「妖精の国」のおとぎ話
ちょうど、レイが儀式の場へ向かった頃、ティティは儀式が行われる予定の“妖精の家”の奥の隠し部屋にいた。リヒトは王に会いに行くと慌ただしく出て行ってしまったので、今は一人だ。
大きな足音を立てながら部屋を歩き回ってみたものの、靴に慣れることはない。壁際に背中を預けて立ち、溜め息を漏らした。
(フィフィーのわけ、やっと分かったわ)
花を咲かせたり、花びらの色を染め変えたりするのは妖精たちの仕事だ。それぞれ得意な色や花に差はあるもののみんな得意で、特にフィフィーはどの花でも早くて綺麗に染められると評判だった。
でも、何故かティティに出来たためしはない。風を強めることもできず、むしろ長には力を使わないよう言い渡される始末だ。
(私に出来るのなんて、花を作り出すことくらいだし)
それも不器用だからなのか、花びらの大きさや色が不揃いで、お手本にした花通りに作れたこともない。
(あーあ。どうして私ってこうなんだろう。みんな優しいから何も言わないけど、どこかおかしいのかな)
いい加減足が辛くなってきた。立ったまま片足ずつ靴を脱ぎ、ぽいぽいと床に投げ捨てる。素足の開放感に清々しい気持ちになったが、ほんの一瞬だった。
(私が足の痛みを我慢してるのも、人間の国の王、あんたのせいよ! あんただけは絶対許さないから!)
ティティはレースをふんだんにあしらったドレスを身に纏い、足を肩幅に広げて立ち止まる。もう先ほどまでの不安はどこかへ吹き飛んでいた。
寝不足に加えて生まれて初めてつけたコルセットと靴の痛みもあって、さっきまで忘れていたもののイライラは三割増しだ。
ドレスという服は可愛らしいが、すとんとしたデザインばかり着ているので、裾に近づくにしたがってふわっとしているのが動きづらくて落ち着かない。
鏡の中に映る自分の姿は、人間から見れば確かに美しいのだろう。花の形をした髪留めも、首元の透明な石でできたネックレズも、お化粧も妖精の世界では一生縁がないものだ。
(似合わない。ぜんっぜん)
一晩であれこれ身につけたところで、中身が変わっていない以上たフィフィーのフリをした自分に過ぎない。
色々相談していた人間たちは皆口を揃えて「お似合いですわ」「素敵ですわ」と言うけれど、そんなことは一切ないと思う。
椅子やテーブルを置いただけで窮屈になる部屋の中をうろうろするのにも飽きて、ティティはどっかりと椅子に腰掛けた。ギシギシと音を立てるが、作りは丁寧で装飾も細かいところまで凝っている。
(この椅子は気に入ったけど)
折り畳めることに気づき、何回か畳んで組み立ててを繰り返す。それからティティは座り直してわざと前後に揺らして音と座り心地を楽しみ、少し冷静になった頭で思いを巡らせた。
ティティがここにいるのは“花嫁”としてだった。
自身の尖った耳にぶら下がったイヤリングを指先でいじりながら、頬を膨らませる。
(人間のお嫁さんに妖精がなるってどうなの? それも形式だけ。儀式が終わったら、はいサヨナラってバカにしてるわよね。それとも妖精も人間の世界のルールで縛れると思ってるのかしら)
ティティが長から聞いた物語と“妖精の国”と呼ばれる人間の国の物語とでは、少し違いがある。
(そもそも人間の住んでる国なのに、“妖精の国”って名前からして気に入らないわ!)
