婚約破棄されましたが、初恋の人に求婚されました。
「すまないカティア、君との婚約を破棄してニナと婚約することにしたい。彼女を愛してしまったんだ」
「ごめんなさいねお姉様。けど仕方なかったの、本当に愛する人と出会ってしまったから。まあお姉様には一生分からないでしょうけど」
申し訳なさそうに肩を竦める婚約者、だったはずの男ダニエル、その隣に寄り添うように座っている異母妹ニナは自分が姉の婚約者を取ったことなど微塵も感じさせない、勝ち誇った顔でニヤついている。
悲惨な目に遭った筈の彼らの向かいに座るカティア・クラウナーは眉間に皺を寄せつつも、硬い表情で唇を結んでいる。
すると急にニナはダニエルの腕にしがみついた。
「きゃっ、お姉様が私を睨んでるわ…そうされても仕方のないことをしたのは事実だけど…また殴られたら怖いわ…」
父と同じ緑の大きな瞳をうるうるとさせて上目遣いで見上げるとダニエルがきっ、と婚約者だった筈のカティアを睨む。
「カティア、恨むのなら俺だけにしてくれ。ニナは血の繋がった妹だろ、どうしてそんなに嫌うんだ。聞いたぞ、俺が彼女と話してると後で愛人の子の癖に図々しいと罵倒しながら殴っているんだろ?…いつか改心してくれると思ってたがもう限界だ、君のような冷酷な人とは共に人生を歩みたくない」
(ニナはそんな見え透いた嘘を吹き込んでたのね。私とは長い付き合いの筈なのに、簡単に騙されるくらいには私のことを見てなかったということ)
そもそも愛されなかった女の娘の癖に図々しいと罵倒しながら殴るのは、かつてニナがカティアに行っていたことだ。カティアに跡を継がせるために父が適当に選んだ婚約者が出来てからは、見える部分に傷が出来るような体罰は無くなったが。
(お母様とお爺様達が立て続けに亡くなって直ぐにこの邸にやって来て、私の部屋もアクセサリーもドレスも全て奪い嘘を吐いて私を貶め続けた異母妹をどう好きになれと言うの)
カティアは侯爵家の長女として生まれたものの、両親は完全なる政略結婚。父には平民の恋人がいたが当然前侯爵夫妻に反対され結婚することは叶わず。伯爵令嬢だった母と半ば無理矢理結婚させられたそう。
そしてカティアが生まれると義務は果たしたとばかりに父は家に全く寄りつかなくなった。カティアが13歳の時、病気で母が、事故で庇護してくれていた祖父母が立て続けに亡くなった途端戻って来て、祖父母の代から仕えていた使用人を全てクビにして自分達に従う者を雇い入れたのだ。
それからカティアの生活は一変した。ニナを溺愛する父はカティアのものは全て取り上げ、ニナに与えた。カティアは日当たりの悪い部屋に押し込められ、食事も質素なものしか与えられなくなった。
父は祖父によって無理矢理結婚させられた母と同じ、亜麻色の髪に青灰色の瞳を持つカティアを疎み、気に入らないことがあると鬱憤晴らしにカティアを殴る。「母親と同じくさっさとくたばれ」と吐き捨てた顔は、とても父親とは言えない程醜悪だった。
義母も自分と父を引き裂いた母を大層恨み、その娘のカティアを虐げた。そんな両親を見ていたニナも、カティアはぞんざいに扱っていい存在だと思い込む。
何もしてないのに「お姉様が叩いた」「階段から突き落とされそうになった」「愛人の子の癖に忌々しい、いつか追い出してやると脅された」等と嘘泣きして父に訴えるのだ。
それを間に受けた父により激しい折檻を受けるのは日常茶飯事だった。
こんな目に遭い続けるのならいっそ逃げても良かった。父を信用してない親戚は「爺さん達もカティアの方が大事に決まってる、無理だと思ったら逃げろ」と何度もカティアに助言してくれた。
祖父は自分達に何かあった時カティアがどうなるかを心配していた。カティアが18になったら侯爵としての権利を父から譲渡する、と遺言を作ろうとしていたそうだがその前に事故に遭ってしまった。
