「妖精の国」のおとぎ話
誓い
(寒い)
ティティが目を覚ますと、あまり馴染まない、けれど見たことのある天井が視界に入る。昨日泊めてもらった客室だ。
だるい体を起こして、周囲を窺う。ベッドの周りをカーテンのように布で覆われているおかげで今が朝かどうかの判別も付かない。
(昨日は王との結婚式をして、それで)
そうだ。緊張からか、リヒトの方へ駆けて行って倒れてしまったのだ。
「フィフィーさん。ご気分はいかがですか」
ひょっこりと顔を覗かせ、リヒトが布を取り去ってくれる。
「リヒトさん……?」
はい、と答えたリヒトはソファーに腰掛けて本を読んでいたらしい。手にもソファーにも本がある。長い時間ついていてくれたのかもしれない。見知った顔にホッとした。
「もしかして、昨日ここまで運んでくれたの?」
「いえ。あなたを連れて来たのはレイですよ。僕がその役をしようとしたら、王直々にあなたを連れて行くんだと譲らなくて」
短気だとか色々聞いていたが、昨日見た冷静そうな印象とはまったく結びつかない状況にティティは目を丸くする。リヒトは声を上げて笑った。
「“花嫁”役、お疲れさまでした。新聞、えっとこの国であったことを国民にお知らせするものがあるんですが、どこもあなたのことを好意的に取り上げていますよ」
「そうなの?」
「ええ。式は大成功です。ただ」
リヒトは視線を一度逸らしてから、ティティの瞳を真正面から見つめた。
「あなたにとっては厄介なことになりました」
「厄介?」
「王があなたに結婚式のときに贈った指輪は、王家に伝わるものです。ある手順を踏んで求婚したら、相手は拒否もできず、王の花嫁になります」
「それって、私が王のお嫁さんになっちゃったってこと⁉」
「理解が早くて助かります」
まだ布団の中にあった自身の手を出し、指輪を外そうと試みる。けれど、ぴったり嵌ったそれはびくともしない。
「たとえ妖精でも、例外ではありません。恋物語の王が、自分と妖精の結婚を成立させるために法律を作ったようで、相手が人間でなくとも、という条件がついているんです」
「それでも王は、妖精の長と結婚は出来なかったのよね?」
「ええ。あなたが言ったように子どもを産めないからと身を引いたのか、別の理由があったのかは分かりませんが」
「人間は血を大事にするのよね? この子のお父さんが誰で、そのまたお父さんがこういう人だからあなたはこういう立ち位置よ、って。だとしたら、私、一緒に居るのはまずいんしゃない?」
リヒトは本を閉じると、ベッドまで歩いて来て、腰掛けた。しなやかな動きは森で遭った肉食獣を思い出す。
「僕はあなたの気持ちが知りたいんです。昨日レイに求婚されてどうでしたか?」
「どう、って」
ティティは昨日の儀式を思い出してみる。何かに操られるみたいに言葉がすらすらと出て来て、自分でも驚いた。王と本当に恋仲なのではないかと錯覚し、その上、つい最後には一目惚れだと言わんばかりの余計なことまで口にした。
頬が燃えるように熱い。
(あれが私の本心なの⁉)
体が急に熱くなってくる。
「いいです。詳しくは聞きません。代わりに状況の説明だけさせてください。あなたは一晩ぐっすり寝た、と思ってるかもしれませんが、もう二日は経っています」
「え」
「昨日レイが起こそうとしたんですが、意識が戻らないので心配だと妖精の長に会いに行きました。今日明日は戻れないと思います」
ふう、とリヒトが息を吐き憂いを帯びた顔をした。
「あなたはこれから妖精を狙う者だけでなく王家の力を欲する人間の目の敵にされるでしょう。昨日レイはそれでも構わないからあなたを花嫁にすると言ってききませんでした。あなたにもその覚悟があるのなら、僕はあなたたちを祝福します」
「ありがとう、リヒトさん。心配してくれて。でも、私に求婚したせいで王は元々危険な状況に置かれていたのに、更に自分を追いつめたってことにならない?」
「……そう、なりますね」
自分だって、王たちを騙している。何が何でもフィフィーを“花嫁”にしなければいけないわけではないらしいが、花の色を染め変えるのを見たがっていた期待を裏切ってしまった分お返しをしたいのかもしれない。
(ううん。まだよく分からないけど、王を一人にしたくなかっただけね)
夢に落ちる寸前に聞いた王の行くなという叫び声が蘇る。フリをするだけなら、あんなに必死になる必要はないはずだ。
ティティはリヒトの顔を見据えた。
「人間の国のルールなんて分からない。でも、昨日結婚式を見に集まった人たちはあたたかかったもの。王の心を信じることにします」
リヒトは一瞬目を大きく見開き、すぐに柔らかな笑みに表情を整える。
「あなたはこれから人間の世界の様々なルールを学び、文字を覚え、教養を身につけ、人間になると言ったのと変わりませんよ。靴だって毎日履かなければならない。それでも?」
「いい先生がいれば、頑張るわ。その、リヒトさんは怖くないし、王も平気なんだけど、まだたくさんの人に囲まれるのは苦手で」
「それでしたら、ご安心を。僕が手取り足取り直々に教えて差し上げますから」
にやり、とリヒトが笑った。ティティは意図には気付かず、お願いね、と笑みを返した。
