わが心なぐさめかねつ

家持の来訪

「は、はい。でもこのようなむさくるしい所……あまりにも心苦しゅうございます」
「かまわぬ。とにかく中で……」と云ってどこか急ぐ風情の家持が後をふり返り、「お前たちは離れたところで控えておれ」とお付きの警護の兵二人に申し付けます。そのまま「では」とばかり招じ入れた則子がお茶の支度をしようとするのに「いやいや、お婆、構いますな。わけあって長居はできぬ。まずはこれへ」と則子を眼前に座らせます。
「実はな、お婆、急な話じゃが此度私に勅令が下りましてな、この十日の内に奈良に戻らねばなりませぬのじゃ」
「まあ、都に……して、それはいかなるお上のお計らいですか?また御所に戻れるのですか?」
「うむ、左中弁としてな」
「まあ、左中弁。それはおめでとうございます。旅人様もきっと草葉の陰でお喜びでございましょう。これでやっと地方のお役目から解放されるのですね?」
「ああ、地方のドサ回りもこれで終りじゃ(軽笑)。しかしそこでじゃ、お婆。私はそなたをも都に連れ行こうと思う。いかがじゃ?そなたも寄る年波、いつまでもここに一人では居られまい?」
「いえいえ、めっそうもございません。わたくしのような醜い疱瘡上がりの古女房が、お側でお仕えしていては。お家の沽券にかかわります」
「仕えろと云うのではない。私の元で余生を送ってほしいと申しておるのじゃ。乳母のそなたを此処に置いて行くなど、それこそ沽券にかかわる」
「いいえ、どうか私など捨て置いて、心置きなくお立ちくださいませ。此度の都上りの儀、まことにお慶び申し上げます」と、結構な家持の申し出をかたく固辞する山科則子、なにやら自分からは面と向かって云えぬ、隠れた経緯があるようです。それを家持が代弁いたします。
「お婆…例の、道鏡の儀か?かの恵美押勝(えみのおしかつ)の乱でそなたの山科家が連座した、それへの道鏡坊主の報復を恐れてのことか?」
「私からは云えませぬ……」

                 【大友家持・絵】
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