この国では結婚するまでは女性でも一時的に爵位を継げ、結婚してからは婿入りした者に譲渡することになっている。祖父はカティアとその婿になる者に侯爵家を託そうとしていた。「侯爵家を守ってくれ」が祖父の口癖だった。
祖父母が亡くなり、父が戻ってくるとニナに跡を継がせてカティアのことは持参金目当てで金持ちに嫁がせると思っていた。けど父は勉強が苦手なニナに無理強いは出来ない、とカティアを後継者に指名して知り合いの伯爵家の次男であるダニエルを婚約者に据えた。それが4年前、14歳の時だ。その頃には碌な食事を与えられずにいたせいで年の割に痩せて肉付きが悪かった。ダニエルはそんなカティアを見た瞬間、嫌そうに顔を歪めたのを覚えている。
だがダニエルからしたらカティアと結婚すれば生家より爵位の高い家を継げるのだ。だから疎みながらもカティアに対して必要最低限の付き合いは果たしていた。彼のことは好きではなかったが、祖父の願いを守るためにはこれくらい何ともない、と自分に言い聞かせた。
カティアは差し伸べられた手を取らず、侯爵家を守る道を選んだ。そのためにずっと努力を続けていた。父は領地経営のことはカティアや管理人に丸投げして贅沢三昧。
この管理人は祖父母の代から仕えていたが流石に彼を解雇するほど父は愚かではなかった。彼が居なければ、先祖代々守って来た領地がどうなっていたか分からない。
「カティアお嬢様が継いでくださるのであれば安心でございます」
そう言って笑っていた彼の顔が酷く懐かしい。
カティアは今までのことを思い返した後、ダニエル達に向き直る。
「婚約破棄は受け入れますが、そうするとダニエル様が婿入りする話も無くなりますがよろしいんですね」
「何言ってるのお姉様、ダニエル様は婿入りして侯爵家を継ぐのよ。私と結婚して」
「は?」
ニナの言葉の意味が分からず思わず聞き返す。ニナが侯爵家を継ぐ?そんなことはあり得ない。そもそもニナが嫌がったから父は渋々カティアを跡取りに据えた。カティアとダニエルが勉強に追われている時に、彼女はドレスにお茶会、宝石等に夢中になっていたのに。
「ニナ、あなた領主になるための勉強全くしてないでしょう」
「お姉様に出来ることが私に出来ないわけないわよ。それにダニエルもお姉様と一緒に勉強してたんでしょ?なら結婚相手が私でも問題ないわ」
ニナに同意を求められたダニエルの顔が一瞬は引き攣る。出来もしないのに大口を叩いてしまったのだろう。
ダニエルはカティアと一緒に領地経営について学んではいたものの、直ぐに飽きてカティアに丸投げしたのだ。多分学んだことを碌に覚えていない。
そんなダニエルと勉強嫌いのニナが領主としてやっていけるわけがない。
「…領地なんてどうでも良いとずっと言っていたじゃない。それに高貴な方と結婚すると息巻いていたのに、急に…」
バン、とニナがテーブルを思い切り叩いた。突然の大きな音にカティアとダニエルもビクリ、と肩を震わせる。
「嫌なこと思い出させないでちょうだい!王太子殿下も第二王子も、皆私に見向きもしなかったのよ?私のお母様が平民だからと見下してるのよ、王族だろうと公爵家だろうとあんな性格の悪い男達はこっちから願い下げよ!」
可愛らしい顔は憤怒で歪み、フーフーと息が荒くなっている。相当に腹の立つことを思い出したらしい。
狙っていた王族、高位貴族の令息に軒並み相手にされなかったのだ。カティアに言わせればニナの外面に騙される人間は馬鹿だ。国を担う人材はそんなに愚かではなかったと言うこと。
「まだヴァイス王弟殿下に会ったことはないけど、引きこもりの人嫌いで変人だって有名だから彼は無しね」
(向こうだってニナは願い下げだわ)