イヤリングをうっかり強く引っ張ってしまい、耳が痛みを訴え、少し冷静になった。
長から聞いた話では、妖精の長は「人間と妖精の間に子どもは生まれないから」と「人間の王に捨てられた」という。
けれど、リヒトから聞いた話では、妖精の長は「王に婚約者がいるから」と「身を引いた」という。
どちらも王が長のために家を建て、その前で最後の夜に結婚式を挙げ、最後には守護と祝福を約束して王の元から去るところは一緒だ。儀式的にはどちらでも困らないのかもしれない。
でも。
(ここ数百年国は豊かになってちゃんと恩恵を受けてたのに、忘れてたって聞いてるわよ、その儀式! なんで今更復活させるのよ! それも体の弱いフィフィーを連れて来ようとするなんて。形だけの結婚なら、頑丈な“花婿”を連れて来るんでも良かったじゃないの!)
リヒトは内心呆れていたはずだが、途中で投げ出すことなく案内役を務めていた。けれど、全てをハイそうですかと飲みこめる性格をしてはいない。
時折妖精の世界から人間の国へ風や水を通して力を送っているのを見ているティティとしては、妖精の国に伝わる話の方が真実に近いのではないかという気がする。
収まったはずの怒りが再燃し、足を踏み鳴らしそうになったところで控えめにドアがノックされた。
『フィフィーさん、準備は出来ましたか?』
「大丈夫です。えっと、リヒトさん?」
靴に足を捻じ込みながら、ティティは応える。
「ああ! 昨日一度出したきりの僕の名前、覚えてくださったんですか? ありがとうございます。今日のあなたもとても素敵ですね。これでヴェールもあれば完璧だったのですが」
「ありがとう。昨日の夜も言ったけど、二人きりだったならヴェールも外したんじゃないかと思って」
(とても言えない。前が見えないのが怖かったなんて)
声の主が中へ入って来たときには、着せられた恰好になんとか整え直す。
内心は穏やかでいられなかった。褒め言葉を忘れない辺り、やはりリヒトはソツがない。正体を見抜かれないようにしなければと心を戒めた。
その一方で、邪気のない表情を向けられると、友人の名を騙っている後ろ暗さでティティの胸はチクチクと痛む。
「今、この国の王は玄関前でイライラしながら……じゃなかった、儀式の手順通りに、“花嫁”の到着を外でそわそわしながら待っています。妖精の長は来ないかもしれないとお芝居中です。これから闇に紛れてあなたを連れて行きますから、そこからは王の指示に従ってください。怖い顔をしていても、あなたを悪いようにはしませんから」
「短気だとか言ってなかった? 待たせて大丈夫なの?」
「関係ない人に当たり散らすほど子どもじゃありませんから、大丈夫です。ただ、意地っ張りな石頭ではあるので、王に会ったらすぐにこちらを掛けてあげてください。鼻水は持ち前の意地で耐えてると思いますから、垂れてたら本当に寒かったんだなあということで見なかった振りをしてあげてくださいね」
リヒトは手に持っていた薄手の布地をティティに差し出した。長身の人間を一人包めそうな大きさの布が、自分の着ているドレスと同じ色なのは偶然だろうか。
「それでは、参りましょうか」
リヒトが差し出した手はさりげなくて自然だが、ティティはそういう所作に慣れていない。
「あの、失礼だったらごめんなさい。私、あなたの後ろをついていくだけでいいかしら。布も預かってるし、その、必要な気がしなくて」
そもそも少女は優雅に何かを頼まれることもない。断り方を心得ているはずもなく、知恵を絞ってやっと思いついた文言がそれだった。
目を伏せて、こっそり相手の反応を窺う。リヒトは何度か瞬きをした後、笑いながら手を引っ込めた。
「綺麗な女性はエスコートしなくては、と思っていたのですが、押し付けでしたね。王にも何か思うことがあれば、じゃんじゃん言ってください。小声なら王にしか聞こえませんし、不機嫌でもちゃんと話は聞いてくれますから」
じゃあ、こちらです。笑顔だけは忘れないでくださいね。
リヒトはドアを開けて先に出て、ゆっくりと歩いている。
(この人、やっぱり細かいことによく気が付く人なんだ)