ティティが目を覚ますと、あまり馴染まない、けれど見たことのある天井が視界に入る。昨日泊めてもらった客室だ。
だるい体を起こして、周囲を窺う。ベッドの周りをカーテンのように布で覆われているおかげで今が朝かどうかの判別も付かない。
(昨日は王との結婚式をして、それで)
そうだ。緊張からか、リヒトの方へ駆けて行って倒れてしまったのだ。
「フィフィーさん。ご気分はいかがですか」
ひょっこりと顔を覗かせ、リヒトが布を取り去ってくれる。
「リヒトさん……?」
はい、と答えたリヒトはソファーに腰掛けて本を読んでいたらしい。手にもソファーにも本がある。長い時間ついていてくれたのかもしれない。見知った顔にホッとした。
「もしかして、昨日ここまで運んでくれたの?」
「いえ。あなたを連れて来たのはレイですよ。僕がその役をしようとしたら、王直々にあなたを連れて行くんだと譲らなくて」
短気だとか色々聞いていたが、昨日見た冷静そうな印象とはまったく結びつかない状況にティティは目を丸くする。リヒトは声を上げて笑った。
「“花嫁”役、お疲れさまでした。新聞、えっとこの国であったことを国民にお知らせするものがあるんですが、どこもあなたのことを好意的に取り上げていますよ」
「そうなの?」
「ええ。式は大成功です。ただ」
リヒトは視線を一度逸らしてから、ティティの瞳を真正面から見つめた。
「あなたにとっては厄介なことになりました」
「厄介?」
「王があなたに結婚式のときに贈った指輪は、王家に伝わるものです。ある手順を踏んで求婚したら、相手は拒否もできず、王の花嫁になります」
「それって、私が王のお嫁さんになっちゃったってこと⁉」
「理解が早くて助かります」
まだ布団の中にあった自身の手を出し、指輪を外そうと試みる。けれど、ぴったり嵌ったそれはびくともしない。
「たとえ妖精でも、例外ではありません。恋物語の王が、自分と妖精の結婚を成立させるために法律を作ったようで、相手が人間でなくとも、という条件がついているんです」
「それでも王は、妖精の長と結婚は出来なかったのよね?」
「ええ。あなたが言ったように子どもを産めないからと身を引いたのか、別の理由があったのかは分かりませんが」
「人間は血を大事にするのよね? この子のお父さんが誰で、そのまたお父さんがこういう人だからあなたはこういう立ち位置よ、って。だとしたら、私、一緒に居るのはまずいんしゃない?」
リヒトは本を閉じると、ベッドまで歩いて来て、腰掛けた。しなやかな動きは森で遭った肉食獣を思い出す。
「僕はあなたの気持ちが知りたいんです。昨日レイに求婚されてどうでしたか?」
「どう、って」
ティティは昨日の儀式を思い出してみる。何かに操られるみたいに言葉がすらすらと出て来て、自分でも驚いた。王と本当に恋仲なのではないかと錯覚し、その上、つい最後には一目惚れだと言わんばかりの余計なことまで口にした。
頬が燃えるように熱い。
(あれが私の本心なの⁉)
体が急に熱くなってくる。
「いいです。詳しくは聞きません。代わりに状況の説明だけさせてください。あなたは一晩ぐっすり寝た、と思ってるかもしれませんが、もう二日は経っています」
「え」
「昨日レイが起こそうとしたんですが、意識が戻らないので心配だと妖精の長に会いに行きました。今日明日は戻れないと思います」
ふう、とリヒトが息を吐き憂いを帯びた顔をした。
「あなたはこれから妖精を狙う者だけでなく王家の力を欲する人間の目の敵にされるでしょう。昨日レイはそれでも構わないからあなたを花嫁にすると言ってききませんでした。あなたにもその覚悟があるのなら、僕はあなたたちを祝福します」
「ありがとう、リヒトさん。心配してくれて。でも、私に求婚したせいで王は元々危険な状況に置かれていたのに、更に自分を追いつめたってことにならない?」
「……そう、なりますね」
自分だって、王たちを騙している。何が何でもフィフィーを“花嫁”にしなければいけないわけではないらしいが、花の色を染め変えるのを見たがっていた期待を裏切ってしまった分お返しをしたいのかもしれない。
(ううん。まだよく分からないけど、王を一人にしたくなかっただけね)
夢に落ちる寸前に聞いた王の行くなという叫び声が蘇る。フリをするだけなら、あんなに必死になる必要はないはずだ。
ティティはリヒトの顔を見据えた。
「人間の国のルールなんて分からない。でも、昨日結婚式を見に集まった人たちはあたたかかったもの。王の心を信じることにします」
リヒトは一瞬目を大きく見開き、すぐに柔らかな笑みに表情を整える。
「あなたはこれから人間の世界の様々なルールを学び、文字を覚え、教養を身につけ、人間になると言ったのと変わりませんよ。靴だって毎日履かなければならない。それでも?」
「いい先生がいれば、頑張るわ。その、リヒトさんは怖くないし、王も平気なんだけど、まだたくさんの人に囲まれるのは苦手で」
「それでしたら、ご安心を。僕が手取り足取り直々に教えて差し上げますから」
にやり、とリヒトが笑った。ティティは意図には気付かず、お願いね、と笑みを返した。