社交の場にほぼ出ないカティアでもヴァイス殿下のことは知ってる。国王陛下の年の離れた弟で膨大な魔力を有し、魔術師として超一流にも関わらず王都の外れにある屋敷に籠り魔術の研究をしているという。醜いから人前に出ない、逆に美しすぎて苦労したから引き篭もってるとか色んな噂が流れてる。
会ったことのない王弟殿下については置いておいて。ニナがダニエルに手を出した理由が分かってきた。
(ニナと婚約してくれそうな高位貴族の令息がもう居ないのね。プライドの高いニナのこと、伯爵家以下に嫁入りするのは耐えられないはず)
だからこそ姉の婚約者を奪ったのだ。ニナに甘い父に頼めば、あっさりとカティアから自分に婚約者と跡取りの座を譲ってくれると見込んで。
「…一応聞くけどお父様は何て」
「勿論承諾してくれたわよ。お父様は私がお嫁に行かずにずっと家に居てくれた方が良いんですって。あ、お姉様の嫁ぎ先も今選んでくださってるわ。ダグール伯爵の後妻なんて良いんじゃないかしら、お姉さまにピッタリよ」
(60過ぎのご老人じゃない。その上女好きで特殊性癖があるって有名な)
予想通りというか、父は金を持っていてカティアを不幸にしてくれそうな人間に売ろうとしてるようだ。
あんな父でも当主なので決定は絶対。婚約者と跡取りの変更は免れないだろう。
(…意地になってここまでやってきたけど)
急に虚しくなってしまった。努力したところで、ニナの一声でカティアの運命はどうにでもなることを理解してしまう。
もう話すことはない、とカティアは騒ぐニナを無視して部屋を出て行った。
日当たりの悪い寂れた部屋に戻ったカティアは髪に付けていた蝶々の形をした髪飾りを取ると、話しかける。
「…カティアです。先程婚約破棄されました。彼はニナの方が良いらしいです。ニナがダニエルを婿に取って侯爵家を継ぎ、私はどこかに嫁がせるとお父様が決めたそうなので逃げようと思います」
髪飾りに見える蝶々は使い魔でカティア自身と契約してる。怪我を負えばゆっくりと治癒してくれて、こうやって連絡をとることも出来る優れものだ。蝶々がいたから13歳からの5年間我慢してこれたし、「彼」のおかげで体罰を加えられてもダメージを抑えることが出来た。
けどもう良い。祖父には申し訳ないがカティアは全て捨てて逃げることに決めた。優しい祖父のことだ、カティアの選択を責めはしないだろう。
「…あの妹を?正気か君の父親は?」
蝶々から怒りに満ちた低い声が聞こえてくる。若い男性…ウィリアムの声でカティアにとっては耳馴染みのあるものだ。
「あの人はニナを溺愛してますからね、出来る出来ないは関係ないんでしょう。ロバート(管理人)が居るから酷いことにはならないと思いたいですが、ニナのことだから彼のこともそのうち追い出しそうですね…」
「人の心配してる場合か。兎に角逃げるのなら早く荷物をまとめろ」
「これからやりますよ…ここを出たら隣国にでも行こうかな、ウィリアム先生のおかげで一通り魔法は使えますから運が良ければ、魔術師として身を立てることが出来るかも」
「は?カティア1人で行くつもりか?」
「そうですよ、先生に迷惑かけられませんし」
「迷惑なんて気にしなくて良いと何度も…まあ良い。カティア、これから迎えに行くから大人しく待ってろ」
「はい?先生…切れた…」
言いたいことだけ言ったウィリアムは一方的に切ってしまった。
(迎えに行くって…前にも同じことを言われた時はお祖父様との約束を守りたいからと断ってしまった。厚意を無にしたのにずっと気にかけてくれた…)
本当は嬉しかったのに、断ったことを凄く後悔して。でも必死で努力して全部無駄になった。
こんな自分にウィリアムが気にかける価値はあるのだろうか。
数刻後、突然部屋のドアが乱暴にノックされてメイドが入ってきた。
「カティアお嬢様、直ぐ応接室に!旦那様がお呼びです!」
(お父様が…?)