今も散歩するように歩いているのは、動きにくい自分に合わせてくれているのかもしれない。
後ろで束ねた長い髪が跳ねるように揺れ、まるで小動物が背中をよじ登っている姿に見える。
ティティは笑みを漏らし、こっそり裾をたくし上げてリヒトに続いた。
大きな足音を立てながら部屋を歩き回ってみたものの、靴に慣れることはない。壁際に背中を預けて立ち、溜め息を漏らした。
(フィフィーのわけ、やっと分かったわ)
花を咲かせたり、花びらの色を染め変えたりするのは妖精たちの仕事だ。それぞれ得意な色や花に差はあるもののみんな得意で、特にフィフィーはどの花でも早くて綺麗に染められると評判だった。
でも、何故かティティに出来たためしはない。風を強めることもできず、むしろ長には力を使わないよう言い渡される始末だ。
(私に出来るのなんて、花を作り出すことくらいだし)
それも不器用だからなのか、花びらの大きさや色が不揃いで、お手本にした花通りに作れたこともない。
(あーあ。どうして私ってこうなんだろう。みんな優しいから何も言わないけど、どこかおかしいのかな)
いい加減足が辛くなってきた。立ったまま片足ずつ靴を脱ぎ、ぽいぽいと床に投げ捨てる。素足の開放感に清々しい気持ちになったが、ほんの一瞬だった。
(私が足の痛みを我慢してるのも、人間の国の王、あんたのせいよ! あんただけは絶対許さないから!)
ティティはレースをふんだんにあしらったドレスを身に纏い、足を肩幅に広げて立ち止まる。もう先ほどまでの不安はどこかへ吹き飛んでいた。
寝不足に加えて生まれて初めてつけたコルセットと靴の痛みもあって、さっきまで忘れていたもののイライラは三割増しだ。
ドレスという服は可愛らしいが、すとんとしたデザインばかり着ているので、裾に近づくにしたがってふわっとしているのが動きづらくて落ち着かない。
鏡の中に映る自分の姿は、人間から見れば確かに美しいのだろう。花の形をした髪留めも、首元の透明な石でできたネックレズも、お化粧も妖精の世界では一生縁がないものだ。
(似合わない。ぜんっぜん)
一晩であれこれ身につけたところで、中身が変わっていない以上たフィフィーのフリをした自分に過ぎない。
色々相談していた人間たちは皆口を揃えて「お似合いですわ」「素敵ですわ」と言うけれど、そんなことは一切ないと思う。
椅子やテーブルを置いただけで窮屈になる部屋の中をうろうろするのにも飽きて、ティティはどっかりと椅子に腰掛けた。ギシギシと音を立てるが、作りは丁寧で装飾も細かいところまで凝っている。
(この椅子は気に入ったけど)
折り畳めることに気づき、何回か畳んで組み立ててを繰り返す。それからティティは座り直してわざと前後に揺らして音と座り心地を楽しみ、少し冷静になった頭で思いを巡らせた。
ティティがここにいるのは“花嫁”としてだった。
自身の尖った耳にぶら下がったイヤリングを指先でいじりながら、頬を膨らませる。
(人間のお嫁さんに妖精がなるってどうなの? それも形式だけ。儀式が終わったら、はいサヨナラってバカにしてるわよね。それとも妖精も人間の世界のルールで縛れると思ってるのかしら)
ティティが長から聞いた物語と“妖精の国”と呼ばれる人間の国の物語とでは、少し違いがある。
(そもそも人間の住んでる国なのに、“妖精の国”って名前からして気に入らないわ!)
イヤリングをうっかり強く引っ張ってしまい、耳が痛みを訴え、少し冷静になった。
長から聞いた話では、妖精の長は「人間と妖精の間に子どもは生まれないから」と「人間の王に捨てられた」という。
けれど、リヒトから聞いた話では、妖精の長は「王に婚約者がいるから」と「身を引いた」という。
どちらも王が長のために家を建て、その前で最後の夜に結婚式を挙げ、最後には守護と祝福を約束して王の元から去るところは一緒だ。儀式的にはどちらでも困らないのかもしれない。
でも。
(ここ数百年国は豊かになってちゃんと恩恵を受けてたのに、忘れてたって聞いてるわよ、その儀式! なんで今更復活させるのよ! それも体の弱いフィフィーを連れて来ようとするなんて。形だけの結婚なら、頑丈な“花婿”を連れて来るんでも良かったじゃないの!)
