手違いで婚約破棄された令嬢は、責任を取りたい天使に甘く迫られる
「そうです。彼らは、不義密通で道ならぬ情事にふける間柄だったようですが、私の力が働いたことにより、お祝いムードで『まあいいじゃないか』と周囲に受け入れられるという、摩訶不思議な事態になってしまいました。それもこれも、私の『幸せにしたい! 幸せになれ!』という力が強いからなんですが」
アゼリアは、脱力しつつソファへ向かおうとしたが、足がふらつき何もないところでつまずきかけた。フレミングが横から手を出して、腰に腕を回して支えてくれる。
(実体が、あるのね……)
しっかりと抱きかかえられて、そのままソファへと運ばれてアゼリアは感心してしまった。まるで現実の人間のようだ、と。
壊れ物を扱うように、ソファへとアゼリアをおろしたフレミングは、そのまま片膝を床についてアゼリアを見つめてきた。
「昨晩あなたの身に起きた婚約破棄騒動は、すべて私の手違いということで、大変申し訳なく思っています。結果的に、道義に合わないことを天使が後押ししてしまいました。『愛があるなら良いじゃん』という大変雑な判断によって……」
度重なる告白に、実はショックを受けていたらしく、アゼリアの心身はふらふらですぐにはまともな言葉が出てこなかったが、頭の中では「別にそこまで悪くないのでは?」と思い始めていた。
(フレミングさんは、二人重大な証言を聞いているわ。「この先、何年も我慢しなければ」ってジェイクとナンシー嬢のどちらが口にしたのかはわからないけど、どういうことかしら? あのまま婚約を継続して結婚していれば、私は何年か後には亡きものにされていたということ?)
いくら相手に不信感を持ち、警戒をしていたとしても、夫婦として一緒の家に暮らしていれば、気を抜く場面もあるだろう。そういうときに、毒を盛られたり、事故に見せかけて階段から突き飛ばされたりしてしまえば、あっさり殺されてしまっていた恐れもある。
「愛ある二人を結びつけることで、結果的に私が愛のない結婚を回避できたのなら、天使の祝福の力はとても偉大なのだと思いますわ。世間的にも、問題にならないという奇跡まで。そう、結果としては、全然悪くないと思います」
ぐったりとソファに腰掛けたまま、アゼリアはかすれた声でフレミングに告げた。
「ですが、私の目にはあなたがとても苦しんでいるように見えます。教えていただけますか? あなたの望みを」
「私の?」
意図がわからないと、アゼリアは聞き返す。
フレミングは、ここぞとばかりに頷いて「あなたの望みです」と繰り返した。
「私の思い込みにより、あなたは婚約者を失いました。元婚約者はお咎めなしで愛するひとと結ばれ、あなたはこうしてひとりで落ち込んでいます。私は、この不均衡をどうにかしたい。平たく言うと、あなたを幸せにしたいんです。どうすればあなたは幸せになれますか?」
答えようにも、それはアゼリアにとって、とても難しい問いかけであった。
(私の幸せ? ジェイクと結婚することは、私にとって幸せでも不幸せでもない、通過点だった。私の幸せ……)
婚約者を裏切ったという意味では、ジェイクとナンシーの恋愛ははた迷惑で道義にもとる行いであったが、「二人でいるのが幸せ」という真理に至り、天使の後押しも受けたというのなら、その思いの強さはすごいことだとアゼリアは思う。称賛することはないが。
少なくとも「幸せとは何か」「望みは何か」を聞かれても答えられないアゼリアよりは、天使の祝福に近かったのではないだろうか。
こうして、天使から直々に尋ねられても、アゼリアは何も浮かばない。
「私は、貴族の生まれで衣食住で苦労したことはなく……。これまでの十九年間、人並みに辛いことも悲しいこともあったかとは思いますが、不幸というほど大きな悲劇に見舞われることもありませんでした。そういう自分は『幸せ』なのだとわきまえていますので、今のところ天使に願う望みはありませんね」
「婚約破棄されたばかりなのに!?」
まるで大問題のように言われたが「結婚前で良かったなと、前向きにとらえています」と答えたことにより、フレミングを大いに悩ませることになってしまった。
「補填できない……。『この二人、結ばれればいいのに』って親切心から、二人以外の関係者に多大な迷惑をかけたのに、取り返すことができない……」