もうカティアを売り飛ばす先を決めたのか。まだウィリアムから連絡が無いのに。
ここで拒否をするのは得策で無い、とカティアは渋々メイドに言われるがまま部屋を出た。
ノックをして応接室に入ろうとした時、父と誰かの声が聞こえる。
「は、本当にカティアで宜しいのですか?あの子は地味で愛想も無く、妹を虐めるような性根です。それに引き合えニナは愛らしく、性格も良い…」
「…くどい、何度言わせる。俺が欲しいのはカティア・クラウナーだけだ。カティアを嬉々として虐めていた性悪な女なぞ、名前を聞くだけで気分が悪くなる」
(っ…この声!)
カティアは思わずドアを開けた。ソファーにはヘコヘコと媚びへつらう父と、その向かいに黒髪に蜂蜜色の瞳を持つ精悍な顔立ちの男性が座っている。
「カティア!ノックもせずに失礼な!も、申し訳ございませんヴァイス殿下!」
(ヴァイス殿下…?)
黒髪は王家の血を引く証だと聞いた。いや、大事なのはそこじゃなく…。
(髪と瞳の色を変えているけど…それに声も…)
ヴァイス殿下と呼ばれた男性はゆっくりとカティアの方を向くと、ふわりと微笑んだ。
「この姿では初めて会うな。約束通り迎えに来た」
(ウィリアム先生…)
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カティアがウィリアムと出会ったのは8年前。
この国の人間は大なり小なり魔力を持ち、貴族に生まれたものなら須らく魔法が使え、使い方を学ぶ。10歳になるとどの属性の魔法が使えるかを鑑定して貰うのだが、カティアは魔力量は膨大だが魔法が使えなかった。身体にその膨大な魔力がうまく循環せず、魔法として体外に放出することが出来ないのだ。
これを知った祖父母はあらゆる伝手を使い、若いながらも優秀な魔術師を講師として招いた。
やって来たのは小豆色の髪に若草色の瞳を持つ青年だ。背は高くヒョロリとしているが、髪を伸ばしすぎて目にかかっているせいで陰鬱な印象を受けた。
最初はビクビク怯えていたカティアだったが、青年…ウィリアム・バルドは地方の男爵家の次男で素っ気ない話し方だが教え方は丁寧、要領の悪いカティアに苛立つことなく根気強く教えてくれる。
学び始めて半年近く。やっと魔法を使うことが出来た時は心なしか身体がポカポカした。魔力が全身を巡るとこうなると聞いた。燻っていた魔力を放出することに成功したのだ。
喜びを露わにするカティアの頭をウィリアムは撫でてくれた。
「よし、その調子だ。風属性をある程度使いこなせるようになったら次は一般魔法だ」
一般魔法とは手を使わずに物を動かしたり、身体の一部を硬くしてダメージや怪我を軽減するといった生活する上で役に立つ魔法だ。貴族の殆どは属性魔法よりこっちを使っている。
属性魔法、火、水、風、土、雷を使いこなせる者は魔術師を志すし希少な光属性、治癒魔法を使える者は治癒師になる。膨大な魔力を持つ者の中には軽い怪我なら治す事が出来る者も居るらしい。カティアは光属性にも治癒を扱う者にも会った事がない。
魔術師を志すなら会う機会もあるかもしれないが、カティアは跡継ぎだからその道はない。そもそも魔術師になる為の胆力や技術力はないと思う。
カティアはほんの少し、魔術師を目指せばウィリアムに教わる期間が長くなるかもと邪な考えが過ぎる。
7歳上だというウィリアムはカティアを妹のように可愛がってくれる。しかし、カティアは兄のように慕ってるわけではない。
祖父母はカティアの仄かな気持ちを見抜いているようで、「ウィリアム殿はいつまでも来てくれるわけではないんだよ」とやんわり釘を刺される。