リヒトは内心呆れていたはずだが、途中で投げ出すことなく案内役を務めていた。けれど、全てをハイそうですかと飲みこめる性格をしてはいない。
時折妖精の世界から人間の国へ風や水を通して力を送っているのを見ているティティとしては、妖精の国に伝わる話の方が真実に近いのではないかという気がする。
収まったはずの怒りが再燃し、足を踏み鳴らしそうになったところで控えめにドアがノックされた。
『フィフィーさん、準備は出来ましたか?』
「大丈夫です。えっと、リヒトさん?」
靴に足を捻じ込みながら、ティティは応える。
「ああ! 昨日一度出したきりの僕の名前、覚えてくださったんですか? ありがとうございます。今日のあなたもとても素敵ですね。これでヴェールもあれば完璧だったのですが」
「ありがとう。昨日の夜も言ったけど、二人きりだったならヴェールも外したんじゃないかと思って」
(とても言えない。前が見えないのが怖かったなんて)
声の主が中へ入って来たときには、着せられた恰好になんとか整え直す。
内心は穏やかでいられなかった。褒め言葉を忘れない辺り、やはりリヒトはソツがない。正体を見抜かれないようにしなければと心を戒めた。
その一方で、邪気のない表情を向けられると、友人の名を騙っている後ろ暗さでティティの胸はチクチクと痛む。
「今、この国の王は玄関前でイライラしながら……じゃなかった、儀式の手順通りに、“花嫁”の到着を外でそわそわしながら待っています。妖精の長は来ないかもしれないとお芝居中です。これから闇に紛れてあなたを連れて行きますから、そこからは王の指示に従ってください。怖い顔をしていても、あなたを悪いようにはしませんから」
「短気だとか言ってなかった? 待たせて大丈夫なの?」
「関係ない人に当たり散らすほど子どもじゃありませんから、大丈夫です。ただ、意地っ張りな石頭ではあるので、王に会ったらすぐにこちらを掛けてあげてください。鼻水は持ち前の意地で耐えてると思いますから、垂れてたら本当に寒かったんだなあということで見なかった振りをしてあげてくださいね」
リヒトは手に持っていた薄手の布地をティティに差し出した。長身の人間を一人包めそうな大きさの布が、自分の着ているドレスと同じ色なのは偶然だろうか。
「それでは、参りましょうか」
リヒトが差し出した手はさりげなくて自然だが、ティティはそういう所作に慣れていない。
「あの、失礼だったらごめんなさい。私、あなたの後ろをついていくだけでいいかしら。布も預かってるし、その、必要な気がしなくて」
そもそも少女は優雅に何かを頼まれることもない。断り方を心得ているはずもなく、知恵を絞ってやっと思いついた文言がそれだった。
目を伏せて、こっそり相手の反応を窺う。リヒトは何度か瞬きをした後、笑いながら手を引っ込めた。
「綺麗な女性はエスコートしなくては、と思っていたのですが、押し付けでしたね。王にも何か思うことがあれば、じゃんじゃん言ってください。小声なら王にしか聞こえませんし、不機嫌でもちゃんと話は聞いてくれますから」
じゃあ、こちらです。笑顔だけは忘れないでくださいね。
リヒトはドアを開けて先に出て、ゆっくりと歩いている。
(この人、やっぱり細かいことによく気が付く人なんだ)
今も散歩するように歩いているのは、動きにくい自分に合わせてくれているのかもしれない。
後ろで束ねた長い髪が跳ねるように揺れ、まるで小動物が背中をよじ登っている姿に見える。
ティティは笑みを漏らし、こっそり裾をたくし上げてリヒトに続いた。