「妖精の国」のおとぎ話
 空にはたくさんの星が姿を現している。月も昇ってはいるが、不思議なことに星の方が眩しく感じられる。
 まさに伝承通りの夜だ。
(遅い。あのおしゃべりめ)
 王は心の中で舌打ちをした。リヒトの表現した通り、レイはにこやかな表情を保ちつつ、そわそわしている。
 常時城同様、前に兵を立たせていても城壁の外だ。好奇心につられた国民や旅の者が遠くから王を見つめ、人によっては耳打ちしながら笑い合っていた。
(俺は見世物か!)
 荒く吐いた息も白い。いい加減寒くなって来た。
 従者もつけず二人きりで行うという設定のため、正装は出来ない。夜の闇に紛れるようにシャツとベストを中に着た以外は薄手のスーツというラフな恰好だ。いくら庶民の暮らしが長くとも、冷えるものは冷える。
(王の着る物にどうして毛皮がないんだ!)
 そてにどうしてこんな時期に式など、と苛立ちが更に強まり、腕を組んだり星の数を数えたりしている姿が更に観客たちを喜ばせていることには思いも及ばない。
 伝承になど則らず、城内で大臣などの前でさっさと済ませるべきだったと考えながら、やがて視線は下へ移動する。捉えた目の前の家は、城にそぐわないデザインだ。
 今まさにレイの上にあるバラのアーチは、物々しい城壁や兵とは違って柔らかい雰囲気だ。次の春に咲くつもりらしい(つぼみ)が幾つもついている。
(妖精の長の家を再現したものだと聞くが、人ひとり暮らすにもやっとの大きさだ。これではキッチンも作れない)
 五年前ほど前までは庶民だったレイから見ても、ベッドを置いて寝るくらいしか出来そうもない家だ。隠し部屋が三分の一の面積を占めているのも納得がいかない。
 いくら手入れをされていても闇の中に埋もれると、この世のものとは思えない雰囲気を醸し出している。それには風が吹くたび、家を囲む壁の中に生えた植物たちが立てる音も一役買っていた。
 昼間は妖精に二人の仲を祝福してもらおうと恋人たちが訪れる定番の観光地となっているらしいが、自分の家を再現した場所に他人が願いを言いに来ると言うのは気持ちのよいものではないだろう。
(これに愛しい者を住まわせようという王の気が知れん)
 本当はなんの目的で建てたものだか。
 余計なことを考え出したレイの耳が、小さな足音を捉える。そちらへ視線だけ振り向くと、リヒトの顔が見えた。互いに頷きを交わす。
「“花嫁”様を連れて参りました!」
 結婚式開始の合図だ。途端に周囲が静かになる。王はリヒトの方へ向き直った。
 エスコートするはずのリヒトが体をすっと避けると、後ろからゆったりとした足取りで少女が近づいてくる。あちこちから感嘆の吐息が漏れた。
 伝承通り二人きりという設定のためか、ヴェールは被っていない。淡いピンクの髪が光に透けて、春の野に咲く花を思わせる。シンプルなドレスも却って“花嫁”の美しさを際立たせていた。
 一歩一歩近づくごとに少女の目鼻立ちもはっきりしてくる。小さな唇、色白なのに血が(かよ)っていて健康的な色の肌、イチゴのような赤い瞳。尖った耳。
 人間だとか、妖精だとか、そういうことは関係なくなっていた。
 綺麗だ。
(まさか、誰かに対してこんな感想を抱く日がくるとは)
 “花嫁”がレイの隣に並ぶ。イヤリングの揺れが収まるまで、レイは黙って“花嫁”を見つめていた。“花嫁”もレイを見つめ返す。互いの瞳は澄んでいて、波一つ立たない湖面を思わせた。
 強い意志の宿った瞳に、吸い込まれそうな気さえしてくる。
「寒かったでしょう」
 穏やかであたたかい声だった。ふわっと手に持った布を広げ、レイの体を包むようにする。ほっ、と息を吐いたのは目標を達成したからだろうか。
(リヒトの差し金だろうが、助かった)
「ありがとう。あなたこそ、冷えてはいないだろうか」