いずれ祖父母がカティアの婚約者を決めるだろう。いくら腕の立つ魔術師であっても地方男爵家の彼は選ばれない。
だからカティアはこの気持ちが育たないように、水を与えない。ウィリアムもこんな子供に好かれても迷惑だろうし、その肩書きにふさわしい相手と結婚する。
その時が来るまでは教え子と教師としての時間を過ごしたい、と願う。
カティアが13歳になると穏やかだった日々は一変する。
カティアの母が亡くなったのだ。元々心臓が悪くて身体が丈夫ではなく、カティアが生まれて以降は寝込む事が増えていたが、遂に家族が見守る中息を引き取った。
母の葬儀には疎遠だった母の家族も来たけれど、他家に嫁に行った母にはさほど関心は残ってなかったのかさっさと帰ってしまった。だが、もっと酷いのは父だ。顔すら出さなかった。会ったこともない父だが、例の恋人との間にカティアと年の変わらない子供がいると聞く。そっちを優先して妻の葬式に来なかったのだ。
祖父母は激怒していたし、わざわざ顔を出してくれたウィリアムも「自分の妻が亡くなったのに顔も出さないなんて、どういう神経をしてるんだ」と常に冷静な彼が珍しく怒りを露わにしていた。
「あいつはもうダメだ、ワシらに何あったらカティアがどうなるか不安で仕方がない。近いうちにカティアの婚約者を決めなければ」
カティアの体温が一気に下がった。婚約者が出来て仕舞えば、講師とはいえ男性であるウィリアムと2人きりになることは許されない。いつか来ると思っていたが、こんなに早く来るとは思わなかった。
顔色の悪くなったカティアをウィリアムは心配してくれたけど、曖昧に誤魔化した。この恋心に終止符を打つ時が来てしまったのだ。
母が亡くなって暫くの間は祖父母が王都に滞在してくれていて婚約者探しは落ち着いたら、と言っていたのでカティアは思いの外落ち着いて過ごせていた。ウィリアムも相変わらず講師として来てくれていて、カティアは寧ろ残り少ない時間を有効に使おうと決め積極的に彼に教えを乞う日々が続く。
そんなある日、ウィリアムが長期で遠征に行く事が決まった。隣国との国境で発生した大量の魔獣の討伐に向かうのだという。いつ戻って来れるか分からないと言われカティアは泣いた。
我儘を言わず、大人しかったカティアの変貌にウィリアムは狼狽えていた。祖父母はカティアの気持ちを分かっているからか、無理に止めることはしなかった。
オロオロするウィリアムは鞄の中から何かを取り出し、しゃがんで目線を合わせるとカティアに手渡す。
それは蝶々の形をした髪飾りだ。渡されたカティアの涙が止まる。
「なんですか、これ」
「俺が作った使い魔を擬態させた。カティアと契約すれば、何かあった時に手助けをしてくれるし俺とも連絡が取れる」
カティアが何かいう前にウィリアムが呪文を唱え、カティアの手首に薄らと鎖状のあざが浮かびすぐに消える。
「これで契約完了、こいつが俺の代わりにカティアの近くにいる。だから泣き止んでくれ」
そう言ってまた頭に撫でてくれる。やっぱりウィリアムにとって自分は妹と同じなんだと悲しくなる一方、離れていてもウィリアムが近くにいてくれるように思えて、とても安心した。
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(魔獣討伐には2年かかって、先生が戻ってきた時には侯爵家の全権はお父様の手に渡ってたのよね)
過去に思いを馳せるカティアは今、ウィリアム…ヴァイスと一緒に馬車に乗ってる。彼が乗ってきた馬車で後方の馬車にはカティアが侯爵邸から持ってきた荷物が詰め込まれてる。
