませんし、協力していただけませんか?」
「取り止めると、どうなるの?」
「うーん。今までやめたことはないみたいですが、まず王が怒るでしょうね」
 のんびり言うリヒトを前に、フィフィーは真っ青になる。妖精はコレクターが存在し、中には髪どころか目など体のパーツを欲しがる者もいると言うから、切り刻まれる一族の姿を想像しているのかもしれない。
「あなたの命を守るために、私、頑張るわ!」
 真剣な顔で言うフィフィーを前に、リヒトは一瞬ぽかんとした。
(こういうときに、自身ではなく僕の心配をするなんて変わった子だ)
 すぐに顔に笑みを浮かべ、リヒトが頷くと控えめにドアがノックされた。立ち上がり、ドアを開けようとしたところで使用人たちが流れ込んでくる。
 部屋の隅にリヒトが移動すると、フィフィーはフードを取られ、服を()かれ始めた。
 視線を窓の外に移すと、妖精の長のために建てられた“妖精の家”が見える。周囲には野次馬か、新聞屋か分からないが、とにかく人が押し寄せ、兵たちがそれを遠くへ押しやっている。
 フィフィーの悲鳴をよそに、リヒトは変なことにならなければいいが、と溜め息を漏らした。
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