 レイはそっと手を握った。隠し部屋にどのくらいいたかは分からないが、あそこは冬の夜が一番寒い。
 つい相手の心配をしたが、自分の手の方がきりきりと冷たく、“花嫁”の手から熱を奪っていることに気づく。離そうとすると握られた。
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
 あたたかい純粋な心配の情をレイに向けたのは母、リヒト以外でこの“花嫁”しかいない。ぐらぐらと心の危うい均衡が崩れるような錯覚がレイの中に生まれる。
(冷静になれ、俺。これは儀式だ。俺が愛しているわけでも、“花嫁”が俺を愛してくれているわけでもない)
 咳払いをして、感覚の戻って来た指先を“花嫁”の指先に(から)める。ぴくり、と動いたが表情を窺えば嫌そうではない。頬が赤いのは照れているからだ、と勝手に結論付けた。
「今宵の……あなたは美しい。どうか、俺と生涯を共にしてはもらえないだろうか」
「いいえ、それは無理。あなたは人間の花嫁を迎えないといけないわ」
「どうして! 今の俺にはあなたしかいない。あなた以外に綺麗だ、などと思うわけはないのに」
「それでも、妖精に人間の子どもは産めない。知っているでしょう?」
「俺の心は既に、あなたのものだというのに、どうしてどんなことを」
(不思議だ。すらすらと言葉が出て来る)
 演技のはずで、本心のような、何かの熱に浮かされて別人になってしまったような。
 いつまでもこんな瞬間が、ずっと目の前の“花嫁”といられる時間を望む気持ちが芽生え、混乱した。
(これは一体なんだ?)
 レイは“花嫁”の顔を覗き込む。一言一言噛み締めるように口にされる度、更に赤く染まった頬に、“花嫁”も似た思いを抱いているのではないかと思いこみそうになる。
「私も」
 “花嫁”は笑みを浮かべた。
「初めて見つめたときに、心をあなたに捧げてしまったの」
(これが本心からの言葉だったなら、俺は)
 そう思いながら、頭の片隅で妙に冷静な自分がいて、自分と言うものが分からなくなってくる。
「愛しているんだ、あなたを! だから、どうか、俺をここに一人残してなど」
「いいえ。これから先、あなたとは一緒にいられない。あなたが人として生きるように、私も妖精として生きて行くの。あなたに、あなたの子に、孫に、血の続く限り、この大地を守って、幸せを願い続けるわ。花が咲いたら、実りが豊かになったら私のことを思い出して。これが私の愛の形」
 “花嫁”の体が急に柔らかく光り出し、レイと“花嫁”の手の間に光の玉が生まれた。手のひらに収まる限界の大きさになると、それが霧散し、代わりに一輪の花が現れる。バラに似ているが、(とげ)もなく、葉っぱは丸っこい。花びらも大きさが揃わず波打ち、色も一枚一枚微妙に異なっていた。
 それをじっくりと観察している間も“花嫁”の体は光を放ち、空中に幾つも光の玉が生まれては花に変わっていく。観客たちに行き渡ってもなお余りあるほど、花が降る。
「さようなら」
 手を離して去ろうと辺りを窺っていた“花嫁”はレイの横を通り抜け、反対側から隠し部屋へ戻ろうとしているらしい。ちらと背後に視線を滑らせると、観客から視覚になる位置でリヒトが“花嫁”に手招きしていた。
 駆け出した“花嫁”がつまづき、転びそうになったところをレイが手を引っ張って抱き寄せる。耳元に顔を近づけると、観客のどこかから悲鳴に似た歓声が上がった。
 驚いたらしい。元々大きかった“花嫁”の目が更に大きくなっている。体から発する光は徐々に弱まり、辺りの玉も増えることはなくなった。
「おい、あくまでフリだからな。変に動くなよ」
 心に、体に生じた熱とは裏腹に口からは冷静な声しか出ない。“花嫁”は小さく一回頷いた。腕の中の体は小さく見た目以上に華奢だ。少し抱き締めただけでも体が折れてしまうのではないかと不安に思うほど、引っ張った体も軽かった。
