わが心なぐさめかねつ

千々に乱れる為介の心

 さて、為介が目をやれば楠木に囲まれた神社の境内には里の衆たちがいまや遅しと、威儀を正して待ちのぞんでいるのが見えます。人の顔までしきべつできる距離まで来ますと、自分為介ばかりをひたと捉えて見つめる媼の姿に視線が強く引きつけられる。見れば髪の色は雪のように白くふりたれど、あな、お懐かしや、我母則子その人に違いなし。自分をやさしくつつむように、しのに見つめるその母の視線に、すっかり忘れていたいまだ冠者のころの、あの日、あの時の光景と思いがよみがえります。いまさらのように、養父高嗣の諌めが胸に沁み来るのでありました。しかしとは云え、御(おん)養母、義理の兄弟たちの諌めも確かにこれあり、また我子良介の顔をもが為介の脳裡に浮かび来ます。母則子の姓名はいまや謀反の朝敵と堕し、その名をば官人はもとより、里の者たちでさえあるいは知りおるやも知れません。畢竟為介の心は千々に乱れます。しかしいまはとにかく石上家家令として、また大宰府少弐付文官としての務めをはたさねばなりません。はや境内に到着し村長はじめかしこまる里衆の前に、また手尺をささげ持ち低頭する母君の前に進み出でて、為介は新少弐石上高嗣の名をば朗々と告げるのでありました。

(※著者再注)下の写真は九州・大野の平野神社のものですが講談の作中に「推古天皇うんぬん」とあるのはまったくの創作でして、当神社はそれほど古くはありません。ただ境内に湧き出る清水というのは事実で、現在でもそれはコンコンと湧き出しているのだそうです。それゆえにこの神社を、その歴史 を変えて使わせていただいた次第です。悪しからず。霊験あらたかな各命(みこと)のお堂や歴史を鮮やかに描いた絵馬堂などがあるそうですよ。

                  【九州・平野神社】
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