「そんなに落ち込まなくても良いのではないですか? 私は自由になったことで、せいせいしていますよ。あの二人に対しては……、悪いとわかっていたはずなのに『いろいろと致していた』って、しかもよりにもよって我が家の夜会に招かれたタイミングでですか? とは思いますけど、そういうことをする二人が、この先うまく世渡りをできるとは思えなくて。天使の祝福効果も、いずれ消えますね?」
「鋭いことを言いますね」
冷や汗を浮かべたフレミングに、痛いとこをつかれたとばかりに言われて「そうでしょうか?」とアゼリアは首を傾げた。
「後押しなんて、本人あってのことですよね。今回はたまたま二人の愛が真実のものだったから、天使の祝福があり、周りも巻き込まれた。でも、その愛が冷めたり、二人の間に諍いが絶えないものとなったりさらに道義にもとる行いを繰り返したりして、周囲に見放されることも起こり得るでしょう? そう思うと、天使の力で何か達成しても虚しい……」
うっ、とまたもやフレミングが落ち込んだように胸をおさえたので、アゼリアは言い過ぎに気づいて口を閉ざした。
(どうも私には優しさが欠けているわ。本当のことだからって、ずけずけ言っていいものではないわね)
この性分を直さないことには、いずれ自分で災いを呼び込むことになるだろうと深く反省をして、フレミングに穏やかな声で話しかけた。
「私の願いは、もう少し優しい人間になりたいということです。たとえ天使の祝福を得られても、私自身が奢った人間であれば、祝福は意味をなさないことでしょう。だから、まずは自分自身の努力で納得するまで自分を叩き直したいです」
「婚約破棄された翌日に、そこまで反省できるあなたは何者ですか? 神ですか?」
「天使がそれを言うのはどうかと思います」
天使の声って、神にまで届かない? 大丈夫? と焦りながら、アゼリアは不穏当な発言を遮った。
(フレミングさんって、もしかして超絶うっかり天使なのでは……。逆に心配になるくらい)
アゼリアの心の声が聞こえたかどうかは定かではないが、フレミングは思い詰めたような顔になり、すくっと立ち上がった。
そして、アゼリアに向かって宣言をした。
「あなたの望みを、私は完全に理解しました。願いを聞き届け、祝福を授けます」
「本当に理解しています? 私、祝福を授かるにはまだ早いかな~って言いましたよ?」
フレミングはアゼリアに水を差されても、ものともしない様子で「大丈夫です」と言い切った。
「天使の昇格試験に、時間制限はありません。私はあなたというひとを取りこぼしたことで、課題未達成と認識しましたので、あなたが幸せになるまで、あなたのお側を離れません。幸せになるのを見届けます。というか、幸せにします。私が」
にこ、と破壊力抜群の笑みを向けられて、アゼリアはクッションを抱えながら、固まってしまった。
これほどあけっぴろげな笑顔と強い善意を向けられたのは、これまでの人生で初めてかもしれない、とぼんやりと思う。
じわじわと頬に血が上ってきた。その自分の反応に戸惑いながら、アゼリアは「わかりました」と答えた。それが、精一杯の返答だった。
アゼリアは、脱力しつつソファへ向かおうとしたが、足がふらつき何もないところでつまずきかけた。フレミングが横から手を出して、腰に腕を回して支えてくれる。
(実体が、あるのね……)
しっかりと抱きかかえられて、そのままソファへと運ばれてアゼリアは感心してしまった。まるで現実の人間のようだ、と。
壊れ物を扱うように、ソファへとアゼリアをおろしたフレミングは、そのまま片膝を床についてアゼリアを見つめてきた。
「昨晩あなたの身に起きた婚約破棄騒動は、すべて私の手違いということで、大変申し訳なく思っています。結果的に、道義に合わないことを天使が後押ししてしまいました。『愛があるなら良いじゃん』という大変雑な判断によって……」
度重なる告白に、実はショックを受けていたらしく、アゼリアの心身はふらふらですぐにはまともな言葉が出てこなかったが、頭の中では「別にそこまで悪くないのでは?」と思い始めていた。
(フレミングさんは、二人重大な証言を聞いているわ。「この先、何年も我慢しなければ」ってジェイクとナンシー嬢のどちらが口にしたのかはわからないけど、どういうことかしら? あのまま婚約を継続して結婚していれば、私は何年か後には亡きものにされていたということ?)