 ぼうっとした顔で見上げる“花嫁”に抵抗の意志がないのを見て取ると、レイは“花嫁”から体を離す。人ひとり分離れたところで、(ひざまず)きポケットの内側から指輪を出した。
「あなたは妖精。決して人間に縛られはしない。それが分かった上で乞いたい。俺もあなたに証を贈ることを」
 そっと“花嫁”の左手を取り、薬指にそれを嵌める。中央にある透明な石がきらりと光った。それをまじまじと“花嫁”が見つめている間にレイは立ち上がり、距離を詰める。
 そして、顎に指を添え、上向かせると口づけをするすんでのところで顔を止めた。けれど、観客の角度からは二人の唇が完全に重なっているように見える。周囲に大きな歓声が響いた。
 その音で“花嫁”は我に返り、強く目の前の体を突き飛ばした。よろめくことなくレイは一歩後ろに下がる。
 真っ赤になったまま、“花嫁”はレイを残して合図を送るリヒトの元へ走る。闇にある程度慣れたレイの目にはリヒトの焦る顔が見えた。
「行くな!」
 レイも“妖精の家”を去ることにし、リヒトの元へ駆ける。
 “花嫁”を追い掛ける王の姿の演出を最後に、儀式は無事終わった。
 観客たちは皆“花嫁”の作った花を手に、祝福の言葉を叫んでいる。
 おかげで多少大きな声を出しても、誰にも気づかれそうもない。
「おい、どうした!」
「フィフィーさん、意識がないみたいなんだ」
 リヒトに後ろから支えられた“花嫁”の顔に手を当てると、だいぶ冷えている。吹く風が冷たいだけで、こんなに急激に体温が下がったりはしないだろう。
(何が原因だ?)
 顎に触れたときを思い出し、レイはリヒトを前に立ち尽くす。リヒトがにやりと笑ったことにも気づかない。
「うーん。これは、この前みたいにお姫様抱っこするしかないかな」
「は? 横抱き?」
「いや、フィフィーさん、裸足だったんだよ。妖精は靴を履かないんだって。でもそのまま王城内を歩かせるわけにはいかないから、僕が抱き抱えて昨日客室に連れて行ったんだ」
「そう、か」
「うん。いやあ、軽くてびっくりしたなあ。城内走り回れそうなくらいでさ」
 よっと抱え直そうとしたリヒトの手に、レイの手が掛かる。
「本当に“花嫁”は華奢で、俺も驚いた」
「もう儀式は終わったから、“花嫁”じゃないよね?」
「だが、俺は求婚したぞ」
 リヒトは深い溜め息を吐いた。
「ここで話すことじゃないね、これ。君の寝室が一番プライバシーが保てるかな」
「ああ。そうしてくれ。あと、“花嫁”は俺に寄越せ」
 一瞬真剣な顔になったリヒトが再び笑みを浮かべても、レイは硬い表情を崩さない。
「でも、求婚したなら、もう夫婦も同然だよねえ。名前呼べないの? フィフィー、ってさ。呼べたら彼女をエスコートする役目は君に譲ってあげるよ?」
 フィフィー、とエスコートを強調し、リヒトが“花嫁”を抱え直す。体に更に密着する形になり、どうしてかレイは落ち着かない。
(求婚したのも、いくら形だけとはいえ結婚式をしたのも俺だぞ)
 唇を尖らせてそっぽを向ける、幼い頃からの自分の癖は子供っぽくて嫌いだが、直せもしない。今もそのポーズを取りながら、ぽそりと言った。
「ふぃ、ふぃー」
「初めて出来た異性の友達を呼ぶ男の子みたいだけど、まあ許してあげるよ。ほら、慎重にね」
 昔リヒトが小鳥を捕まえてレイに渡したとき以上に繊細な動きで、フィフィーを抱かせる。ほとんど体重が感じられないのは、妖精だからだろうか。
「ん……」
 小さく吐息を漏らして、フィフィーはレイの胸元の布地を掴む。
「うわー。兄妹みたい」
「うるさい。行くぞ」
 二人はようやくその場を去ったが、それでもまだ人々の賑やかな声は続いていた。
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