何でこんなことになっているのか。
あの後ヴァイスは国王陛下からカティアとの婚約と身柄を引き取ることの許可を得たと告げた。
結婚前から相手の家で暮らすなんて外聞がどうのと煩い父を黙らせ、呆然とするカティアの荷物を纏めに部屋に向かった。
その途中で出交わしたニナがヴァイスに気づき、その美しさに目を奪われダニエルより彼が良いと恐ろしい事を言い出しヴァイスに近づこうとした。その瞬間ニナの腕が凍り付き、一切の温度を感じさせない冷ややかな目で「勝手に触るな、カティアを痛めつけたその腕、砕いてやっても良いんだぞ」と脅すとパタン、と気絶してしまったのだ。
あれよあれよという間に荷物を詰め込んだヴァイスとカティアは彼の暮らす屋敷へと向かってる途中。
「あのウィリ…ヴァイス殿下」
「ウィリアムで良い。こっちの方が馴染んでるんだ。この顔と名前では色々と面倒ごとが多くてな」
大きく溜息をついたヴァイスから今までの苦労が伝わってくる。聞いた話ではヴァイスを次期国王に、という派閥が彼を担ぎ上げようと企んだことがあるという。それ以来彼は表舞台に出る事を辞めたのだと。
「ウィリアム」は何のしがらみなく過ごすための姿なのだろう。
「…色々言いたいことはありますが、結婚とは…?」
「迎えに行くと言っただろ、もう兄上から許可を貰ってる。嫌がっても無駄だから諦めてくれ」
「嫌ではないですけど…教え子だからとここまでしてもらう理由が」
「実はな、世間話で前侯爵からはカティアの婿にという話をされていたんだ」
思いもよらぬ事実にカティアは瞠目する。
「父と前侯爵は古い知り合いでね。王宮に居づらかった俺を時々預かってくれていたんだ。因みにカティアの父親は既に家に寄り付かなかったから、このことは知らない」
祖父が彼を講師として連れてきた理由がやっと分かった。
「婿と言ってもカティアのことは妹としか見てないなかったからやんわりと断ったんだが…前侯爵夫妻があんなことになり帰ってきた時には全て終わっていた。せめてカティアを保護しなければと思ったが君は侯爵家を守りたいからと断った。それからあんな目に遭いながらも直向きに努力するカティアを見守るうちに、自分の気持ちが変わってることに気づいたんだ。カティア」
徐にヴァイスがカティアの頬を両手で包む。
「俺はカティアのことが好きだよ、妹としてでは無く。急にこんな事を言われても困るだろうけど、知っていて欲しい」
「…です」
「ん?」
「わ、私もウィリアム先生のこと好きです、だ、男性とし…っ!」
言い終わる前に力一杯抱きしめられる。必死で胸板を叩いているうちに解放された。
「し、死ぬかと」
「ごめん、つい」
「程々にしてください、心臓持たない」
「…善処する…」
変な間が空いたことは気づかないふりをした。
「あ、領地のこと心配だろうけど直ぐ片付くと思うから安心してくれ」
「片付く…?」
そう言ったヴァイスの笑った顔がゾッとするほど美しく、そして恐ろしかったがカティアは敢えて訊ねなかった。
その後、懸念の通りロバートを追い出したニナ達の杜撰な領地経営と浪費により領民の不満は膨れ上がり、重圧に耐え切れず逃げ出すことになった。領地を放って逃げ出した罪は重く、領主としての権限を剥奪されて2人仲良く平民になったと聞いた。
父も横領がバレて投獄、義母は行方が分からなくなった。侯爵領は一時的にヴァイスが派遣した管理人が運営することに決まり、ゆくゆくはカティア達の子供が継ぐことになるのをまだ知らない。