いくら相手に不信感を持ち、警戒をしていたとしても、夫婦として一緒の家に暮らしていれば、気を抜く場面もあるだろう。そういうときに、毒を盛られたり、事故に見せかけて階段から突き飛ばされたりしてしまえば、あっさり殺されてしまっていた恐れもある。
「愛ある二人を結びつけることで、結果的に私が愛のない結婚を回避できたのなら、天使の祝福の力はとても偉大なのだと思いますわ。世間的にも、問題にならないという奇跡まで。そう、結果としては、全然悪くないと思います」
ぐったりとソファに腰掛けたまま、アゼリアはかすれた声でフレミングに告げた。
「ですが、私の目にはあなたがとても苦しんでいるように見えます。教えていただけますか? あなたの望みを」
「私の?」
意図がわからないと、アゼリアは聞き返す。
フレミングは、ここぞとばかりに頷いて「あなたの望みです」と繰り返した。
「私の思い込みにより、あなたは婚約者を失いました。元婚約者はお咎めなしで愛するひとと結ばれ、あなたはこうしてひとりで落ち込んでいます。私は、この不均衡をどうにかしたい。平たく言うと、あなたを幸せにしたいんです。どうすればあなたは幸せになれますか?」
答えようにも、それはアゼリアにとって、とても難しい問いかけであった。
(私の幸せ? ジェイクと結婚することは、私にとって幸せでも不幸せでもない、通過点だった。私の幸せ……)
婚約者を裏切ったという意味では、ジェイクとナンシーの恋愛ははた迷惑で道義にもとる行いであったが、「二人でいるのが幸せ」という真理に至り、天使の後押しも受けたというのなら、その思いの強さはすごいことだとアゼリアは思う。称賛することはないが。
少なくとも「幸せとは何か」「望みは何か」を聞かれても答えられないアゼリアよりは、天使の祝福に近かったのではないだろうか。
こうして、天使から直々に尋ねられても、アゼリアは何も浮かばない。
「私は、貴族の生まれで衣食住で苦労したことはなく……。これまでの十九年間、人並みに辛いことも悲しいこともあったかとは思いますが、不幸というほど大きな悲劇に見舞われることもありませんでした。そういう自分は『幸せ』なのだとわきまえていますので、今のところ天使に願う望みはありませんね」
「婚約破棄されたばかりなのに!?」
まるで大問題のように言われたが「結婚前で良かったなと、前向きにとらえています」と答えたことにより、フレミングを大いに悩ませることになってしまった。
「補填できない……。『この二人、結ばれればいいのに』って親切心から、二人以外の関係者に多大な迷惑をかけたのに、取り返すことができない……」
「そんなに落ち込まなくても良いのではないですか? 私は自由になったことで、せいせいしていますよ。あの二人に対しては……、悪いとわかっていたはずなのに『いろいろと致していた』って、しかもよりにもよって我が家の夜会に招かれたタイミングでですか? とは思いますけど、そういうことをする二人が、この先うまく世渡りをできるとは思えなくて。天使の祝福効果も、いずれ消えますね?」
「鋭いことを言いますね」
冷や汗を浮かべたフレミングに、痛いとこをつかれたとばかりに言われて「そうでしょうか?」とアゼリアは首を傾げた。
「後押しなんて、本人あってのことですよね。今回はたまたま二人の愛が真実のものだったから、天使の祝福があり、周りも巻き込まれた。でも、その愛が冷めたり、二人の間に諍いが絶えないものとなったりさらに道義にもとる行いを繰り返したりして、周囲に見放されることも起こり得るでしょう? そう思うと、天使の力で何か達成しても虚しい……」
うっ、とまたもやフレミングが落ち込んだように胸をおさえたので、アゼリアは言い過ぎに気づいて口を閉ざした。
(どうも私には優しさが欠けているわ。本当のことだからって、ずけずけ言っていいものではないわね)
この性分を直さないことには、いずれ自分で災いを呼び込むことになるだろうと深く反省をして、フレミングに穏やかな声で話しかけた。
「私の願いは、もう少し優しい人間になりたいということです。たとえ天使の祝福を得られても、私自身が奢った人間であれば、祝福は意味をなさないことでしょう。だから、まずは自分自身の努力で納得するまで自分を叩き直したいです」
「婚約破棄された翌日に、そこまで反省できるあなたは何者ですか? 神ですか?」
「天使がそれを言うのはどうかと思います」
天使の声って、神にまで届かない? 大丈夫? と焦りながら、アゼリアは不穏当な発言を遮った。
(フレミングさんって、もしかして超絶うっかり天使なのでは……。逆に心配になるくらい)
アゼリアの心の声が聞こえたかどうかは定かではないが、フレミングは思い詰めたような顔になり、すくっと立ち上がった。
そして、アゼリアに向かって宣言をした。
「あなたの望みを、私は完全に理解しました。願いを聞き届け、祝福を授けます」
「本当に理解しています? 私、祝福を授かるにはまだ早いかな~って言いましたよ?」
フレミングはアゼリアに水を差されても、ものともしない様子で「大丈夫です」と言い切った。
「天使の昇格試験に、時間制限はありません。私はあなたというひとを取りこぼしたことで、課題未達成と認識しましたので、あなたが幸せになるまで、あなたのお側を離れません。幸せになるのを見届けます。というか、幸せにします。私が」
にこ、と破壊力抜群の笑みを向けられて、アゼリアはクッションを抱えながら、固まってしまった。
これほどあけっぴろげな笑顔と強い善意を向けられたのは、これまでの人生で初めてかもしれない、とぼんやりと思う。
じわじわと頬に血が上ってきた。その自分の反応に戸惑いながら、アゼリアは「わかりました」と答えた。それが、精一杯の返答だった。